落葉(令和3年3月3~4日掲載分)


◎ 落葉(令和三年三月三~四日掲載分)
● 令和三年三月三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その五十五 落葉
《今回の自選代表句と自句自解》

伽藍地の溝跡に枯葉点々と 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)を後にして、階段を登って国分寺崖線(ハケ)の上に出た。上に伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡があった。その伽藍地の溝跡には枯葉が点在していた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十九)
冬の旅朱の橋渡り祠へと
冬の旅祠に真姿弁財天
㊟真姿弁財天(ますがたべんざいてん)・・・真姿弁財天社は武蔵国分寺の旧境内地にあたり、環境省(庁)の名水百選、都名湧水57選に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」に隣接して建つ祠で、弁財天を安置します。池にまつわる伝説は国分寺の医王山縁起に嘉祥元(848)年における玉造小町のものが伝承されます。社殿は『新編武蔵風土記稿』にも記載され、弁財天開帳の記録は安政5(1858)年の記録が残り、明治14(1881)年には芝居興行も開帳に併せて行われ(『国分寺史料集Ⅲ』)、社殿内には弘化2(1845)年と安政5年の銘を持つ鰐口が現存します。
 社殿は池の中島に築かれ東面します。建物は切妻切妻入、東入の形式です。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
◎「真姿弁財天について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十六)》
冬の旅池傍らから湧く清水
冬の旅池傍らから湧水が
ハケ崖の階段登り冬の旅
冬の旅階段登り崖上へ
冬の旅階段登りハケ上に
冬の旅北辺の区画溝跡へ
冬の旅次は寺院の伽藍地へ
※寺院の伽藍地・・・伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡。所在地 東京都国分寺市西元町1丁目1−32(国分寺ゼルクハウス前)
伽藍地の溝跡に落葉点在す
伽藍地の溝跡に枯葉点々と 
溝跡の周囲の林冬紅葉
伽藍地の周囲の林冬紅葉
冬の旅往時の面影今はなく

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● 令和三年三月四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その五十六 冬枯れ
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の野鳥の森は冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡の近くから、都立国分寺公園の中に入った。西元地区の南エリアに入るとそこは野鳥の森。紅や黄色の木の葉を愛でながら森の中を歩く。雰囲気がいい。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十)
冬の旅続いて都立公園へ
冬旅に都立国分寺公園に
㊟都立国分寺公園・・・旧国鉄・鉄道学園跡地につくられた、1周約500メートルの園路に囲まれた円形の芝生広場が特徴の都立公園です。園内には、桜や藤などの様々な樹木や花があり、滝や池、噴水などの水辺もあります。解放感のある広い芝生は家族連れの憩いの場として人気です。
 蒸気機関車の車輪を使ったユニークな中央鉄道学園記念碑もあります。毎年行われる「国分寺まつり」の会場となります。南面は、真姿の池湧水群や国分寺などの名所と接します。(国分寺市役所HPより転載)
武蔵国分寺公園(むさしこくぶんじこうえん)は、東京都国分寺市にある都立公園。正式名称は東京都立武蔵国分寺公園(とうきょうとりつむさしこくぶんじこうえん)。
 概要【編集】
 1987年、国鉄が分割民営化される際に、国鉄の債務を返済する目的で閉鎖された中央鉄道学園の跡地を住宅と公園として整備して2002年4月1日に中央鉄道学園跡地の泉地区が開園した。2004年には中央鉄道学園跡地の南側を通る東京都道145号立川国分寺線(通称:多喜窪通り)の向かいにあった郵政省(当時)の社宅(逓信住宅)跡地を整備した西元地区が開園した。
 公園北側にはJR中央本線が通り、公園中央を東京都道145号立川国分寺線(通称:多喜窪通り)が通り、泉地区の西側には中央鉄道学園跡地の敷地を整備した際に発掘され、整備された東山道武蔵路。都営住宅を挟んで府中街道(埼玉県道・東京都道17号所沢府中線)が通っている。
 主な施設【編集】
 芝生広場 武蔵の池 こもれび広場 野鳥の森 鉄道学園記念碑(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在 東京都国分寺市泉町2丁目・西元町2丁目 (武蔵国分寺公園事務所:泉町2-1-1)
(注)
 平成14年(2002)に中央鉄道学園の跡地に開園した一周500mの円形芝生広場を中心に、 旧鉄道学園時代からの樹木や滝、池、噴水がバランスよく配置された水と緑のゆったりした都立公園です。 メインの泉地区(芝生広場)と隣接の西元地区(こもれび広場)がある。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「都立国分寺公園ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十七)》
冬の旅平成の都立公園に
冬の旅南東口より入園す
冬の旅南エリアに入園す
※南側エリア・・・野鳥の森や芝生の広場など自然が豊富。
冬の旅野鳥の森はこんもりと
公園の野鳥の森は冬紅葉
公園の野鳥の森は冬黄葉
公園の野鳥の森は冬もみじ 
常緑樹冬の紅葉を際立たせ
常緑樹冬の黄葉を際立たせ
二人して枯葉重なる小路ゆく
二人して落葉重なる小路ゆく
冬枯れの気配感じる小路ゆく
冬の旅公園に蝶の説明板
冬うららオオムラサキの説明板
公園の「こもれび広場」に冬陽射

人参(令和3年3月1~2日掲載分)


◎ 人参(令和三年三月一~二日掲載分)
● 令和三年三月一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その五十三 人参
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の川湧水集めて流れゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。川状の用水は、この時季冬の湧き水を集めて緩急をつけて流れてゆく。せせらぎの音が魅力的である。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十七)
冬旅に背負うリュックは野菜入り
リュックには袋入りの人参が
冬の旅リュック背にして池向かう
道脇に流れる小川冬の水
冬晴のハケ崖下に湧水源
冬の川湧水集めて流れゆく 
冬の日に湧水を汲むよその人
冬の日に名水を汲むよその人
冬の旅ペットボトルに湧水を
冬の旅ペットボトルに名水を
冬の旅清き湧水の傍に池
冬の旅真姿の池すぐ傍に

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● 令和三年三月二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その五十四 冬服
《今回の自選代表二句と自句自解》

真姿の池の林は冬紅葉 
真姿の池辺に明るき石蕗の花 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。川状の用水は、この時季冬の湧き水を集めて緩急をつけて流れてゆく。せせらぎの音が魅力的である。
 崖線の源まで来るとそこに「真姿の池」があった。崖線の森林は冬もみじ。「真姿の池」の水辺には、石蕗の花が咲いていた。モミジも石蕗の花も、「真姿の池」に彩りを添えていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十八)
冬旅に真姿の池湧水群
㊟真姿の池湧水群・・・真姿の池湧水群は、近くの野川の源流から流れ込む湧水で、病を患った絶世の美女、玉造小町がこの水で身を清めたところ、もとの美しい姿に戻ったという伝説から、真姿の池と呼ばれるようになりました。国分寺薬師堂近くに位置し、江戸時代に尾張徳川家が鷹場としたお鷹の道に沿って散歩が楽しめます。(東京の観光公式サイトGO TOKYOサイトより転載)
 真姿(ますがた)の池湧水群
 真姿の池は、東京都内では青梅市の御岳渓流と共に環境庁の「名水百選」に指定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」の一部であり、東京都の国分寺崖線緑地保全地域にも指定されている。真姿の池の由来は、嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れて21日間参詣すると、一人の童子が現れ小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところたちどころに病は萎え、元の美しい姿に戻った。それから人々はこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったという伝説からきている。
 真姿の池は「新編武蔵風土記稿」に「広さ2間四方許、池中(ちちゅう)の狐嶼(こしょう)に弁天の祠宇(しう)を置く。この池水も田地へそそく」とある。周辺の雑木林は下草の刈り払いが行われ管理が行き届いており国分寺崖線の雑木林景観が良く保存されている。国分寺から小金井・三鷹・調布・狛江を経て世田谷の等々力渓谷に至る標高差約15mほどの崖線で「ハケ」と呼ばれている。東京を代表する湧泉の価値を文化財として評価された最初の自然地理的名勝である。(東京都教育委員会)
池の脇清らに湧き出る冬の水
冬旅の心休まる湧水群
冬旅に平安時代の伝説池
伝説の「真姿の池」や冬の旅
真姿の池の林はもみじ
真姿の池の林は冬紅葉 
真姿の池の林は冬黄葉
真姿の池の欅の冬黄葉
※欅の冬黄葉・・・ケヤキ(欅)の木は、秋に美しく色鮮やかに紅葉します。「けや」は古語で「美しい」という意味です。「けやけしの木」が訛り「ケヤキの木」と呼ばれるようになりました。
 ご存知のように、紅葉は「もみじ」は赤色、「イチョウ」は黄色に色づきます。
 しかし、ケヤキは個体によって紅葉の色が「赤」「橙」「黄」と3種類存在し、ケヤキの並木通りでは、すべて同じ木であるのに木によって色が異なるという現象が起きます。(Woodyニュースより転載)
見上げれば椋木少し冬黄葉
㊟椋木・・・ムクノキ(椋木、椋の木、樸樹、 Aphananthe aspera)はアサ科ムクノキ属の落葉高木。東アジアに分布する。単にムク(椋)、またはエノキに似るためムクエノキ(椋榎)とも言う。
 成長が比較的早く、大木になるため、日本では国や地方自治体の天然記念物に指定されている巨木がある。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
見上げれば池辺の椋木冬黄葉
下見れば我が足元に冬の草
真姿の池の竹垣に石蕗の花
真姿の池辺に明るき石蕗の花 
冬の旅池なかに祠あり
冬の旅池の中島に弁財天
冬日和鳥居バックに写真撮る
冬服の妻と池背に写真撮る
冬の晴祠バックに「はいパチリ」
冬の旅二人で潜る朱の鳥居

蕪(令和3年2月27~28日掲載分)


◎ 蕪(令和三年二月二十七~二十八日掲載分)
● 令和三年二月二十七日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その五十一 石蕗咲く
《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴の湧水沿いの道二人して 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。冬景色を愛でながら妻とゆっくり歩を進める。冬の陽射しも暖かい。贅沢な時間である。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十五)
冬の旅お鷹の道ゆき湧水へ
おたかの道湧水園へ冬の日に
㊟おたかの道湧水園・・・現国分寺の東側の敷地一帯が史跡に追加指定され、市立歴史公園として整備されました。そのうち、お鷹の道の北側が「おたかの道湧水園」という有料公園施設です(平成21年10月18日オープン)。
 園内北側は国分寺崖線にかかり、崖線一帯には湧水源など良好で豊かな自然環境が残されています。また、園内には市内でも貴重な歴史的建造物である市重要有形文化財の長屋門(江戸時代後期)と倉(明治時代)が残されています。所在地 国分寺市西元町1-13-10 (国分寺市役所HPより転載)
冬の旅妻連れ次の湧水へ
冬の旅湧水群へ向かい行く
国分寺崖泉を行く冬の旅
㊟国分寺崖泉・・・国分寺崖線は通称“ハケ”と呼ばれています。この崖線は古多摩川の浸食によって出来た崖の連なりで、国分寺市の西町五丁目あたりから目立ち始め、世田谷区あたりまで続いています。国分寺市にいちばんはっきりあらわれているので「国分寺崖線」と呼ばれていました。(リバーサイドウォークサイトより転載)
(注)国分寺崖線の上から、武蔵国分寺や武蔵国分尼寺が見下ろせる。
冬の旅崖泉の「はけ」下りゆく
※崖泉の「はけ」・・・国分寺崖線と湧水
 地形図を見て分かる通り、多摩川が削りだした河岸段丘である国分寺崖線が、非常に顕著な形でお鷹の道の背後に立ち上がっている。高低差はほぼ15メートル。
 この崖は大田区田園調布の先まで続いている。崖線に湧水は付き物。崖下から絶えることの無い清水が湧き出している。(武蔵野と水辺サイトより転載)
◎「国分寺崖泉について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十五)》
冬旅に妻連れ下るハケの道
冬の旅湧水沿いの道歩く
冬晴の湧水沿いの道二人して 
ふたりして石蕗咲くお鷹の道を行く
冬の旅清流沿いを歩きゆく

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● 令和三年二月二十八日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その五十二 蕪
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先で買う人参は袋入り 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道を歩いてゆく先で「ほんだ自然農園」さんの野菜の直売所を見つけた。早速立ち寄り、袋入りの人参などを買い込んだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十六)
冬の旅新鮮野菜の幟見え
冬の旅路傍に野菜の直売所
冬の旅行く水路沿いに「やさいや」が
冬旅に新鮮野菜の直売所
「ほんだ自然農園」に寄る冬の旅
お鷹の道行けば白菜店頭に 
白菜が「やさいや」さんの店頭に
束の葱「やさいや」さんの店頭に
「やさいや」に束の人参売られをり
店頭の「やさいや」の蕪(かぶら)大きくて
店頭の蕪の色は白と紅
冬旅に新鮮野菜買う求む
旅先で買う人参は袋入り

木の葉(令和3年2月25~26日掲載分)


◎ 木の葉(令和三年二月二十五~二十六日掲載分)
● 令和三年二月二十五日 木曜日 冬の晴
○ 十一月日々折々 その四十九
《今回の自選代表句と自句自解》

お鷹場の名残の道や冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。武蔵国分寺資料館の見学を終えて、再びお鷹の道を歩いた。このお鷹の道は、江戸時代に、尾張徳川家のお鷹場(鷹を使って狩りをする場所)に指定されていた事から名付けられた。その名残りの道である。今の時季は紅や黄色の冬のもみじに彩られている。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十三)
冬の旅資料館後に次の地へ
冬旅にお鷹の道を歩き行く
お鷹場の名残の道や冬の旅
お鷹場の名残の道や冬もみじ 
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の『「続・冬(新年)の写真」の「国分寺散策」(十一月中旬)』に『初冬の「お鷹の道」(東京都国分寺市西元町)』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
江戸の世の名残の道や冬もみじ
水路沿いの遊歩道ゆく冬の旅
お鷹の道遊歩道行く冬の旅
お鷹の道遊歩道行く冬の晴
冬日和行くお鷹の道遊歩道
冬の晴囀り耳に歩き行く
冬日和囀り耳に道歩く

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● 令和三年二月二十六日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その五十一 木の葉
《今回の自選代表句と自句自解》

小流れは木の葉集めて流れゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。この時季は、枯れた木の葉や落葉が浮かびながら流されてゆく。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十五)
小流れの水路の脇に散り黄葉
小流れの水路の脇に石蕗の花
水路脇日を浴び明るき石蕗の花
遊歩道脇に明るき石蕗の花
お鷹の道脇に明るき石蕗の花
冬うららせせらぎ耳に歩き行く
小流れに船の如き散り紅葉
小流れに船の如き散り黄葉
小流れに枯葉は船の如くして
小流れに落葉は船の如くして
小流れは木の葉集めて流れゆく

冬日和(令和3年2月23~24日掲載分)


◎ 冬日和(令和三年二月二十三~二十四日掲載分)
● 令和三年二月二十三日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その四十七 枯薄
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬旅に七重塔の模型観る 
冬うらら往時の栄華に思い馳せ 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道に隣接する施設「武蔵国分寺資料館」に寄り、史跡武蔵国分寺跡の出土品などの展示を鑑賞した。その中には、国分寺の復元模型もあった。奈良時代当時のイメージが湧く。往時の栄華に思いを馳せた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十一)
冬の旅史跡の駅に立ち寄って
冬の旅「おたカフェ」に寄り券購入
冬の旅歩いて近くの資料館
旅先の資料館脇に冬紅葉
旅先の資料館傍に枯薄
冬旅に立ち寄り見学資料館
冬の旅資料館に入り鑑賞す
※資料館・・・ここでは、武蔵国分寺資料館のこと。
冬旅に国分寺跡資料館
㊟国分寺跡資料館・・・ここでは、武蔵国分寺跡資料館のこと。
 「見る」・「学ぶ」・「訪ねる」をコンセプトにした資料館です。おもに史跡武蔵国分寺跡の出土品を展示して、これまでの発掘調査の成果や、市内の文化財、史跡武蔵国分寺跡の整備事業などを紹介しています。(国分寺境内)(国分寺市役所HPより転載)お鷹の道に隣接する施設。出土品などが展示されているほか、長屋門の内部を見学できる。
(注1)国分寺跡資料館前の庭に、1/10スケールの七重塔の復元模型がある。
(注2)お鷹の道沿いにあり、武蔵国分寺跡資料館や長屋門、七重塔模型などが敷地内にある有料の歴史公園です。園内にある湧水源保全地区は立ち入ることはできませんが、湧水源観察ポイントからは流れ出る湧水や周辺の豊かな緑の原風景をみることができます。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
◎「国分寺跡資料館について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十三)》
冬旅に七重塔の模型観る 
冬うらら往時の栄華に思い馳せ 
冬旅に頂くカタログ・パンフレット

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● 令和三年二月二十四日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その四十八 冬日和
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅歴史ロマンにどっぷりと  

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道に隣接する施設「武蔵国分寺資料館」に寄り、史跡武蔵国分寺跡の出土品などの展示を鑑賞した。その中には、国分寺の復元模型もあった。奈良時代当時のイメージが湧く。往時の栄華に思いを馳せた。
 僧寺の全容が明らかになり、歴史のロマンを感じる。当時いかに仏教の興隆に力を入れていたかが理解できた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十二)
冬旅に妻連れ展示室巡り
国分寺のジオラマ鑑賞冬旅に
冬旅に国分寺模型鑑賞す
冬灯下国分寺模型鑑賞す
冬旅に復元模型鑑賞す
冬の旅僧寺に全容明らかに
冬日和僧寺に全容明らかに
冬の晴僧寺に全容つまびらか
冬旅に観音菩薩像鑑賞
※観音菩薩像・・・「銅像観世音菩薩像」は、小品であるが白鳳期後期に制作されたものと言われ、関東では最も古い白鳳期の仏像だと言われている。
冬の旅像の近くにブラタモリ
※ブラタモリ・・・NHKでオンエアされた「ブラタモリ国分寺~遺跡編」で、このあたりが紹介された。
㊟ブラタモリ・・・『ブラタモリ』(英称:BURATAMORI、通称:ブラタモ)は、NHK総合テレビで2008年から断続的に放送されている日本の紀行・教養バラエティ番組。司会を務めるタモリの冠番組でもある。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「ブラタモリについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十四)》
冬の旅展示に石斧・土器・硯(すずり)
冬の旅出土の瓦展示され
※瓦展示・・・男瓦(おがわら)・女瓦(めがわら)・鐙瓦(あぶみがわら)・宇瓦(のきがわら)など
冬の展瓦に郡と人の名が
冬の旅展示に板碑・農耕具
冬の旅展示に古代のレンガ「磚(せん)」
国分寺見どころ多き冬の旅
いくつもの歴史重なる冬の旅
冬の旅歴史ロマンにどっぷりと 
冬麗歴史の浪漫楽しめり

日向ぼこ(令和3年2月21~22日掲載分)


◎ 日向ぼこ(令和三年二月二十一~二十二日掲載分)
● 令和三年二月二十一日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その四十五 障子
《今回の自選代表句と自句自解》

障子戸の廊下側より日射し入る 

 十一月中旬の国分寺の旅。次に向かう場所は、旧本多家住宅長屋門。受付済ませて建物内に入る。一階には二つの六畳間。廊下側の六畳間は床の間付きだ。廊下側から冬の日が射し込んでいる。廊下側の白障子が明るい。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十九)
冬の旧本多家住宅長屋門
長屋門脇の立木は冬黄葉
冬旅に妻と長屋門見学す
冬旅に暫し見学長屋門
冬旅に江戸時代末の長屋門
冬の晴庭掃く音する長屋門
冬日和竹垣向こうに六畳間
床のある六畳部屋に障子あり
床の間の六畳部屋に白障子
障子戸の廊下側より日射し入る 

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● 令和三年二月二十二日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その四十六 日向ぼこ
《今回の自選代表句と自句自解》

住宅の廊下に座して日向ぼこ 

 十一月中旬の国分寺の旅。次に向かう場所は、旧本多家住宅長屋門。受付済ませて建物内に入る。一階には二つの六畳間。廊下側の六畳間は床の間付きだ。廊下側から冬の日が射し込んでいる。廊下側の白障子が明るい。子供の頃を思い出し、ほんの少し廊下に座して日向ぼっこ。実に懐かしい思いがする。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十)
六畳間日射しに明るき白障子
六畳間障子の日射しに暖かみ
住宅の廊下に座して日向ぼこ 
旅先でほんの束の間の日向ぼこ
冬旅に養蚕資料の展示見る
冬の展蚕の発生順序模型
冬灯下蚕の発生順序模型
冬の旅見学終えて「おたカフェ」へ
※「おたカフェ」・・・史跡の駅「おたカフェ」のこと。
 お鷹の道の癒・交流・展示空間。弁当・食事・トイレ休憩など誰でも自由に入れます。水湧く場所に"WATER CAFE"
お鷹の道にある森の中のお休みどころです。国分寺の野菜や果物を使ったメニューをお愉しみ頂けます。また、国分寺の名産品も展示販売しています。目の前には、おたかの道湧水園と武蔵国分寺資料館があり、そちらのチケットも販売しています。(史跡の駅「おたカフェ」HPより転載)全国に約1,700ヵ所ある「まちの駅」の1つ。
◎『「おたカフェ」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十二)》
冬の旅史跡の駅の「おたカフェ」に
「おたカフェ」の店頭三和土(たたき)に散り黄葉
「まちの駅」に妻と立ち寄る冬の旅

石蕗の花(令和3年2月19~20日掲載分)


◎ 石蕗の花(令和三年二月十九~二十日掲載分)
● 令和三年二月十九日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その四十三 冬日和
《今回の自選代表句と自句自解》

冬日和児童公園に親子連れ 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の薬師堂から国分寺公園(児童公園)へ移動した。公園では親子連れが遊んでいた。男の子は元気に動き回っていた。冬日和の午後の公園の情景は、「平和」そのものであった。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十七)
冬の旅妻と国分寺公園へ
冬晴の児童公園に親子連れ
冬日和児童公園に親子連れ 
冬の旅公園内に住居跡
冬旅に観る土師竪穴住居跡
㊟土師竪穴住居跡(はじたてあなじゅうきょあと)・・・土師竪穴住居跡(国分寺市)
【名称】土師竪穴住居跡(市指定史跡)
【所在地】東京都国分寺市西元町1-13 国分寺公園内
【概要】
 昭和31年、日本考古学協会仏教遺跡調査特別委員会によって、はじめて武蔵国分寺跡の本格的な発掘調査が行われました。この時、僧寺の金堂・講堂跡とともに薬師堂の西側でも調査が行われ、僧寺の寺域を境する北辺・西遍の両溝跡と寺域の内外より発見された二号竪穴住居跡を史跡指定にしました。
 この住居跡は、規模が4.0m×4.2mのほぼ方形をしており、煮炊きを行った竈が北壁に二ヶ所東壁に一ヵ所設けられていました。住居内部からは完成の土器八点、完成の「セン」一点など多数の遺物が出土しています。
 名称の「土師」は、当時一般的に使用されていた土器の一種類である土師器を指しており、「土師器を使用していた時代の」という意味です。(好奇心いっぱい心旅より転載)
◎「土師竪穴住居跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十九)》
冬の旅園の東屋で小休止
冬の旅公園奥の神社へと
冬の旅八幡神社境内に
※八幡神社・・・武蔵国分寺に隣接してある本村八幡神社。この社のすぐ裏側に小さな児童公園があり、公園の片隅には竪穴住居跡が残されている。
冬の晴鳥鳴く声する八幡社
冬日和鳥の鳴く声よく響く

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● 令和三年二月二十日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その四十四 石蕗の花
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅せせらぎ耳に歩きをゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺から程近いお鷹の道を歩く。せせらぎの音が清らかな音を響かせる。実にいい雰囲気だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十八)
幾種もの鳥鳴く声聞く冬の旅
冬の旅参道の左右に石灯篭
参道の枯葉踏み行く老夫婦
冬の旅鳥居を潜り道路へと
冬の旅階段下り道路へと
冬の旅本多家の墓道脇に
本多家の墓の路傍の枯葉踏み
冬日浴び楼門脇の道進む
冬の旅妻とお鷹の道に入る
㊟お鷹の道・・・お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)とは東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている、武蔵野台地の代表的な景観の場所であり1985年(昭和60年)名水百選に選定された[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
お鷹の道・真姿の池湧水群について
 お鷹の道・真姿の池湧水群は、環境省選定の名水百選の一つです。国分寺市内には潤沢な湧水地帯が形成されており、特に真姿の池近くの湧水は水量豊か。湧水の一部は池に流れ込み、残りは水路を100mほど流れ、野川の支流の小さな清流に注ぐ。清流沿いの約400mの小径がお鷹の道。江戸時代に、周辺が尾張徳川家の鷹場であったことから名づけられました。
 真姿の池の由来は、嘉祥元年(848年)、絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えによります。現在は池の中央に弁財天が祀られています。都指定名勝、都名湧水57選。(じゃらんネットより転載)
(追記)
 江戸時代にこの辺りは尾張徳川家のお鷹場(鷹を使って狩りをする場所)に指定されていた事から名付けられた。(趣意は案内板より)
※お鷹場・・・江戸城を中心に五里(20km) 以内のエリアは幕府の「御拳場」(おこぶしば=鷹場)、寛永10年(1633年)にその外側を尾張藩・紀州藩・水戸藩の徳川御三家などの鷹場としています。 
 御三家筆頭の尾張藩は武蔵野に広大な鷹場を有し(境界を示す83本の石杭を建立)、東は朝霞市、西東京市(保谷に5本の境界を示す石杭が現存)、練馬区大泉、南は三鷹市、小平市、立川市、国分寺市、西は青梅市、埼玉県入間市、狭山市、坂戸市、北は志木市、富士見市までに及んでします。(「東京とりっぷ」より転載)
◎「お鷹の道・真姿の池湧水群ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十)》
冬の旅せせらぎ耳に歩きゆく 
お鷹の道用水脇に石蕗の花
行く道は紅や黄色の冬のモミジ
お鷹の道路傍の生垣冬紅葉
冬のお鷹の道行き長屋門
冬の旅目に旧本多家長屋門
㊟旧本多家長屋門・・・お鷹の道の西端には、武蔵国分寺の本堂などがありますが、この手前には「旧本多家長屋門」があります。ここは、「お鷹の道湧水園」となっていて、園内には武蔵国分寺資料館があり、歴史的な出土品などを見ることができます。園内の入り口にとなっているこの「旧本多家長屋門」は、修復作業が終わりさらに風格を増しました。
 真姿の池湧水群の一つがこの園内から流れ出ていて、湧水園の西門近くから水路となってお鷹の道沿いに流れます。(地元の地形と歴史と知るサイトより転載)
(追記)
 おたかの道湧水園・武蔵国分寺跡資料館の入口は長屋門(国登録有形文化財)になっている。旧本多家(国分寺村の名主)住宅長屋門。弘化5(1848)年建築。桁行15m、梁間4.5mの木造2階建、東西棟の寄棟造鉄板葺。中央を門口とし、東側に座敷、西側に物置を配する。(関東で奈良を感じるツアーサイトより転載)
◎「旧本多家長屋門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十一)》
冬の旅ここは名主の長屋門

冬日影(令和3年2月17~18日掲載分)


◎ 冬日影(令和三年二月十七~十八日掲載分)
● 令和三年二月十七日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その四十一 冬日影
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅各植物に万葉歌 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂の前に着いた。周りには、たくさんの万葉植物(約百六十種類)が所狭しと並べられていた。一つ一つの万葉植物には、植物名と万葉歌が記されていた。先代の思いのこもった万葉植物園がそこにあった。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十五)
冬旅に種類豊富な植物園
冬の旅各植物に札付いて
冬の旅各植物に植物名
冬の旅各植物に万葉歌 
冬の晴植物丹精込められて
冬の旅感銘受けし植物園
冬日浴ぶ本堂右手に寺務所あり
冬の晴本堂右手に寺務所見え
冬の寺流水の音と鳥の声
冬の旅本堂前より堂宇へと
枯葉踏み急な階段登りゆく
冬の旅階段登り薬師堂
薬師堂堂宇の周り冬木立
冬日影木立周辺ひんやりと
境内の気温の下がる冬日影

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● 令和三年二月十八日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その四十二 冬の雲
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅前に歴史ある薬師堂 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂から急な石段を登って薬師堂へ移動した。この堂宇の中に国の重要文化財である薬師如来坐像がある。堂の前にて合掌する。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十六)
冬の旅堂の隣に鐘楼が
冬の旅静かに佇む薬師堂
㊟薬師堂・・・医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。所在地 国分寺市西元町1-13-16(国分寺境内)(国分寺市役所HPより転載)
(注)国の重要文化財である薬師如来坐像(平安時代末頃の作といわれている)は10月10日にご開帳される。また、薬師堂の境内西側に土師竪穴住居跡がある。
◎「薬師堂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十八)》
冬の旅前に歴史ある薬師堂 
冬の旅前に江戸の世の薬師堂
冬の旅堂宇に薬師如来坐像
冬の旅堂宇に木造薬師如来
冬の旅堂宇に重文薬師如来
冬の旅薬師堂にて手を合わす
冬の旅木漏れ日背にして合掌す
冬の日に参拝済ませて公園へ
冬の旅薬師堂より公園へ
木立抜け見上げる空に冬の雲

枯尾花(令和3年2月15~16日掲載分)


◎ 枯尾花(令和三年二月十五~十六日掲載分)
● 令和三年二月十五日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十九 枯尾花
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の園元気にはしゃぐ児らの声 

 十一月中旬の国分寺の旅。武蔵国分僧寺跡地の傍に薬師児童遊園地がある。遊園地から園児らはしゃぐ声が聞こえてくる。園児らの元気な声に老夫婦は、元気をもらう。コロナ渦、ありがたい声だ。

国分寺楼門の背に冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の楼門の前に着いた。冬のもみじを背にして絵になる景色だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十三)
冬の晴遊園地には遊ぶ児ら 
冬の園元気にはしゃぐ児らの声
冬日背に道を北上老夫婦
歩きゆく路傍にポツンと枯尾花
冬日浴び元町通り横断す
楼門へ向かう路傍に山茶花が
冬の旅続いて今の国分寺
冬の旅前に国分寺楼門が
冬の旅風格のある楼門が
㊟楼門・・・国分寺境内にあり、前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです。
 板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとどめた、風格ある建物です。三間一戸の楼門で、2階には十六羅漢像(現在13体)を安置しています。(国分寺市役所HPより転載)楼門の奥には武蔵国分寺の本堂がある。
冬の旅前に医王山国分寺
㊟国分寺・・・医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っています。享保10年(1725)に本堂が再建されたと考えられます。  
 現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。所在地 国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
建武2(1335) 年 に義貞の寄進で薬師堂が再建されたことを伝えている。  
 その後も法燈は継承され,江戸時代になると幕府から与えられた寺領によって復興の足掛 かりができ,享保・宝暦年間に至って,仏殿・薬師堂・仁王門等が建立されて寺観が整い, 現在に至っている。(国分寺市・国分寺関連サイトより転載)
(注1)現在の武蔵国分寺本堂の南側には、武蔵国分寺跡が広がる。
◎「医王山最勝院国分寺ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十五)》
(注2)武蔵国分寺のプロフィール
 真言宗豊山派の寺院。山号は医王山。院号は最勝院。本尊は薬師如来。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。(国分寺物語より転載)
(追加) 
 受け継ぐ心継がれる―国分寺遺伝子 
 武蔵国分寺 ご住職 星野亮雅さん の物語り
 頂いた名刺の裏を見てみると、「福祉協議会」の文字。
 私は興味を覚えて、ご住職さんに伺ってみる。
「ここに『福祉協議会』ってありますが、住職という役職を担いながら、務められているんですか?」
「お声がかかり、最初は何も分からず始めたんですよ。ただただ、聖武天皇の教えを継ごうという想いからです」
聖武天皇? そんなにも前の天皇の想いを受け継ぐとは…。
私には、歴史の教科書でしか見たことがない名前。
1200年以上も前の天皇の教えを受け継ごうという想いは、生半可なものではない。
 その聖武天皇の教えとは、一体どういったものなのだろう。
「『広く蒼生のためにあまねく景福を求む』大勢の国民のために、多くの幸せを願うです。聖武天皇の人びとを思うお気持ち、その志を継承する国分寺の住職としては、地域のためになるお仕事へのお誘いを、無碍(むげ)にお断りするわけにはいきませんでした」“
国分寺遺伝子”、素晴らしい。住職さんの強い心意気が伝わってくる。(国分寺物語より転載)
国分寺楼門の背に冬もみじ 
冬の旅すぐ前現国分寺

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● 令和三年二月十六日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その四十 冬の鳥
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅万葉植物数多あり 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂の前に着いた。周りには、たくさんの万葉植物(約百六十種類)が所狭しと並べられていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十四)
冬の旅妻と立ち寄る国分寺
冬旅に遺伝子受け継ぐ国分寺
冬うらら聖武天皇の御威光が
※聖武天皇・・・聖武天皇. しょうむてんのう. 生没年 : 701~756.奈良時代(在位724~749)の第45代天皇。文武天皇を父、藤原不比等の女藤原宮子を母とする。藤原不比等の娘光明子(光明皇后)は皇后にあたる。724年即位し、積極的に唐代の文物制度を採り入れて国政の充実に努めた。また仏教を深く信仰し、国ごとに国分僧尼寺を建立し、自ら書写した経文を納めた。さらに東大寺を建立し、奈良大仏を鋳造して天平文化をつくりだした。
冬うらら聖武天皇の威光あり
冬旅に近世様式多き寺
冬の旅脇より向かう仁王門
冬の旅寺に宝暦の仁王門
㊟仁王門・・・国分寺境内にあり、宝暦年間(1751から1764)に建てられた八脚門です。
使用している木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されています。
 もとは萱葺の屋根でしたが、現在は瓦葺の入母屋造になっています。門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像が安置されています。(国分寺市役所HPより転載)
(注)本堂を後にして、道を回り込むと仁王門に。奥には薬師堂がある。いずれも1700代半ばの建立。本堂とは林で分断されていて、一度境内を出て道をたどって行かねばならない。
◎「仁王門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十六)》
冬の旅門に阿吽の仁王像
冬の旅本堂前に植物園
冬の旅すぐ目の前に植物園
冬旅に立ち寄る万葉植物園
㊟万葉植物園・・・万葉集に詠まれている植物を集め、往時をしのぶよすがにとの意図で国分寺前住職星野亮勝氏により設置された植物園です。市の天然記念物に指定されています。
 故星野亮勝前国分寺住職が、武蔵国分寺跡を訪れる人々が、奈良時代の文化や思想を理解しやすいようにと、国分寺が栄えた時代と同時期に編さんされた「万葉集」に歌われた約160種の植物を例歌とともに展示しています。所在地 東京都国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
(注)国分寺の本堂前は万葉植物園と名付けられ、約160種もの植物が植えられている。武蔵国分寺が建立された頃というのは、万葉集が編まれた時期。そして、万葉集には植物を詠んだ歌も多いことから、往時をしのぶということで、先代ご住職が13年かけて採集したという。
◎「万葉植物園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十七)》
国分寺植物園に射す冬日
国分寺植物園に冬陽射
植物園見上げる空に冬の鳥
冬の旅万葉植物数多あり

冬木立(令和3年2月13~14日掲載分)


◎ 冬木立(令和三年二月十三~十四日掲載分)
● 令和三年二月十三日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その三十七 冬木立
《今回の自選代表句と自句自解》

行く道の路傍の植え込み冬紅葉 

 十一月中旬の旅。僧寺の国分寺中門跡地から次の場所への移動中、路傍の低木の植え込みの植物の葉が紅く色づいていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十一)
冬の旅金堂跡に礎石あり
㊟金堂跡・・・金堂は本尊仏を安置する建物です。桁行き7間(約36メートル)×梁行き4間(約17メートル)の礎石建物として建てられました。現在も多くの礎石が残されています。武蔵国分寺の金堂は、諸国国分寺中最大級の規模となります。所在地 西元町2-1,2(国分寺市役所HPより転載)
(追加資料)
 武蔵国分寺跡は現在の府中街道の東側にあり、寺域の回廊に囲まれた中には南に金堂・北に講堂があり、西には西僧坊、東には東僧坊と時刻を知らせる鐘楼がこの東僧坊の西どなりにありました。(H・I・IROIROSのサイト 国分寺のお話より転載)
◎「金堂跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十四)》
国分寺往時を偲ぶ冬の日に
行く道の路傍の植え込み冬紅葉 
行く道の路傍の植栽冬紅葉
冬の旅鐘楼跡はこの辺り
冬の旅鐘楼跡に礎石あり
冬の旅鐘楼隣に僧坊が
冬の晴金堂裏に通路あり
冬の旅歩く金堂・講堂間
冬晴れの講堂前に幢竿跡
国分寺講堂の奥冬木立

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● 令和三年二月十四日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三十八 冬野
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺跡の背の崖冬もみじ 

 十一月中旬の旅。僧寺の中門跡地から講堂跡に移動した。国分寺の講堂跡の背景となるベルトのような高台の国分寺崖線(ハケ)の森林の紅や黄色の冬もみじが冬晴れの青空に映えて美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十二)
冬日浴ぶ講堂跡の説明板
冬の旅講堂跡に礎石あり
㊟講堂跡・・・講堂は経典の講義などが行われる建物です。桁行き5間(約29メートル)×梁行き4間(約17メートル)の礎石建物として創建され、後に金堂と同規模の桁行き7間(約36メートル)×梁行き4間(約17メートル)に増設して再建されたことが明らかになっています。所在地 西元町2-1,2(国分寺市役所HPより転載)
講堂の跡地の後ろに冬木立
国分寺跡の背の崖冬もみじ 
国分寺跡の背のハケ冬もみじ
国分寺跡の近くに山茶花が
冬旅に見応えのある寺の跡
冬の旅国分寺跡に見どころが
冬の旅見どころ多き寺の跡
冬の旅歴天平の御世に思い馳せ
国分寺跡地の一部まだ冬野
冬の旅右薬師児童遊園地

山茶花(令和3年2月11~12日掲載分)


◎ 山茶花(令和三年二月十一~十二日掲載分)
● 令和三年二月十一日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その三十五 枯草
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅塔心礎大きくて 

 十一月中旬の旅。僧寺の七重塔跡地に着いた。大きな礎石が七つ点在している。中央の心柱の塔心礎の石は特に大きい。九世紀の当時、六十メートルほどの高さのある巨大な七重塔が建っていたという。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十九)
国分寺塔の跡地に冬の蝶
僧寺跡枯草踏んで塔跡へ
塔跡に大き銀杏の冬黄葉
冬晴の塔の跡地に説明板
冬の晴板に七重塔の絵が
冬の旅七重塔跡に礎石
㊟七重塔跡・・・塔跡1は3間四方。武蔵国分寺の七重塔は『続日本後紀』によると835年(承和2年)に落雷によって焼失したとされる。その後、845年(承和12年)に男衾郡の大領であった壬生吉志福正(みぶのきしふくまさ)が私費による再建を申し出て許可されている[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の武蔵国分寺跡の項より転載)
 七重塔跡は、金堂・講堂跡から東方200メ-トルのところに位置します。塔は、「金字金光明最勝王経(きんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)」を安置する国分寺の重要な施設で した。3間(約10メートル)四方の礎石建物で、高さは60メートルほどあったと推定されます。現在、中央にほぞ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石が残っています。
 国史である「続日本後紀」に、承和2年(835年)に七重塔が雷火で焼失し、復旧ができなかったのを、前の男衾郡(おぶすまぐん・現在の埼玉県比企郡付近)の大領(たいりょう・長官)である壬生吉志福正(みぶのきっしふくしょう)が再興を願い出て許されたと記されています。発掘調査では、塔が創建期とその後の2回この位置で建てられたことを確認しています。
 また、平成15年度の地下レーダー探査により、礎石の残る塔跡(塔跡1)の西方約55メートルの地点で、もう一つの塔跡(塔跡2)が発見されました。塔跡2には大規模な地盤固めの跡(版築・はんちく)があるのみで礎石は残っていません。塔跡2と塔跡1の建て替えとの明確な関係は把握できていません。所在地 西元町3-26(国分寺市役所HPより転載)
(注)九世紀の当時、60mほどの高さのある巨大な七重塔が建っていたという。
◎「武蔵国分寺の七重塔跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十三)》
冬の旅広き敷地に礎石あり
冬の旅塔の礎石の大きこと
冬の旅敷地中央に石心礎(しんそ)
冬の旅塔心礎大きくて 
冬の旅数多な礎石並びをり
冬の旅大きな礎石どっかりと
冬うらら往時の姿に思い馳せ
冬麗奈良の御代に思い馳せ

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● 令和三年二月十二日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その三十六 山茶花
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺中門脇に山茶花が 

 十一月中旬の旅。僧寺の七重塔跡跡地から国分寺中門跡に移動した。中門跡地の脇で山茶花が花を咲かせていた。とてもきれいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十)
冬の旅少し歩いて中門に
冬の旅中門跡に礎石あり
冬の晴中門礎石くつきりと
冬日浴び中門跡に我は立ち
冬日背に中門跡に吾立ちぬ
冬の晴中門戸口はこの辺り
冬の旅無き築地塀はあの辺り
国分寺中門脇に山茶花が 
僧寺跡ピンクの山茶花明るくて
僧寺跡ピンクの山茶花明るかり
冬の旅中門・金堂間に遺構
冬の旅寺跡に幢竿(どうかん) 遺構あり

落葉掻く(令和3年2月9~10日分掲載)


◎ 落葉掻く(令和三年二月九~十日分掲載)
● 令和三年二月九日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その三十三 冬椿
《今回の自選代表句と自句自解》

見渡せば僧寺の跡地に冬椿 

 十一月中旬の旅。僧寺の跡地に到着してさらに周囲を見渡すと紅い椿の花が咲いていた。僧寺の跡地は、そこだけ華やいで見えた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十七)
見渡せば僧寺の跡地に冬椿 
見上げれば跡地の上空よく晴れて
見上げれば跡地の上空青あおと
見上げれば跡地の上空まぶしくて
国分寺址の石碑に冬陽射
冬紅葉背にして寺址の石碑建ち
冬紅葉背にして寺址の石碑立つ
冬の旅僧寺紹介南より
冬晴の僧寺南門(なんもん)跡に立つ
冬の旅目の前に広き僧寺跡

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● 令和三年二月十日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その三十四 落葉掻く
《今回の自選代表句と自句自解》

跡地にてシルバー人材落葉掻く 

 十一月中旬の旅。僧寺の跡地に到着し、七重塔跡地へ向かう。途中でシルバー人材の方々が、跡地で落葉掻き作業をしていた。この時季ならではの情景である。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十八)
冬の旅東の塔跡地へと
跡地にてシルバー人材落葉掻く 
冬の旅シルバー人材より情報
冬の旅情報を得て跡地へと
冬の旅七重塔跡地へと
冬の旅七重塔跡地広々と
国分寺塔の跡地に散り紅葉
はらはらと僧寺跡地に散り紅葉 
国分寺僧寺跡地に散る木の葉
国分寺跡地に冬の日燦燦と

冬帽子(令和3年2月7~8日掲載分)


◎ 冬帽子(令和三年二月七~八日掲載分)
● 令和三年二月七日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三十一 冬帽子
《今回の自選代表句と自句自解》

寺跡へ向かう路傍に山茶花が 

 十一月中旬の旅。文化財資料展示室で見学した後、次の目的地である国分僧寺跡へ向かった。また途中で山茶花の花を見つけた。また花に癒された。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十五)
冬の旅立ち寄る資料展示室
冬の旅瓦・土器など展示され
冬旅に鉄製品など観て回る
冬の展歴史の重みずっしりと
冬の晴国分寺跡へ歩きゆく
旅先ですり違う人冬帽子
寺跡へ向かう路傍に冬の菊
冬の旅妻と国分僧寺跡へ
寺跡へ向かう路傍に山茶花が 
冬の旅しばらく歩いて寺跡に
冬の旅やがて国分寺跡に着く

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● 令和三年二月八日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十二 冬の草
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬旅に最大級の国分寺 

 十一月中旬の旅。文化財資料展示室見学後、次の目的地である国分僧寺跡に着いた。ここは、日本で最大級の国分寺である。広大な敷地に驚いた。

見渡せば僧寺の跡地散りもみじ 

 今日は冬日和。見渡すと僧寺の跡地には散りもみじが・・・。僧寺の跡地に彩りを添えている。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十六)
冬の旅妻と国分僧寺跡
冬の旅寺の北東地域入る
冬の旅僧寺北東地域入る
※僧寺北東地域・・・僧寺の金堂跡・講堂跡を対象に実施された。
以後,発掘調査は,昭和 33 年の日本考古学協会による僧寺中門跡の調査,昭和 39 年 ~ 44 年の滝口宏らによる僧寺鐘楼・中門・塔,尼寺推定金堂・尼坊,僧寺伽藍地区画溝な 9 どの調査,昭和 48 年の武蔵国分寺跡調査会による僧・尼寺中間地域の調査などと,断続的 に行われてきた。  
 その後,昭和 48 年,市立第4中学校建設問題*を契機に、曲折を経て広域学術調査を実 施する市常設の武蔵国分寺遺跡調査会が組織され、昭和 49 年から昭和 61 年までの12 年間で,僧尼寺の寺域範囲が確認された。(国分寺市・武蔵国分寺遺跡調査会記録より転載)
(注)僧寺の南にある市立第四中学校付近は,当時まだ雑木林や畑だった。
冬日差す広き跡地に説明板
冬の旅ここは武蔵国分寺跡
㊟武蔵国分寺跡(僧寺地区)・・・武蔵国分寺跡(むさしこくぶんじあと)は、東京都国分寺市西元町・東元町にある古代寺院跡。武蔵国分尼寺跡を含んで国の史跡に指定されている。
 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺・国分尼寺の寺院跡にあたる。現寺院については武蔵国分寺を参照。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在 東京都国分寺市西元町1丁目から4丁目付近
(注1)武蔵国分寺は元弘3年(1333)分倍河原の合戦(新田義貞と鎌倉幕府)で焼失し、建武2年(1335)に薬師堂だけ再建されたことが伝えられている。尼寺はこの頃には、廃寺になっていた。
(注2)薬師堂・・・新田義貞公の寄進で建立された薬師堂は老朽化し、約430年後の宝暦年間(1751〜1763)現在の丘陵上に建て替えられ、この薬師如来(国指定・重要文化財) を中心に除々に形態を整えて今日を迎えている。
(追記)
 元弘3年(1333)の分倍河原の戦いで敗れた新田義貞は、その敗走中、国分
寺を焼失させ、建立から600年近く続いた武蔵国分寺は終わる。その後、義貞は後悔の念からか、2年後の建武2年(1335)、薬師堂を寄進する。
※分倍河原の戦い・・・分倍河原は鎌倉時代の古戦場。鎌倉幕府第十四代執権だった北条高時の弟、泰家が指揮する幕府軍と新田義貞率いる倒幕の軍勢が、1333年に壮絶な戦いを交えた場所です。
この戦いで、一時敗走したが援軍を得て盛り返し、大勝した。勢いを増した新田軍は、数日後には鎌倉へとなだれ込み、遂に140年余り続いた鎌倉幕府は滅亡した。
(追加資料 その一)武蔵国分寺・僧寺伽藍  
 僧寺の主要伽藍が考古学的に解明された経緯は,昭和 31・33 年の日本考古学協会仏教遺 跡調査特別委員会 ( 石田茂作委員長 ) による発掘調査で,金堂基壇の規模や講堂西側の継ぎ 足し基壇の存在を明らかにしたのを嚆矢とする。その後,尼寺跡の無許可宅地造成を契機と して,市教育委員会による昭和 39 ~ 44 年までの断続的な調査が行われ,中門・北方建物 の規模や七重塔の再建,伽藍地 ( 寺域 ) 区画施設等が判明し,続いて昭和 49 年以降には寺 域確認調査を柱として市に常駐調査組織 ( 現国分寺市遺跡調査会 ) が設置され,中枢部区画 施設の規模や伽藍地 ( 寺域 ) 区画の変遷等を解明すべく,市内の各所で調査が行われた。こ れらの調査によって,僧寺伽藍地 ( 寺域 ) は幅 2.1 ~ 3.0 m,深さ 0.8 ~ 1.5 mの素掘り溝で 区画され,その規模は北辺 384.1 m,東辺 428.3 m,南辺 356.3 m,西辺 365.4 mを測るこ とが判明した。  
 また,伽藍配置は,南辺の西寄り3分の1等分線を中軸線として,伽藍地区画に設けた南 門,中枢部区画に設けた中門,中枢部区画内南側の金堂,その背後の講堂,中枢部区画外の 北方建物が一直線に並び,金堂・講堂の両側には鐘楼・経蔵 ( 未確認 ) と東西僧坊が配される。 中枢部を区画する施設は掘立柱塀 ( 柱間 2.4 m ) と素掘り溝で構成され,中門より両翼に延 びて北へ折れ,東西僧坊を取り込み,講堂の背後で閉じる。回廊を有さず,僧坊等までを囲 繞する特異な構成をとるのは,後述する尼寺も同様である。
 なお,中枢部区画の規模は東西 約 156 m,南北約 132 mを測る。塔は中枢部区画の外に位置し,金堂の中心より直線距離 で約 220 m離れた伽藍地 ( 寺域 ) 区画の南東隅に存在する。  
 以上の伽藍を構成する主要の建物は,瓦葺き礎石建物で,金堂・講堂・鐘楼と塔は基壇を 有することが判明している。このうち,金堂は間口7間 ( 約 36.1 m ),奥行4間 ( 約 16.6 m ) の東西棟建物で,諸国国分寺中最大級の規模を誇る。(国分寺市・武蔵国分寺遺跡調査会記録より転載)
(注1)武蔵国分寺跡・・・武蔵国分寺跡では僧寺と尼寺が発掘・保存されており、同一地域にこれらの史跡が保存されているのは貴重です。国史跡に指定された武蔵国分寺跡は東山道武蔵路跡と共に「武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡」という史跡名所に変わり、現在では約155,600m²の広大な史跡として保存され公開されています。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
(注2)武蔵国の国分寺がどうしてここ?
 国分寺の建立地の条件は、中国の神話が用いられました。これは四方の方角を司る、霊獣に関わりがあります。
四神相応の地に合致した「国分寺」の建立の条件として国分寺崖線と武蔵国府、湧水が関わっていました。
 北には丘を控えて“玄武の神(亀)”、東には湧水が出て“青龍の神(龍)”、西には交通の要所の東山道武蔵路が“白虎(虎)”、多摩川の流域で広がった南には“朱雀(鳳凰)”と神が守ってくれているこの土地は、武蔵国の拠点に条件が適(かな)いました。(国分寺のお話サイトより転載)
(追加資料 その二)
 741年、聖武天皇の命により全国に国分寺が建立される際、武蔵国の国府(現在の府中市)の近くに良い土地はないかと選ばれたのが現在の国分寺市です。なぜ選ばれたのか?それは、帰国した遣唐使から伝えられた「四神相応(ししんそうおう)の地」の考えに基づきます。「四神相応」の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)のことを指し、それぞれ特徴のある土地に棲むと言われています。その特徴を説明すると(野川)
東:青龍…豊かな川の流れがある
西:白虎…大きな道があり交通の便がよい
南:朱雀…広大な平野や海があり開けている
北:玄武…山や丘陵がある
 四神相応の地というのは、古代中国に始まった風水における四聖獣(四神)が東西南北の各方向の地形とフィットする地のことです。国分寺は、東に清流があり、西には当時の大動脈といえる東山道武蔵路、南には広大な平野が広がり、北には国分寺崖線がそびえるという理想の地相であったのです。鎌倉時代末期、国分寺は新田義貞によって残念ながら燃やされてしまったと伝えられていますが、礎石の跡などは残っており、周辺には真姿の池やお鷹の道など、東京都とは思えないのどかな風景が残っています。都会と閑静な佇まいの融合。是非一度、国分寺の地にお立ち寄りください。(国分寺市観光協会の関連サイトより転載)
◎「武蔵国分寺跡(僧寺地区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十二)》
冬旅に最大級の国分寺 
冬の旅国分寺跡は国史跡
冬の旅ここは国指定史跡です
冬の旅ここは国指定寺史跡
冬晴の跡地の敷地広々と
国分寺跡地の敷地に冬の草
国分寺跡地の敷地に枯草が
見渡せば跡地の木々は冬もみじ
見渡せば僧寺の跡地散りもみじ

ホットドリンク(令和3年2月5~6日掲載分)


◎ ホットドリンク(令和三年二月五~六日掲載分)
● 令和三年二月五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その二十九 ホットコーヒー 
《今回の自選代表句と自句自解》

ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 

 十一月中旬の旅。今日は早朝に軽い朝食をとったので、かなり早めに昼食をとることにした。
 旧武蔵野国尼寺跡を後にして、次の場所への移動の途中で府中街道沿いにデニーズ西国分寺店を見かけたので妻と入店した。早いランチをとった後、ホットコーヒーを口にした。窓辺の冬紅葉を愛でながら一息ついた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十三)
冬の旅武蔵野線のガード下を
冬の旅高架線下潜り抜け
冬の旅高架を潜り道なりに
冬の旅すぐ目の前に信号機
冬の旅府中街道横断す
冬の旅妻と食事にデニーズヘ
早朝の食事考慮し冬の昼
冬の旅相当早めの昼食に
冬旅に府中街道沿いの店
冬の旅街道脇にデニーズが
※デニーズ・・・デニーズ西国分寺店
冬旅の休息兼ねて昼食に
冬の旅今後に備え昼食に
冬の昼軽音楽を耳にして
二人して食事楽しむ冬旅に
老夫婦昼食楽しむ冬の旅
冬の旅ゆっくり昼食楽しめり
旅先で食後のホットドリンクを
旅先で食後のホットコーヒーを
ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 
冬の旅店の座席でひと休み
冬の旅ころあいを見て店を出る

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● 令和三年二月六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その三十 冬の風
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の薔薇元町通りの傍らに 

 十一月中旬の旅。途中で早めの昼食をとった後、再び次の目的地へ向かった。次は、東京都国分寺市立第四中学校の一部に設置されている文化財資料展示室である。
 妻と元町通りを歩いてゆくと路傍にバラの花が咲いていた。旅人の目を楽しませてくれた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十四)
冬の旅店出て再び歩きゆく
冬の旅再び妻と歩き行く
冬晴の府中街道北進す
冬の旅四中入口より右折
※四中・・・国分寺市立第四中学校のこと。
冬晴の元町通りを道なりに
冬の旅しばし道なりに歩きゆく
冬の薔薇元町通りの傍らに 
冬の旅妻と四中入口に
展示室の幟を揺らす冬の風
冬風に展示室の旗揺れ動く
冬の旅立ち寄る四中展示室
※四中展示室・・・文化財資料展示室
 国分寺市立第四中学校の一部に設置されている。同校内からは鍛冶工房跡が見つかっており、瓦、土師器、須恵器、灰釉陶器等の土器、鉄製品などを展示している。
 住田正一古瓦(各地の国分寺跡出土瓦)コレクションも展示している。入場無料、月曜日休館
冬の旅立ち寄る文化財展示室

枯芝(令和3年2月3~4日掲載分)


◎ 枯芝(令和三年二月三~四日掲載分)
● 令和三年二月三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その二十七 冬ぬくし
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅基壇標本生々と 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。特に金堂跡地には、地下構造の基壇の土層断面標本を観察する施設(「金堂基壇版築観察施設」)があり、すぐ近くで基壇の土層を観察できた。往時の土木技術の高さを知ることができた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十一)
冬の旅南側より尼寺紹介
尼寺の中門礎石に冬陽射
尼寺の中門礎石に射す冬日
万歩計歩き増すほど冬ぬくし
冬日射す尼寺の敷地に幢竿跡
尼寺の幢竿跡に冬陽射
※幢竿(どうかん)跡・・・金堂前面に復元された4本の柱ー、これらは、儀式などの際に周囲を荘厳するための旗などを掲げるための柱です。その名は、幢竿。ここでは、その幢竿の跡と考えられる堀立柱式の柱穴が発見されました。柱の高さは、金堂の軒先の高さを超えていたと考えられています。金堂前面が重要な儀式の場となり、様々な法会が開かれていたことが実際の遺構から確認された例は全国的に珍しいのです。(国分寺物語より転載)
◎「幢竿(どうかん)跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十一)》
冬の旅尼寺に土盛りの金堂跡
冬旅に金堂基壇に上りけり
※金堂跡・・・金堂は、本尊を祀っていた御堂です。尼寺伽藍の中心にある最も大きな瓦葺建物でありました。これはその仏殿の跡です。東西26.7m、南北18.5m、高さ1mほどであり、その大きさに圧倒されます。跡の上に登ると、推定される建物規模が土質舗装範囲で表示されています。また、この跡に組み込まれた施設にて、基壇の土層断面標本を観察することができます。刻まれた歴史から、遠い昔の武蔵国分尼寺に思いを馳せます。(国分寺物語より転載)
冬旅に基壇版築(きだんばんちく)施設観る
冬旅に金堂基壇断面を
冬の旅金堂跡に標本が
冬の旅基壇断面生々し
冬の晴基壇標本生々と 
金堂跡基壇標本観る冬日

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● 令和三年二月四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その二十八 枯芝
《今回の自選代表句と自句自解》

冬うらら往時の尼寺に思い馳せ 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。幢竿(どうかん)遺構も鑑賞でき、奈良時代にタイムスリップ。さらに思いを深めた。あちこちにある説明板も大いに参考になった。合掌。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十二)
冬うらら往時の尼寺に思い馳せ 
冬の晴金堂奥に講堂跡
尼寺の講堂礎石に冬陽射
冬の旅尼坊前にも幢竿跡
尼坊跡建物礎石に冬陽射
※尼坊跡・・・本瓦葺、切妻造の東西棟石建物であった尼僧の住まいの跡です。正規の尼僧の他に、修行中の尼僧や召使などが従事して、共同生活を行なっていました。柱位置は明らかになっており、往時と同じ多摩川産の石が礎石として配置されています。房内は扉、壁などで仕切られて複数の窓があり、昼間の居住、勉学の間や寝室などの場であったそうです。(国分寺物語より転載)
冬日浴ぶ尼寺跡脇に旧街道
※旧街道・・・ここでは、伝鎌倉街道のこと。
(追記)伝鎌倉街道
 国分寺市のほぼ中央を南北に貫く府中街道は、旧官道である東山道武蔵路の経路を概ね継承しており、市域南部で武蔵国分寺跡と国分尼寺跡の中間を通過している。
 府中市分倍河原の陣街道(旧鎌倉街道上道)も、現在では甲州街道を越えたあたりで古い道筋は消えてしまっているようだが、昔はそのまま東芝府中の敷地のほぼ中央を真っ直ぐに北上し、国分尼寺の跡地から「伝鎌倉街道」とされる切通しに続いていたようである。(滋味コフンより転載)
復元の鎌倉街道冬日浴び
公園の枯芝踏んで観る遺跡
冬旅に妻と上代の遺跡観る
冬の旅ここまで武蔵野線沿いを
冬の旅ここまで府中街道沿い
冬の旅道を左折し東へと
冬の旅尼寺跡後にしデニーズへ
冬の旅早めに向かう食事場所
冬うらら食事処へ早々と

冬の蝶(令和3年2月1~2日掲載分)


◎ 冬の蝶(令和三年二月一~二日掲載分)
● 令和三年二月一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その二十五 散紅葉
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先の歴史公園冬紅葉 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。ここでも、旧武蔵野国尼寺跡地内の幾本かの立木(主に桜)の冬の紅葉を楽しんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十九)
冬景色楽しむ我に鳥の声
冬の朝武蔵野線の電車音
冬の旅続いて隣の公園へ
冬の旅また別の市立公園に
冬の旅国分寺市立公園に
冬の旅続いて歴史公園に
㊟歴史公園・・・ここでは、国分寺市立歴史公園のこと。
 国分寺市立歴史公園の施設紹介
 旧武蔵野国尼寺跡が史跡公園として整備されています。
 武蔵野国分寺は、奈良時代に聖武天皇により日本各地に建立された国分寺の1つで僧寺・尼寺を含む広大な寺域は全国でも最大規模であったといわれています。
 かつては東山道武蔵路を挟む形で、東側に武蔵国分寺が、西側には武蔵国尼寺がありました。「国分寺市立歴史公園」は、その旧武蔵野国尼寺跡を史跡公園として整備したもので東山道は広大な歩道にして保存されています。「日本の歴史公園100選」の1つに数えられているこの公園で、歴史の面影を感じながら散策してみては?(「いこーよ」サイトより転載)
◎「国分寺市立歴史公園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十九)》
旅先の歴史公園冬紅葉 
旅先の歴史公園散紅葉
奈良時代の遺跡鑑賞冬旅に
冬の旅すぐ前に歴史公園が
冬の旅尼寺跡歴史公園に

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● 令和三年二月二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その二十六 冬の蝶
《今回の自選代表句と自句自解》

尼寺跡の数多な礎石に射す冬日 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。そこに、スポットライトのような冬日が差し込んでいた。暫し奈良時代の尼寺に思いを馳せた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十)
旅先の公園内に散り紅葉
尼寺跡の公園内に散り紅葉
冬の旅道なり進み尼寺跡に
尼寺跡へ歩き行く道に冬の蝶
冬の旅武蔵国分尼寺跡が
※尼寺・・・尼寺(あまでら、にじ)は、比丘尼(尼)が住持である寺院。女寺(おんなでら)とも呼ばれる。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)黒鐘公園に隣接する史跡。
(注)国分尼寺跡・・・天平13年(741年)。国内では政治的混乱や飢饉、大地震による災害、疫病の流行により人々は苦しんでいました。仏教に帰依した聖武天皇は仏教の力で国を安定させて人々を苦しみから解く事を願い、全国に国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建てるよう「国分寺建立の詔」を出します。
 現在の埼玉県、東京都、そして神奈川県の一部を含む大国だった武蔵国は、その国府(現在の東京都府中市)から北へ約2km離れ、都へと通じる東山道武蔵路沿いに広がる平野と豊かな湧水群がある国分寺崖線の麓一帯に、国分寺を建立しました。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
㊟武蔵国分尼寺跡・・・西元町四丁目のJR武蔵野線西側に武蔵国分尼寺跡が広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。  
 確認調査の成果に基づき、尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示しています。尼坊は柱位置が判明しましたので、新たに石を配置してあります。
 このほか、中門と金堂の間で発見された幢竿遺構(儀式などの際、周囲を荘厳するための旗などを掲げる柱跡)を表示しています。
 また、金堂では、版築という大陸伝来の工法で、周囲より一段と高く築かれた基壇の土層断面標本を観察できる施設があります。
 尼坊の北側一帯の平坦部には、尼寺関連の遺構群が埋没していると考えられますが、保存したまま、広場としてご利用いただいています。
 さらに北側の崖線には、伝鎌倉街道の切通しが残り、その西側に中世の伝祥応寺跡、東側に塚跡があります。(国分寺市HPより転載)所在 東京都国分寺市西元町4丁目
(注)東山道武蔵路は、武蔵国分寺と武蔵国分尼寺の間を貫いていた。
◎「武蔵国分尼寺跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十)》
冬の旅この尼寺跡は国史跡
※国史跡・・・平成十九年「日本の歴史公園一〇〇選」に選定された。
冬の旅あちらこちらに表示板
冬の旅園のあちこちに案内板
冬の旅敷地に伽藍配置図が
冬の旅復元礎石累々と
冬の旅敷地に礎石累々と
尼寺(にじ)跡の数多な礎石に射す冬日 

木の葉散る(令和3年1月30~31日掲載分)


◎ 木の葉散る(令和三年一月三十~三十一日掲載分)
● 令和三年一月三十日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その二十三 冬景色
《今回の自選代表句と自句自解》

塚の上対面の崖冬もみじ 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。切り通しの途中、西側の中世の寺院跡の伝祥応寺跡のある高台に登った後、東側の高さ三メートルの塚を登った。伝祥応寺との関係を有する「修法壇跡」であるとされている。こちらはとても見晴らしがよく府中街道を越して遥か向こうの崖線(ハケ)に広がるの紅や黄色の冬もみじの景色が望めた。しばし、遠景の冬もみじ狩を楽しむ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十七)
冬の旅こんもりとした塚跡が
冬の旅急坂登り塚跡へ
冬の旅階段登り塚の上
冬旅に見晴らしの良き塚の上
塚の上対面の崖冬もみじ 
塚の上対する崖線冬もみじ 
塚の上対面のハケ冬もみじ
目の前に朝日に明るき冬もみじ
盛土遺構塚の上より冬景色
冬の旅塚を後にし坂下る
冬の旅妻と崖線の坂下る
冬の旅妻とハケの坂下る
冬の旅再び歩く切り通し
冬の旅武蔵野線沿い歩き行く

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● 令和三年一月三十一日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その二十四 木の葉散る
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の周り見事な冬紅葉 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の切り通しをさらに南下して、国分寺市立黒鐘公園に入った。国分寺崖線の南に位置するこの公園では、近景の冬もみじを楽しめた。

(十一月中旬 国分寺散策 その十八)
冬の旅切り通し抜け公園に
冬の旅市立黒鐘公園に
冬の旅右に黒鐘公園が
㊟黒鐘公園(くろがねこうえん)・・・国分尼寺跡と伝鎌倉街道に隣接している公園です。桜の季節には花見の名所として知られ、多くの方が訪れます。園内には、地形を利用した遊具が豊富に設置されており、子ども連れに人気のスポットです。(国分寺市役所HPより転載)
冬の旅市立黒鐘公園に
旅先の市立公園冬もみじ
冬の旅数多な遊具公園に
木々多き黒鐘公園冬もみじ
木々多き黒鐘公園冬黄葉
木々多き黒鐘公園冬紅葉
旅先の公園内に散り紅葉
公園の見回す傍から木の葉散る
崖線に帯なす紅黄の冬もみじ
公園の周り見事な冬紅葉

枯葉(令和3年1月28~29日掲載分)


◎ 枯葉(令和三年一月二十八~二十九日掲載分)
● 令和三年一月二十八日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その二十一 落葉
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅木漏れ日の道二人して  

 妻と十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。差し込む太陽の木漏れ日が何とも言えない美しさ。鎌倉時代の通行人や旅人も同じような思いをしたのかもしれない。感慨深いものがある。

(十一月中旬 国分寺散策 その十五)
街道の切り通しの道散り黄葉
冬旅に樹のトンネルの如き道
切り通し道の両端にある落葉
落葉踏み妻連れ歩く切り通し 
冬の旅木漏れ日の道二人して 
冬の旅切り通し道別世界
冬旅に鎌倉時代の街道を
冬旅に妻と中世の道歩く
冬の旅歴史ある道南下中
冬の旅ここから歴史公園内

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● 令和三年一月二十九日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その二十二 枯葉
《今回の自選代表句と自句自解》

辿り着く広き高台に散りもみじ 

 妻と十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。切り通しの途中、中世の寺院跡の伝祥応寺跡のある高台に登った。割と広くて平らな高台の上部には散りもみじや枯葉が・・・。季節を感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その十六)
冬の旅右に伝祥応寺跡
冬の旅西に中世の寺院跡
冬の旅西に伝祥応寺跡
※伝祥応寺跡・・・この街道跡の切り通しの東西には古い遺跡が残っています。左の写真(略)は切り通しの西側にある伝祥応寺跡と伝えられるところです。(武蔵国分寺と東山道武蔵路サイトより転載)街道に沿って、一段高いところに「伝祥応寺跡」と呼ばれる13世紀末から15世紀末にかけての寺院跡がある。
二人して落葉の階段登りゆく
辿り着く高台に枯葉散らかって 
辿り着く広き高台に散りもみじ 
冬陽射す高台に寺跡表示板
冬の旅佇む二人に鳥の声
冬の旅続いて東の高台へ
冬の旅左の東に塚跡が
冬の旅東側にも塚跡が
㊟塚・・・切通しの東側の丘に、古くは「土塔」と呼ばれた、中世の仏教関連遺跡が残されている。一見すると自然地形のようだが、一辺22m、高さ3mの方錐形をしており、頂部は7m四方の平坦面となっていたそうだ。国分寺や国分尼寺と関連を有するものと考えられてきたが、昭和44年と平成11年の調査の結果、切通し西側にあった寺院跡との関連を有する「修法壇跡」であるとされている。(滋味コフンより転載)
 この塚(盛土遺構)は底面約22m高さ約3mで、1辺約7mの平坦な頂部を有する方錐体と復元され周囲の地山層(黒褐色土)を削った土で築かれている。旧来「土塔」といわれ、国分寺に関係を有するものとされてきたが、2度に及ぶ発掘調査の結果、中世(14~15世紀頃)において種々の祈願の成就を得るために作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡、伝祥応寺との関係を有するものと推考される。鉄道拡張工事に伴う第1次調査(1969)では下層より平安時代の竪穴住居跡2軒、盛土内より明銭(洪武通宝・1368初鋳)1枚、頂部に主体部と思われる粘土敷き硬化面、その付近より梅瓶(めいびん)型瀬戸灰釉瓶子(かいうへいし)や素焼きの土師質土器細片数点などが出土している。(国分寺市教育委員会)

冬空(令和3年1月26~27日掲載分)


◎ 冬空(令和三年一月二十六~二十七日掲載分)
● 令和三年一月二十六日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その十九 冬薔薇
《今回の自選代表句と自句自解》

冬旅に旧石器時代からの遺跡 

 十一月中旬。西国分寺駅南口から南下して、武蔵台遺跡公園に着いた。この辺りは、旧石器時代からの遺物が出土している。悠久の歴史ロマンを感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その十三)
冬の旅武蔵台遺跡公園へ
㊟武蔵台遺跡公園・・・武蔵台遺跡公園(むさしだいいせきこうえん)
 公園内には、武蔵台東遺跡で発見された「縄文時代の敷石住居跡」が発掘時の状態で復元展示されています。これは、今から約4000年前の縄文時代中期後半に使われた住居で、大きさは約5メートルあります。居住部分中央に炉が設けられ、炉を囲むように平たい面を表にした川原石が敷かれています。(ぶらり国・府サイトより転載)所在 東京都府中市武蔵台2-29
(追加資料) [武蔵国分寺跡関連遺跡・武蔵台遺跡 要約]
 全5分冊。発掘調査は、多摩総合医療センター(仮称)等建設工事に伴う埋蔵
 文化財発掘調査である。武蔵野台地の国分寺崖線を挟んで武蔵野面と立川面に位置しているが、遺構の大部分は武蔵野面の国分寺崖線もしくは黒鐘谷に沿って分布する。
 旧石器時代では、6万点を超える遺物が出土した。その規模は都内最大級である。内容は、後期旧石器時代初頭期の石斧を伴う石器群、ナイフ形石器文化期のナイフ形石器、角錐状尖頭器を伴う石器群、尖頭器文化期の槍先形尖頭器、ナイフ形石器を伴う尖頭器である。また、150基近い数量の礫群が検出された。 
 縄文時代としては、4棟の住居跡が発見された。このうち1棟は早期前半で、今までの調査でも同時期の住居跡が検出され、集落が形成されていたことがわかった。3棟は中期後半で、うち2棟は柄鏡形敷石住居跡であった。他に集石35基が検出されたが、中期前半に属するものが主体である。
 古代以降としては、奈良時代(8世紀)の竪穴建物跡1棟、平安時代(9世紀)の竪穴建物跡9棟、道跡が検出された。今までの調査で集落が展開していることがわかっており、本遺跡の東側に位置する武蔵国分寺との関係が考えられる。(全国遺跡報告総覧・奈良文化財研究所編より転載)
◎「武蔵台遺跡公園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十七)》
住宅街抜け行く路傍に冬薔薇
冬の旅武蔵台遺跡公園に
冬の旅野外遺構が展示され
冬旅に旧石器時代からの遺跡 
旅先の公園の背に冬もみじ
冬の旅園に縄文住居跡
旧石器時代の遺跡に冬陽射
冬旅に縄文時代の遺跡観る
冬旅に敷石住宅跡鑑賞
旅先の縄文遺跡に冬陽射
旅先の縄文遺跡に冬日射す
四千年前の遺跡へ冬陽射
冬の旅縄文時代のムラの絵が

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● 令和三年一月二十七日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その二十 冬空
《今回の自選代表句と自句自解》

街道の切り通しの森冬もみじ 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その十四)
冬日浴ぶ住居中央に炉の跡が
冬旅に原始・古代の遺跡観る
鑑賞後見上げる冬空あおあおと
冬の旅遺跡観終えてその先へ
冬の旅やがて小道は森の中へ
冬の旅朝伝鎌倉街道に
㊟伝鎌倉街道・・・伝鎌倉街道【市重要史跡】
 鎌倉時代の幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路の1つで、周辺諸国の武士団や物資を運ぶ重要幹線道路でした。
 現在の「鎌倉街道」の名は、近世になって使用されたもので、鎌倉当時は武蔵国内を通過する主要道路は上の道、中の道、下の道と呼称されていました。鎌倉以前の幹線道路である東山道武蔵路と道筋の重なる「上の道」が、現在の鎌倉街道にあたります。
 鎌倉から町田・府中を経て、国分寺市内の武蔵国分尼寺跡西側-泉町交差点付近-小平を通り、上野(群馬県)、信濃(長野県)方面にのびています。市立歴史公園(武蔵国分尼寺跡)の北側にある国分寺崖線を切り通した約120メートルの道が「鎌倉上道」の名残といわれて保存されています。所在地 国分寺市西元町4丁目(武蔵国分尼寺跡北)(国分寺市役所HPより転載)
 武蔵国分寺と東山道武蔵路
 奈良・平安時代の武蔵国の中心で、国府・国分寺が置かれていた現在の府中市、国分寺市域では、開発工事に先だって数多くの発掘調査が行われています。昭和50年代以降、約12m幅で並走する複数の遺構がほぼ一直線上に並んで点々と検出される状況が明らかになり、国分寺市内ではこれらの遺構を「SF1道路跡」と名付けて調査を行ってきました。
 この後、全国的に古代の道路遺構に対する関心が高まる中で、これらの遺構の延長線上にあたる各地で構造が類似する遺構や硬化面の発見が相次ぎ、府中・国分寺市を南北に縦貫する道路遺跡が北関東と武蔵国府をつなぐ「東山道武蔵路」であるという見解が定着していきました。また、国分寺市では昭和50~60年代に実施した武蔵国分僧尼跡の範囲確認調査によって、東山道武蔵路を挟んで東側に僧寺、西側に尼寺を配する伽藍域を形成していたことや、東山道武蔵路が僧寺寺院を囲む区画で西辺としての機能を兼ねていることが明らかになりました。
 市内で東山道武蔵路は、北側から東戸倉1丁目、東恋ヶ窪6・4・3丁目、西恋ヶ窪1丁目、泉町1丁目、西元町2・3丁目を通り、その延長は約3kmに及ぶことが想定されます。平成26年3月現在、約60ヶ所の発掘調査地点から道路の痕跡が発見されています。(泉町説明板より転載)
(注)南下すると、国分尼寺の近くに旧鎌倉街道の姿を目にすることができる場所がある。そこは、江戸名所図会恋ヶ窪の南・JR中央線の南・国分尼寺の北側で黒鐘谷公園があるところである。
◎「伝鎌倉街道について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十八)》
歴史ある鎌倉街道行く冬日
冬の旅切り通しの道歩きゆく
街道の切り通しの木々冬もみじ 
街道の切り通しの森冬もみじ

冬黄葉(令和3年1月24~25日掲載分)


◎ 冬黄葉(令和三年一月二十四~二十五日掲載分)
● 令和三年一月二十四日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その十七 冬黄葉
《今回の自選代表句と自句自解》

駅前の欅の並木冬黄葉 

 十一月中旬の朝。西国分寺駅前の欅並木の前に来た。黄葉がきれいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十一)
冬の旅西国分寺駅に着く
冬の旅自由通路より南口
冬の朝駅ビル前より歩き行く
冬の駅前に京王バス停車
冬の旅右の建物「いずみホール」
※「いずみホール」・・・国分寺市立いずみホールのこと。
冬の旅南口より史跡へと
冬の旅駅より史跡通り行く
※史跡通り・・・西国分寺から南方向に延びる通りです。
 道の途中に設置されている説明板には下のように書かれています。
 天平十三年(西暦741年)に市名の起源でもある武藏国分寺が建立されました
が、元弘三年(西暦1333年)に新田義貞と北条泰家との戦いのため武藏国分寺
は、惜しくも焼失してしまいました。
 現在、武藏国分寺の跡地は国の史跡に指定され史跡公園として整備されつつあ
ります。
 昭和48年4月に西国分寺駅が開設されてから、この道路を地元の皆さんが史
跡公園に通ずる道路であることから「史跡通り」と呼ぶようになりました。(グ
ルコミより転載)
◎「史跡通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十五)》
駅前の欅の並木冬黄葉 
冬の旅駅降り妻と南下して
冬晴の史跡通りを二人して
冬の旅武蔵野線に沿い歩く
冬の旅通りの路傍に説明板
冬の朝史跡通りの案内を

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● 令和三年一月二十五日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その十八 冬の日
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅観光標識あちこちに 

 十一月中旬の朝。西国分寺駅の南口の史跡通りを歩く。観光用にもなる標識がところどころに設置されている。観光客にとっては有難いことだ。ほとんど迷うことがない。

(十一月中旬 国分寺散策 その十二)
二人して冬の日浴びて歩き行く
冬の旅道路標識あちこちに
冬の旅観光標識あちこちに 
冬の旅しばらく妻と歩きゆく
冬の旅行く道沿いに住宅街

冬の旅行く武蔵野線近き道
冬の旅多喜窪通りを通り越す
㊟多喜窪通り(たきくぼどおり)・・・多喜窪通りは、府中市武蔵台の国分寺街道の南町二丁目交差点から国分寺市南町の新府中街道との交差点に至る延長2kmの2車線の東西方向の都道です。 殿ヶ谷戸庭園や国分寺駅南口の前を通って、武蔵国分寺公園の中を抜け多摩総合医療センター付近に至ります。(道路WEBより転載)
(注)都道145号線(多喜窪通り)
 東京都道145号立川国分寺線(とうきょうとどう145ごう たちかわこくぶんじせん)は、東京都立川市と国分寺市を結ぶ一般都道である。
 概要【編集】
 ●通称 多喜窪通り(東2丁目交差点から国分寺駅南口付近)(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「多喜窪通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十六)》
冬の旅南下し遺跡公園へ
冬の旅途中に史跡のモニュメント
冬の日の旅は歴史ある国分寺

散り紅葉 (令和3年1月22~23日掲載分)


◎ 散り紅葉 (令和三年一月二十二~二十三日掲載分)
● 令和三年一月二十二日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その十五 散り紅葉
《今回の自選代表二句と自句自解》

妻連れて歩く木道に散り紅葉 

 冬もみじを背にした「姿見の池」。池の木道には散り紅葉が点々と。そこを妻と共に歩を進めた。

冬の朝心の和む鳥の声 

 十一月中旬の朝。木々の多い姿見の池緑地では、幾種もの鳥の囀りが聞こえてくる。こころが和む。

(十一月中旬 国分寺散策 その九)
冬の旅欄干のある木道を
妻連れて歩く木道に散り紅葉 
冬の朝犬連れの人と擦れ違う
冬の朝散歩する人犬連れて
冬の犬洋服を着て朝散歩
池なかを鴨群れ泳ぐ冬の朝
冬の池にふっくらとした鴨の群れ
冬の朝鴨の鳴く声耳にして
冬の朝「姿見の池」に鯉群れて
冬の池にふっくらとした鯉の群れ
広々と底まで見える冬の池
折々に鳥鳴く声する冬の池
冬の朝耳に幾種もの鳥の声
冬の朝心の和む鳥の声 

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● 令和三年一月二十三日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その十六 冬麗
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅「武蔵野夫人」ふと脳裏に 

 十一月中旬の朝。木々の多い姿見の池緑地では、幾種もの鳥の囀りが聞こえてくる。こころが和む。そういえば、ここは文学の舞台で登場する場所だ。脳裏に大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』が思い浮かんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十)
冬麗「姿見の池」穏やかに
冬麗昔と変わらぬ恋心
冬にふと恋と武蔵野結び付き
冬にふと武蔵野舞台の文学が
冬にふと武蔵野舞台の作品が
冬の旅「武蔵野夫人」ふと脳裏に 
㊟「武蔵野夫人」(大岡昇平著)・・・『武蔵野夫人』(むさしのふじん)は、大岡昇平の恋愛小説。1950年発表。戦後を代表するベストセラーとなった。題名どおり東京西部の武蔵野が舞台である。新潮文庫で重版している。ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を手本として試みられたロマネスク小説で、没落していく中産階級の姿を描いている[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「武蔵野夫人」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十四)》
冬の旅恋と文学巡りして
冬旅に恋と文学巡りして
冬の旅池辺のベンチでひと休み
冬の旅来た道戻り駅前へ

冬の水(令和3年1月20~21日掲載分)


◎ 冬の水(令和三年一月二十~二十一日掲載分)
● 令和三年一月二十日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その十三 冬の菊
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅小道の角に地蔵尊 

 十一月中旬の朝。武蔵野線の西国分駅で電車を降りた。駅から名所の「姿見の池」へと向かう。歩いていると路傍の角にポツンとお地蔵様が立っていた。どこか里山の雰囲気を感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その七)
冬の旅駅より府中街道に
㊟府中街道・・・府中街道(ふちゅうかいどう)は、JR・川崎駅付近と西武・所沢駅付近を結ぶ道路の通称。
 元々は江戸時代に整備された街道であるため基本的に片側1車線の狭い道路であり、部分的に片側2車線に拡幅された区間がある。多摩南北道路が整備中で、多摩南北道路2号線(府中清瀬線)及び3号線(新府中街道)が府中街道のバイパスとして機能する。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「府中街道について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十二)》
冬の旅信号機ある道横断
冬の旅府中街道横断す
冬の朝街道横切りまっすぐに
住宅地抜け行く路傍に冬の菊
冬の旅道なりに妻と歩きゆく
冬の旅路傍の右に小祠あり
冬の旅紅い鳥居と祠あり
冬の旅小祠の先を右折して
冬の旅小道の角に地蔵尊 
冬の旅道を右折し小道ゆく

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● 令和三年一月二十一日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その十四 冬の水
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅里山の池の雰囲気が 

 十一月中旬の朝。武蔵野線の西国分駅で電車を降りた。駅から名所の「姿見の池」へと向かう。歩いていると路傍の角にポツンとお地蔵様が立っていた。どこか里山の雰囲気を感じる。しばらくして、姿見の池緑地内に入った。湧き水の水量の多い用水路沿いを下ってゆくと、目的地の林を背にした「姿見の池」が目の前に見えた。冬の紅葉も美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その八)
冬の朝雀鳴く声耳にして
冬の旅小道を下り緑地へと
冬の旅姿見の池緑地へと
㊟姿見の池緑地・・・ここでは、国分寺姿見の池緑地保全地域のこと。
 国分寺姿見の池緑地保全地域は、JR西国分寺駅から徒歩6分、国分寺市のほぼ中央部に位置する地域です。JR中央線に隣接し、周辺には住宅地が広がりながらも、コナラ・クヌギ林やヒノキ・スギ林、畑、果樹園など、様々な自然地が残されています。また、姿見の池の周辺では、水辺環境に生息する動植物もみられます。(東京都環境局HPの里山へGO!より転載)
冬の旅姿見の池へ二人して
㊟姿見の池(すがたみのいけ)【都名湧水】・・・鎌倉時代、遊女達が朝な夕なに自らの姿を映して見ていたという伝承に彩られた池です。
 姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。
 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪(こいがくぼ)の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。
 恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って 身を投げた池といわれています。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)など文学作品にもよく登場する名所です。
 平成5年に東京都の「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定され,平成11年度に湿地,用水路,水辺林等を含めた池周辺地域として整備し、かつての武蔵野の里山風景を見ることができる,市外からも多くの方が訪れる観光拠点となっています。所在地 国分寺市西恋ヶ窪1-8-7(国分寺市役所HPより転載)
 姿見の池とその伝祥
 姿見の池はかつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み清水を湛えていました。その名の由来は鎌倉時代恋ヶ窪が鎌倉街道の宿場町であった頃、遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映して見たという言伝えによります。
 また、この池は「一葉松(ひとはのまつ)」の伝承の中にも登場します。源平争乱の頃、遊女の夙妻太夫(あさづまたゆう)と坂東武者で名将といわれて畠山重忠(はたけやまのしげただ)とが恋に落ちました。ところが太夫に熱をあげるもう一人の男がいてその男は重忠が平家との西国の戦で討死したと嘘をつきあきらめさせようとしましたが、深く悲しんだ太夫は姿見の池に身を投げてしまったと言い伝えられています。
更に歴史は下って江戸時代に描かれた「江戸名所図会」にこの辺りのものが描かれています。
 この様な伝承に彩られた姿見の池は昭和40年代に埋め立てられましたが、平成10年度環境庁及び東京都の井戸・湧水復活再生事業費補助を受け、昔の姿をイメージして整備しました。また他に湿地・用水路・水辺林等周辺の東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」と一体となるよう整備し、かつての武蔵野の里山自然を回復し保全してゆくものです。(説明板より転載)
◎『「恋ヶ窪」の地名と姿見の池について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十三)》
冬の旅妻と用水路沿いの道
冬の水音たてて流れる用水路
冬の旅しばらく歩き池に出る
冬の旅雑木林が池の背に
池の背の雑木林は冬紅葉
冬の朝雑木林に鳥の声
冬の旅里山の池の雰囲気が

初冬(令和3年1月18~19日掲載分)


◎ 初冬(令和三年一月十八~十九日掲載分)
● 令和三年一月十八日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その十一 初冬
《今回の自選代表句と自句自解》

車窓より妻と楽しむ冬景色 

 十一月中旬の早朝。新松戸駅から武蔵野線に乗り換えた。散見される林や森のもみじが赤や黄色に染まりとてもきれい。車窓から冬の景色を妻と楽しんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その五)
旅の朝車窓流れる冬紅葉
車窓より妻と楽しむ冬紅葉
旅の朝車窓流れる冬黄葉
車窓より妻と楽しむ冬黄葉
眺め入る初冬のもみじ色濃くて
暖房の座席の隣に実習生
暖房の電車で会話実習生
冬うらら実習生を激励し
冬の旅朝日に光る送電線
穭田(ひつぢだ)を明るく照らす冬朝日
㊟穭田(ひつぢだ)・・・穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲である。いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。(Wikipediaより転載)
車窓より妻と楽しむ冬景色 

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● 令和三年一月十九日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その十二 着ぶくれ
《今回の自選代表句と自句自解》

武蔵野線車窓に流れる枯芒 

 十一月中旬の早朝。新松戸駅から武蔵野線に乗り換えた。散見される林や森のもみじが赤や黄色に染まりとてもきれい。見ていると枯れた芒も見られた。

(十一月中旬 国分寺散策 その六)
冬の朝次第に客込む七時台
武蔵野線乗り込む乗客皆マスク
朝時分着ぶくれラッシュの電車内
冬の旅朝日車窓に差し込んで
武蔵野線車窓に流れる枯芒 
冬の朝西国分寺駅で下車
㊟西国分寺駅・・・西国分寺駅(にしこくぶんじえき)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号は中央線がJC 17、武蔵野線がJM 33。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬の旅下車後に向かう恋ヶ窪
冬の旅駅降り歩いて緑地へと
冬の旅駅降り緑地の池向かう
冬の旅北口より出て街道へ

冬の朝(令和3年1月16~17日掲載分)


◎ 冬の朝(令和三年一月十六~十七日掲載分)
● 令和三年一月十六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その九 マフラー
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺方面へ冬の紅葉狩 

 天気予報では晴れるということで十一月中旬の今日、東京の国分寺市内の市立国分寺公園辺都立国分寺公園や殿ヶ谷戸庭園などへ紅葉狩りに出掛けることにした。

(十一月中旬 国分寺散策 その三)
冬紅葉観に妻連れて東京へ
文学と歴史の散歩する冬日
冬の旅妻と国分寺探訪に
冬の旅文学と歴史探訪に
冬もみじ観るため出掛ける国分寺
ふたりして時季を見図り冬の旅
老夫婦時季を見図り冬の旅
国分寺方面へ冬の紅葉狩 
冬晴の駅ホームにて電車待つ
早朝の電車待つ人皆マスク
電車待つマフラー姿の客もいて

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● 令和三年一月十七日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その十 冬の朝
《今回の自選代表句と自句自解》

冬早朝輝くばかりの朝焼けに 

 十一月中旬の早朝。乗り換えの武蔵野線新松戸駅のホームで電車を待っていると、丁度東の空に太陽が昇り始め、茜色の空の中で眩い光を放っていた。目には神々しいほどの眩しさだ。思わず手をかざした。

(十一月中旬 国分寺散策 その四)
初冬の朝松戸駅より新松戸
冬の朝国分寺へと電車乗り
冬の朝常磐線乗り都内へと
㊟常磐線・・・常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬の旅座席はソーシャルディスタンス
冬の朝武蔵野線に乗り換えて
㊟武蔵野線・・・武蔵野線(むさしのせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
初冬に新松戸より西国分寺
冬の朝新松戸より西国分寺
冬の旅空あかあかと朝焼けて 
冬早朝輝くばかりの朝焼けに 
冬早朝空神々しき朝焼けに 
冬の朝武蔵野線乗り妻と行く
旅の朝車窓流れる冬もみじ

ジャンパー(令和3年1月14~15日掲載分)


◎ ジャンパー(令和三年一月十四~十五日掲載分)
● 令和三年一月十四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その七 ジャンパー
《今回の自選代表句と自句自解》

早朝にジャンパー姿で家を出る 

 十一月中旬の早朝。大分朝晩は冷え込む。東京の国分寺を散策するため、ジャンパーを着て出掛けた。

(十一月中旬 国分寺散策 その一)
午前五時空に輝く冬の星
午前五時空に瞬く冬の星
旅の前早めに朝食摂る冬日
妻連れて早朝出掛ける冬の旅
十一月早朝六時に家を出る
早朝にジャンパー姿で家を出る 
早朝に手袋はめて家を出る
冬早朝リュック背にして出立す
十一月早朝六時に出立す
初冬の候朝焼けの空に月白く
初冬の候朝焼けの空に月白し
冬早朝家より向かう松戸駅

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● 令和三年一月十五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その八 冬紅葉
《今回の自選代表句と自句自解》

駅近き並木の街路樹冬紅葉

 十一月中旬。松戸駅近くの並木道の街路樹が紅く葉を染めていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二)
冬早朝うっすら明るき通り行く
冬早朝ひんやりとした通りゆく
冬早朝街灯点る街なかを
冬早朝スカイツリーの灯点る空
駅通り並木の街路樹冬紅葉
駅近き並木の街路樹冬紅葉
妻連れて初冬の旅は国分寺 
十一月妻と国分寺散策へ
十一月妻と国分寺散策に
㊟国分寺(市)・・・国分寺市のあゆみ
 奈良時代の天平13年(741年)、現在の府中市にあった国府から、北方約2.5キロメートル、武蔵野台地を背にした平原部(現在の西元町)に東西約0.9キロメートル、南北約0.6キロメートルにわたって国分寺の建立が開始されました。完成した武蔵国分寺は、諸国の国分寺の中でも広大な敷地を有し、僧寺金堂は最大級の規模を誇りました。
 多摩地方は、国府設置、国分寺建立によって武蔵国の政治・文教の中心として 、経済・交通・文化・産業等あらゆる面で発達し、画期的な繁栄時代を迎えることになりました。また鎌倉時代には鎌倉街道も設けられ、恋ヶ窪地域は宿場町として栄えたと伝えられています。
 しかし、偉容を誇った武蔵国分寺も元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉に攻め上る途中に起きた戦いに巻き込まれ焼失し 、それとともに国分寺・恋ヶ窪地域はしだいに農村集落へ変わっていきました。
 江戸時代の享保年間(1716年から1735年) 、それまで原野であった武蔵野に、新田開発が行われました。内藤新田、野中新田など新田名が付く 字名の地域は、すべてこの時代に開発されたものです。
 明治維新により、慶応4年(1868年)国分寺村 、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田の5村は品川県に、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の5村は韮山県に属しました。
明治22年(1889年)、市制・町村制施行で10村 が合併し国分寺村が誕生しました。また、甲武鉄道(現在の中央線)が同年に新宿・立川間が開通し、国分寺駅が現在地に開設されると本町・本多地域はしだいに開発されていきました。
 明治26年(1893年)、国分寺村は 、東京府に編入され、翌27年、国分寺・東村山間に川越鉄道(現在の西武国分寺線)が開通し、さらに府中へ馬車便が通うようになりました。こうした交通機関の発達や関東大震災後には東京市民の郊外への進出などにより、人口も次第に増えていきました。
 昭和になると周辺地域に工場や研究所などが進出し、それらへの通勤者の住宅が増えました。
 昭和15年(1940年)、町制が施行され国分寺町となり 、昭和18年(1943年)、東京府は東京都に改称しました。戦後は、海外からの引揚者などで人口が急増し、昭和39年(1964年)市制施行によって国分寺市となり 、現在に至っています。(国分寺市役所HPより転載)
(注)国分寺地名の由来
天平13年(741年)に全国に蔓延した天然痘と飢饉から仏のカにすがって鎮め、国を護り民を救うために、 聖武天皇の命により建立された国分僧寺と国分尼寺(武蔵国分寺)がこの地にあったことに由来する。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「国分寺(市)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十一)》

冬隣(令和3年1月12~13日掲載分)


◎ 冬隣(令和三年一月十二~十三日掲載分)
● 令和三年一月十二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その五 冬隣
《今回の自選代表句と自句自解》

紅葉の候に楽しむ朝散歩

 最近、朝晩冷え込んできた。紅葉もあちらこちらで見かけられるようになるとともに色の濃さも増してきた。散歩もより楽しさを増した。

(十一月上旬 日常生活③)
紅葉の候に楽しむ朝散歩
晩秋に今日も楽しむ朝散歩
富士眺む我が身近くを蜻蛉飛ぶ
富士眺む我が身近くに赤とんぼ
冷え込んで秋の色増す雑木林
晩秋に次第に色増す雑木林
ここ松戸冷え込み冬隣

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● 令和三年一月十三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その六 霜月
《今回の自選代表句と自句自解》

長月に勝利宣言バイデンが 

 十一月三日に実施されたアメリカ大統領選挙。日本でもその経過が連日報道された。そして、八日、バイデン氏が当選確実となり勝利宣言した。

(十一月上旬 日常生活④)
霜月にアメリカ大統領選挙
霜月に連日報道選挙戦 
十一月バイデン候補当確に
※バイデン氏当確・・・
 AP通信は日本時間の8日午前1時半ごろ、激戦州、東部ペンシルベニア州でバイデン氏が勝利したと報じました。これでバイデン氏の獲得選挙人は過半数の270人を超え、歴史的な大接戦の末、次期大統領への当選を確実にしたと伝えています。(米メディア)
霜月に首相祝意をバイデンに
※菅首相、バイデン氏に祝意=米大統領選
 菅義偉首相は8日、自身のツイッターで、米大統領選で当選を確実にした民主党のバイデン前副大統領に祝意を示した。(11月8日(日)7時27分 時事通信より転載)
霜月に勝利宣言バイデンが 
※勝利宣言・・・バイデン前副大統領が勝利宣言「分断ではなく結束を」
 アメリカ大統領選挙で当選確実と伝えられた民主党のバイデン前副大統領は演説して勝利を宣言し、「分断ではなく結束を目指す大統領になる」と述べて国民の融和を訴えました。しかし、トランプ大統領は選挙で不正が行われたとして、法廷闘争を続ける姿勢を示していて、今後の対応や支持者の動向が焦点になっています。(2020年11月8日17時30分 NHK NEWS WEBより転載)
霜月に坂本二千本安打
※坂本二千本安打・・・【巨人】坂本勇人、通算2000安打達成…球団生え抜き初の東京D、歴代2位の若さで到達 右打者では最年少
巨人の坂本勇人内野手(31)が、プロ野球53人目となる通算2000安打を達成した。(スポーツ報知より転載)

鱗雲(令和3年1月10~11日掲載分)


◎ 鱗雲(令和三年一月十~十一日掲載分)
● 令和三年一月十日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三 鱗雲 
《今回の自選代表句と自句自解》

早朝の茜の空に鱗雲 

 早朝の東天を見ると茜色に染まっている。そこにゆっくりと鰯雲が流れてゆく。美しい光景に暫し見惚れる。微妙に変化してゆく鰯雲の色がなんとも幻想的で見ていて飽きない。茜色にも明暗があるのだ。

(十一月上旬 晩秋のとある一日①)
早朝の茜の空に鱗雲 
早朝の空に茜の鱗雲 
ゆるゆると流れる茜の鱗雲 
早朝に流れる茜の鱗雲 
秋晴の江戸川堤を朝散歩
秋の晴空にくっきりスカイツリー
秋晴の空にくっきり富士の白
秋の晴空にくつきり富士の白

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● 令和三年一月十一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その四 晩秋
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴今日を糧にしまた明日へ 

 朝は秋晴れになり、真っ青な空になった。予報でも一日晴れの予報だった。平穏無事な一日に感謝するとともに、明日への糧としたい。

(十一月上旬 晩秋のとある一日②)
秋の晴足早に駅へ勤め人
秋の晴いそいそ向かう登校子
晩秋や木枯らし1号東京に
※都に木枯らし1号・・・東京で木枯らし1号 3年ぶりの発表
 東京は今日4日(水)未明から北西の風が強まり、3時18分に最大風速8.2m/sを観測。気象庁は東京地方に木枯らし1号が吹いたと発表しました。 昨年、一昨年は木枯らし1号の発表がありませんでしたので、3年ぶりとなります。(11/4(水) 9:43配信 ウエザーニュースより転載)
秋の晴日中住む街穏やかに
秋の午後我が家の前を児らの声
秋夕べ我が家の前に子らの声
秋の午後数多な下校子家路就く
秋の暮帰宅チャイムは四時半に
晩秋に見上げる西空夕焼けて
晩秋の今日平穏な一日に 
晩秋の今日に感謝し合掌す
観るテレビ夜長の晩にプロ野球
夜長かな熱めの風呂にまったりと
夜長し風呂にどっぷりまったりと
秋の晴今日を糧にしまた明日へ

紅葉狩(令和3年1月8~9日掲載分)


◎ 紅葉狩(令和三年一月八~九日掲載分)
● 令和三年一月八日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その一 十一月
《今回の自選代表句と自句自解》

十一月駅伝三位に明大が 

 今日は十一月一日日曜日。全日本大学駅伝の開催日だ。母校の明治大学のランナーをテレビ観戦しながら応援する。結果、三位に入った。よく頑張った。大拍手。

(十一月上旬 日常生活①) 
十一月駅伝をテレビ中継中
十一月テレビに明大ランナーが
十一月明大大学駅伝に
※大学駅伝・・・駒大6年ぶり13度目の全日本大学駅伝V! 
全日本大学駅伝は1日、愛知・名古屋市熱田神宮―三重県伊勢市伊勢神宮の8区間106・8キロのコースで行われ、駒大が5時間11分8秒で6年ぶり13度目の優勝を果たした。トップと23秒差で東海大が2位。3位で明大が続いた。
 今季はコロナ禍により出雲全日本大学選抜駅伝が中止。今大会が東京箱根間往復大学駅伝と合わせた「大学三大駅伝」の初戦となった。(スポニチより転載)
十一月テレビで母校の応援を
十一月三位に母校の明大が
十一月駅伝三位に明大が 
十一月井上尚弥世界戦
十一月井上十五連勝す
※井上十五連勝・・・井上尚弥、ラスベガスで衝撃のカウンターKO 世界戦15連勝!具志堅超えの日本新
ボクシングの聖地ラスベガスで“世界のモンスター”が鮮烈KOデビューだ。WBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥(27)=大橋=が、WBA2位、IBF4位の挑戦者ジェーソン・モロニー(29)=オーストラリア=に7回KO勝ちした。WBAは4度目、IBFは2度目の防衛に成功し、具志堅用高を抜き、日本人世界戦連勝記録を「15」に更新。試合後には、これも日本人初となる世界主要4団体王座同時制覇の夢を語った。戦績は井上が20戦全勝(17KO)、モロニーが21勝(18KO)2敗(11/2(月) 6:00配信 スポーツ報知より転載)
(追記)
日本人初の快挙 井上尚弥が世界最強ランキング1位に選出
WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者井上尚弥(27=大橋)がイギリスメディアの世界最強ランキングパウンド・フォー・パウンド(PFP)で1位に選出され、日本人初の快挙を成し遂げた。
レジェンドと肩を並べた
パウンド・フォー・パウンド(PFP)とは、ボクシングの全階級の中で最も強い選手をランキング形式で表したものだ。
様々なメディアが独自に選定し、最も権威があるリング誌のランキングでも井上は2位に選出されている。
イギリスメディアのPFPとなるが、日本人ボクサーとしては異例の抜擢だろう。
過去には、元WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のモハメド・アリ(アメリカ)や、元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者マイク・タイソン(アメリカ)、WBA世界ウェルター級スーパー王者のマニー・パッキャオ(フィリピン)などが、トップに君臨している。
歴代のレジェンドと肩を並べる存在になった井上。(11/6(金) 7:00 Yahoo! Japanニュースより転載)
十一月井上記録更新す
霜月に連勝記録更新す
十一月井上世界最強に

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● 令和三年一月九日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その二 紅葉狩
《今回の自選代表句と自句自解》

十一月コロナ禍のなかの催し物 

 今年は年の初めからコロナの影響で、ほとんど会合らしい会合がなかった。久し振りに。町の老人会会長から、今月開催の催し物のお誘いがあった。後日、「松戸市はつらつクラブ連合会の集い」(松戸市民会館)に妻と参加した。

(十一月上旬 日常生活②) 
報道に地方各地の紅葉狩
十一月催し物の連絡が 
文化の日催し物の連絡が
十一月老人会の催し物
十一月コロナ禍のなかの催し物

赤まんま(令和3年1月6~7日掲載分)


◎ 赤まんま(令和三年一月六~七日掲載分)
● 令和三年一月六日 水曜日 
○ 十月日々折々 その三十六 赤まんま
《今回の自選代表句と自句自解》

児ら遊ぶ公園の隅に赤まんま 

 朝から秋晴れ。散歩に駅前公園まで出かけた。児童が遊んでいる公園の隅に赤まんま(赤飯)の花が咲いていた。幼い頃、姉たちと庭でままごと(飯事)遊びしたことを想起した。

(十月下旬 日常生活③)
秋の晴散歩に駅前公園へ
行く道の路傍に赤い萩の花
秋の晴鳩の舞い来る公園に
秋の晴青を背にして鳩の舞う
秋の晴青を背に舞う鳩の群れ 
秋の晴二十人余り公園に
秋晴の公園に老いと親子連れ
秋の園ボール遊びをする親子
秋の晴老人ベンチで日向ぼこ
秋の晴我に近づく鳩一羽
秋の園思い思いに過ごす人
秋の園老若男女くつろいで
秋の園思い思いにくつろいで
公園の隅に犬蓼すぐそれと
㊟犬蓼(いぬたで)・・・イヌタデ(犬蓼、学名: Persicaria longiseta)は、タデ科イヌタデ属の一年草。道端に普通に見られる雑草である。
和名はヤナギタデに対し、葉に辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられた[2]。赤い小さな花や果実を赤飯に見立て、別名アカノマンマともよばれる[3]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
児ら遊ぶ公園の隅に赤まんま 

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● 令和三年一月七日 木曜日 
○ 十月日々折々 その三十七 十月
《今回の自選代表句と自句自解》

十月に巨人二連覇達成す

 令和二年十月三十日夜、巨人が二年連続でセ・リーグ制覇を果たした。おめでとう!

(十月下旬 日常生活④) 
十月の下旬に巨人優勝す
十月に巨人セ・リーグ優勝を
十月に巨人二連覇達成す
※巨人二連覇・・・【巨人】リーグ2連覇 2年連続47度目…延長で引き分け、阪神も引き分け 少人数で胴上げ 原監督が宙に舞った
◆JERAセ・リーグ 巨人3―3ヤクルト=延長10回規定により引き分け=(30日・東京ドーム)  巨人が2年連続47度目(1リーグ時代の9度含む)のリーグ優勝を決めた。30日の試合で阪神が引き分け、巨人も引き分けたためセ・リーグ制覇となった。(スポーツ報知より転載)
コロナ禍や今年のハロウィンフェス中止
※今年のハロウィンフェス中止・・・毎年10月末に開催されいている松戸駅西口デッキのハロウィンフェスティバルが中止に【2020】
毎年10月末に開催されいている松戸駅西口デッキのハロウィンフェスティバルですが、松戸駅西口デッキに例年通りハロウィンの横断幕が掲げられていたので、もしかしたら開催されるのか?と思いましたが、やはり今年は中止となったようです。(松戸つうしんサイトより転載)

薄(令和3年1月4~5日掲載分)


◎ 薄(令和三年一月四~五日掲載分)
● 令和三年一月四日 月曜日
○ 十月日々折々 その三十四 薄
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴少年野球の子らの声 

 今、私が歩いている江戸川の川堤は、千葉県松戸市側。対岸の埼玉県三郷市側の河川敷の野球場からは、秋の川風に乗って少年野球に興じる子供たちの元気な声が聞こえてくる。ハッスルする子供たちの声に元気をもらう。スポーツの秋だ。

(十月下旬 江戸川のコスモス畑②) 
秋の晴堤でジョガーとすれ違う
※ジョガー・・・ジョギング(jogging)をする人。
秋の晴犬連れの人と擦れ違う
秋の晴サイクリストと擦れ違う
※サイクリスト・・・サイクリスト 自転車に乗る人全般を英語でも日本語でもかつてはサイクリスト(英: cyclist)と呼んでいたが、現代では、サイクリングの愛好者を指し、また、自転車競技の選手をも意味するようになっている。
秋風に吹かれて堤を歩きゆく
秋の晴野球をする子ら対岸に
川堤秋風運ぶ子らの声
秋の晴川風運ぶ子らの声
秋の晴少年野球の子らの声 
スポーツの秋に楽しき子らの声
秋晴れの川を二艇のボート行く
江戸川の川辺に揺れる群れ薄
吹く風に薄お辞儀し揺れ動く
吹く風に薄左右に揺れ動く
秋の朝次第に近づく花畑

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● 令和三年一月五日 火曜日
○ 十月日々折々 その三十五 椎の実
《今回の自選代表句と自句自解》

コスモスや楽しむ花の色と柄 

 秋晴れの江戸川堤の朝散歩。江戸川のコスモス畑では、コスモスの花色や花柄を楽しんだ。ちょうど今が見頃である。

(十月下旬 江戸川のコスモス畑③)
江戸川の川辺に背高泡立草
秋の晴上葛飾橋近付いて
※上葛飾橋・・・江戸川に架かる橋。千葉県松戸市古ヶ崎~埼玉県三郷市長戸呂。
晴れ渡るコスモス畑見頃なり
※コスモス畑・・・松戸の名所の一つとなっている江戸川の河川敷に広がる約2へクタールの花畑。
良く晴れたコスモス畑を散策す
良く晴れたコスモス畑今見頃
花畑のコスモスの花風に揺れ
コスモスの花はピンク・白・赤紫
朝散歩色とりどりの秋桜を
コスモスの花色楽しむ朝散歩 
コスモスの花柄楽しむ朝散歩 
コスモスや楽しむ花の色と柄 
コスモスや見物客らあちこちに
カメラ手にコスモス鑑賞する人も
コスモスや見晴らし台より花眺む
コスモスや見晴らし台より花一望
晴れ渡るコスモス畑を一周す
空を背に咲くコスモスの花可憐
江戸川のコスモス鑑賞楽しめり
秋の晴来た道戻る朝散歩
朝散歩椎の実拾う帰り道
帰宅途中椎の実拾う帰り道
万歩計六千歩秋の朝散歩

秋刀魚 (令和3年1月2~3日掲載分)


◎ 秋刀魚 (令和三年一月二~三日掲載分)
● 令和三年一月二日 土曜日 
○ 十月日々折々 その三十二 秋刀魚
《今回の自選代表句と自句自解》

朝食に妻と塩焼き秋刀魚食む 

 岩手の親戚から旬の秋刀魚が送られてきた。今までは生のままたたきで食べたりした。今度は塩焼きにしたり、佃煮にしたりして秋刀魚を食べた。旨い。昼食は、松茸ご飯を食べた。秋の味覚を堪能した。

(十月下旬 日常生活②) 
朝食に妻と塩焼き秋刀魚食む 
昼食に妻と松茸ご飯食む
昼食に妻と秋刀魚の佃煮を
食欲の秋夕の膳に湯葉料理

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● 令和三年一月三日 日曜日 
○ 十月日々折々 その三十三 秋日差
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴老若男女行く堤 

 秋の朝散歩を楽しむ。爽快な秋日和の今日は江戸川堤で老若男女を問わず、割と多くの人たちが散歩やランニングやサイクリングを楽しんでいる。

(十月下旬 江戸川のコスモス畑①) 
良く晴れて今日は爽快な秋の朝
秋の晴陽気に誘われ朝散歩 
十月に色づき始める雑木林
江戸川の堤の上空秋晴れに
秋の朝空にスックとスカイツリー
秋の晴川堤行くゆく家族連れ
秋の晴川堤行く老夫婦
秋の晴老若男女行く堤 
川堤にある常夜灯に秋日差
秋晴の川の東屋に休む人
秋の晴山の景色を堤より
秋の朝長椅子に座して休む人
秋の朝長椅子に座して鳩に餌を

椎の実(令和2年12月31日~令和3年1月1日掲載分)


◎ 椎の実(令和二年十二月三十一日~令和三年一月一日掲載分)
● 令和二年十二月三十一日 木曜日 
○ 十月日々折々 その三十一 秋の宵
《今回の自選代表句と自句自解》

宵の酒秋刀魚の叩き肴し 

 秋晴れの日に、あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺に訪れた。結構幅広く秋を楽しめた。夕方、無事帰宅。宵どき、ドライブの慰労を兼ねて、秋刀魚の叩きを肴にして酒を飲んだ。今日の旅の話題で盛り上がった。その後は、早めに床に就いた。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その二十二)
旅終えて妻とゆったり秋の宵
秋の宵酒で乾杯老夫婦
宵の酒秋刀魚の叩き肴し 
宵の酒肴に秋刀魚の香り揚げ
宵の酒肴に今日の旅す
秋の夜旅終え早めに床に就く
秋の夜旅終え早めに就寝し

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● 令和三年一月一日 金曜日 
○ 十月日々折々 その三十二 椎の実
《今回の自選代表句と自句自解》

音立てて椎の実ひとつ落ちにけり 

 秋の朝散歩。地元の公園で鳥の声を聞くとはなし聞いていると、椎の実が頭上から音を立てて一つ落ちた。秋だと実感した。

(十月下旬 日常生活①)
秋の朝家の近くの公園へ
家近き公園の木々薄紅葉
頭上より椎の実一つポトリ落つ
音立てて椎の実ひとつ落ちにけり

秋の夕べ(令和2年12月29~30日掲載分)


◎ 秋の夕べ(令和二年十二月二十九~三十日掲載分)
● 令和二年十二月二十九日 火曜日 
○ 十月日々折々 その三十 秋の日
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴遊具で遊ぶ親子連れ 

 秋晴れのあけぼの山農業公園のふるさと広場の一画に幾種かの遊具が設置されている。多くの親子連れが遊具で遊んでいる。長閑な光景だ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その二十)
帰り際最後にコスモス鑑賞す
帰り際最後にコスモスまた鑑賞
帰り道コスモス畑の中の道
秋の旅再び裏門通り抜け
秋の旅ふるさと広場の遊具見え
秋晴の広場の遊具で遊ぶ子ら
秋の旅遊具で遊ぶ親子連れ 
秋の晴遊具で遊ぶ親子連れ 
広場にて秋の日浴びて遊ぶ子ら
秋の午後西南の日に影長し
秋の午後資料館内売店へ

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● 令和二年十二月三十日 水曜日 
○ 十月日々折々 その三十一 秋の夕べ
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の旅「三休」ショップでひと休み 

 秋晴れの日に、あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺に訪れた。結構幅広く秋を楽しめた。帰宅の途につく前に、「三休」ショップでひと休みした。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その二十一)
秋の旅コーヒーショップで小休止
秋の旅「三休」ショップでひと休み 
※「三休」・・・売店 三休(さんきゅう)
売店ではお菓子や雑貨、季節限定でお花の販売もしています♪
風車を眺めながら淹れたてのホットコーヒーや軽食を召し上がれる喫茶コーナーもございます。(あけぼの農業公園サイトの施設紹介より転載)
秋の午後来た路戻り駐車場
秋の旅駐車場より自宅へと
秋の午後駐車場より自宅へと
車乗り来た道戻る秋の午後
秋の旅帰りの走行順調に
秋の旅渋滞なしに無事帰宅
秋の旅カーナビ通りに無事帰宅
老夫婦秋の夕べに無事帰宅
万歩計は約一万歩の秋の旅
秋晴の日帰りの旅楽しめり
秋晴の日帰り旅行楽しめり

穂芒(令和2年12月27~28日掲載分)


◎ 穂芒(令和二年十二月二十七~二十八日掲載分)
● 令和二年十二月二十七日 日曜日 
○ 十月日々折々 その二十八 穂芒
《今回の自選代表句と自句自解》

「さくら山」高台吹きゆく風爽やか 

 秋晴れのあけぼの山公園内の「さくら山」高台に秋風が爽やかに吹いてゆく。とても心地の良い風だ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十八)
「さくら山」高台吹きゆく秋の風
高台に吹きゆく風の爽やかさ
「さくら山」高台吹きゆく風爽やか 
高台の地上すれすれを秋の蝶
虫の声耳に高台の坂下る
秋の旅幼子連れとすれ違う
秋の晴幼子元気に坂上る
坂脇の穂芒風に揺れ動く
坂脇の穂芒風に揺れ動き
坂の脇目に入る背高泡立草

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● 令和二年十二月二十八日 月曜日 
○ 十月日々折々 その二十九 柿
《今回の自選代表句と自句自解》

坂下の庭の柿木実のたわわ 

 秋晴れのあけぼの山公園内の「さくら山」高台の坂を下る。坂道途中で、よその庭にたわわに実を付けた柿の木が目に留まった。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十九)
坂途中眼下の庭に柿の実が
坂下の庭の柿木実のたわわ 
坂下のよその庭柿実のたわわ
秋の旅「さくら山」下り花畑
秋の旅妻と坂下り公園に
見納めにまたコスモスを鑑賞す
見納めにまた秋桜を鑑賞す
公園のキバナコスモス風に揺れ
花畑のキバナコスモス風に揺れ
帰り際色とりどりのコスモスを

秋の蝶(令和2年12月25~26日掲載分)


◎ 秋の蝶(令和二年十二月二十五~二十六日掲載分)
● 令和二年十二月二十五日 金曜日 
○ 十月日々折々 その二十六 秋の蝶
《今回の自選代表句と自句自解》

蜻蛉飛ぶ翅キラキラと輝かせ 

 秋晴れのあけぼの山公園の日本庭園内の池。池の上を蜻蛉が翅をキラキラ輝かせながら飛び交っている。どこか神々しい秋の風情がある。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十六)
目の前を翅輝かせ飛ぶ蜻蛉
蜻蛉飛ぶ翅キラキラと輝かせ 
小休止次つぎ舞い来る秋の蝶
秋の晴なかに舞い来るマダラ蝶
㊟マダラ蝶・・・鱗翅目マダラチョウ科の昆虫の総称。熱帯に多くの種を産する中~大型のチョウであるが,何種かの有名な種は温帯においても見られる。翅は大きく,黒色の地に青,紫,赤褐色などの斑紋をもつ美麗種が多く,雄では腹端に広げることのできる毛束がある。前肢は退化して歩行には役立たない。特有の臭気を出すため,他のチョウ類にはこのチョウに擬態するものが多く知られている。ゆるやかに飛ぶが飛翔力は強く,遠隔地にまで渡る種が多く,北アメリカのオオカバマダラ Danaus plexippusは有名である。南西諸島を除く日本にはアサギマダラ 1種を産するのみであるが,9種が迷チョウとして記録されている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より転載)
◎「マダラ蝶について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十九)》
秋の旅遅き昼食終え歩く
秋の旅妻と小流れの橋渡る
秋晴の庭の腰掛待合へ
秋晴の庭の腰掛待合に
ふたりして楽しむ秋の庭景色
秋晴の庭の待合で小休止
秋の旅庭に二つの池泉あり
秋の旅次は寺傍の「さくら山」

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● 令和二年十二月二十六日 土曜日 
○ 十月日々折々 その二十七 秋
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴高台広場に一茶句碑 

 秋晴れのあけぼの山公園内の「さくら山」高台広場に小林一茶の俳文碑があった。東海寺が望めるこの高台の俳文碑に、東海寺を馬橋の俳友、秋元双樹とお参りした際の出来事が彫られていた。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十七)
秋の旅庭園出でて「さくら山」
※「さくら山」・・・あけぼの山公園さくら山。あけぼの山の別称。約500本のソメイヨシノが植栽されている。柏市布施にあり、江戸時代からサクラの景勝地。
秋の旅階段上り「さくら山」
秋の旅上りて「さくら山」広場
秋の旅高台広場に一茶句碑 
秋の晴高台広場に一茶句碑 
秋の旅「あけぼの山」に俳文碑
秋晴れの高台広場に俳文碑
※一茶句碑(一茶の俳文碑)・・・句碑は一茶の句文集「株番」の一節で、布施東海寺を馬橋の俳友、秋元双樹とお参りした際の出来事が彫られていた。
 布施東海寺に詣けるに、鶏どもの迹をしたひぬることの不便(ふびん)さに、門前の家によりて、米一合ばかり買ひて、菫蒲公のほとりにちらしけるを、やがて仲間喧嘩をいく所も始めたり。其うち木末より鳩雀ぱら´\とび来たりて、心しづかにくらひつゝ、鶏の来る時、小ばやくもとの梢へ逃さりぬ。鳩雀は蹴合の長かれかしとや思ふらん。士農工商其外さま´\の稼ひ、みなかくの通り。
  米蒔も 罪ぞよ鶏が け合ぞよ   一茶
 この句は「七番日記」の文化9年(1812、一茶50才)2月にもあり、12日の日記に「十二大晴 布施紅竜山東海寺ニ詣デ流山二入」とあり、「布施弁天」と前書きがある。
 句碑は一茶の句文集「株番」の一節で、布施紅竜山東海寺を馬橋の俳友、秋元双樹と詣でた際の出来事が彫り刻まれている。
◎「一茶句碑(一茶の俳文碑)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十)》
秋の旅石碑の向こうに東海寺
秋の旅桜の老木多きかな
秋の旅老木多き「さくら山」
秋の晴高台に鳥と子らの声

秋景色(令和2年12月23~24日掲載分)


◎ 秋景色(令和二年十二月二十三~二十四日掲載分)
● 令和二年十二月二十三日 水曜日 
○ 十月日々折々 その二十四 秋景色
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴川の向こうに筑波山 

 布施弁天の東海寺境内から景色を楽しむ、利根川の遥か向こうに筑波山が望める。秋晴れの空に筑波山が映えて見える。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十四)
秋の旅総受付にて御朱印帳
お寺にて御朱印頂く秋の旅
秋の晴茶屋「花華」に客込めり
※茶屋「花華」・・・布施弁天の境内にある茶屋。
旅先の寺境内より秋景色
秋の晴利根川堤長々と
秋の晴川の向こうに筑波山 
境内で暫し楽しむ秋景色
秋晴れの参道下り鳥居へと
秋の旅鳥居近くに庭園が
秋の旅続いて日本庭園へ
秋の旅妻と池泉式庭園に
秋旅に池泉回遊式庭園
㊟回遊式庭園・・・回遊式庭園(かいゆうしきていえん)は、日本庭園の形式のひとつで、園内を回遊して鑑賞する庭園。園内を回遊する形式の庭園は日本以外にも存在するが、回遊式庭園という語は主に日本庭園のみを指して用いられる。
 概要【編集】
 回遊式庭園は、室町時代における禅宗寺院や江戸時代においては大名により多く造営された形式で、日本庭園の集大成とも位置づけられる。
 最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられた。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の旅日本庭園にお茶室が

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● 令和二年十二月二十四日 木曜日 
○ 十月日々折々 その二十五 林檎
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の旅食後デザートに柿を食む

 秋晴れのあけぼの山公園の日本庭園内の池の傍のベンチで遅い昼食。食後のデザートに柿を食べた。柿の甘さがいい。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十五)
秋の旅日本庭園に柏泉亭
※柏泉亭・・・あけぼの山公園の日本庭園の中心に茶室「柏泉亭(はくせんてい)」がある。本格的な日本庭園が観られる。日本庭園の中心にあるこの茶室と茶庭は、 市内唯一の本格的な茶室。
秋旅に暫し楽しむ露地景色
秋の晴暫し楽しむ露地景色
秋晴の茶庭の景色楽しめり
秋の晴庭の植え込み手入れされ
秋の旅お茶室脇に石灯篭
秋の旅池辺のベンチに妻と座す
秋の晴前の池泉に岩島が
秋晴の池の周りに築山が
秋晴の庭の池辺で遅き昼
秋旅にお握り頬張る遅き昼
秋の旅食後デザートの林檎食む
秋の旅食後デザートに柿を食む
秋の晴庭の池には鯉群れて
目の前の庭池に蜻蛉飛び交へり
目の前を翅光らせて飛ぶトンボ

薄紅葉(令和2年12月21~22日掲載分)


◎ 薄紅葉(令和二年十二月二十一~二十二日掲載分)
● 令和二年十二月二十一日 月曜日 
○ 十月日々折々 その二十二 薄紅葉
《今回の自選代表句と自句自解》

歩きゆく路傍の木々の薄紅葉 

 トマトハウス(農産物販売所)から布施弁天の東海寺へと向かう。途中の道脇の木々が薄紅葉になっていた。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十二)
歩きゆく路傍の木々の薄紅葉 
秋旅に古刹へ妻と歩き行く
秋旅に由緒ある寺へ二人して
秋旅に一茶も詣でし寺向かう
秋の旅東海寺へと歩きゆく
㊟東海寺・・・東海寺(とうかいじ)は、千葉県柏市布施にある真言宗豊山派の寺院。山号は紅龍山(紅竜山)。本尊は弁才天。寛永寺弁天堂(不忍池の弁天堂)、江島神社(もと岩本院、金龜山與願寺)とともに関東三弁天のひとつに数えられ、地名から布施弁天とも称される。常陸川(現在の利根川)の流路にあった藺沼に突き出した地形に建てられている。
 由緒【編集】
 807年(大同2年)空海が嵯峨天皇の勅願により創建したという。 平将門の乱の際、本尊弁財天を松の木の上に避難し難を逃れた事から、松光院とも称される。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の旅布施弁天へ歩を進め
秋の旅山門潜り石段を
秋の旅楼門潜り石段を
※楼門・・・楼門(千葉県指定文化財)
総欅二階建の桟瓦葺「最勝閣」階下に四天王、階上には釈迦三尊が安置されています。
 一階部分には、漆喰で白く塗り固められていたと思われ、竜宮城の門のような形をしており、軒下に、竜、麒麟、亀、松、鶴といった素木造りの彫刻がはめ込まれている点も特徴です。(柏市観光協会 布施弁天サイトより転載)
◎「東海寺について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十七)》
秋の旅ここは関東三弁天
秋の旅この寺関東三弁天
秋日浴ぶ参道脇三重塔
秋の晴塔の上空青あおと
秋の旅本堂右に鐘楼が
※鐘楼・・・鐘楼(千葉県指定文化財)
全国でも珍しい多宝塔式の総欅造りです。基担は、みかげ石積八角形、その上に十二本の円柱で円形の本体を構成。描く各の柱頭に十二支の彫刻を配して方位を表しています。設計は「からくり伊賀」といわれた、つくば市谷田部の名主 飯塚伊賀七、その図面は完全な形で子孫に伝わっています。(柏市観光協会 布施弁天サイトより転載)
秋の旅楼門の像に四天王
㊟四天王・・・四天王(してんのう[注釈 1]、サンスクリット語:चतुर्महाराज caturmahārāja[要出典])は仏教観における須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護している四神(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)[1]。四大王(しだいおう)ともいう[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「四天王について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十八)》
秋の旅前に華麗な本堂が

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● 令和二年十二月二十二日 火曜日 
○ 十月日々折々 その二十三 鵙の声
《今回の自選代表句と自句自解》

東海寺鵙鳴く声が境内に 

 秋晴れの布施弁天の東海寺の境内に、鵙の鳴く声が響く。秋の音景色がそこにある。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十三)
秋の旅荘厳華麗な本堂が
秋の晴本堂に菊の御紋章
秋の旅本堂前にて合掌す
※本堂・・・本堂(千葉県指定文化財)
 当山は嵯峨天皇より堂塔大伽藍を寄進され弘仁14年(823年)勅願所に指定されました。本堂は数度の戦火により消失しましたが、本尊弁財天を篤信していた時の領主本多豊前守が98名の大名から寄進を求め、享保2年(1717年)、現本堂を完成させました。本堂内陣の天井には、それら諸大名の家紋が描かれています。 本堂外陣の天井鏡板の竜は狩野探舟の作です。 唐風の向拝を持つ三方破風造り総朱塗りの華麗な大本堂です。(柏市観光協会 布施弁天サイトより転載)
秋の晴鰐口慣らし合掌す
㊟鰐口・・・鰐口(わにぐち)とは仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種である。神社の社殿で使われることもある。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋旅に一茶も詣でし寺参り
秋日浴ぶ布施観音に手を合わせ
※布施観音(像)・・・我等衆生の暮らしを遍く見渡し、救いの手を差し伸べてくださる観音様は、人々の家内安穏、夫婦和合、心身健全、病気平癒を希い、常に身近にいます。やわらかく優しい面差しに、どうぞ願いをおかけください。(紅龍山布施弁天東海寺サイトより転載)
秋の晴鳥の鳴く声境内に
秋の晴数種の鳥の鳴く声が
東海寺境内上空百舌の声
東海寺境内上空鵙の声 
東海寺鵙鳴く声が境内に 
秋の旅総受付に数珠・御守

赤とんぼ(令和2年12月19~20日掲載分)


◎ 赤とんぼ(令和二年十二月十九~二十日掲載分)
● 令和二年十二月十九日 土曜日 
○ 十月日々折々 その二十 赤とんぼ
《今回の自選代表句と自句自解》

陽射し浴ぶ我が身に秋風心地よく 

 風車近くの「ハス池」の中の木道を秋の陽射しを浴びながら歩く。池に吹く秋風が、心地よい。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十)
快晴の池に舞い来る赤とんぼ
歩き行く池の木道に秋の風
歩き行く池の木道に秋風が
陽射し浴ぶ我が身に秋風心地よく 
秋の旅ハス池過ぎてせせらぎが
秋の旅公園沿いの通りゆく
秋の園反時計回りの回遊
秋の旅通りに沿いて菜園が
秋の旅川沿いに市民農園が
秋晴れの市民農園に老夫婦
秋の旅利根川沿いに農園が
秋の旅利根川沿いに菜園が

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● 令和二年十二月二十日 日曜日 
○ 十月日々折々 その二十一 薩摩芋
《今回の自選代表二句と自句自解》

赤屋根の上空に白きうろこ雲 

 新鮮な野菜を購入するためトマトハウス(農産物販売所)へ向かった。赤い屋根のトマトハウスの上空には、白い鱗雲。晴れ渡る秋の青空を背景に、赤と白の取り合わせがよく映えて見える。見事な野外の秋景色だ。

旅先で妻と買い込む秋野菜 

 立ち寄ったトマトハウスで薩摩芋や那須などの秋野菜を買い込んだ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その十一)
秋の晴農園に人ちらほらと
秋の旅妻連れトマトハウスへと
※トマトハウス・・・農産物販売所
秋日浴ぶ店の赤屋根にトマトハウス
秋の晴販売所には客数人
赤屋根の上空に白きうろこ雲 
秋の旅妻と野菜を買い込んで
旅先で妻と買い込む薩摩芋
旅先で袋入り茄子を買い込んで
旅先で妻と買い込む秋野菜 
秋の旅野菜買い込む昼下がり
秋の旅買い物終えて次の場所

蒲の穂絮(令和2年12月17~18日掲載分)


◎ 蒲の穂絮(令和二年十二月十七~十八日掲載分)
● 令和二年十二月十七日 木曜日 
○ 十月日々折々 その十八 コスモス
《今回の自選代表句と自句自解》

一面のキバナコスモスゴージャスに 

 一画を占めて一面オレンジに咲き誇るキバナコスモス。とてもゴージャスだ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その八)
花畑ピンクと白のコスモスが
コスモスのセンセーションが花畑に
※センセーション・・・コスモス・センセーションは最もポピュラーな中生の主流品種です。播種後60日目から開花し、遊休地や転作田でも全国的に植えられています。なお、早まき(4~7月上旬)では徒長生育するため、倒伏予防を兼ねて先端刈りが必要です。花色は白、ピンク、赤のミックスです。
(園芸ネット本店サイトより転載)
コスモスのセンセーションの花可憐
コスモスのセンセーションの花風に
コスモスのセンセーションの花揺れて
花畑赤と黄色のコスモスが
花畑紫色のコスモスが
カラフルなコスモス畑華麗なり
コスモスを撮るカメラマンあちこちに
咲き誇るコスモス畑に人込めり
満開のコスモス畑に人込めり
コスモスを鑑賞する客皆マスク
花畑オレンジ色のコスモスが
オレンジのキバナコスモス可憐なり
㊟キバナコスモス・・・キバナコスモス(黄花コスモス、学名:Cosmos sulphureus)は、キク科コスモス属の多年草または一年草[1]。コスモスの名を冠するが、オオハルシャギクとは同属別種にあたり互いを交配する事は出来ない。
 現在では日本で広く園芸品種のひとつとして栽培されているが、一部は逸出して野生化している。
 特徴【編集】
 原産地はメキシコで、標高1600m以下の地域に自生する。18世紀末にスペイン・マドリードの植物園に送られ、ヨーロッパに渡来した。日本には大正時代の初めに輸入された記録が残っている。
 高さは約30〜100cm。概ね60cm程度に成長するが、鉢植えやプランター向けの20cm程度に留まる矮性種も出回っている。オオハルシャギクと比べて葉が幅広く、切れ込みが深い。また夏場の暑さに強いため、オオハルシャギクよりも早い時期に花を咲かせる傾向にある。またオオハルシャギクよりも繁殖力が旺盛である為、こぼれ種で栽培していると数年後にはオオハルシャギクを席巻してしまう。
 キバナコスモスとチョウ(キアゲハ)
 花期は比較的長く、6月から11月にかけて直径3〜5cm程度の黄色、またはオレンジの花を咲かせる。改良種として濃い赤色の品種も作られている。花は一重咲きと八重咲きがあるが、園芸品種として市場に出回っているもののほとんどは八重咲き。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「キバナコスモスについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十六)》
一面のキバナコスモスゴージャスに 

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● 令和二年十二月十八日 金曜日 
○ 十月日々折々 その十九 蒲の穂絮
《今回の自選代表句と自句自解》

コスモスや時間をかけて見て回る 

 秋晴れの「あけぼの山農業公園」のコスモスの花畑を見て回る。二ヘクタールの広さに色様々な百万本のコスモス。写真に収めながらゆっくりじっくり妻と鑑賞する。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その九)
コスモスや時間をかけて見て回る 
旅先で色とりどりのコスモスを
園内の百万本のコスモスを
園内の二ヘクタールのコスモスを
妻と共コスモス鑑賞終え次へ
秋の旅風車近くに芝生広場
秋旅にレイソル練習する広場に
※レイソル・・・柏レイソル(かしわレイソル、Kashiwa Reysol)は、日本の千葉県柏市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の晴人込む風車前広場
秋の旅風車の傍にハス池が
池に生える蒲の穂絮を鑑賞す
秋の旅妻と池なかの木道を

虫の声(令和2年12月15~16日掲載分)


◎ 虫の声(令和二年十二月十五~十六日掲載分)
● 令和二年十二月十五日 火曜日 
○ 十月日々折々 その十六 秋の昼
《今回の自選代表句と自句自解》

広場ゆく目の前舞い飛ぶ赤とんぼ 

 朝から秋晴れの今日。「あけぼの山農業公園」のふるさと広場には、また別の小学生が遠足に来ていた。近くの小学校の三・四年生とのこと。ちょっと早いが、持ってきたお弁当を食べ始めていた。そんな子供たちに注目していると、目の前を赤とんぼが舞い飛んできた。秋の風情が醸し出されている。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その六)
秋晴の広場に別の小学生
秋晴の広場にあまたな遠足子
秋の晴児童ら広場にシート敷き
秋の晴児童ら広場で昼食を
秋の旅聞けば近くの小学生
秋の晴広場に児らの話声
秋の昼広場に児らの話声
広場ゆく目の前舞い飛ぶ赤とんぼ 
秋の旅裏門抜けて花畑へ
秋晴の展望台より花畑
眼前にコスモス畑広々と

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● 令和二年十二月十六日 水曜日 
○ 十月日々折々 その十七 虫の声
《今回の自選代表句と自句自解》

花畑コスモスの花一面に 

 秋晴れの「あけぼの山農業公園」の風車前の花畑に、コスモスの花が一面に咲いている。色とりどりのコスモスの花が可憐に咲き誇っている景観は、素晴らしくきれいだ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天 その七)
秋の晴畑の向こうに風車見え
妻と共コスモス畑の中に入る
パチパチとコスモス畑の写真撮る
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の『「続・秋の写真」の「あけぼの山公園と布施弁天」(十月中旬)』に『「あけぼの農業公園」の風車広場のコスモス』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
花畑コスモスの花一面に 
園内のコスモス畑に蝶の舞い
園内のコスモス畑に蝶あまた
公園のお花畑に秋の蝶
公園のお花畑に虫の声
吹く風にコスモスの花揺れ動く
風に揺れるコスモスの花に手を触れて
風に揺れるコスモスの花手に優し

毬栗(令和2年12月13~14日掲載分)


◎ 毬栗(令和二年十二月十三~十四日掲載分)
● 令和二年十二月十三日 日曜日 
○ 十月日々折々 その十四 毬栗
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先で暫し楽しむ栗拾い 

 目的地の「あけぼの山農業公園」に入ってまもなく、清掃員から栗をもらった。近くの栗の木から落ちてきた栗だという。周囲を見てみると、毬栗があちらこちらに落ちている。さっそく、栗拾いを楽しんだ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その四)
秋の旅栗の木近くに清掃員
秋の旅清掃員と会話して
樹の下で栗を「どうぞ」と清掃員
公園の林のなかに毬栗が
樹の下のあちらこちらに毬栗が
旅先で暫し楽しむ栗拾い 
秋晴の野外にオセロゲーム盤
秋の旅林の中にオセロ盤
秋旅でオセロゲームを進められ
秋の旅早速妻とオセロして

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● 令和二年十二月十四日 月曜日 
○ 十月日々折々 その十五 小鳥来る
《今回の自選代表句と自句自解》

 秋晴れの広場に別の児の集団 

 朝から秋晴れの今日。「あけぼの山農業公園」のプラザ広場には、遠足の児童たちが集っていた。隣りのふるさと広場にも、園児たちが遠足で来ていた。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その五)
対戦中園の林に小鳥来る
秋の旅野外でオセロ楽しめり
秋晴のプラザ広場に子ら集い
秋の旅「あじさい通り」より裏門へ
秋の旅「ひょうたん池」脇歩きゆく
秋晴の「ひょうたん池」脇二人して
広場には秋の遠足の子ら集い 
秋晴れの広場に別の児の集団 
秋の晴ふるさと広場にも児らが
紅葉する広場に集う園児たち

薄(令和2年12月11~12日掲載分)


◎ 薄(令和二年十二月十一~十二日掲載分)
● 令和二年十二月十一日 金曜日 
○ 十月日々折々 その十二 薄
《今回の自選代表句と自句自解》

走りゆく車道の脇の薄揺れ 

 国道六号から県道七号。さらに県道四十七号と布施弁天通りなどを走行した。途中で秋風に揺れる薄を見かけた。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その二)
秋の旅右折し四十七号を
※四十七号・・・茨城県道・千葉県道47号守谷流山線(いばらきけんどう・ちばけんどう47ごう もりやながれやません)は茨城県守谷市本町の「乙子(おとご)交差点」を起点とし、千葉県流山市下花輪の「警察署入口交差点」を終点とする県道(主要地方道)である。通称守谷街道。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の旅少しだけ守谷街道を
秋の旅右折して弁天通り
秋旅に布施弁天の通りゆく
※布施弁天通り・・・布施弁天入口の常夜灯と道標(布施弁天通り)
写真(省略)ではわからなかも知れないが、常夜灯の脇に立っている道標から説明します。我孫子関宿線から大利根有料道路に行くところが2股になって入ますが、そこにこれから記載します常夜灯と道標がたっています。(そばやさんの前、富勢運動場の反対側です。)
 道標には「是より布施弁天江のみち  従是布施弁天行程  是よりふせ弁天江のみち   貞享4年」と記載されています。当時は左(大利根有料道路)へ行く道はなく、富勢運動場・富勢小の前を通る道しかなかったことはいうまでもない。このことから、この道標はもともとここになかったことが推測されます。なお、貞享4年とは1687年です。さて、常夜灯、これも同様で昔は別のところにあったらしい。そこには「布施弁財天是より十町余  筑波街道  文化7年」と書かれている。文化7年は1810年である。この年の4月に、布施弁天松戸講中、常夜灯を建立という資料があるが、それが、これかどうかわからないが、道標よりかなり新しい。さて、現在はこのあたりから弁天様までの通りを、今年10月に発表された市民から公募し決定した愛称によると「布施弁天通り」というそうです。(布施弁天界隈の自然と歴史情報サイトより転載)
◎「布施弁天通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十五)》
走りゆく車道の脇の薄揺れ 
秋の旅折れて「あけぼの山公園」
秋の旅駐車場にて車止め
秋晴れの正面門脇駐車場
秋の旅入る本館に風車模型
秋の旅館内に園の花写真
秋の旅館内に金魚の水槽が
秋の旅館内にメダカの水槽が

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● 令和二年十二月十二日 土曜日 
○ 十月日々折々 その十三 どんぐり
《今回の自選代表句と自句自解》

滝の音を耳にどんぐり拾いして 

 目的地の「あけぼの山農業公園」に着き、早速公園内に入った。正面門近くの階段を下るとすぐに「白百合の滝」の滝の音が響いてきた。林の中にある滝と池の周辺には、どんぐりがいっぱい転がっていた。早速、どんぐり拾いを楽しんだ。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その三)
秋の旅公園マップ本館で
秋の旅公園ゲートを潜りゆく
秋の旅石段下り池と滝
滝の水流れゆく池に秋陽射
池辺にはどんぐり数多転がって
池辺には団栗あまた転がって
秋の旅「白百合の滝」目の前に
秋の旅「白百合の滝」音立てて
滝の音を耳にどんぐり拾いして 
池傍で拾いしどんぐりポケットに
秋の旅東屋に座し滝の音を
秋旅にしばし楽しむ滝の音
秋の旅木漏れ日浴びて小道行く

背高泡立草(令和2年12月9~10日掲載分)


◎ 背高泡立草(令和二年十二月九~十日掲載分)
● 令和二年十二月九日 水曜日 
○ 十月日々折々 その十 背高泡立草
《今回の自選代表句と自句自解》

堤より山々望む秋の朝 

 秋の朝、江戸川堤を散歩する。やはり秋は空気が澄んで見晴らしもよい。秩父連山や日光連山そして、筑波山まで望めた。

(十月中旬 日常生活⑤)
昨日は終日降りし秋の雨
雨上がり今日は朝から秋晴れに
秋の朝陽気に誘われ江戸川へ
月見草愛でつつ江戸川堤へと
秋晴れの空に聳えるスカイツリー
秋の晴西には秩父連山が
秋の晴北には日光連山が
秋の晴望む北東に筑波山
堤より山々望む秋の朝 
陽射し浴ぶ川辺のススキ風に揺れ
吹く風に揺れては光るススキに穂
すぐそれと目に入る背高泡立草
川辺ゆく我が目の前を秋の蝶

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● 令和二年十二月十日 木曜日 
○ 十月日々折々 その十一 秋の晴
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴陽気に誘われドライブに 

 今日は、朝から全国的に秋晴れになる予報。ほぼ約三週間ぶりの快晴になる見込み。秋の陽気に誘われて、千葉県柏市内の「あけぼの山公園と布施弁天・東海寺」にドライブすることにした。

(十月中旬 あけぼの山(農業)公園と布施弁天・東海寺 その一)
秋の晴陽気に誘われドライブに 
秋の晴朝から妻とドライブに
秋の旅朝「あけぼの山公園」へ
㊟あけぼの山公園・・・あけぼの山公園(あけぼのやまこうえん)は、千葉県柏市布施にある市立公園(風致公園[1])。敷地はあけぼの山公園とあけぼの山農業公園からなるが、前者は柏市公園緑政課、後者は農政課が管理している。
 概要【編集】
 あけぼの山公園は1995年(平成7年)に、柏市制施行40周年を記念し建設・開場したもので、あけぼの山(さくら山)や庭園などを中心とした既存の「あけぼの山公園」と、市民農園、果樹園などの野菜・果物の収穫体験などが楽しめる「あけぼの山農業公園」が一体となっている。
桜が有名であり、春には花見客でにぎわう。また近隣の幼稚園、小中学校などの遠足でもしばしば使われる。
 あけぼの山公園【編集】
 広さ約5.9ヘクタールの「あけぼの山公園」[2]。
 さくら山(あけぼの山) 日本庭園 柏泉亭 竹林 つばき園 芝桜園 小林一茶の俳句碑 サイクル管理事務所 水生植物園
 柏市内では、柏の葉公園等と並ぶ桜の名所であり、毎年4月上旬には「さくらまつり」が開催される。
 あけぼの山農業公園【編集】
 広さ約18ヘクタールの「あけぼの山農業公園」[2]。
 風車広場 - 季節に応じ、チューリップやコスモスなどが植えられる
 芝生広場 - 柏レイソルの練習や下部組織の公式戦(ユース、ジュニアユース)、サッカー地域リーグなど各種球技の試合が行われることもある
 利根サイクリング管理事務所(レンタサイクル) 果樹園 体験農園 市民農園 水稲農園 牧草地 トマトハウス(農産物販売所) 冒険の森アスレチックコース バーベキューガーデン柏 加工実習館 展示温室 ハーブ園 水生植物園 梅園四季の里
 あけぼの山農業公園には紅竜山東海寺(布施弁天)が隣接している。
 千葉県内では、佐倉ふるさと公園(佐倉市)と並ぶ有数のチューリップの名所として有名であり、約15万本が植えられている。毎年4月中旬には、「チューリップフェスティバル」が行われる。毎年10月中旬には「あけぼの山農業公園まつり」が行われる。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「あけぼの山公園」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十四)》
秋の旅先ずカーナビに目的地
秋の旅松戸の地より柏市へ
秋の旅国道六号走りゆく
㊟国道六号線・・・国道6号(こくどう6ごう)は、東京都中央区から千葉県、茨城県、福島県を経由して宮城県仙台市に至る一般国道である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
国道を秋の日浴びて走行す
六号の路傍の薄風に揺れ
秋晴の国道六号渋滞中
秋の旅十六号を横断す
秋の旅六号左折し県道を
秋の旅六号左折し七号線
※七号・・・千葉県道7号我孫子関宿線(ちばけんどう7ごう あびこせきやどせん)は、千葉県我孫子市から、同県柏市を経て同県野田市に至る県道(主要地方道)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の晴県道七号車込む
秋の旅布施入口を右折して

夜長(令和2年12月7~8掲載分)


◎ 夜長(令和二年十二月七~八日掲載分)
● 令和二年十二月七日 月曜日 
○ 十月日々折々 その八 夜長
《今回の自選代表句と自句自解》

三日月と星の瞬く夜長かな 

 秋雨前線と台風14号の影響で、しばらく秋の星空を楽しむことができなかったが、ようやくたくさんの星々を楽しむことができた。三日月と瞬く星々が印象的であった。

(十月中旬 日常生活③)
作曲家筒美の訃報秋寂びし
※作曲家筒美の訃報・・・作曲家の筒美京平さんが今月7日誤えん性肺炎により亡くなっていたことがわかりました。80歳でした。(2020/10/12 TBS NEWSサイトより転載)
㊟作曲家筒美・・・筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日[1] - 2020年10月7日)は、日本の作曲家、編曲家。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。本名は渡辺 栄吉(わたなべ えいきち)[1]。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。既婚。 東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。 2003年、紫綬褒章受章。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋寂し脳裏に筒美のヒット曲
※筒美のヒット曲・・・ジュディ・オング「魅せられて」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」をはじめ、アニメ主題歌「サザエさん」など、1960年代から現代まで、数々のヒット曲を世に送り出してきた同氏は、80年の生涯で実に3000曲弱を作曲。日本歌謡史に数々の記録を残してきた。(紀伊民報より転載)
秋の夜久方振りに空晴れて
晴れ渡る秋の星空仰ぎ見る
空気澄む秋の星空仰ぎ見る
空気澄む秋の夜空に星あまた 
三日月と星の瞬く夜長かな 

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● 令和二年十二月八日 火曜日 
○ 十月日々折々 その九 秋日
《今回の自選代表句と自句自解》

通学路ゆく登校子に秋陽射 

 秋晴れの朝。通学路を歩いてゆく児らに秋の陽射が暖かい。

(十月中旬 日常生活④)
通学路ゆく登校子に秋陽射 
夜長かな風呂の湯温が肌に沁む

台風(令和2年12月5~6日掲載分)


◎ 台風(令和二年十二月五~六日掲載分)
● 令和二年十二月五日 土曜日 
○ 十月日々折々 その六 台風
《今回の自選代表句と自句自解》

台風が本州離れ安堵感 

 一昨日の十月九日に、「令和2年 台風14号の接近に伴う注意喚起」のメールを受信した。それから二日たった今日十一日には、次第に本州から離れていく。
 安堵感が増した。あとは、伊豆・小笠原諸島などの方々に、台風の被害もなく、ご無事を祈るばかりです。 合掌。

(十月中旬 日常生活①)
台風は次第に本州離れ行く
※本州離れ・・・台風14号は、11日(日)午前3時現在、八丈島の南南西約130キロにあって、時速15キロで東に進んでいます。(11日(日)午前4時現在 ヤフー天気サイトより転載)
台風が本州離れ安堵感 

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● 令和二年十二月六日 日曜日 
○ 十月日々折々 その七 晩秋
《今回の自選代表句と自句自解》

晩秋や風呂の温度を一度上げ 

 心配された台風14号も、上陸することなく本州から次第に離れてゆく。ホットした安堵感から、晩秋に入ったこともあり二十四時間風呂の湯の温度を一度上げて四十二度にした。そして、まったりと湯に浸かった。

(十月中旬 日常生活②)
台風が去りて安堵し浸かる風呂
晩秋に二十四時間風呂に入る
晩秋や風呂の温度を一度上げ 
晩秋や風呂の湯温を一度上げ 

金木犀(令和2年12月3~4日掲載分)


◎ 金木犀(令和二年十二月三~四日掲載分)
● 令和二年十二月三日 木曜日 
○ 十月日々折々 その四 秋の夜
《今回の自選代表句と自句自解》

十月の夜空に火星最接近 

 十月六日の夜。二年二ヵ月振りに、火星が最接近した。妻と火星の天体ショウを楽しんだ。次回の火星最接近は、二〇三三年七月五日だ。その時は、私が八十代後半。ボケずに生きて観測できるかどうか。

(十月上旬 日常生活④)
十月の六日に火星最接近
㊟火星最接近・・・火星最接近2020
今回の火星と地球の最接近は、2020年10月6日に起こります。このときの火星と地球の間の距離は約6207万キロメートル(注1)。最接近の頃の火星はマイナス2.6等の明るさで輝き、視直径(注2)は約22.6秒角です。
2018年の最接近の際には、地球と火星は約5759万キロメートルまで接近するいわゆる「大接近(注3)」となり、大きな話題になりました。2018年の最接近には及ばないものの、今回の最接近時の火星の視直径は20秒角を超え、明るさもマイナス2等を超え、見ごたえは十分です。(10月06日 AstroArtsサイトより転載)次に火星の視直径が20秒角を超える最接近となるのは、2033年7月5日です。
◎「火星最接近について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十三)》
十月の夜空に火星最接近 
十月の夜空に火星赤み帯び
秋の夜火星は赤く輝いて
月右に最接近の火星見え
月右に最接近の火星見ゆ
秋の夜妻と楽しむ天体ショウ

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● 令和二年十二月四日 金曜日 
○ 十月日々折々 その五 金木犀
《今回の自選代表句と自句自解》

降る雨に金木犀の花こぼれ

 今まで花と香りを楽しませてくれた金木犀の花が、台風の影響を受けた終日の雨に打たれて、花が零れ落ちてゆく。地面には無常の世界が・・・。

(十月上旬 日常生活⑤)
十月の八日終日雨降りに
神無月終日雨は降り続く
降る雨に打たれて散りゆく金木犀
降る雨に金木犀の花こぼれ
降る雨に木犀の花零れ落ち
降る雨に木犀の花零れ落つ
台風の影響受けて雨続く
台風は週末本州接近へ
※台風週末本州接近へ・・・強い台風14号、週末に本州接近へ 近畿南部や房総で大雨のおそれ
10月8日(木)15時現在、強い台風14号(チャンホン)は九州の南東の海上を北に進んでいます。鹿児島県や宮崎県などが風速15m/s以上の強風域に入っています。 この先台風は四国の南へ北上し、明日9日(金)からは進路を北東に変え、本州にかなり接近するおそれがあります。今後の情報に注意してください。(中略)
11日(日)朝にかけ西日本や東日本に接近
台風14号はあまり速度を上げないまま四国沖へ北上する見通しです。その後、進路を北東に変えつつ紀伊半島沖から東海沖へ進み、10日(土)から11日(日)朝にかけて東日本にかなり接近、または上陸するおそれがあります。(2020/10/08 ウェザーニュースより転載)
今日もまた雨降り続く神無月
台風や注意喚起のメール来る
※注意喚起のメール
【タイトル】令和2年 台風14号の接近に伴う注意喚起
【配信時刻】10月9日 17時07分
【本文】現在接近中の台風14号は、上陸の可能性はなく、松戸市への台風の最接近は10月11日(日)午前1時ころとなります。(Yahoo! JAPAN 防災速報より転載)

赤とんぼ(令和2年12月1~2日掲載分)


◎ 赤とんぼ(令和二年十二月一~二日掲載分)
● 令和二年十二月一日 火曜日 
○ 十月日々折々 その二 赤とんぼ
《今回の自選代表句と自句自解》

赤とんぼ陽射しに翅を煌めかせ 

 坂川の川岸の杭に、秋の陽射しを浴びて赤とんぼが翅を休めている。その翅が陽射しを浴びて光に輝いている。その煌めきが美しい。秋の長閑なひとときが心地よい。

(十月上旬 日常生活②)
秋の晴陽気に誘われ朝散歩
秋の晴坂川沿いの道歩く
㊟坂川・・・坂川(さかがわ)は、千葉県を流れる江戸川水系の河川。北千葉導水路の一部としても使われている。流山市と松戸市、市川市の三市を流れ、江戸川にそそぐ。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
歩きゆく道に木犀の香りして
川沿いに金木犀の香して
木犀の香り漂う川沿いを
秋の晴坂川沿いの道を行く
坂川の岸辺の杭に赤とんぼ
陽射し浴ぶ岸辺の杭に赤とんぼ
赤とんぼ陽射しに翅を煌めかせ 
目の前に輝く翅の赤とんぼ
目の前に鯉群れ泳ぐ秋の川
秋の晴眼下の川に鯉群れて
紅葉する川辺の樹下に鯉群れて
紅葉する川辺の樹下に鯉の群れ
紅葉する川辺の樹下に群し鯉
秋の晴眼下の川に鯉群れて
秋日浴び川辺で一人ひと休み
川辺にて見上げる空に鱗雲
陽射し浴びのんびり歩く秋の朝
秋の晴俳句詠みつつ家路就く

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● 令和二年十二月二日 水曜日 
○ 十月日々折々 その三 金木犀
《今回の自選代表句と自句自解》

遊ぶ子ら木犀の香に包まれて 

 秋の日の公園に数組の親子連れ。子どもたちは、爽やかな秋風に運ばれてきて金木犀の香りの中で遊んでいる。この秋の風情は、子どもの情操教育にも良い。

(十月上旬 日常生活③)
秋曇りいつものように朝散歩
公園の入口脇に曼殊沙華
秋の朝公園内に親子連れ
公園の桜の紅葉愛でにけり
朝散歩木犀の香り公園に
公園の奥脇に咲く金木犀
子どもたち木犀の香に包まれて
遊ぶ子ら木犀の香に包まれて 
木犀の香りをしばし楽しめり

名月(令和2年11月29~30日掲載分)


◎ 名月(令和二年十一月二十九~三十日掲載分)
● 令和二年十一月二十九日 日曜日 
○ 九月日々折々 その二十一 九月尽く
《今回の自選代表句と自句自解》

Typhoon上陸ゼロにて九月尽く

 台風(Typhoon)は、今年の九月末まで日本に一つも上陸せず。これは、十一年ぶりのことだという。

(九月下旬 日常生活⑫)
富士山は九月下旬に初冠雪
※初冠雪・・・富士山が初冠雪 甲府地方気象台が発表 昨季より24日早い観測
今日9月28日(月)、山梨県の甲府地方気象台は富士山の初冠雪を発表しました。平年より2日早く、昨季より24日早い観測です。
 富士山周辺では昨夜は雷雨となっていましたが、富士山頂では気温が氷点下で雪となり、今朝はスッキリと晴れたことで雪化粧した様子が周辺から見られました。(2020/09/28 09:07 ウェザーニュースより転載)
台風の上陸ゼロで九月尽
㊟台風の上陸ゼロ・・・2020年は9月まで台風上陸ゼロ
今年はこれまで台風の上陸がありません。 9月までに台風上陸がなかったのは、2009年9月以来11年ぶりのことです。 日本列島は8月から9月は台風シーズンで、例年、9月までに2個程度上陸します。(2020/09/30 ウェザーニュースより転載)
Typhoon上陸ゼロにて九月尽く
※台風(Typhoon)・・・世界の台風(タイフーン)・ハリケーン・サイクロンの比較
北西太平洋:台風ニュース
ベンガル湾:サイクロンニュース
南半球(オセアニア・南太平洋・南インド洋):サイクロンニュース
世界の各地で発生する台風(熱帯低気圧)は、地域ごとに様々な呼び方をされていますが、それらの違いを比較してみましょう。
日本を含む北西太平洋・アジアでは台風またはタイフーン(typhoon)と呼ばれている現象は、アメリカなどの北中米ではハリケーン(hurricane)、その他の地域ではサイクロン(cyclone)と呼ばれています。(デジタル台風サイトより転載)

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● 令和二年十一月三十日 月曜日 
○ 十月日々折々 その一 名月
《今回の自選代表二句と自句自解》

十月や「GoToトラベル」東京も

 今年7月末に始まった「GoToトラベル」。やっと今日十月一日から東京も追加された。これで、行き来ができる。

東天の輝く名月金色に 

 十月一日午後六時過ぎ。東天に明るい名月が・・・。黄み帯びて輝いている。金色の名月がそこにある。

(十月上旬 日常生活①)
カレンダー一枚めくり十月に
十月や「GoToトラベル」東京も
㊟「GoToトラベル」東京も・・・「GoToトラベル」きょうから東京追加
政府の観光振興策「GoToトラベル」キャンペーンに、1日から東京が追加されました。  「GoToトラベル」キャンペーンは東京を除外して今年7月末に始まりましたが、1日から東京を発着する旅行も加わり、対象地域は全国となりました。  また、旅行先などで使える「地域共通クーポン」も、1日から利用できるようになりました。旅行代金の15%相当が1000円単位のクーポン券で発行され、旅行先と、旅行先に隣接する都道府県のクーポン参加事業者で使うことができます。旅行代金本体への割り引き35%とあわせれば、補助率は50%に上ります。(10/1(木) 5:01配信 TBS NEWSより転載)
◎『「GoToトラベル」きょうから東京追加について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十一)》
コロナ渦や今年の名月楽しみに
楽しみな今年の名月東天に 
楽しみな今年の名月明るくて
楽しみな今年の名月黄み帯びて
東天の明るき名月黄み帯びて
東天の輝く名月金色に  
金色の名月次第に高度上げ
二人して明るき名月楽しめり
日本の各地の夜空に名月が
㊟各地の夜空に名月・・・「中秋の名月」、各地の夜空に 京都・桂離宮では観月会
中秋(旧暦8月15日)に当たる1日夜、各地で「中秋の名月」が夜空に浮かんだ。京都市西京区の桂離宮では観月会が開かれ、全国から抽選で選ばれた参加者約60人が、闇夜に映える月を楽しんだ。(共同通信社サイトより転載)
◎「各地の夜空に名月」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十二)》

秋場所(令和2年11月27~28日掲載分)


◎ 秋場所(令和二年十一月二十七~二十八日掲載分)
● 令和二年十一月二十七日 金曜日 秋場所
○ 九月日々折々 その二十
《今回の自選代表句と自句自解》

雨あがり雲間の月の明るくて  

 九月下旬。この一週間ほどほとんど曇りと雨が続いた。深夜、雨上がりの夜空の雲間から月が見えた。明るい。しばらく月光を楽しんだ。しかし、数十分後にはまた小雨が降り出した。

(九月下旬 日常生活⑪)
秋場所に関脇正代初優勝
九月場所関脇正代初優勝
㊟関脇正代初優勝・・・関脇正代が13勝で初優勝、熊本出身で初 秋場所千秋楽
大相撲秋場所千秋楽(27日・両国国技館)関脇正代が新入幕の翔猿を逆転の突き落としで退け、13勝2敗で初優勝を果たすとともに場所後の大関昇進を確実にした。熊本県出身、東農大出身の優勝はともに初めて。時津風部屋からは1963年名古屋場所の北葉山以来3人目、学生出身10人目の制覇となった。翔猿は106年ぶりの新入幕優勝を逃し11勝4敗。(2020/9/27 日本経済新聞より転載)
◎「関脇正代初優勝について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百六十)》
雨あがり雲間に明るき覗く月
雨あがり雲間の月の明るくて  
雨あがり雲間の月の明るかり

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● 令和二年十一月二十八日 土曜日 
○ 九月日々折々 その二十一 秋の晴
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴昇る朝日のまぶしさよ 

 九月下旬。早朝から快晴。東天から昇ってくる朝日が何とも眩しい。キラキラ輝いている。早朝から、見ているだけで清々しく明るい気分。最高の日の出だ。

(九月下旬 日常生活⑫)
秋晴に昇る朝日のまぶしくて
秋の晴昇る朝日のまぶしさよ 
全天に雲ひとつなき秋の晴
秋の晴列なし歩く登校子
秋の晴朝八時過ぎに駆け行く児
秋の晴急ぎかけ行く登校子
秋の朝児らのかけゆく通学路
秋の晴児らのかけゆく通学路
秋の朝児ら行き静かな通学路

秋雨(令和2年11月25~26日掲載分)


◎ 秋雨(令和二年十一月二十五~二十六日掲載分)
● 令和二年十一月二十五日 水曜日 
○ 九月日々折々 その十八 秋の雨
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の雨下校の頃は降り止んで

 最近、台風十二号や秋雨前線の影響でちょこちょこ雨が降り続いている。今朝も登校時に雨が降っていた。ただ今日は、児童の下校する頃は、雨は止んでくれた。

(九月下旬 日常生活⑨)
通学路カラフルな傘に秋の雨
秋雨に登校子らの傘の列
秋雨や登校子らの傘の列
降る雨に路傍の紅葉濡れそぼる
もみじ葉の先より滴る雨の粒
秋の雨下校の頃は降り止んで

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● 令和二年十一月二十六日 木曜日 
○ 九月日々折々 その十九 彼岸花
《今回の自選代表句と自句自解》

雨のなか咲く彼岸花赤味まし 

 今年は秋の彼岸過ぎてから、彼岸花が咲き誇る。咲き誇る赤い彼岸花は、雨に打たれて、赤味を増してより赤く見える。

(九月下旬 日常生活⑩)
公園の入り口付近に彼岸花
公園に咲く彼岸花の赤と白
彼岸花例年よりも遅く咲き
雨のなか咲く彼岸花赤味まし