春暁(令和3年5月14~15日掲載分)


◎ 春暁 (令和三年五月十四~十五日掲載分)
● 令和三年五月十四日 金曜日  
○ 三月日々折々 その十四 春暁
《今回の自選代表句と自句自解》

春暁や明けゆく中を歩きゆく 

 早朝五時半に家出る。朝焼けがきれいだ。東の空がオレンジ色に染まっている。そんな雰囲気の中、家から歩いて松戸駅(千葉県松戸市)へと向かった。

(三月下旬 東京都府中市内お花見散策 その二)
春早朝家より向かう松戸駅
松戸駅向かう路傍に白木蓮
春の旅慣れた道行き松戸駅
春暁や明けゆく中を歩きゆく 
春暁や明け行く道行き松戸駅 
春の朝松戸の地より府中へと
春の朝松戸駅より新松戸
春の旅常磐線乗り都内へと
春の旅新松戸より武蔵野線
㊟武蔵野線・・・武蔵野線(むさしのせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「武蔵野線について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十九)》
春の朝焼け背にした新松戸駅

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● 令和三年五月十五日 土曜日  
○ 三月日々折々 その十五 春の空
《今回の自選代表句と自句自解》

春暁やスカイツリーはオレンジに 

 武蔵野線の電車内から東京スカイツリーが望める。春暁に、スカイツリーはオレンジ色に染まっている。

(三月下旬 東京都府中市内お花見散策 その三)
春の朝オレンジ色背の駅ホーム
駅ホーム仲春の空朝焼けて
春の朝オレンジ色背に電車来る
春の朝乗り換え府中本町へ
春の朝府中本町へ電車乗り
春の朝スカイツリーは朝日浴び
春暁やスカイツリーはオレンジに 
武蔵線車窓に差し込む春朝日
春朝日窓いっぱいに差し込んで
春の旅朝日車窓に差し込んで
春の旅朝日車窓に差し込めり

お花見(令和3年5月12~13日掲載分)


◎ お花見(令和三年五月十二~十三日掲載分)
● 令和三年五月十二日 水曜日  
○ 三月日々折々 その十二 花
《今回の自選代表句と自句自解》

東京は二十二日に花満開 

 今日三月二十二日(月)。昨年と同じ二位タイの早さ東京で桜が満開とニュースを目にした。早速、明日にでも東京へお花見に出掛けよう。天気予報も明日は晴れだ。

(三月下旬 日常生活③)
東京は二十二日に花満開 
※東京は二十二日に花満開・・・東京で桜が満開 昨年と同じ 2位タイの早さ
 きょう22日(月)、福岡に続いて、東京の桜(ソメイヨシノ)が満開になりました。2002年の3月21日に次ぎ、2013年・2020年の3月22日に並ぶ早い記録です。
 「サクラの満開日」とは、標本木で80%以上のつぼみが開いた状態となった最初の日をいいます。(2021年03月22日14:46 tenki.jp サイトより転載)

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● 令和三年五月十三日 木曜日  
○ 三月日々折々 その十三 お花見
《今回の自選代表句と自句自解》

よく晴れてお花見日和の好日に 

 三月下旬の今日は、天気予報通りに早朝からよく晴れている。昨日、東京は桜が満開になったと報道された。
 そこで、早速府中市内の花巡りを楽しむことにした。晴れて気持ちの良い日になりそうだ。お花見に今から心もワクワクしている。

(三月下旬 東京都府中市内お花見散策 その一)
出掛ける日未明の空に春の星 
旅の前早めに朝食摂る春日
よく晴れてお出掛け日和の春の朝
よく晴れてお花見日和の好日に 
一年のコロナ疲れや春の旅
一年の自粛疲れに春の旅
一年のコロナ疲れに花巡り
早朝に花見を兼ねて東京へ
春の旅慣れた道行き松戸駅
早朝に花見を兼ねて府中へと
お花見や朝から晴れてワクワク感
春の旅朝五時半に家を発つ
春の旅朝五時半に出立す
春早朝リュック背にして出立す

春の雨(令和3年5月10~11日掲載分)


◎ 春の雨(令和三年五月十~十一日掲載分)
● 令和三年五月十日 月曜日  
○ 三月日々折々 その十 春の雨
《今回の自選代表句と自句自解》

投票場脇の並木に花満開

 春の雨が降る三月二十一日(日)は、千葉県知事選挙の投票日。投票場の地元の小学校の体育館脇の桜並木は、早くも五分咲きになっていた。

(三月下旬 日常生活①)
知事選は三月下旬が投票日
※知事選・・・2021年千葉県知事選挙(2021ねんちばけんちじせんきょ)は、2021年3月4日告示、同年3月21日に執行予定の千葉県知事選挙である[1]。(Wikipediaより転載)
知事選の投票日に降る春の雨
春の朝妻連れ向かう投票場
春の雨降るなか向かう投票場
春の雨傘さし向かう投票場
春の朝さし向かう小学校
投票場脇の並木に桜花
投票場脇の桜は五分咲きに 
春の雨降る入り口にキャラクター
三月や投票場にキャラクター
三月に会うキャラクターの「せんきょ君」
※「せんきょ君」・・・せんきょ君は千葉県の明るい選挙のシンボルキャラクターです。
 千葉県の明るい選挙のシンボルキャラクターの「せんきょ君」は、昭和61年の衆参同日選挙のときに生まれました。せんきょ君は架空の動物です。(千葉県選挙管理委員会サイトより転載)
春の朝受付で渡す整理券
※整理券・・・ここでは、投票所入場整理券のこと。
春の朝投票用紙手渡され
春の朝立会人に挨拶し
春の朝候補者名を記載して
春の朝投票箱に投函す
春の朝投票終えて家路就く
コロナ渦の休日に降る春の雨
春の雨降る休日にカラオケを
春の日に昭和の演歌カラオケで
春の日にカラオケ演歌楽しめり
関東は大きな雨風春嵐
※春嵐・・・東京や神奈川で局地的に雨強まる 静岡には大雨警報
 3月21日(日)午後は、東日本を中心に雨が強まっています。関東では、東京都から神奈川県付近に活発な雨雲がかかっていて、強い雨を降らせています。夕方にかけて強い雨に注意が必要です。(3月21日(日)14時30分 ウェザーニュース)
関東は大雨大風春嵐
三月に宣言全面解除され
※宣言全面解除・・・2カ月半ぶり全面解除
 政府は22日、新型コロナウイルス感染拡大に対応するための緊急事態宣言を約2カ月半ぶりに全面解除した。(2021/03/22 共同通信社サイトより転載)

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● 令和三年五月十一日 火曜日  
○ 三月日々折々 その十一 春の朝
《今回の自選代表句と自句自解》

三月や引っ越し作業にまた遭遇 

 三月下旬、また作業中の引っ越し業者を見かけた。私の住んでいる住まいの周辺はマンショウなどが多い。例年この時期は、引っ越しが多い。今年もまた同じ光景が見られた。

(三月下旬 日常生活②)
三月の下旬の朝にトラックが
春の朝近所の通りにトラックが
春の朝マンションの前にトラックが
春の朝引っ越し業者のトラックが
春の朝荷物の運搬作業員
春の朝引っ越し荷物見え隠れ
三月や引っ越し作業にまた遭遇

桜(令和3年5月8~9日掲載分)


◎ 桜(令和三年五月八~九日掲載分)
● 令和三年五月八日 土曜日  
○ 三月日々折々 その八 桜
《今回の自選代表句と自句自解》

東京で桜開花と気象庁

 今日は、令和三年三月十四日(日)。気象庁の発表によると、今年も昨年と去年と同じく統計を取り始めてから最も早い開花となったとのこと。

(三月中旬 日常生活④)
東京でサクラ開花と気象庁
※東京でサクラ開花と気象庁・・・気象庁「東京でサクラ開花」発表 平年より12日早く
 気象庁は14日午後、「東京でサクラが開花した」と発表しました。平年より12日早く、去年と並んで統計を取り始めてから最も早い開花となりました。(2021年3月14日 14時23分 気象庁)
春場所に横綱出場四場所ぶり
※横綱登場四場所振り・・・4場所ぶりに帰ってきた横綱・白鵬
 大相撲春場所は14日に初日を迎え、横綱・白鵬(36・宮城野)が4場所ぶりに出場しました。(日本テレビ系列サイトより転載)
三月に「死海文書」の大ニュース
※「死海文書」・・・65年ぶりに“聖書の原型”「死海文書」発見される
 約2000年前に書かれた聖書の原型ともいえる「死海文書」が新たに発見されました。今回の発見は65年ぶりです。歴史的な発見があったのは、中東の死海のほとりに広がるユダヤ砂漠で、調査隊はロープを付けて崖を降りなければたどりつけない横穴、通称「恐怖の洞窟」で発掘を続けてきました。  
 イスラエル考古学庁によりますと、発見されたのは約2000年前に書かれた巻物の断片20個ほどで、ギリシャ語で旧約聖書にある「ゼカリヤ書」の一節などが書かれていました。神の名前だけがヘブライ語で書かれていたということです。  
 このほか、約1万年前に作られた世界最古とみられる編みかごや、自然にミイラ化した6000年前の子どもの遺体も発見されたということです。  
 この地域で発見された古代の文書は死海文書と呼ばれ、聖書の原型を知るうえで貴重な資料となっています。また、多くの謎が残されているため、世界的な関心を呼んで来ました。  
 1947年に初めて発見されて以降、何度か見つかっていましたが、今回は65年ぶりの発見となります。(3/16(火) 20:44配信 テレ朝NEWSサイトより転載)

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● 令和三年五月九日 日曜日  
○ 三月日々折々 その九 春の雲
《今回の自選代表句と自句自解》

桜樹の枝の一部に花群れて 

 靖国神社の開花宣言後に、地元の公園の桜の様子を見に行った。割と大きな桜の樹の枝を見た。一見すると気づかなかったが、よく見ると一部の枝に複数の桜の花が咲いていた。

(三月中旬 日常生活⑤)
春の朝晴れて地元の公園へ
公園へ行く道脇に白木蓮
桜樹の枝の一部に花群れて 
日を浴びて群れなし桜咲き初める
日を浴びて公園の桜咲き初める
日を浴びて公園の花咲き初める
青を背に公園の桜咲き初める
青を背に公園の花咲き初める
ふららこを漕げば近付く花景色
昼食の桜豆腐に桜の香
昼食の豆腐にほのかな桜の香
お昼どき桜豆腐を味わへり
お昼どき桜の香り楽しめり
仲春に首都圏宣言解除され
※首都圏宣言解除・・・首都圏1都3県の緊急事態宣言 21日で解除 政府 対策本部で決定
 首都圏の1都3県に出されている緊急事態宣言について、政府は、夕方に開いた対策本部で期限の今月21日で解除することを決定しました。これによって、およそ2か月半にわたった宣言は、すべて解除されることになりました。(2021年3月18日 18時50分 NHKサイトより転載)
月星の夜のショー隠す春の雲
月火星の接近隠す春の雲
※月火星の接近・・・月と火星が接近 自ら光を放つアルデバランも並ぶ
 19日夜、月と火星が接近して見えます。さらに、おうし座を形作る星の一つで、自ら光を放って輝くアルデバランも近くに並びます。
 月・火星・アルデバランが並ぶ
 19日夜は、月と火星が接近して見えます。その近くには、おうし座の1等星アルデバランが並びます。(2021/03/19 tenki.jp サイトより転載)
◎「月火星の接近について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十八)》

(孫たちの結婚を祝して)
孫たちの華燭の典を祝す春
孫たちの門出寿ぐ花開く
孫たちに幸多かれと祈る春  
      令和三年 三月吉日  飯島 治蝶

菜の花 (令和3年5月6~7日掲載分)


◎ 菜の花 (令和三年五月六~七日掲載分)
● 令和三年五月六日 木曜日  
○ 三月日々折々 その六 春嵐
《今回の自選代表句と自句自解》

一日中雨風強き春荒れに 

 今日三月十三日(土)は、一日中雨や風が強かった。松戸市(千葉県)にも大雨洪水警報が発令された。警戒レベル4相当。夕方には、雷も発生した。

(三月中旬 日常生活②)
一日中荒れた雨降る春荒れに
一日中雨風強き春荒れに 
春嵐大雨洪水警報が
大雨の夕べに響く春の雷

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● 令和三年五月七日 金曜日  
○ 三月日々折々 その七 菜の花
《今回の自選代表句と自句自解》

咲き誇る菜の花の背に白き富士 

 春の嵐の翌日の今日は、日曜日。快晴の休日の朝散歩を楽しむ。今まさに菜の花は花盛り。土手一面の菜の花。しゃがんで花の香を楽しむ。菜の花の向こうに雪の富士山が・・・。まるで、絵葉書を見ているようだ。春の絶景だ。カメラを持ってくればよかった。

(三月中旬 日常生活③)
春荒れの次の日の朝散歩しに
春の朝江戸川の土手へ散歩しに
春の朝快晴なれど風強し
江戸川の土手に菜の花咲き誇り
江戸川の土手に菜の花咲き誇る
咲き誇る菜の花の背に白き富士 
江戸川の土手一面に草萌ゆる
江戸川の土手に群れ咲く犬ふぐり
川沿いに芽吹き柳の青あおと
吹く風に芽吹き柳は身をまかせ 
散歩する春の江戸川に鳥群れて
江戸川に鳥群れ菜の花咲き誇る 
今朝もまた楽しむ川の春景色

白木蓮(令和3年5月4~5日掲載分)


◎ 白木蓮(令和三年五月四~五日掲載分)
● 令和三年五月四日 火曜日  
○ 三月日々折々 その四 弥生
《今回の自選代表句と自句自解》

三月に確定申告無事終了 

 今年の確定申告は譲渡所得入りの確定申告のため、税理士と念入りに打ち合わせをした。税務署で審査を受け、無事終了。安堵感を覚える。

(三月上旬 日常生活④)
三月に税務事務所へ書類持ち
三月に税理士とする打ち合わせ
三月に一時間程税理士と
三月に確定申告依頼して
三月に書類完成数日後
三月に書類出来たと連絡が
三月に事務所へ出掛け書類受く
三月に書類手にして税務署へ
整理券手にして並ぶ弥生かな
三月や税務署前に人の列
三月に受付前に検温を
三月に受付前で検温を
三月に書類審査受け提出す
三月に確定申告無事終了 
弥生かな無事に済ませて安堵感
弥生かな結果税理士に報告す
春の午後快晴なれど風強し
春の午後ビル吹き抜ける風の音

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● 令和三年五月五日 水曜日  
○ 三月日々折々 その五 白木蓮
《今回の自選代表句と自句自解》

青空に木蓮の蕾ツンとして 

 よく晴れた春の日。街中を散歩していると、白木蓮が目に入った。青空に白木蓮の蕾も花もよく映えている。咲いている白木蓮の花の曲線に対して、蕾は先を尖らせツンとして見える。そこに木蓮の何とも言えない魅力を感じる。

(三月中旬 日常生活①)
青を背に白木蓮の蕾と花 
青空が白木蓮を際立たせ
青空に木蓮の蕾ツンとして 
青を背に白木蓮の花咲けり
春淡し大震災から十年に
※大震災から十年・・・東日本大震災から10年 午後2時46分、各地で犠牲者追悼
 東日本大震災の発生から11日午後2時46分で丸10年となった。岩手・宮城・福島の3県のみならず、全国各地で犠牲者を追悼する行事が行われた。 (3月11日 毎日新聞より転載)
 陛下おことば全文「震災を過去のこととして捉えるのではなく・・・」     
 天皇陛下は11日、東日本大震災十周年追悼式に出席されました。先月、福島県沖で発生した地震についてふれ、「震災を過去のことではなく、現在も続いていることとして捉える必要がある」と述べられました。(TBS系サイトより転載)
震災の新たな節目春淡し

雛の節句(令和3年5月2~3日掲載分)


◎ 雛の節句(令和三年五月二~三日掲載分)
● 令和三年五月二日 日曜日  
○ 三月日々折々 その二 三月
《今回の自選代表句と自句自解》

オープン戦いよいよ始まる三月に

 コロナ渦の影響で例年より遅れて、今年は三月二日からプロ野球 オープン戦が始まった。観戦するスポーツがひとつ増えた。コロナ渦のなか、楽しみが増した。

(三月上旬 日常生活②)
オープン戦いよいよ始まる三月に
※オープン戦・・・プロ野球 オープン戦は、2021年3月2日(火) 〜3月21日(日)の日程で開催予定。セパ公式戦は3月26日(金)に開幕し、交流戦は5月25日(火)〜6月13日(日)の期間で実施。 東京五輪開催の影響で、7月19日( 月)から8月12日(木)は中断期間となる。

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● 令和三年五月三日 月曜日  
○ 三月日々折々 その三 雛の節句
《今回の自選代表句と自句自解》

今年また桃の節句のちらし寿司

 我が家でも、何時の頃からか桃の節句の三月三日は、ちらし寿司を食べる習慣になっていた。

(三月上旬 日常生活③)
春の朝晴れた街中散歩して
道沿いに白と紫のストックが
道沿いの花壇のストック色違い
妻と食む桃の節句のちらし寿司
※桃の節句のちらし寿司・・・3月3日桃の節句、ひなまつりに食べるメニューのひとつに「ちらし寿司」があります。春の食材や縁起のよい食材などいろいろな具材が入ったちらし寿司を食べる理由は、将来食べることに困らないようにとの願いを込めてだそうです。
今年また桃の節句のちらし寿司
知り合いも雛の節句にちらし寿司

春嵐(令和3年4月30日~5月1日掲載分)


◎ 春嵐(令和三年四月三十日~五月一日掲載分)
● 令和三年四月三十日 金曜日  
○ 二月日々折々 その十六 春霞
《今回の自選代表句と自句自解》

正面に望む富士には春霞 

 今朝も江戸川堤の散歩を楽しむ。真っ白な雪に覆われた富士山は、春の霞がかかっている。左隣の東京スカイツリーも、同様だ。どこか長閑な感じだ。花粉症のため、この時季の散歩は短めだ。

(二月下旬 日常生活②)
風吹く夜雲間に顔出す春の星
風吹く夜雲間にまたたく春の星 
花粉飛び散歩短き春の朝
正面に望む富士には春霞 
散歩する江戸川堤長閑なり
春告げる琵琶湖マラソン今年最後
㊟琵琶湖マラソン・・・1946年10月に大阪で「全日本毎日マラソン選手権大会」としてスタートし、国内で継続しているマラソン大会としては最も長い歴史を持つ。
 第76回びわ湖毎日マラソンが2月28日に滋賀県にて開催される。びわ湖毎日マラソンは2022年に大阪マラソンと統合される予定となっており、現在のコースで実施されるのは今大会が最後。(オリンピックチャンネルサイトより転載)
(注)湖国に春の訪れを告げる担行事で、オリンピック出場を目指す選手たちの熱闘が繰り広げられる。
◎「琵琶湖マラソンについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十八)》
春吉報マラソンのタイム日本新
※マラソンのタイム日本新・・・鈴木健吾、日本新は「自分が一番びっくり」 初の2時間4分台
 第76回びわ湖毎日マラソン(日本陸上競技連盟、毎日新聞社など主催、住友電工特別協賛)は28日、大津市の皇子山陸上競技場を発着点とするコースで行われ、鈴木健吾(25)=富士通=が2時間4分56秒の日本新記録で優勝した。従来の日本記録は2020年の東京マラソンで大迫傑が出した2時間5分29秒で、日本選手の2時間4分台は初めて。(2/28 毎日新聞より転載)

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● 令和三年五月一日 土曜日 
○ 三月日々折々 その一 春嵐
《今回の自選代表句と自句自解》

松戸の地雨風強き春嵐 

 今日は、予報通りの春の嵐。今日は大荒れ。朝から雨。時々晴れたり、曇ったり。午後二時半ごろから大雨。かなりの時間土砂降りの雨。風も強い。夜には、コーコーと音立てて吹いている。怖いぐらいに・・・。二月の松戸では、珍しく荒れた天気だ。

(三月上旬 日常生活①)
予報通り夜更けに降り出す春の雨
春の寝屋雨垂れの音に誘われ
春の夜にやさしき雨音子守歌
春の真夜やさしき雨音子守歌
雨音を耳にし眠る春の夜
土砂降りに家並煙らす春嵐
※春嵐・・・「春の嵐」のち「真冬」に…全国的に荒天
 3月2日、午前9時現在の天気図を見てみましょう。 きょう2日は東北地方にある低気圧が発達する見込みです。東側では強い南風、西側では強い北風が吹いてきて、季節感が一日でガラッと変わるような天気になりそうです。 きょう2日は「春の嵐のち真冬」となりそうなのです。
【関東】雷雨・ひょうの可能性も
 まず関東の例から見ていきましょう。 東京は南風が強まります。最高気温は17℃と4月上旬並みの予想ですが、午後になると、雨が強まってきます。 15m以上の風が吹く予想で、場合によっては看板などが飛んでくる可能性もあります。周囲の様子に気を付けてお過ごしください。 さらに、大気が非常に不安定になり、雷が発生する可能性も…。(FNNプライムオンラインより転載)
春嵐太い雨脚幾重にも
春嵐風は街中吹き荒れて
松戸の地雨風強き春嵐 
春疾風深夜の街をゴーゴーと
浅き春終日荒れたお天気に
春浅し深夜に気温下がりゆく

梅の花(令和3年4月28~28日掲載分)


◎ 梅の花(令和三年四月二十八~二十九日掲載分)
● 令和三年四月二十八日 水曜日  
○ 二月日々折々 その十四 長閑
《今回の自選代表句と自句自解》

対岸の球音運ぶ春の風 

 二月下旬の休日。江戸川の対岸の河川敷のグラウンドから野球の球音が、春風に乗って心地よく響く。春らしい音景色だ。

(二月下旬 坂川・江戸川散歩①)
春の朝寺より去りて江戸川へ
春の朝旧水戸街道横断す
スカイツリー春の江戸川堤より
川堤春の朝風ゆるゆると
対岸の球音運ぶ春の風 
目の前に広がる長閑な川景色
春の朝ゆったり楽しむ川景色
川景色楽しむ春の朝散歩
春の朝陽光浴びて家路就く
春暑しうっすら額に滲むもの

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● 令和三年四月二十九日 木曜日  
○ 二月日々折々 その十五 梅の花
《今回の自選代表句と自句自解》

窓越しや眼下に望む梅の花 

 よく晴れた春の日。松戸駅から徒歩十分の所にある千葉地方法務局松戸支局に所用で訪れた。待ち時間、二階の窓越しから眼下の梅の花を楽しむ。ちょっとした癒しになる。

(二月下旬 日常生活①)
春の日に所用で一人登記所へ
松戸駅周辺人込む春の日に
よく晴れた春の日中央公園に
※中央公園・・・ここでは、松戸中央公園のこと。テニスコートと遊具施設があるシンプルで散歩がしやすい公園。松戸駅から徒歩五分。
公園の花壇にパンジー咲き誇り
春日浴び法務合同庁舎へと
※法務合同庁舎・・・ここでは、松戸法務合同庁舎のこと。合同庁舎の一、二階に千葉地方法務局松戸支局がある。松戸駅から徒歩十分。
合庁の敷地に白き梅の花
目の前に咲く白梅は満開に
春の日に支局二階の受付へ
受付後待つ間に楽しむ春景色
窓越しや眼下に望む梅の花 
春の日に土地建物の謄本を
春の日に所要済ませて家路就く
税理士と電話連絡する春日
㊟税理士・・・税理士(ぜいりし)は、税理士法に定める国家資格及びそれを職業とする者の名称であり弁護士・弁理士・司法書士・行政書士・社会保険労務士・土地家屋調査士・海事代理士と共に職務上請求権が認められている8士業の一つである。徽章は、日輪に桜。他に、税理士会連合会から顔写真つきの登録者証「税理士証票」を交付される。(Wikipediaより転載)
◎「税理士について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十七)》

春きざす(令和3年4月26~27日掲載分)


◎ 春きざす(令和三年四月二十六~二十七日掲載分)
● 令和三年四月二十六日 月曜日  
○ 二月日々折々 その十二 春きざす
《今回の自選代表句と自句自解》

コロナへは「守り」から「攻め」に出る二月 

 二〇二一年(令和三年)二月。新型コロナウイルスの世界的感染から丸一年以上経過し、ようやく日本でもワクチンの接種が始まった。これは、新型コロナウイルスへの「守り」から「攻め」に転じたことを意味する。この意義は大きい。

(二月中旬 日常生活③)
今日初のワクチン接種春きざす 
※ワクチン きょうから先行接種
 17日から、新型コロナウイルスのワクチンの先行接種が始まる。河野規制改革相は16日に記者会見し、17日から「およそ4万人の医療従事者に接種を開始する」と発表した。(フジテレビ系(FNN)サイトより転載)
コロナへは「守り」から「攻め」に出る二月 
春めくや火星探査車無事着陸
※火星探査車無事着陸・・・NASA火星探査車、着陸に成功
【AFP=時事】(更新)米航空宇宙局(NASA)の火星探査車「パーサビアランス(Perseverance)」は日本時間の19日早朝、火星への着陸に成功した。(2/19(金) 6:02  AFP=時事サイトより転載)
よく晴れて春本番の暖かさ
春めくや高梨最多V60
※高梨沙羅、歴代最多更新のV60!
 ジャンプ女子は、ルーマニアのルシュノブで個人第9戦(ヒルサイズ=HS97メートル)が行われ、18年平昌五輪銅メダルの高梨沙羅(クラレ)は、92メートル、99メートルの合計239・2点で2戦ぶりに優勝。ジャンプ男女歴代最多を更新する通算60勝目を手にした。表彰台も女子最多更新の通算106度目となった。(2月19日(金)19時58分 スポーツ報知)
大阪が全豪優勝する二月
※大阪が全豪優勝・・・大坂なおみ 全豪OP2年ぶり優勝、四大大会4度目の制覇。<女子テニス>
 全豪オープン テニスの全豪オープン(オーストラリア/メルボルン、ハード、グランドスラム)は20日、女子シングルス決勝が行われ、第3シードの大坂なおみが第22シードのJ・ブレイディ(アメリカ)を6-4,6-3のストレートで破り、2019年以来2年ぶり2度目の優勝を果たすとともに、四大大会4度目の制覇を成し遂げた。(2/20(土) 19:03配信 tennis365.netより転載)

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● 令和三年四月二十七日 火曜日  
○ 二月日々折々 その十三 春の朝
《今回の自選代表句と自句自解》

広場に咲く河津桜は満開に 

 二月下旬。JR「松戸駅」から程近い春雨橋親水広場に咲く河津桜は満開であった。

(二月下旬 坂川・江戸川散歩①)
よく晴れた春の朝川へ散歩しに
春の朝坂川沿いを散歩して
朝散歩川辺の梅を鑑賞す
春の朝旧水戸街道歩き行く
※旧水戸街道・・・旧水戸街道は、千住宿(足立区千住)から、水戸宿(水戸市本町)までの約111kmの街道。
春の朝春雨橋を渡りゆく
広場に咲く河津桜は満開に 
※春雨橋親水広場(はるさめばししんすいひろば)・・・JR「松戸駅」から程近く、地域の歴史・文化の情報発信の場となる「まちなかの憩いの空間」として、また地域の交流拠点として活用されることをめざした親水広場です。(松戸市役所サイトより転載)
河津桜愛でつつ坂川沿い散歩
㊟坂川・・・坂川(さかがわ)は、千葉県を流れる江戸川水系の河川。北千葉導水路の一部としても使われている。流山市と松戸市、市川市の三市を流れ、江戸川にそそぐ。(Wikipediaより転載)
春の朝松戸神社にて合掌す
河津桜愛でつつ川沿い歩きゆく
二ン月にぶらり立ち寄る松龍寺
㊟松龍寺・・・松龍寺(しょうりゅうじ)は、千葉県松戸市にある浄土宗の寺院。
 概略と沿革【編集】
 1615年(元和2年)、この地を治めた旗本の高木正次(丹南藩藩祖の高木正次とは別人)の開基である。父広正の菩提を弔うために建立した[1]。
 江戸時代に何度も火災に遭い、山門のみが当時の名残をとどめている。また開基・高木正次の墓所がある[1]。
境内には、観音堂があり、観音菩薩像が祀られている。この観音像は別名「子育て観音」と呼ばれている。種子が多く付くトウモロコシは縁起物とされており、毎年8月10日にとうもろこし市が開かれている[1]。(Wikipediaより転載)
二月寄る寺本堂は改修中

バレンタインデー(令和3年4月24~25日掲載分)


◎ バレンタインデー(令和三年四月二十四~二十五日掲載分)
● 令和三年四月二十四日 土曜日  
○ 二月日々折々 その十 バレンタインデー
《今回の自選代表句と自句自解》

河津桜坂川沿いに咲き初むる 

 二月中旬の土曜日に、妻と河津桜の見物に出掛けた。全体的には、二分咲きといったところ。穏やかで温暖な春の日に春風に吹かれながら、坂川沿いに咲く河津桜をゆっくり鑑賞した。

(二月中旬 日常生活①)
妻からのバレンタインチョコハート付き
妻からのチョコ食むバレンタインデー
㊟バレンタインデー・・・バレンタインデー(英: Valentine's Day)または聖バレンタインデー・セイントバレンタインデー(英: St. Valentine's Day)はキリスト教圏の祝いで主に欧米で、毎年2月14日に行われるカップルの愛の誓いの日とされている。(Wikipediaより転載)
孫娘来宅バレンタインの日
孫からのチョコ食むバレンタインデー
穏やかな春日に誘われ散歩しに
坂川の河津桜の見物に
坂川へ妻連れ河津櫻見に
春日浴び坂川沿いの道歩く
㊟坂川・・・坂川(さかがわ)は、千葉県を流れる江戸川水系の河川。北千葉導水路の一部としても使われている。流山市と松戸市、市川市の三市を流れ、江戸川にそそぐ。(Wikipediaより転載)
鵜と鴨と鷭入りまじる春の川
春風に吹かれてゆるゆる歩きゆく
神社へと向かう路傍に梅の花
神社へと向かう路傍に白梅が
神社へと向かう路傍に紅梅が
目の前の白梅紅梅今見ごろ
神社へと向かう路傍の梅見頃
春風に吹かれて歩く老夫婦
河津桜坂川沿いに咲き初むる 
㊟河津桜・・・カワヅザクラ(河津桜、学名: Cerasus × Kanzakura ‘Kawazu-zakura’)は、バラ科サクラ属のサクラ。日本固有種のオオシマザクラ (Cerasus speciosa (Koidz.)H.Ohba,1992)とカンヒザクラ(Cerasus campanulata (Maxim.) Masam. & S.Suzuki)の自然交雑から生まれた日本原産の栽培品種のサクラ。(Wikipediaより転載)
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・春の写真」の「坂川の河津桜」(令和三年二月中旬)に「坂川の河津桜(背景は松戸神社)」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
坂川の河津桜は二分咲きに
河津桜ゆるゆる愛でて家路就く

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● 令和三年四月二十五日 日曜日  
○ 二月日々折々 その十一 春の雨
《今回の自選代表句と自句自解》

春の午後来宅の孫とオセロして 

 久し振りに来宅した孫と、オセロゲームを楽しんだ。ゲームをしながら、近況などを尋ねた。孫との話は夢があり、楽しい。

(二月中旬 日常生活②)
春の雨降るなか実家に孫来たる
春の日に孫来て食前ピアノ弾く
早春に孫らと寿司食むお昼時
春の午後来宅の孫とオセロして 
㊟オセロ・・・オセロ (Othello) は、2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を打ちながら、相手の石を自分の石で挟むことによって自分の石へと換えていき、最終的な盤上の石の個数を競うボードゲームである。オセロゲーム (Othello Game)、リバーシ (Reversi) とも呼ぶ。
 概要【編集】
 オセロはボードゲームの一つである。8×8の正方形の盤と、表裏を黒と白に塗り分けた平たい円盤状の石を使用する。それぞれ黒と白を担当する2人のプレイヤーが交互に盤面へ石を打っていき、最終的に盤上の石が多かったほうが勝ちとなる。相手の石を自分の石で挟んだときは、相手の石を裏返すことで、自分の石にする。「挟んだら裏返す」という基本原理が理解できれば、初期配置やパスなどいくつかのルールを知るだけで、すぐにオセロをプレイできる。なお、公式戦では、さらに細かい競技規則も定められている。
 オセロとほぼ同様のゲームは、元々リバーシとして知られていた。リバーシは、ジョン・モレット (John Mollett) とルイス・ウォーターマン (Lewis Waterman) によって19世紀にイギリスのロンドンで考案された。その後、水戸市出身のボードゲーム研究家・長谷川五郎によって1970年頃に東京都で現在知られているパッケージが開発され、その父・四郎によって「オセロ」(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロ』に由来)と命名された。完成したオセロは、1973年にツクダ(後のツクダオリジナル→パルボックス→メガハウス)から発売され、ヒット商品となった。(Wikipediaより転載)
◎「オセロについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十六)》
雨あがり夜空にまたたく春の星
早春の雨後の翌日よく晴れて
ここ松戸連日晴れの日続く春

猫の恋(令和3年4月22~23日掲載分)


◎ 猫の恋(令和三年四月二十二~二十三日掲載分)
● 令和三年四月二十二日 木曜日  
○ 二月日々折々 その八 猫の恋
《今回の自選代表句と自句自解》

猫の恋深夜に甘い鳴き声が 

 立春過ぎの関東地方は、連日の晴天。最高気温も十五度程に。深夜に、猫の甘い鳴き声が・・・。これの例年通りの街の音の春景色だ。

(二月上旬 日常生活⑤)
よく晴れて関東早くも春本番
関東は立春過ぎの日々暖か
関東は立春過ぎにすぐに春
猫の恋深夜に響く甘い声
猫の恋深夜に甘い鳴き声が 
二ン月に感染者越す接種数
※感染者越す接種数・・・ワクチン接種回数が感染者数上回る~WHO
WHO(=世界保健機関)は5日、新型コロナウイルスワクチンの世界の接種 回数が、感染者数およそ1億400万人を上回ったことを明らかにしました。(日テレNEWS24より転載)

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● 令和三年四月二十三日 金曜日  
○ 二月日々折々 その九 春浅し
《今回の自選代表句と自句自解》

春浅し晴れても今日は北吹いて

 九日の松戸(千葉県内)の今日の気温は未明零下で、結局終日十度未満だった。空は晴れても北風が吹いて、冬に逆戻りした感じ。やはり、春は来たばかりだ。

(二月上旬 日常生活⑥)
朝散歩今日も楽しむ浅き春
三方の山々愛でる春の朝
春浅し晴れても今日は北吹いて
※北吹いて・・・9日の関東地方は晴れる所が多いでしょう。ただ、北部の山沿いでは、午前中は雪の降る所がありそうです。朝にかけては、内陸を中心に気温が氷点下まで下がり、水道が凍結するほど冷える所もあるでしょう。日中の最高気温は10度に届かず、東京都心とさいたまで9度、横浜と千葉で8度の予想です。北風が吹いて、いっそう寒く感じられるでしょう。暖かくしてお過ごし下さい。(日本気象協会サイトより転載)

菜の花(令和3年4月20~21日掲載分)


◎ 菜の花(令和三年四月二十~二十一日掲載分)
● 令和三年四月二十日 火曜日  
○ 二月日々折々 その六 菜の花
《今回の自選代表句と自句自解》

菜の花の色と香楽しむ朝散歩 

 良く晴れた春の朝。江戸川堤を散歩した。土手のあちらこちらに菜の花が咲きだした。近付いて菜の花の色と香りを楽しんだ。まさに春が来た。

(二月上旬 春の江戸川散歩②)
春の朝白き富士山遥拝す
春の朝前には白き男体山
㊟男体山・・・男体山(なんたいさん)は栃木県日光市にある標高2,486mの火山。山体は日光国立公園に属す。日本百名山のひとつ。日光二荒山神社の境内地で冬季入山禁止(霊峰男体山の登拝期間は、毎年5月5日から10月25日までであったが、2019年より4月25日から11月11日までに延長された)。
 概要【編集】
 栃木県の中西部、日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する。関東地方有数の高山であり、成層火山らしい円錐形の大きな山体は関東一円からよく望まれる。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮が置かれている。また、一等三角点「男体山」(標高 2484.15[1][2]m)が設置されている。(Wikipediaより転載)
◎「男体山について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十四)》春の朝正面に白き男体山
春の朝右手に見える筑波山
春の朝右に見えるは筑波山
江戸川の土手に群れ咲く犬ふぐり
江戸川の土手に餅草あちこちに
江戸川の土手に黄色い菜の花が
千葉県の県花の菜の花かぐわしく
浅き春咲く野の花に感謝して
菜の花の香り楽しむ朝散歩
菜の花の色と香楽しむ朝散歩 
菜の花の色香楽しむ朝散歩

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● 令和三年四月二十一日 水曜日  
○ 二月日々折々 その七 芽
《今回の自選代表句と自句自解》

日の注ぐ川沿いの木々に小さき芽

 良く晴れた春の朝。江戸川堤を散歩した。川沿いの木々には、小さく尖った芽が・・・。やっと春めいてきた。

(二月上旬 春の江戸川散歩③)
日の注ぐ川沿いの木々に小さき芽
春の朝梢付近にノスリいて
㊟ノスリ・・・ノスリ(鵟、学名 Buteo japonicus)は、鳥類タカ目タカ科ノスリ属の1種である。
 分布【編集】
 中央・南シベリア、モンゴル、中国、日本に棲息する[1]。夏季は亜寒帯や温帯域で繁殖し、冬季は熱帯や温帯への渡りを経て越冬する。
 形態【編集】
 全長50–60cm。翼開長100–140cm。体重500–1300g。オスよりもメスの方が大型になる。背面は褐色、腹面は淡褐色の羽毛に覆われる。喉の羽毛は黒い。虹彩は褐色。(Wikipediaより転載)
◎「ノスリについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十五)》
日の注ぐ川沿いの梅に白き花
青空を背に咲く白き梅の花
江戸川の堤に春の草花が
江戸川の堤に春の草や花
陽光のなかで楽しむ春景色
散歩して春の光を楽しめり
快晴の春の光を楽しめり
早春の江戸川楽しみ家路就く

雛あられ(令和3年4月18~19日掲載分)


◎ 雛あられ(令和三年四月十八~十九日掲載分)
● 令和三年四月十八日 日曜日  
○ 二月日々折々 その四 雛あられ
《今回の自選代表句と自句自解》

一ヵ月前店内に雛あられ

 立春が過ぎたばかりの店内に、雛あられが並べられていた。春らしさを感じさせてくれる。

(二月上旬 日常生活④)
二ン月の上旬朝晩冷え込んで
春めくや朝散歩終え買い物に
春の店コロナ渦回る扇風機
一ヵ月前店内に雛あられ

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● 令和三年四月十九日 月曜日  
○ 二月日々折々 その五 初春
《今回の自選代表句と自句自解》

春の朝富士上空に淡き月 

 穏やかに晴れた春の朝。いつものように江戸川堤の散歩を楽しむ。春の陽光を浴びながら、真白な富士山を遠望する。雪の富士山上空にはうっすらとした月が・・・。絵に描いたような景色だ。しばらく富士山と月の遠望を楽しんだ。

(二月上旬 春の江戸川散歩①)
よく晴れて楽しむ初春の朝散歩
朝散歩春の陽光身に浴びて
春の朝江戸川堤を歩きゆく
江戸川の春の陽光明るくて
江戸川の春の陽光暖かく
春の朝青背に聳えるスカイツリー
春の朝左に秩父の連山が
春の朝左に白き富士山が
春の朝富士上空に月薄く 
春の朝富士上空に淡き月

春一番(令和3年4月16~17日掲載分)


◎ 春一番(令和三年四月十六~十七日掲載分)
● 令和三年四月十六日 金曜日  
○ 二月日々折々 その二 立春
《今回の自選代表句と自句自解》

江戸川の堤に青き餅草が 

 快晴の立春の朝。今日も江戸川堤の散歩を楽しむ。ところどころに青々とした餅草が群生していた。春の到来を感じさせてくる。

(二月上旬 日常生活②)
立春の関東地方よく晴れて
立春の関東地方青空に
よく晴れし立春の朝土手散歩
青を背の白き富士見る立春に
立春の朝樹の梢に大鷹が
江戸川の堤に青き餅草が 
東京は気温高めで春立てり
立春の東京気温十度越え
※東京気温十度越え・・・3日午後も晴れる見込みで、空気の乾燥にご注意ください。東京は12℃の予想です。
4日は南よりの風が強まり、春一番が吹くかもしれません。しばらく晴れる日が続き、6日(土)、7日(日)は、東京は3月下旬から4月上旬並みの陽気になりそうです。(NNN24より転載)
関東はしばらく初春の暖かさ
東京は立春過ぎても十度越え
関東は晴れの日続く立春過ぎ
東京は立春過ぎも気温高め

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● 令和三年四月十七日 土曜日  
○ 二月日々折々 その三 春一番
《今回の自選代表句と自句自解》

最速や四日に早やくも春一番

 立春の翌日の今日二月四日。関東地方に過去最も早い「春一番」が吹いた。

(二月上旬 日常生活③)
最速や四日に早やくも春一番
※春一番・・・関東地方で「春一番」吹く 過去最も早い発表に
 気象庁は今日2月4日(木)、関東地方で春一番が吹いたと発表しました。昨年に比べて18日早い発表です。
 これまで関東地方で最も早く春一番の発表があったのは、1988年の2月5日なので、過去最も早い記録を更新したことになります。(2月4日14時12分 ウェザーニュース)

氷張る(令和3年4月14~15日掲載分)


◎ 氷張る(令和三年四月十四~十五日掲載分)
● 令和三年四月十四日 水曜日  
○ 一月日々折々 その十六 氷張る
《今回の自選代表句と自句自解》

冬日和ベランダに布団列なして 

 快晴の冬日。ベランダに布団を干した。外出の際、道路から見ると我が家の二階のベランダに布団が列をなしている。

(一月下旬 日常生活⑨)
早朝の外のバケツに氷張る
道脇の外のバケツに氷張る
よく晴れて青空のもと布団干す
陽射し浴ぶベランダフェンスに干し布団
冬日和ベランダに布団列なして 
冬日和郵便受けに当番表
冬日和郵便受けにゴミ当番
裸木の上空の飛機背に青空
裸木の上空の飛機青背にし

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● 令和三年四月十五日 木曜日
○ 二月日々折々 その一 豆撒き
《今回の自選代表句と自句自解》

二ン月にコロナ収束の恵方巻 

 二月二日節分。特にコロナの収束を祈念して、今年の恵方の南南東を向いて、黙したまま食べた。(時代の進歩に合わせて国民に認知された恵方巻は、季語と認定されるべき時機に来ているのではないだろうか。) 

(二月上旬 日常生活①)
二ン月に今年も妻と恵方巻
恵方巻南南東向いて黙し食む
二ン月にコロナ収束の恵方巻 
二ン月に収束祈念の恵方巻
恵方巻コロナ収束祈念して 
㊟恵方・・・恵方とは「歳徳神(としとくじん)」(別名で年神様や正月様)という神様のいる方角で、その年の縁起の良い方角とされています。
 2021年(令和3年)の 節分は、124年ぶりに、2月2日(火)。恵方は南南東です。(販促マッブサイトより転載)
内外(うちそと)へ声上げ豆撒き仏間にも
立ち寄りし孫持ち帰る恵方巻
入寮の孫持ち帰る恵方巻

春近し(令和3年4月12~13日掲載分)


◎ 春近し(令和三年四月十二~十三日掲載分)
● 令和三年四月十二日 月曜日  
○ 一月日々折々 その十四 晩冬
《今回の自選代表句と自句自解》

晩冬に今年最初の満月を 

 一月下旬。未明の夜空に神々しく煌々とした満月を鑑賞した。2021年最初の満月「ウルフムーン」である。どこか得した気分。しばらく見惚れた。零度の気温もどこへやら・・・。冬の満月を楽しんだ。元気をもらう。

(一月下旬 日常生活⑦)
晩冬に今年最初の満月を 
満月の「ウルフムーン」を見る晩冬
㊟「ウルフムーン」・・・今夜は2021年最初の満月「ウルフムーン」
 1月は29日(金)午前4時17分頃に満月を迎えます。アメリカでは「ウルフムーン」と呼ばれるそうです。( ウェザーニュースより転載)
(追記)
 ウルフムーンとは、1月に観測される満月のこと。ウルフムーンという名称は、アメリカ先住民の風習に由来します。厳しい冬が続く1月に、食料が尽きてお腹を空かせたり、繁殖期を迎えたりするウルフ(=狼)の遠吠えが聞こえることから、1月の満月をウルフムーンと呼ぶようになったそうです。(GooPass MAGAZINEサイトより転載)
冬満月未明の空に丸々と
冬満月未明の空に煌々と

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● 令和三年四月十三日 火曜日  
○ 一月日々折々 その十五 春近し
《今回の自選代表句と自句自解》

春近し番組を見て旅気分

 コロナ渦で外出さえも抑え気味。立春も近づき、そろそろ旅でもと思うが、それもままならない。せめてもと、テレビでの旅番組を楽しむ。

(一月下旬 日常生活⑧)
我が余生ゆったりまったりする冬に
我が余生ゆったりまったり過ごす冬
春近しテレビ見ながら旅気分
春近しテレビを見つつ旅気分
春近し番組を見て旅気分
春近し行ったつもりで入る秘湯
春近し行ったつもりで名湯に
春近し行ったつもりで食む食事
春近し行ったつもりで食む名物
春近し行ったつもりで名物を
春近し旅番組に癒されて
春近し旅番組に和む夜

雪(令和3年4月10~11日掲載分)


◎ 雪(令和三年四月十~十一日掲載分)
● 令和三年四月十日 土曜日  
○ 一月日々折々 その十二 雪
《今回の自選代表句と自句自解》

しんしんと雪降り屋根にうっすらと

 関東南部の千葉県松戸市にも雪が降った。夕方もしんしんと降っている。屋根にうっすらと雪が積もっている。夜まで続きそうである。
そういえば、つい先日の雪予報は雨で、今日は雨予報が雪となった。まだまだ、的確な天気予報は、難しいようである。

(一月下旬 日常生活⑤)
しんしんと雪降り積もる松戸の地
※雪・・・東京都内で大粒の雪
28日は関東では南部を中心に雪や雨が降り、東京都内でも雪が降っています。雪が降るほど冷えていますので、最高気温は7.9度と4日ぶり一桁となっています。(tenki.jpサイトより転載)
しんしんと雪降り屋根にうっすらと
人絶えてしんしんと雪の降る夕べ

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● 令和三年四月十一日 日曜日  
○ 一月日々折々 その十三 北吹く
《今回の自選代表句と自句自解》

江戸川の土手の上より雪の富士 

 強い北風吹けど冬の晴。江戸川の堤より、真白き富士を眺める。いつ見ても富士山はいいが、純白の雪の富士山は最高に良い。合掌。

(一月下旬 日常生活⑥)
朝散歩北風吹けど快晴に
朝散歩北吹く江戸川堤行く
北風に白波立てて川流れ
北吹いて白波江戸川川辺にも
吹く風に枯萱左右に揺れ動く
江戸川の土手の上より雪の富士 
行く堤左に雪富士右筑波
北風に吹かれてゆるゆる朝散歩
北吹いて見上げる空は青あおと
北吹いて見上げる空に雲はなし
帰り道路傍の水仙花盛り
春近し道に雪解け水たまり

一月場所(令和3年4月8~9日掲載分)


◎ 一月場所(令和三年四月八~九日掲載分)
● 令和三年四月八日 木曜日  
○ 一月日々折々 その十 一月場所
《今回の自選代表句と自句自解》

春近しワクチン日本生産へ 

 一月二十七日、新型コロナウイルスのワクチンについて、英製薬大手のアストラゼネカが最大9千万回分を日本国内で生産する方針だとわかった。今春にも出荷の準備が整う見込みという。ようやく、具体的に動きが判明した。

(一月下旬 日常生活③)
初場所で大栄翔が初優勝
一月場所大栄翔の初優勝
※大栄翔が初優勝・・・平幕・大栄翔が悲願の初優勝…埼玉出身力士としても初V、殊勲&技能賞も獲得
◆大相撲初場所千秋楽〇大栄翔(突き出し)隠岐の海●(24日、東京・両国国技館)西前頭筆頭・大栄翔(27)=追手風=は西前頭5枚目・隠岐の海(35)=八角=を突き出しで下し、初優勝と埼玉県出身力士初Vを果たした。勝てば優勝の重圧が掛かる一番を制し、自己新の13勝目で悲願をつかんだ。(1月24日 スポーツ報知より転載)
晩冬にコロナ減少傾向に
春近しコロナ減少傾向に
※コロナ減少傾向・・・国内感染 4週間ぶり3千人下回る 全国で新たに2764人の感染を確認
新型コロナウイルスの感染者は25日、全国で新たに2764人が確認された。前週の月曜日(18日)の4925人に比べて大幅に減少した。(1月25日 毎日新聞)
晩冬にコロナ感染一億人
※コロナ感染一億人・・・コロナ感染、世界1億人 急拡大、2カ月半で倍増
【ジュネーブ共同】米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、新型コロナウイルスの感染者が27日、世界全体で1億人を超えた。欧米などでの感染急拡大を受け、昨年11月上旬に5千万人に達してから約2カ月半で倍増。日本を含む各国でウイルス変異種という新たな脅威が広がる中、収束への見通しはより不透明になっている。(1/27(水) 配信 共同通信社より転載)
春近しワクチン国内生産へ
春近しワクチン日本生産へ 
※ワクチン国内生産・・・日本でワクチン最大9千万回分生産へ 英アストラゼネカ
新型コロナウイルスのワクチンについて、英製薬大手のアストラゼネカが最大9千万回分を日本国内で生産する方針だとわかった。今春にも出荷の準備が整う見込みという。ワクチンの供給に限りがあり各国で争奪戦となるなか、多くを国内生産することで安定供給を目指す方針という。(1/27 朝日新聞より転載)

● 令和三年四月九日 金曜日  
○ 一月日々折々 その十一 冬の夜
《今回の自選代表句と自句自解》

コロナ渦で「サラ川」楽しむ冬の夜

 コロナ渦の晩冬の夜、発表された第34回『第一生命サラリーマン川柳コンクール』(サラ川)の百作品を鑑賞した。面白くて噴き出しそうな作品が多々あった。今回はコロナ渦で、共感する作品も多かった。

(一月下旬 日常生活④)
コロナ渦で「サラ川」楽しむ冬の夜
※サラ川・・・『サラリーマン川柳』優秀100選が決定 “withコロナ時代”や『鬼滅』『NiziU』『あつ森』詠んだ作品も
第一生命保険は27日、第34回『第一生命サラリーマン川柳コンクール』(以下、 サラ川)応募総数6万2542句の中から全国優秀100句が決定したことを発表した。「コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス」「子は鬼滅 夫婦は亀裂 おうち時間」「十万円 見る事もなく 妻のもの」「下書きの 送信キーを 猫が押し」「あなたとは 要請なくても ディスタンス」など(ORICON NEWSより転載)

枯葦原(令和3年4月6~7日掲載分)


◎ 枯葦原(令和三年四月六~七日掲載分)
● 令和三年四月六日 火曜日  
○ 一月日々折々 その八 枯葦原
《今回の自選代表三句と自句自解》

鳥鑑賞江戸川沿いの枯木立 
鳥鑑賞枯葦原の川辺より 
快晴の枯草原に鳥群れて 

 江戸川沿いの枯木立や川辺の枯葦原や枯草原などで様々な鳥(大鷹・鴨・鷭・雀・鳩・ムクドリなど)の動きを鑑賞した。

(一月下旬 江戸川散歩)
江戸川は低空霞む冬の晴
スカイツリーうっすら霞む冬の晴
冬晴の堤でジョガーと擦れ違う
※ジョガー(Jogger)・・・ジョギングする人。
青空にツンと突き出す冬芽かな
冬晴の江戸川沿いに太公望
※太公望(たいこうぼう)・・・釣りをする人。釣り好きな人。(語源由来辞典より転載)
鳥鑑賞江戸川沿いの枯木立 
大き鷹木立の低空飛び交えり
鳥鑑賞枯葦原の川辺より 
日射し浴び泳ぎゆく鴨水尾曳いて
冬日浴び泳ぎゆく鷭黒光り
冬の晴擦れ違う人手にカメラ 
快晴の枯草原に鳥群れて 
快晴の枯草原に群れ雀
快晴の枯草原にムクドリが
快晴の枯草原に群れし鳩
冬の晴飛機は銀翼光らせて
冬の晴飛行機銀翼光らせて

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● 令和三年四月七日 水曜日  
○ 一月日々折々 その九 冬の雨
《今回の自選代表句と自句自解》

晩冬に惠の雨が関東に 

 令和三年一月に入ってからも二十三日(土)の今日まで、関東平野部の降水量は0ミリ。今日ようやく、惠の雨がまとまって降った。十ミリ以上の降水量で、去年十月以来三ヵ月振りの雨の量となった。

(一月下旬 日常生活②)
冬の朝本格的な雨降りに
松戸市に久方振りの冬の雨
㊟松戸市・・・松戸市(まつどし)は、千葉県の北西部に位置する市。健康都市連合加盟都市。江戸時代には水戸街道の宿場町・松戸宿として栄え、徳川将軍家ゆかりの地としての歴史を持つ。
 人口は約49万人。日本の市の人口順位において非政令指定都市・非中核市としては上位に位置し、推計人口基準で、同じ千葉県内では市川市に次ぎ約4,500人の差で第4位の人口規模を持つ都市である。(Wikipediaより転載)
◎「松戸市について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十三)》
※久し振りの雨・・・平野部は雨少なく 週末はまとまった雨に
関東地方の平野部はここ1か月ほど雨の少ない状態が続いています。今月に入ってからも平野部では雨の降った所が少なく、多い所でも千葉県の沿岸部などで合計15ミリ弱ほどで、1月の平年の降水量の20%程度となっています。都心では年間でも12月に続き、2番目に降水量が少ない時期で、都心の1月の平年の降水量は52.3ミリ。都心では今月は1月12日にみぞれが降り、初雪を観測しましたが、ぱらついた程度で、今月1日から20日の降水量は0ミリとなっています。空気もカラカラに乾燥した状態が続いていましたが、この週末は久しぶりのまとまった雨になりそうです。(日本気象協会サイトより転載)
冬の朝図書館に寄り公園へ
冬の朝傘差し公園内散歩
冬の朝傘さし園内グルグルと
冬の朝園内二周し家路就く
晩冬に終日雨は降り続く
晩冬に惠の雨が関東に

大寒(令和3年4月4~5日掲載分)


◎ 大寒(令和三年四月四~五日掲載分)
● 令和三年四月四日 日曜日  
○ 一月日々折々 その六 大寒
《今回の自選代表句と自句自解》

大寒に写真の真白き富士鑑賞 

 一月二十日。冬晴れの大寒の日に、富士百景写真展の作品を鑑賞した。冬晴れの青空のもとの真白き富士山は、雄大で美しい作品であった。冬晴れ大寒の日の今日と思いが重なった作品である。他にも感動的な作品が多々あった。まさに力作ぞろいであった。感動と感謝の写真展であった。合掌。

(一月中旬 「富士百景写真展」)
よく晴れて大寒らしき低温に
全国で暦通りの大寒に
大寒にいそいそ出掛ける写真展
㊟大寒・・・大寒(だいかん)は、二十四節気の第24。十二月中(通常旧暦12月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のとき(黄道十二宮では宝瓶宮の原点に相当)で1月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から1/12年(約30.44日)後で1月20日ごろである。期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、すなわちこの日から、次の節気の立春前日までである。(Wikipediaより転載)
◎「大寒について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十二)》
冬晴の日松戸市文化ホールへと
マスクして松戸市文化ホールへと
徒歩で行く冬開催の写真展
大寒に富士百景の写真展
※富士百景の写真展・・・【第48回 富士百景写真展2021】
日時/1月19日(火)~24日(日)10:00~18:00(初日正午~、最終日~16:00)
場所/松戸市文化ホール(松戸市松戸1307-1 松戸ビルヂング4階)
内容/富士山を愛する写真家40人による厳選の78作品が展示
コロナ禍の中であっても変わらない、雄大で美しい富士山。
40人の富士山愛好家が撮影したその姿は、さまざまな表情があり、見る者を魅了します。新作から蔵出し作品 まで78作品を展示(1/13(水) 17:29配信 ちいき新聞より転載)
冬の日に受付済ませ写真観る
コロナ渦で写真の富士観る大寒に
写真家の富士山鑑賞大寒に
厳選の写真の富士観る大寒に
雄大な写真の富士観る冬の晴
大寒に写真の真白き富士鑑賞 
大寒に真白き富士観る写真展
冬晴の真白き富士観る写真展
冬の晴力作揃いの写真展
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・冬(新年)の写真」の「富士百景写真展」(一月中旬)に『「第48回 富士百景写真展2021」会場(松戸市文化ホール)』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
大寒に四季折々の写真見る
コロナ渦を暫し忘れる冬の展
コロナ渦暫し楽しむ冬の展
冬晴の陽射しを背にして家路就く
冬晴の陽射しを背にして就く家路

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● 令和三年四月五日 月曜日  
○ 一月日々折々 その七 一月
《今回の自選代表句と自句自解》

一月に就任バイデン大統領

米民主党のジョー・バイデン(Joe Biden)新大統領(78)が、20日正午前(日本時間21日午前2時前)、首都ワシントンで開かれた就任宣誓式で、職務の遂行と合衆国憲法の堅持を宣誓し、第46代大統領に正式に就任した。また、その後の演説では、「米国の結束」をテーマに演説し、新型コロナウイルス危機と深刻な社会分断の克服を呼びかけた。また、米ワシントンの連邦議会議事堂前で、平和を象徴した金色の鳩をドレスに付け、米国の国歌を歌ったシンガーソングライターのレディー・ガガ(Lady Gaga)も印象的であった。
なお、同日に退任したトランプ前大統領(共和)は就任式を欠席した。これらの様子はライブ中継され私も日本では深夜であったが、米国第46代大統領の就任式の目撃者の一人となった。

(一月下旬 日常生活①)
一月に就任バイデン大統領
※就任バイデン大統領・・・バイデン新大統領が正式就任 史上最高齢 民主党、4年ぶり政権返り咲き
 米民主党のジョー・バイデン新大統領(78)が20日正午前(日本時間21日午前2時前)、首都ワシントンで開かれた就任宣誓式で、職務の遂行と合衆国憲法の堅持を宣誓し、第46代大統領に正式に就任した。史上最高齢での就任。副大統領には女性として初めて黒人のカマラ・ハリス氏(56)が就いた。民主党は4年ぶりの政権返り咲き。バイデン氏の任期は2025年までとなる。(毎日新聞より転載)
一月の深夜ライブの中継を
一月の深夜ライブの放送を
一月にバイデン就任宣誓式
一月のライブの放送深夜見る

大鷹(令和3年4月2~3日掲載分)


◎ 大鷹(令和三年四月二~三日掲載分)
● 令和三年四月二日 金曜日  
○ 一月日々折々 その四 大鷹
《今回の自選代表句と自句自解》

大鷹は姿あらわに堂堂と 

 以前から噂で聞いていた江戸川の大鷹を間近で観察することができた。枯れ木の割にしっかりした梢(木の先端)に堂堂と止まっていた。ほとんど身じろぐことはなかった。魅力的な鳥である。

(一月中旬 日常生活①)
冬の朝散歩する身に川風が
凍曇凍り付くようなスカイツリー
凍曇秩父の山々冷え冷えと
凍曇凍り付くような筑波山
薄氷張りし「ふれあい松戸川」
※ふれあい松戸川・・・ふれあい松戸川は、古ヶ崎浄化施設で浄化された水が流れています。人工河川ですが、自然の小川をイメージしながら整備され、環境が保たれています。水鳥や魚の生態系が豊かに育ってきました。(松戸市役所サイトより転載)
川べりの枯木に近付き鳥判明
江戸川の噂の大鷹目の前に
㊟大鷹・・・オオタカ(蒼鷹[1]、大鷹、Accipiter gentilis)は、タカ目タカ科に属する鳥類で中型の種である。名前は大きさからではなく、羽の色が青みがかった灰色をした鷹を意味する「蒼鷹(アオタカ)」に由来する[1]。
日本における鷹類の代表的な種である。古今、タカといえば、オオタカを指すことが多い。
 形態【編集】
 雄の全長約50cm、雌の全長約60cm、翼開長約100-130cm。日本の亜種は白い眉斑と黒い眼帯が特徴である。北海道ではユーラシア大陸の亜種が往来するので別種とされていたが、現在は本州の亜種と同じものとして扱われている。(Wikipediaより転載)
◎「大鷹について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十一)》
木に止まる大鷹暫し観察す
川べりの梢の大鷹身じろがす
大鷹は姿あらわに堂堂と 
大鷹はやがて羽ばたき飛び去りぬ
凍雲の雲間より少し陽光が

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● 令和三年四月三日 土曜日  
○ 一月日々折々 その五 鏡開き
《今回の自選代表句と自句自解》

コロナ渦で楽しむ冬の川景色 

 一月中旬。コロナが、なかなか収束しない。そのような中でも、近くの江戸川堤の散歩を今日も楽しんだ。江戸川堤の自然や景色が、コロナのことを忘れさせて心を和ませてくれる。散歩が終わり家路に就く頃、コロナ渦の現実に引き戻される。

(一月中旬 日常生活②)
鏡開き息災祈り餅を食む
一月の今コロナ渦は拡大中
※コロナ渦は拡大中・・・12都府県、爆発的感染拡大 緊急宣言外の熊本、沖縄も
政府の新型コロナ感染症対策分科会による感染状況を示す6指標について、過半数の四つ以上で「ステージ4」(爆発的感染拡大)に該当するのは12都府県であることが16日、厚生労働省が公表したデータから分かった。政府が今月、緊急事態を再宣言した11都府県のうち京都以外と熊本、沖縄の2県。
 政府の対応が感染拡大の勢いに追いつかない実態がデータで示された。指標全てでステージ4相当なのは栃木、千葉、東京、神奈川、大阪、兵庫、福岡。(2021/1/16 共同通信社サイトより転載)
冬ぬくし今日も楽しむ朝散歩
江戸川の対岸の景冬霞
対岸の山々隠す冬霞
冬霞スカイツリーはうっすらと
江戸川の上空見事な冬の晴
川堤冬日を浴びて朝散歩
川沿いの木の間を大鷹羽ばたいて
冬日浴び鷭たち川面を水尾曳いて
冬日浴び今日も楽しむ川景色
コロナ渦で今日も楽しむ冬景色 
コロナ渦で楽しむ冬の川景色

お正月(令和3年3月31日~4月1日掲載分)


◎ お正月(令和三年三月三十一日~四月一日掲載分)
● 令和三年三月三十一日 水曜日  
○ 一月日々折々 その二 お正月
《今回の自選代表句と自句自解》

四日かな妻とまったりティータイム 

 コロナ渦の新年。来宅した子や孫と例年よりもコンパクトな三ケ日を過ごした。ゆったりと迎えた一月四日。おやつ時のティータイムは、妻とお菓子を摘みながらホット紅茶を啜った。

(一月上旬 松の内)
子や孫と共に餅食むお正月
三日かな家に孫弾くピアノの音
初詣歩いて松戸神社へと
※松戸神社・・・寛永三年(1626年)創建。水戸光圀公も崇拝した松戸総鎮守。千葉県松戸市に鎮座。(松戸神社HPより転載)
初詣鳥居を潜り境内へ
吹く風に揺れる幟に初詣
北風に厄除祈願の幟揺れ
初詣拝殿前にて参拝す
初詣コロナの収束祈念して
平穏な生活祈る初詣
晴れ晴れと関東晴れし三ケ日
四日かな妻とまったりティータイム 
六日朝登校子の声久し振り
六日朝列なし道行く登校子
八時前道行く厚着の登校子
コロナ渦や思い出生活送る冬
松の内昔の児らの句懐かしむ

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● 令和三年四月一日 木曜日  
○ 一月日々折々 その三 凍晴
《今回の自選代表句と自句自解》

凍晴や青背に秩父連山が 

 凍晴の朝。江戸川散歩。川の向こうに青空のもと、秩父の山々が連なり広がりる。
元山岳部の私には、秩父の山々には懐かしい思い出がたくさんある。-日本百名山の雲取山 (2,017m)・大菩薩嶺(大菩薩岳) (2,057m) 、日本二百名山の武甲山 (1,304m) や高尾山 (599m)などの山の思い出や山の友のことなど。山の友たちは、コロナ渦の中どうしているのか。高齢の私の胸に去来することは、多々ある。

(一月上旬 日常生活)
快晴の松過ぎの朝散歩へと
江戸川へ凍晴の朝散歩しに
凍晴や川の向こうにスカイツリー
凍晴や青背に秩父連山が 
㊟秩父連山・・・秩父山地(ちちぶさんち)は、関東地方と中部地方にまたがる山地である。群馬県・埼玉県・東京都・神奈川県・長野県・山梨県の1都5県に広がる。秩父山系、秩父連山とも呼ばれる。最高峰は北奥千丈岳で、標高は2,601mである。
関東山地のうち相模川以北の部分を指し、おおむね、東は関東平野西端、南は相模川・桂川から笹子峠・甲府盆地北端、西はJR小海線、北は碓氷峠を境界とする(一部の山域を除くこともある)[1][2]。(Wikipediaより転載)
凍晴や川の向こうに白き富士
凍晴や秩父の山の想い出が
凍晴に秩父の想い出去来して
枯萱の川辺の道を朝散歩
凍晴や心爽やかな朝散歩
凍晴に江戸川散歩楽しめり

お元日(令和3年3月29~30日掲載分)


◎ お元日(令和三年三月二十九~三十日掲載分)
● 令和三年三月二十九日 月曜日  
○ 十二月日々折々 その七 大晦日
《今回の自選代表句と自句自解》

ツルツルと孫らと蕎麦食む大晦日 

 毎年、年越し蕎麦の準備は、私が担当している。今年も来宅した孫らと共に年越し蕎麦を食べた。皆が健康で、今年も年越し蕎麦を食べられることに感謝。特にコロナ渦の今年は、強く感じる。

(十二月下旬 日常生活③)
良い年を迎える準備数え日に
ツルツルと孫らと年越し蕎麦を食む
ツルツルと孫らと蕎麦食む大晦日 

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● 令和三年三月三十日 火曜日  
○ 一月日々折々 その一 お元日
《今回の自選代表句と自句自解》

年明けに似つかわしきや上天気 

 令和三年の元日。関東地方は、年明けにふさわしい上天気となった。

(一月上旬 元日)
元朝や国旗掲揚玄関に
光輝満つ初日の合掌テレビ越し
お元日両陛下よりメッセージ
※両陛下よりメッセージ・・・両陛下の新年ビデオメッセージ コロナ禍の国民案じ収束願う
新年にあたり、天皇皇后両陛下のビデオメッセージが公開されました。例年2日に行われる新年一般参賀が新型コロナウイルスの影響で取りやめとなったことから、ビデオでおことばを述べられました。両陛下がそろってビデオメッセージを出されるのは、初めてのことです。(1/1(金)  TBS NEWSより転載)
元朝や真白き富士を遥拝す 
お元日真白き富士を遥拝す 
お元日妻の作りしお節食む
お元日関東地方よく晴れて
※関東地方よく晴れて・・・きょうの関東地方は年明けに相応しい、綺麗な青空が広がるでしょう。天気の崩れもなく、気持ちの良い一年のスタートを切れそうです。(tenki.jpサイトより転載)
年明けに相応したる上天気
年明けに似つかわしきや上天気 
晴れ晴れと孫らに渡すお年玉
書斎にて来た年賀状に目を通す
年賀状返信書き後に投函す
のんびりと終日過ごすお元日

冬至(令和3年3月27~28日掲載分)


◎ 冬至(令和三年三月二十七~二十八日掲載分)
● 令和三年三月二十七日 土曜日  
○ 十二月日々折々 その五 冬至
《今回の自選代表句と自句自解》

ストーブで手あぶりしながらコーヒーを 

 大分寒くなり、ストーブに手をかざしながら、ホットコーヒーを啜った。

(十二月下旬 日常生活①)
冬至の日関東朝からよく晴れて
※冬至の日・・・きょうは冬型の気圧配置が緩むため、雪や雨は次第に弱まる所が多いでしょう。ただ、北陸や近畿北部では、雷を伴う所がありそうです。一方、関東から西の太平洋側では各地で晴れて、天気の大きな崩れはないでしょう。(中略)
 きょうは、二十四節気のひとつ「冬至」。ゆず湯で温まって、風邪をひかないように気をつけましょう。(ウエザーマップサイトより転載)
ストーブで手あぶりしながらコーヒーを 
ストーブで手あぶりしながら飲むコーヒー
ストーブや手あぶりしつつコーヒーを

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● 令和三年三月二十八日 日曜日  
○ 十二月日々折々 その六 クリスマスケーキ
《今回の自選代表句と自句自解》

のんびりと冬日を浴びて朝散歩

 十二月下旬。関東地方は、晴れの日が続いている。今朝も、晴れ。いつもの朝散歩。距離長くして歩くよりも、冬景色を楽しみながらのんびりとした散歩を楽しんだ。

(十二月下旬 日常生活②)
十二月江戸川堤を散歩して
冬晴の朝川堤を散歩して
冬枯の川の堤を散歩して
川向こうスカイツリーに冬霞
冬晴の青空に白き飛機の雲
のんびりと冬日を浴びて朝散歩
川沿いの枯木立より鳥の声
川沿いの枯し草叢に群雀
帰り道歩く路傍に花八つ手
冬の池なかの金魚は身じろがず
冬の晴公園内に親子連れ
冬の晴遠回りをして家路就く
冬の晴家路就くのに遠回り
おやつ時妻とクリスマスケーキ食む
数え日に佐賀へ向かうと孫メール
コロナ渦や首相「静かな年末を」
※首相「静かな年末を」・・・
 新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見
 明るい将来に踏み出すために、まず必要なことは新型コロナウイルス、これ以上の感染拡大を食い止めることであります。4月の緊急事態宣言、夏の感染拡大に続いて度重なる御協力、お願いとなりますが、皆さんと皆さんの御家族、そして大切な方の命と暮らしを守るために、まずはワクチン接種が始まるまでの間、医療体制を何とか持ちこたえられるように静かな年末年始を重ねてよろしくお願いいたします。
 家族や大切な方と少人数で静かにお過ごしいただきたいと思います。一日も早く感染を収束させ、感染が始まる前と同様の日常を取り戻し、希望に満ちた社会を実現するために、是非お力をお貸しいただきますようによろしくお願いいたします。(令和2年12月25日 首相官邸のホームページより転載)

師走(令和3年3月25~26日掲載分)


◎ 師走(令和三年三月二十五~二十六日掲載分)
● 令和三年三月二十五日 木曜日  
○ 十二月日々折々 その三  厚着
《今回の自選代表句と自句自解》

列なして厚着の児ら行く通学路 

 十二月中旬の朝。晴れ。気温は一桁。小学校の通学路。登校中の児童は、厚着の児が多い。

(十二月中旬 日常生活①)
列なして厚着の児ら行く通学路 
列なしてマスクの児ら行く通学路
冬の午後家へと向かう黄の帽子
冬の午後時折響く児らの声
冬の午後時折耳に児らの声
入浴や湯気立ち上る冬の夜

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● 令和三年三月二十六日 金曜日  
○ 十二月日々折々 その四 師走
《今回の自選代表句と自句自解》

老夫婦師走のおやつに赤福餅 

 娘が伊勢詣から帰宅した翌日の15日にコロナの影響でGoToトラベルの全国一時停止。びっくり。
 いずれにしても、一泊二日の伊勢の旅から帰った娘が15日朝、土産を届けに立ち寄った。いくつものお土産をありがたく受け取った。その中の伊勢名物の赤福餅は、妻とおやつに食べた。数年振りにおいしく頂いた。

(十二月中旬 日常生活②)
十二月娘コロナ渦伊勢参り
十二月娘先取の伊勢詣で
十二月娘一泊二日旅
十二月娘旅終え無事帰宅
十二月娘立ち寄り旅話
十二月娘より受く旅土産
十二月娘より受く伊勢土産
十二月土産の御守娘より
十二月土産の焼塩娘より
十二月旅の土産に岩戸塩
㊟岩戸塩・・・伊勢市二見にある岩戸館で作られる海水から作られたミネラル豊富な塩です。
 岩戸の塩は海水のみを原料にし、他の塩やにがり、固結防止のための添加物は一切使用していない純国産自然海塩です。薪で焚いた釜に海水を注ぎ、水気を飛ばすという原始的で大変な作業の末、現れた塩の成分は、海水の含有量比とほぼ同じです。赤ん坊が母親のお腹の中で浮かんでいる羊水も、海水とよく似ています。
 「岩戸の塩」は、人が本来必要としている海の栄養分をたっぷり含んだ、体にやさしい塩です。天然にがりには豊富な海の気がそのまま含まれています。現代人に不足しがちなミネラルを豊富に含んでおり、しかもイオン化された状態ですので、大変吸収率が高く、効果的です。
 お風呂に入れたり、飲み物に数滴入れるなど、ご使用方法は様々です。(伊勢 菊一サイトより転載)
(追記)
岩戸の塩は、天照大御神の在らせられる伊勢神宮参拝の出発地(禊の町)とされる二見浦の海水をくみ上げて製造されています。
◎「岩戸塩について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百九)》
十二月土産のせんべい娘より
娘来て師走に頂く生せんべい
十二月「海女の祈り」を娘より
※「海女の祈り」・・・古より伊勢志摩の海女たちから語り継がれ、受け継がれてきたおまじないの印、「ドウマン・セイマン」を焼印した生せんべい。
 真珠の塩を練り込み、風味香る青さをのせ、小倉あんを優しく包み込んだお菓子です。(三重 伊勢志摩/鳥羽相差(おおさつ)味の宿みち潮サイトより転載)
十二月土産の赤福娘より
十二月土産の包みに伊勢名物
十二月土産の包みに赤福と
十二月土産の包みに虚子の句が
※虚子の句・・・旅は春 赤福餅の 前に立つ   虚子
老夫婦師走のおやつに赤福を 
老夫婦師走のおやつに赤福餅
㊟赤福餅・・・赤福餅(あかふくもち)は、三重県伊勢市の和菓子屋赤福の和菓子商品である。餅菓子であり、いわゆるあんころ餅の一種。餅を漉し餡でくるんだもので、漉し餡には三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされる。餅は傾けて持ち帰ると崩れることがあるほど非常にやわらかい[要出典]。
 「ええじゃないか」のテレビCMと「赤太郎」というキャラクターで知られ、中京・近畿圏のJR線主要駅や近鉄沿線の特急停車駅、サービスエリア、百貨店、空港売店などで、広範囲に発売されている(遠くは岡山県でも販売された)。この販売エリアは伊勢神宮の信仰が特に強い地域とほぼ等しいという説もある[要出典]。基本的に直営店と在庫を管理する営業所の近辺に限られる[要出典]。
 茶店風の本店が伊勢神宮内宮前のおかげ横丁にあり、そこでは例年、夏場に「赤福氷」という、抹茶氷に赤福餅を入れたもの、冬場は赤福の餅と餡を使った「ぜんざい」が供されている。この「赤福氷」と「赤福ぜんざい」は、本店の他に、伊勢志摩地区・名古屋地区・大阪地区の一部の直営店でも、季節限定品として供されている[要出典]。本店前には、山口誓子が早朝の様子を詠んだ句碑が置かれている[1]。
 来歴(編集)
 赤福の正確な創業年は不明だが、江戸時代初期には皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで既に「赤福」の屋号を持つ餅屋を営んでいたといわれる。1707年(宝永4年)執筆、1708年(宝永5年)刊行の市中軒の浮世草子『美景蒔絵松』に、伊勢古市の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出である。そのため、現在は1707年を赤福の創業年としている[3]。(中略)
 パッケージと製品表示【編集】
 商品包装紙の上面には伊勢神宮の神殿と内宮前の宇治橋が、底側には赤福にちなんだ俳句が記されている。子規と虚子の句と包装にあるが、正岡子規については出典不明であるという[13]。また箱の中には、「伊勢だより」というその日にちなんだ文章と絵の入った紙片が入っており、500種類ほどある[要出典]。(以下略)(Wikipediaより転載)株式会社赤福 三重県伊勢市宇治中之切町二六番地
◎「赤福餅について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百十)》
老夫婦師走のおやつに旨き餅

石焼き芋(令和3年3月23~24日掲載分)


◎ 石焼き芋(令和三年三月二十三~二十四日掲載分)
● 令和三年三月二十三日 火曜日  
○ 十二月日々折々 その一 石焼き芋
《今回の自選代表句と自句自解》

車より「石焼き芋」の声響く 

 石焼き芋を販売する車が、街の通りをゆっくりと走ってゆく。「石焼き芋~」の声を何度も響かせながら・・・。久し振りに懐かしい声を聞いた。冬の音景色だ。

(十二月上旬 日常生活①)
街に来る石焼き芋の販売車
販売車「石焼き芋」の声街に
車より「石焼き芋」の声響く 
次々と初旬に歳暮の宅配便
十二月初旬に身内と長電話し
十二月欠礼状の従弟とも
十二月諸行無常の時流れ

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● 令和三年三月二十四日 水曜日  
○ 十二月日々折々 その二 師走
《今回の自選代表句と自句自解》

師走かな電話の最後に「良い年を」

 令和二年の今年もあとわずか。お歳暮ほどのこの時期は、姉たちや身内と会ったり、電話したりする機会が多い。話の最後にはその都度、「良い年をお迎え下さい」と伝えている。

(十二月上旬 日常生活②)
冬の晴カプセル地球に無事帰還
冬の晴「はやぶさ」カプセル無事回収
㊟「はやぶさ」カプセル無事回収・・・はやぶさ2カプセルを回収 地球帰還、豪砂漠に着地 JAXA発表
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6日、小惑星リュウグウの石などが入っているとみられる探査機「はやぶさ2」のカプセルを、オーストラリア南部の砂漠で回収したと発表した。カプセルは中の気体を現地で採取する予定で、その後日本へ送られ、物質の有無を確認する。(中略)
はやぶさ2は5日午後にカプセルを分離。カプセルは日本時間6日午前2時半ごろに豪上空の大気圏に突入し、同午前4時47分に豪南部・ウーメラ近郊の砂漠に着地しているのが見つかった。  
 カプセルは、発見場所からヘリでウーメラの活動拠点へ運搬。まず洗浄し、カプセルの中の気体を採取する。リュウグウの物質由来のガスが入っている可能性があるためだ。カプセルは早ければ7日に豪州からチャーター機で出発し、8日に日本へ到着する。(12/6(日) 7:51配信 毎日新聞サイトより転載)
十二月晴れた日いつもの朝散歩
十二月元気な姉らと長電話
十二月電話の最後に「良い年を」
師走かな電話の最後に「良い年を」

勤労感謝の日(令和3年3月21~22日掲載分)


◎ 勤労感謝の日(令和三年三月二十一~二十二日掲載分)
● 令和三年三月二十一日 日曜日  
○ 十一月日々折々 その七十三 勤労感謝の日
《今回の自選代表句と自句自解》

長月に妻と静穏な三連休 

 冬晴れで暖かな十一月の三連休であった。コロナ禍ではあるが、妻とボージョレ・ヌーヴォを飲みながら静穏な日々が過ごせた。感謝。

(十一月下旬 日常生活①)
公園へ一人冬晴の朝散歩
公園の入口近くに山茶花が
青空を背にして欅の冬紅葉
※欅の冬紅葉・・・ケヤキ(欅)の木は、秋に美しく色鮮やかに紅葉します。「けや」は古語で「美しい」という意味です。「けやけしの木」が訛り「ケヤキの木」と呼ばれるようになりました。
 ご存知のように、紅葉は「もみじ」は赤色、「イチョウ」は黄色に色づきます。
 しかし、ケヤキは個体によって紅葉の色が「赤」「橙」「黄」と3種類存在し、ケヤキの並木通りでは、すべて同じ木であるのに木によって色が異なるという現象が起きます。(Woodyニュースより転載)
冬の晴ケヤキの紅葉青空に
冬の晴ケヤキの紅葉青に映え
冬の晴ケヤキの紅葉青に映ゆ
冬紅葉相乗効果の青と紅
公園のベンチを落葉独り占め
公園の隅に落葉の吹き溜まり
吹き溜まりの落葉を踏めば靴隠れ
吹き溜まり落葉を踏めば靴隠れ
11月22日に新ワイン
※いい夫婦の日・・・いい夫婦の日(いいふうふのひ)は、日本の記念日の1つ。毎年11月22日である。(Wikipediaより転載)
新ワイン十一月の記念日に
ボージョレを手にして勤労感謝の日
ボージョレを口にし勤労感謝の日
十一月三連休は静穏に
長月に妻と静穏な三連休 
長月に次々届く欠礼状

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● 令和三年三月二十二日 月曜日  
○ 十一月日々折々 その七十四 枇杷の花
《今回の自選代表句と自句自解》

霜月に半影月食・満月を 

 今日11月30日。18時4 3分前後に満月(ビーバームーン)と地球の半影に月が隠される現象の半影月食(はんえいげっしょく)を同時に妻と共に楽しんだ。

(十一月下旬 日常生活②)
眠れぬ夜見上げる空に冬の星
眠れぬ夜見上げる空に冬の月
坂川に帯なし流れる散紅葉
※坂川・・・坂川(さかがわ)は、千葉県を流れる江戸川水系の河川。北千葉導水路の一部としても使われている。流山市と松戸市、市川市の三市を流れ、江戸川にそそぐ。(Wikipediaより転載)
坂川に紅・黄の落葉流れゆく
坂川に紅・黄の落葉帯なして
川沿いの小道の路傍に枇杷の花
乾燥中音立て降り出す冬の雨
乾燥季小躍りして降る冬の雨
雨降りて舞い散る紅葉ハラハラと
雨に散る冬の紅葉の鮮やかさ
コロナ禍で冬の満月楽しめり
コロナ禍や冬の満月楽しめり
※冬の満月・・・今日は満月 ビーバームーン 夕方には半影月食も
 11月は30日(月)18時30分頃に満月を迎え、さらに「半影月食」が起こります。
 11月の満月、英語で“Beaver Moon”
 アメリカの先住民は季節を把握するために、各月に見られる満月に名前をつけていました。 11月の満月は“Beaver Moon(ビーバー月)”と呼ばれることがあります。 11月は、ネイティブアメリカンがビーバーを捕まえるワナを仕掛ける時期という説と、ビーバーが冬の為のダム作りを始める時期という2つの説からビーバームーンと名づけられたといわれています。
 地球の半影に隠れる「半影月食」
 さらに今回、満月の瞬間を挟む時間帯には「半影月食(はんえいげっしょく)」が起こります。 半影月食とは、月面から見て部分日食が起こっている状態です。(ウェザーニュースより転載)
霜月にビーバームーンを楽しめり
霜月にフロストムーンを楽しめり
※フロストムーン・・・11月の満月は、フロストムーンと呼ばれます。霜(frost)が降り始める時期であることから、その名が付けられたと言われていますが、日本の「霜月」にも通じるものがある呼び名です。一方で、冬に着るビーバーの毛皮を確保するため、沼地が凍る前のこの時期に罠を仕掛けることから、「ビーバームーン」という名前も浸透しています。(ヴァンサンカンより転載)
霜月に半影月食楽しめり
満月と半影月食霜月に
霜月に半影月食・満月を

冬の暮(令和3年3月19~20日掲載分)


◎ 冬の暮(令和三年三月十九~二十日掲載分)
● 令和三年三月十九日 金曜日  
○ 十一月日々折々 その七十一 冬の暮
《今回の自選代表二句と自句自解》

常磐線ビルの灯点る冬の暮 

 十一月中旬の国分寺の旅。国分寺散策を終えて、中央線の国分寺駅から帰路に就いた。帰りの常磐線の電車の車窓からの冬景色を楽しむ。ビルや住宅の窓に次々と灯が点る。冬の暮れらしい光景である。

冬の旅終えて心に充実感 

 十一月中旬の国分寺の旅。国分寺散策を終えて、中央線の国分寺駅から帰路に就いた。そして、午後五時に無事帰宅した。心には満足感と充実感がみなぎっていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十五)
冬落暉市街のビル影黒黒と
冬の旅新松戸駅で乗り換えて
冬の旅新松戸にて常磐線
常磐線ビルの灯点る冬の暮 
冬の旅新松戸より松戸駅
冬の旅終え午後五時に無事帰宅
ふたりして堪能冬の紅葉狩
ふたりとも満足の冬の紅葉狩
国分寺の歴史・文学の旅終える
国分寺の歴史・文学の旅終えし
冬の午後歴史浪漫の旅無事に
冬の日に時空散歩を楽しめり
魅力ある国分寺の旅冬に終え
魅力ある国分寺の旅冬に終ふ
冬の宵見応えのある旅終える
二人して二万五千歩の冬の旅
冬うらら一日がかりの旅無事に
冬うらら一日がかりの旅終わる
冬うらら一日がかりの旅終へし
冬の旅終えて心に充実感 

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● 令和三年三月二十日 土曜日  
○ 十一月日々折々 その七十二 小春日和
《今回の自選代表二句と自句自解》

あら嬉し今日は小春日和かな 

 十一月中旬。ここ数日連日の冬日和。特に今日は、小春日和。十月の気温という。天気も良く風もない穏やかな一日であった。嬉しい限りだ。

冬の月木星土星に大接近

 十一月十九日(木)の宵、南西の低空の細い月の少し斜め上にはっきりとした木星が、さらにその上にかなり小さく土星が見えた。妻としばらく外で月と惑星の天体ショウを楽しんだ。

(十一月中旬 日常生活)
あら嬉しい連日続く冬日和
※冬日和・・・穏やかに晴れた冬の日。冬晴れ。《季 冬》(デジタル大辞泉より転載)
あら嬉し連日続く冬日和
あら嬉し今日は小春日和かな 
冬うららRCEP(アールセップ)に国合意
㊟RCEP(アールセップ)・・・東アジア地域包括的経済連携(ひがしアジアちいきほうかつてきけいざいれんけい、英語: Regional Comprehensive Economic Partnership; RCEP、アールセップ、域内包括的経済連携)とは、ASEAN加盟10カ国(ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)と、そのFTAパートナー5カ国(オーストラリア、中国、日本、ニュージーランド、韓国)の間で提案されている、アジア太平洋地域の自由貿易協定であり、世界の人口の3割、世界のGDPの3割を占める15カ国が交渉に参加している。交渉国15カ国は世界の人口の30%、GDPの30%弱を占めている[1]。2020年11月15日に署名された[2]。(Wikipediaより転載)
◎「RCEP(アールセップ)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百五)》
エジプトで木棺発見長月に
※エジプトで木棺発見・・・エジプト「今年最大の発見」 ミイラ包む木棺100基 2500年前、富裕層か
 エジプト北部サッカラで発見された約2500年前の木棺。ふたを開かれた木棺の中には、ミイラを守る色鮮やかな内側のひつぎがあった。
 地元エジプトの発掘調査団が深さ約12メートルの縦穴3本を見つけ、中から大量の木棺と神々の木像などを発見した。記者会見場で木棺1基を開き、ミイラを包む色鮮やかな内側のひつぎが披露された。X線を当て、40代の男性と推定されることも示された。(2020年11月15日毎日新聞より転載)
十一月打ち上げ成功宇宙船
※打ち上げ成功宇宙船・・・野口聡一さん搭乗の米民間宇宙船1号機 打ち上げ成功
 企業が開発した民間の宇宙船としては世界で初めて運用段階に入る、「クルードラゴン」の1号機が、日本人宇宙飛行士の野口聡一さんら4人を乗せて、フロリダ州から日本時間の午前9時27分に打ち上げられ、宇宙船は予定した軌道で分離されて、打ち上げは成功しました。宇宙船はこのあと日本時間の17日午後1時ごろに国際宇宙ステーションにドッキングする計画で、宇宙の商業利用が本格化する時代の始まりとして注目されています。(2020年11月16日 NHK NEWS WEBより転載)
◎「打ち上げ成功宇宙船について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 八百六)》
十一月野口搭乗宇宙船
十一月「クールドラゴン」宇宙へと
十一月三度宇宙へ野口さん
今年またボージョレ・ヌーヴォ買う初冬
㊟ボージョレ・ヌーヴォ・・・
 ボージョレ・ヌーヴォとは?
 ボージョレ・ヌーヴォとは、フランス南部ブルゴーニュ地方のボージョレ地区で、その年に収穫された「ガメイ種」というぶどうから造られる新酒のことです。
 「ヌーヴォ」は、フランス語で「新しい」という意味です。また、ボージョレ・ヌーヴォはこの地方の秋の収穫を祝って行われる祭りで捧げられたのがはじまりと言われています。
 ボージョレ・ヌーヴォの解禁日とは?
 ボージョレ・ヌーヴォの解禁日は、毎年11月の第3木曜日午前0時と定められています。今年2020年は11月19日(木)となります。また、日本では、日付変更線の関係上、本場フランスよりも約8時間早く楽しむことができます。
(ASAHI WINE..comより転載)
◎「ボージョレ・ヌーヴォついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百七)》
初冬の夜土産を摘みにボージョレを
初冬の夜妻とワインの新酒飲む
冬の宵南西の低き空に月 
公園の木のすぐ上に冬の月
南西の低空に冬の月と木星
冬の宵木星の上に金星が
冬の月木星土星に接近す
冬の月惑星に大接近
冬の月木星土星に大接近
㊟月木星土星に大接近・・・月が木星、土星に接近(2020年11月)
 宵の南西の空に注目!
 日の入りから1時間ほどたち、辺りが暗くなってきた頃、南西の低空では木星と土星が互いに寄り添うように輝いています。
11月19日には、これら2つの惑星の近くに上弦まであと3日の細い月が見えます。惑星と月との共演は、月が細いほど惑星の明るさが際立ち、とても美しい眺めになります。 木星と土星は、これから12月下旬にかけてさらに近づいていきます。12月中旬に月が再び近くに戻ってくる頃には、2つの惑星は、満月の見かけの直径分(約30分角)にまで近づいているでしょう。(国立天文台ニュースより転載)
◎「月が木星土星に大接近について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百八)》
冬の宵月と惑星の天体ショウ
冬の宵妻と楽しむ天体ショウ

冬夕焼(令和3年3月17~18日掲載分)


◎ 冬夕焼(令和三年三月十七~十八日掲載分)
● 令和三年三月十七日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その六十九 冬夕焼
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅車窓の鉄塔夕映ゆる 

 十一月中旬の国分寺の旅。散策した各場所の紅葉(黄葉)狩りだけでなく、歴史的建造物や遺跡も観てきた。悠久の歴史ロマンも楽しめた。ある意味贅沢な旅であった。
 国分寺散策を終えて、中央線の国分寺駅から帰路に就いた。帰りの電車の車窓からの冬景色を楽しむ。夕映えに送電線の鉄塔が、暗くその鉄塔の形状をシルエットのように表現していた。印象的であった。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十三)
冬の旅駅南口より構内へ
冬の旅国分寺より中央線
冬の旅西国分寺へ電車乗り
冬の旅西国分寺で乗り換えて
冬の旅西国分寺で武蔵野線
冬もみじ愛でつつ電車で家路就く
武蔵野線車窓に流れる枯芒
金色に西空染める冬の夕
金色に西空染める冬夕べ
金色に西空染める冬夕焼
冬夕焼国分寺の空金色に
冬の旅車窓の西空夕映ゆる
冬の旅車窓の鉄塔夕映ゆる 

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● 令和三年三月十八日 木曜日  
○ 十一月日々折々 その七十 暖房
《今回の自選代表句と自句自解》

武蔵野線冬の落日まぶしくて 

 十一月中旬の国分寺の旅。国分寺散策を終えて、中央線の国分寺駅から帰路に就いた。帰りの武蔵野線の電車の車窓からの冬景色を楽しむ。大分日が落ちてきて、沈む前の神々しいオレンジの光が金色に・・・。車窓に入る落日の光が眩しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十四)
武蔵野線森も林も冬もみじ
武蔵野線桜並木も冬紅葉
武蔵野線並木道もまた冬もみじ
武蔵野線車窓を流れる冬もみじ
武蔵野線次第に客込む冬の夕
武蔵野線学生増えゆく冬夕べ
暖房の電車に増えゆく学生さん
冬の日にビル窓映える夕べかな
落ちる日にビル窓燃ゆる冬落暉 
武蔵野線冬の落日まぶしくて 
市街地がどっぷり暮れゆく冬夕べ

短日(令和3年3月15~16日掲載分)


◎ 短日(令和三年三月十五~十六日掲載分)
● 令和三年三月十五日 月曜日  
○ 十一月日々折々 その六十七 十一月
《今回の自選代表句と自句自解》

冬もみじ腹いっぱいに我堪能 

 十一月中旬の国分寺の旅。殿ヶ谷戸庭園を散策する。好評得ている紅葉亭からの景色を楽しむ庭園の木々の紅や黄色の冬もみじも良いが、眼下に見える次郎弁天池の紅や黄色の冬もみじも良いものだ。
 そういえば、今日は朝から終日それぞれの観光地で紅葉(黄葉)狩りを堪能した。もうお腹いっぱいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十一)
冬の晴眼下に次郎弁天池
※次郎弁天池・・・次郎弁天池は、園内に湧き出ているハケの湧水を堰き止めて造られている。
庭園の紅葉亭より冬紅葉
冬もみじ腹いっぱいに堪能し
冬もみじ腹いっぱいに我堪能 
堪能し大満足の冬紅葉
冬日浴ぶ茶屋すぐ脇に鹿おどし
庭園の鹿おどし脇に石蕗の花
庭園に鹿おどしの音響きゆく
冬の庭旧岩崎家別邸が
十一月旅の最後は別邸に
冬旅に展示室内鑑賞す
※本館展示室・・・殿ヶ谷戸庭園に関する様々な資料を展示・公開している建物。昭和9年に建築されたこの建物こそが、そもそも岩崎家の別邸として使用されていたものである。
冬紅葉鑑賞終えて向かう駅
駅チカのもみじ名所は冬モミジ
国分寺通りを行く人皆マスク

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● 令和三年三月十六日 火曜日  
○ 十一月日々折々 その六十八 短日
《今回の自選代表句と自句自解》

悠久の歴史ロマンを冬旅に 

 十一月中旬の国分寺の旅。散策した各場所の紅葉(黄葉)狩りだけでなく、歴史的建造物や遺跡も観てきた。悠久の歴史ロマンも楽しめた。ある意味贅沢な旅であった。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十二)
冬の旅歩いて多喜窪通り行く
㊟多喜窪通り(たきくぼどおり)・・・東京都府中市武蔵台▽から国分寺市南町までの道路の呼び名。都が定める通称道路名のひとつ。(デジタル大辞泉プラスより転載)
冬の旅妻とお洒落な街なかを
駅前の「かがやき」像に冬陽射
冬の旅前に国分寺駅ビルが
冬の旅国分寺駅に午後三時
㊟国分寺駅・・・国分寺駅(こくぶんじえき)は、東京都国分寺市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西武鉄道の駅である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
短日の雰囲気感じる午後三時
歴史ある国分寺の街冬もみじ
国分寺どこもかしこも冬もみじ
日本史の流れ体験冬の旅
日本史の流れ体験冬の日に
冬旅に歴史と文化の国分寺
日本史の全時代観た冬の旅
日本史の全時代観し冬の旅
悠久の歴史ロマンを冬旅に 
悠久の歴史ロマンや冬の旅
冬の旅歴史ロマンの街を去る

冬の庭 (令和3年3月13~14日掲載分)


◎ 冬の庭 (令和三年三月十三~十四日掲載分)
● 令和三年三月十三日 土曜日  
○ 十一月日々折々 その六十五 冬の庭
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺目の前広がる冬の庭 

 十一月中旬の国分寺の旅。野川の不動橋から国分寺駅方向へ歩いた。駅の近くに目的地の殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)があった。駅前にあって森林のこんもり感が何とも言えない魅力だ。
 早速、殿ヶ谷戸庭園に入園する。順路通りに歩を進める。まず目に入るのは、広場からの紅や黄色の冬もみじ。実にきれいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十九)
冬の旅近代の崖の庭園に
冬の旅園のサービスセンターへ
冬旅に立ち寄る園の売札所
冬の旅受付済ませ園内へ
冬旅に近代の庭散策す 
国分寺目の前広がる冬の庭 
庭園の萩のトンネル冬黄葉
冬の旅起伏にとんだ花木園
冬の旅起伏にとんだ園内を
冬晴の崖地を下り竹林へ
冬の旅小径脇に竹林が

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● 令和三年三月十四日 日曜日  
○ 十一月日々折々 その六十六 マスク
《今回の自選代表句と自句自解》

高台の紅葉亭より冬の池 

 十一月中旬の国分寺の旅。殿ヶ谷戸庭園を散策する。好評得ている紅葉亭からの景色を楽しむ庭園の木々の紅や黄色の冬もみじも良いが、眼下に見える次郎弁天池の紅や黄色の冬もみじも良いものだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その六十)
冬の旅孟宗竹の小径ゆく
冬の旅階段登り観音に
冬の旅坂上に馬頭観音が
冬の旅来た道下り湧水が
冬の旅前に東京の名湧水
庭園の湧水源に石蕗の花
冬の晴目の前に次郎弁天池
㊟次郎弁天池・・・この池は、国分寺崖線から湧き出る清水(通称ハケの水)を集めてできた水たまりを別荘造成時に形のよい池として造られました。
 また、この池の水源である湧水は、古くから「次郎弁天の清水」として信仰された名水であり、野川に注いています。ただ残念なの事に、今持って、この池の名前を由来、弁天様の奉られてあった場所等不明です。(殿ヶ谷戸庭園:次郎弁天池の説明板より)
◎「次郎弁天池について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百三)》
次郎弁天池の背に冬紅葉
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・冬(新年)の写真」の「国分寺散策」(十一月中旬)に「殿ヶ谷戸庭園の次郎弁天池の冬紅葉(東京都国分寺市南町)」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
池そばのイロハモミジは冬紅葉
冬の旅階段登り紅葉亭
冬の晴観光客込む紅葉亭
紅葉亭観光客ら皆マスク
冬の晴紅葉亭より池望む
㊟紅葉亭(こうようてい)・・・数寄屋作り風の茶室。
紅葉亭から見下ろす紅葉と池の眺めは絶景
国分寺崖線の段丘崖にできた谷を巧みに利用した回遊式林泉庭園。崖の上の明るい芝生地から竹林、崖下の湧水池、樹林で雰囲気が一変する造園手法が見どころの一つだ。200本ほど植えられたイロハモミジが11月中旬から12月上旬に見頃となり、紅葉亭から見下ろす紅葉と池の眺めは絶景。美しい庭園で武蔵野の自然を楽しむことができる。(紅葉名所2020サイトより転載)
◎「紅葉亭について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百四)》
高台の紅葉亭より冬の池

冬の川 (令和3年3月11~12日掲載分)


◎ 冬の川 (令和三年三月十一~十二日掲載分)
● 令和三年三月十一日 木曜日  
○ 十一月日々折々 その六十三 冬の川
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅路傍に不動明王が 

 十一月中旬の国分寺の旅。見たかった国指定史跡の道路遺跡・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)を見学した後、南下して現国分寺付近から、またお鷹の道を国分寺駅方面へと向かって歩いた。途中、真福寺(しんぷくじ)児童遊園地を通過して、野川の不動橋を渡り、石橋供養塔と庚申塚と不動明王碑のある場所まで来た。
 特にこの不動明王碑は、村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐ意味のためと伝えられており、今でも花や絵馬が飾られて信仰の対象になっているという。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十七)
冬の旅ようやく野川にたどり着く
㊟野川・・・野川(のがわ)は、東京都を流れる多摩川水系多摩川支流の一級河川。
 地理【編集】
 国分寺市東恋ヶ窪一丁目の日立製作所中央研究所敷地内の湧水が源とされ、近接する市道の休憩所には案内板が設置されている。年2回の一般公開や地元小学校の見学などが行われている。 南下して西武国分寺線・JR中央本線の盛土を抜け、住宅地を抜けて東へ向きを変え、国分寺街道の不動橋で真姿の池湧水群からの湧き水を合わせる。 鞍尾根橋で、東京経済大学国分寺キャンパスの新次郎池からの湧水が合流するとともに国分寺市から小金井市へ入り、河川管理境界も東京都北多摩南部建設事務所へと移る。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「野川ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百)》
※「国分寺街道の不動橋で真姿の池湧水群からの湧き水を合わせる。」・・・湧水
 ハケ上の台地に降った雨は水を通しやすい火山灰層(関東ローム層)を通り、下の砂利層(礫層)にたまります。その下には水を通しにくい地層があるため、たまった地下水は砂利層を横に流れ、崖線のすそからしみ出してきます。これが湧水です。野川の両岸では旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く発掘されています。野川は古代から豊かな実りをもたらす大切な川であったのだとされています。(説明板より転載)
眼下には野川という名の冬の川
冬の旅一里塚橋右に見て
(注1)野川源流の一つ、元町用水(国分寺崖線とハケの水)
 野川の水源・源流は、日立中央研究所大池と言うのが本筋だが、それと並んで、と言うかそれ以上に味わい深い源流が、国分寺駅からもそう遠くない所に湧き出している。真姿の池湧水群、或いは国分寺境内周辺からの湧水がそれ。その湧水を集めて野川に注ぐのが元町用水である。
 その流れの、主に上流部は「お鷹の道」として雰囲気のいい散策路に整備されている。「お鷹の道」名前の由来は、この湧水群の清流沿いが、かつて江戸時代尾張徳川家のお鷹場として指定されていたことによるとのこと。
日立中央研究所大池からの水と、元町用水の合流点が国分寺駅から南、400㍍ほどの国分寺街道一里塚交差点脇に有る。ここで二つの流れが合流し、野川となって国分寺崖線沿いを流れ、さらに途中で幾つかのハケ下湧水を集めて流れる。
(注2)国分寺街道の一里塚交差点脇で野川と元町用水が合流する。(以上、武蔵野と水辺サイトより転載)
冬の旅歩いて程なく不動橋
㊟不動橋・・・国分寺といえば野川が有名ですが、国分寺街道沿いの野川本流と元町用水が合流する場所に木製の橋が架かっています。この橋は不動橋と名付けられており、現在でも多くの人々が利用する大切な場所として守られています。実はこの不動橋、以前は木製ではなく石橋だったのです。そのため、橋の北側には石橋供養塔、庚申塔、不動明王碑が橋の北側にあるのです。(国分寺物語より転載)
冬の旅不動橋前に公園が
※不動橋前の公園・・・不動橋ポケットパーク
冬の旅ポケットパークでひと休み
ベンチより愛でる野川の冬紅葉
ベンチより楽しむ野川の冬紅葉
旅先の橋の上より冬紅葉
冬の旅眼下に清き川流れ
冬の旅不動橋を今渡り越す
冬の旅不動橋傍に記念碑が
※不動橋傍に記念碑・・・田用水堰記念碑。
冬旅に元町用水合流地
※元町用水・・・武蔵国分寺付近の崖線から流れ出る湧水を集めて流れる小河川で、またの名を清水川という。湧水からの流れは、国分寺と湧水園の間に流れ出てくる。元町用水は、一里塚橋の上流で野川に合流する。距離としては1kmほどと短い。
用水の水辺の桜冬紅葉
一里塚橋近き桜冬紅葉
冬の旅清き野川を渡りゆく
橋の上見れば野川に散り紅葉
冬の旅橋を渡って野川越す
冬の旅妻と不動橋北側へ
冬の旅隣に野川の庚申塚
冬の旅路傍に不動明王が 
冬の旅路傍に石橋供養塔
冬日浴ぶ松の木挟んで供養塔
※野川の石橋供養塔と庚申塚と不動明王碑・・・不動橋の北側の路側に、石橋供養塔と隣に庚申塔と不動明王碑があります。
不動橋の北側に位置し、庚申塔は延享(1745年)に国分寺村の人々が建て、隣に天保3年(1832年)の記念銘のある石橋供養塔と、 建立年月日不明の不動明王碑があります。
 石橋供養塔は、常に人に踏まれている石橋を供養する意味と、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込むのを防ぐ意味があると伝えられています。
 不動明王碑は、村内に疫病や災厄が入り込むのを防ぐ意味のためと伝えられており、小さな石碑ですが、今でも花や絵馬が飾られており、信仰の対象にもなっています。所在地 国分寺市南町3-1(国分寺市役所HPより転載)
◎「野川の石橋供養塔と庚申塚と不動明王碑について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百一)》
冬の旅江戸の世の塔に手を合わす
冬の旅先人想い手を合わす
路傍にて祈念の合掌冬旅に

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● 令和三年三月十二日 金曜日  
○ 十一月日々折々 その六十四 冬着
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅前に殿ヶ谷戸庭園が 

 十一月中旬の国分寺の旅。野川の不動橋から国分寺駅方向へ歩いた。駅の近くに目的地の殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)があった。駅前にあって森林のこんもり感が何とも言えない魅力だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十八)
国分寺街道歩く冬の旅
㊟国分寺街道・・・東京都にある道路の呼び名。小平市上水南町からJR東日本、国分寺駅付近を通り、府中市府中町に至る区間。都が定める通称道路名のひとつ。(デジタル大泉プラスより転載)
冬の旅近くにバスの停留所
冬の旅バス停の名は一里塚
冬の旅車行き交う街道を
国分寺街道をゆく冬の旅
冬の晴の街道左折し庭園へ
冬の旅ゆるゆる坂道上り行く
冬の旅ゆるゆる坂道北上す
冬の旅ゆるゆる登り坂上に
冬の旅右手に児童遊園地
道路上擦れ違う人皆冬着
冬の旅歩いて多喜窪通りへと
坂上り多喜窪通りへ冬の旅
冬の旅通りを右折し庭園へ
冬の旅通りに沿いて庭園が
冬の旅やっと庭園正面に
冬の旅通りの脇に入口が
冬の旅園の中門潜りゆく
冬の旅前に殿ヶ谷戸庭園が 
㊟殿ヶ谷戸庭園・・・殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園である。
園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっている。国の名勝に指定されている。
 概要【編集】
 所在地:東京都国分寺市南町2-16
 主な施設:庭園、集会場(紅葉亭)
 沿革【編集】
 1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した。昭和40年代に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして1974年(昭和49年)東京都が買収、公園として整備の後に1979年(昭和54年)4月より有料庭園として公開した。
 園内【編集】
 国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた、回遊式林泉庭園である。様々な木々が植えられており、園内には池や周遊順路が存在し、カメラマンや地元住民、近隣で働く人間の憩いの場として利用される。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
(追記)
この庭園はかつて三菱財閥の岩崎家が、湯島の本邸や駒込の六義園、深川の清澄庭園などと共に東京に所有していた庭園のひとつで、昭和初期に別邸として使用されていたものです。
◎「殿ヶ谷戸庭園ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その八百二)》

帰り花(令和3年3月9~10日掲載分)


◎ 帰り花(令和三年三月九~十日掲載分)
● 令和三年三月九日 火曜日  
○ 十一月日々折々 その六十一 冬木
《今回の自選代表句と自句自解》

冬旅に鎌倉時代の武蔵路 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立多摩図書館付近の出口より都立国分寺公園公園から退出する。そして、見たかった国指定史跡の道路遺跡・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)を見学した。野外展示それている切り通しの部分の遺構平面レプリカを鑑賞した。さらに、この先の約三百メートルを歩道形式の道路跡も鎌倉時代を想起しながら歩いた。感慨深いものがある。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十五)
冬旅に見る武蔵路案内板
冬旅に鎌倉時代の武蔵路 
冬の旅歩く中世の武蔵路
冬の旅武蔵路跡を真っ直ぐに
冬の旅しばらく道を南下して
冬の旅多喜窪通り横断す
冬の旅今第四小前通過
※第四小・・・ここでは、国分寺市立第四小学校のこと。
冬の旅白鳥幼稚園前を
幼稚園冬木の傍ゆく園児たち
冬の旅ゆるゆる坂道下り行く
冬の旅左折しお鷹の道歩く
老夫婦石蕗咲くお鷹の道歩く

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● 令和三年三月十日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その六十二 帰り花
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬日和遊園地内に親子連れ 
冬うらら平和を感じる遊園地 

 十一月中旬の国分寺の旅。見たかった国指定史跡の道路遺跡・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)を見学した後、南下して現国分寺付近から、またお鷹の道を国分寺駅方面へと向かって歩いた。途中、真福寺(しんぷくじ)児童遊園地で五六組の親子連れを見かけた。ここでもまた、長閑な平和を感じた。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十六)
冬旅に行くお鷹の道遊歩道
冬の旅せせらぎ耳に道歩く
冬の旅路傍に児童遊園地
冬旅に真福寺児童遊園地
冬旅に俗称「三角遊園地」に
冬日和遊園地内に親子連れ 
冬の午後遊園地内に親子連れ 
冬うらら平和を感じる遊園地 
冬の旅歩く小道はくねくねと
冬の旅くねくね道を北東に
くねくね道こんなところに帰り花

冬の池(令和3年3月7~8日掲載分)


◎ 冬の池(令和三年三月七~八日掲載分)
● 令和三年三月七日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その五十九 冬の池
《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴れの「武蔵の池」の背に紅葉 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立国分寺公園の泉地区の北側エリアに入った。「武蔵の池」のバックに冬紅葉。冬晴れの青空に紅葉が映えて見える。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十三)
冬の旅ベンチに座り池眺め
ベンチより座して眺める冬の池
冬の旅ベンチに座して池鑑賞 
冬日和ベンチに座して池鑑賞
冬の旅「扇の瀧」を前にして
公園の「扇の瀧」より冬の水
冬の晴ベンチに座して滝鑑賞
眼の前に白じらと落ちる冬の滝
眼前に白白と落つ冬の滝
冬の旅雑木林が池の背に
冬の晴「武蔵の池」の背に紅葉
冬晴れの「武蔵の池」の背に紅葉 
冬の旅ベンチに座りひと休み
妻と共円形広場を冬日浴び
冬の旅円形広場を散策す
公園の木々のあちこち冬紅葉
冬日浴び歩く広場の散策路
冬の旅芝生広場の散策路
冬の旅妻と「ぎんなん通り」行く
※「ぎんなん通り」・・・一周五百メートルの通り。
公園のイチョウ並木は冬黄葉
公園のイチョウ並木の冬黄葉

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● 令和三年三月八日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その六十 冬暖か
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の晴道路遺跡に我感銘 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立多摩図書館付近の出口より都立国分寺公園公園から退出する。そして、見たかった国指定史跡の道路遺跡・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)を見学した。野外展示それている切り通しの部分の遺構平面レプリカを鑑賞した。感銘を受けた。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十四)
冬の旅休憩所近き出口へと
冬の旅北西口より退園す
冬の旅園を後にし泉町へ
冬の旅都立多摩図書館前に
冬の旅図書館員に道尋ね
冬の旅図書館員に場所尋ね
冬の旅案内受けて遺跡へと
旅先で受ける温情冬暖か
冬の旅妻と泉町二丁目に
冬の旅すぐ近くには武蔵路
※武蔵路・・・ここでは、東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)のこと。
㊟武蔵路・・・東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)【国指定史跡】
 東山道は都と各国府を結ぶ古代交通路である七道の1つで、武蔵路は武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)で、古代道路跡として学術上価値が高いものです。
 泉町二丁目の西国分寺住宅の東側にある東山道武蔵路跡は古代の道路遺構です。
 東山道武蔵路は上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)です。発掘調査の結果、幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認されました。そこで計画が変更され、地下遺構を保存して、現在の道路が築造されました。
 現在、その道路跡の約300メートルを歩道形式で保存しています。また、谷部へ下る切り通しの部分の遺構平面レプリカを野外展示しています。所在地 国分寺市泉町2-10ほか(国分寺市役所HPより転載)
◎「東山道武蔵路跡ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十九)》
武蔵路の道路遺跡や冬の旅
冬旅の道路遺跡に興奮す
冬の旅道路遺跡に我感銘 
冬の晴道路遺跡に我感銘 
冬の旅遺跡鑑賞終え歩く
冬の旅歩く路傍に案内板
冬の旅傍に高層住宅地

銀杏枯る(令和3年3月5~6日掲載分)


◎ 銀杏枯る(令和三年三月五~六日掲載分)
● 令和三年三月五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その五十七 銀杏枯る
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の広場の井戸に射す冬日 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立国分寺公園の西元地区の南エリアに入る。野鳥の森を抜けて、「こもれびの広場」へ。広場には、災害用井戸があった。丁度井戸に冬の日が差し込んでいた。開けた場所にあり明るい雰囲気の井戸である。ここは、きっと良い避難場所になることであろう。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十一)
冬の旅広場に木々があちこちに
公園の広場の井戸に冬陽射
公園の広場の井戸に射す冬日 
災害用井戸冬日浴び
園内に立つイチョウの樹冬黄葉
旅先の園内に立つ銀杏枯る
冬の旅「こもれびの広場」より
冬の旅北西口より通りへと
冬の旅南側より北側へ
冬の旅妻と多喜窪通り行く
冬の旅「ふれあい橋」の下潜る
冬の旅北側エリアの入口へ

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● 令和三年三月六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その五十八 冬の色
《今回の自選代表句と自句自解》

歩き行く藤の回廊冬黄葉 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立国分寺公園の西元地区の南エリアから、「ふれあい橋」を渡り、泉地区の北側エリアに入った。「武蔵の池」傍の「藤の回廊」の藤の葉は黄色に色付いていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十二)
公園の入口付近冬もみじ
冬の旅北側エリア入口に
冬の旅北側エリアに入園す
※北側エリア・・・大きな池がある北側のエリアに来た。敷地108,000平方メートル余りのこの公園は、元は旧国鉄の中央鉄道学園の跡地を利用したもの。
冬の旅妻と入園泉地区
国分寺公園入口冬もみじ
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の『「続・冬(新年)の写真」の「国分寺散策」(十一月中旬)』に『東京都立武蔵国分寺公園の冬もみじ(東京都国分寺市西元町)』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
公園のイチョウ見事な冬黄葉
園内に見事な銀杏の冬黄葉 
冬の旅学園跡地の記念碑が
※学園跡地の記念碑
 武蔵の池の東側にある鉄道学園跡地を示す記念碑
 車輪模った中央鉄道学園記念碑
 国分寺中央鉄道学園:  明治42年(1909)、鉄道院初代総裁の後藤新平によって各鉄道管理局 (東部・中部・西部・九州・北海道) ごとに鉄道院職員地方教習所が、東京には鉄道院職員中央教習所が設置されたのが始まり。
 東海道新幹線の開業した昭和39年(1964)以降から赤字が続き、 昭和62年(1987)に国鉄が分割民営化される際に、国鉄の債務額の37兆円を返済する目的で敷地は売却され閉鎖された。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「国分寺中央鉄道学園跡地について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十八)》
冬の旅池の東に記念碑が
武蔵路の歴史を訪ねる冬の旅
歩き行く「藤の回廊」冬黄葉 
行く道の右も左も冬の色
冬の旅妻と「武蔵の池」に着く

落葉(令和3年3月3~4日掲載分)


◎ 落葉(令和三年三月三~四日掲載分)
● 令和三年三月三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その五十五 落葉
《今回の自選代表句と自句自解》

伽藍地の溝跡に枯葉点々と 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)を後にして、階段を登って国分寺崖線(ハケ)の上に出た。上に伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡があった。その伽藍地の溝跡には枯葉が点在していた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十九)
冬の旅朱の橋渡り祠へと
冬の旅祠に真姿弁財天
㊟真姿弁財天(ますがたべんざいてん)・・・真姿弁財天社は武蔵国分寺の旧境内地にあたり、環境省(庁)の名水百選、都名湧水57選に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」に隣接して建つ祠で、弁財天を安置します。池にまつわる伝説は国分寺の医王山縁起に嘉祥元(848)年における玉造小町のものが伝承されます。社殿は『新編武蔵風土記稿』にも記載され、弁財天開帳の記録は安政5(1858)年の記録が残り、明治14(1881)年には芝居興行も開帳に併せて行われ(『国分寺史料集Ⅲ』)、社殿内には弘化2(1845)年と安政5年の銘を持つ鰐口が現存します。
 社殿は池の中島に築かれ東面します。建物は切妻切妻入、東入の形式です。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
◎「真姿弁財天について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十六)》
冬の旅池傍らから湧く清水
冬の旅池傍らから湧水が
ハケ崖の階段登り冬の旅
冬の旅階段登り崖上へ
冬の旅階段登りハケ上に
冬の旅北辺の区画溝跡へ
冬の旅次は寺院の伽藍地へ
※寺院の伽藍地・・・伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡。所在地 東京都国分寺市西元町1丁目1−32(国分寺ゼルクハウス前)
伽藍地の溝跡に落葉点在す
伽藍地の溝跡に枯葉点々と 
溝跡の周囲の林冬紅葉
伽藍地の周囲の林冬紅葉
冬の旅往時の面影今はなく

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● 令和三年三月四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その五十六 冬枯れ
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の野鳥の森は冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。伽藍地(寺院地)北辺の区画溝跡の近くから、都立国分寺公園の中に入った。西元地区の南エリアに入るとそこは野鳥の森。紅や黄色の木の葉を愛でながら森の中を歩く。雰囲気がいい。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十)
冬の旅続いて都立公園へ
冬旅に都立国分寺公園に
㊟都立国分寺公園・・・旧国鉄・鉄道学園跡地につくられた、1周約500メートルの園路に囲まれた円形の芝生広場が特徴の都立公園です。園内には、桜や藤などの様々な樹木や花があり、滝や池、噴水などの水辺もあります。解放感のある広い芝生は家族連れの憩いの場として人気です。
 蒸気機関車の車輪を使ったユニークな中央鉄道学園記念碑もあります。毎年行われる「国分寺まつり」の会場となります。南面は、真姿の池湧水群や国分寺などの名所と接します。(国分寺市役所HPより転載)
武蔵国分寺公園(むさしこくぶんじこうえん)は、東京都国分寺市にある都立公園。正式名称は東京都立武蔵国分寺公園(とうきょうとりつむさしこくぶんじこうえん)。
 概要【編集】
 1987年、国鉄が分割民営化される際に、国鉄の債務を返済する目的で閉鎖された中央鉄道学園の跡地を住宅と公園として整備して2002年4月1日に中央鉄道学園跡地の泉地区が開園した。2004年には中央鉄道学園跡地の南側を通る東京都道145号立川国分寺線(通称:多喜窪通り)の向かいにあった郵政省(当時)の社宅(逓信住宅)跡地を整備した西元地区が開園した。
 公園北側にはJR中央本線が通り、公園中央を東京都道145号立川国分寺線(通称:多喜窪通り)が通り、泉地区の西側には中央鉄道学園跡地の敷地を整備した際に発掘され、整備された東山道武蔵路。都営住宅を挟んで府中街道(埼玉県道・東京都道17号所沢府中線)が通っている。
 主な施設【編集】
 芝生広場 武蔵の池 こもれび広場 野鳥の森 鉄道学園記念碑(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在 東京都国分寺市泉町2丁目・西元町2丁目 (武蔵国分寺公園事務所:泉町2-1-1)
(注)
 平成14年(2002)に中央鉄道学園の跡地に開園した一周500mの円形芝生広場を中心に、 旧鉄道学園時代からの樹木や滝、池、噴水がバランスよく配置された水と緑のゆったりした都立公園です。 メインの泉地区(芝生広場)と隣接の西元地区(こもれび広場)がある。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「都立国分寺公園ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十七)》
冬の旅平成の都立公園に
冬の旅南東口より入園す
冬の旅南エリアに入園す
※南側エリア・・・野鳥の森や芝生の広場など自然が豊富。
冬の旅野鳥の森はこんもりと
公園の野鳥の森は冬紅葉
公園の野鳥の森は冬黄葉
公園の野鳥の森は冬もみじ 
常緑樹冬の紅葉を際立たせ
常緑樹冬の黄葉を際立たせ
二人して枯葉重なる小路ゆく
二人して落葉重なる小路ゆく
冬枯れの気配感じる小路ゆく
冬の旅公園に蝶の説明板
冬うららオオムラサキの説明板
公園の「こもれび広場」に冬陽射

人参(令和3年3月1~2日掲載分)


◎ 人参(令和三年三月一~二日掲載分)
● 令和三年三月一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その五十三 人参
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の川湧水集めて流れゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。川状の用水は、この時季冬の湧き水を集めて緩急をつけて流れてゆく。せせらぎの音が魅力的である。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十七)
冬旅に背負うリュックは野菜入り
リュックには袋入りの人参が
冬の旅リュック背にして池向かう
道脇に流れる小川冬の水
冬晴のハケ崖下に湧水源
冬の川湧水集めて流れゆく 
冬の日に湧水を汲むよその人
冬の日に名水を汲むよその人
冬の旅ペットボトルに湧水を
冬の旅ペットボトルに名水を
冬の旅清き湧水の傍に池
冬の旅真姿の池すぐ傍に

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● 令和三年三月二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その五十四 冬服
《今回の自選代表二句と自句自解》

真姿の池の林は冬紅葉 
真姿の池辺に明るき石蕗の花 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。川状の用水は、この時季冬の湧き水を集めて緩急をつけて流れてゆく。せせらぎの音が魅力的である。
 崖線の源まで来るとそこに「真姿の池」があった。崖線の森林は冬もみじ。「真姿の池」の水辺には、石蕗の花が咲いていた。モミジも石蕗の花も、「真姿の池」に彩りを添えていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十八)
冬旅に真姿の池湧水群
㊟真姿の池湧水群・・・真姿の池湧水群は、近くの野川の源流から流れ込む湧水で、病を患った絶世の美女、玉造小町がこの水で身を清めたところ、もとの美しい姿に戻ったという伝説から、真姿の池と呼ばれるようになりました。国分寺薬師堂近くに位置し、江戸時代に尾張徳川家が鷹場としたお鷹の道に沿って散歩が楽しめます。(東京の観光公式サイトGO TOKYOサイトより転載)
 真姿(ますがた)の池湧水群
 真姿の池は、東京都内では青梅市の御岳渓流と共に環境庁の「名水百選」に指定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」の一部であり、東京都の国分寺崖線緑地保全地域にも指定されている。真姿の池の由来は、嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れて21日間参詣すると、一人の童子が現れ小町をこの池に案内し、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、そのとおりにしたところたちどころに病は萎え、元の美しい姿に戻った。それから人々はこの池を「真姿の池」と呼ぶようになったという伝説からきている。
 真姿の池は「新編武蔵風土記稿」に「広さ2間四方許、池中(ちちゅう)の狐嶼(こしょう)に弁天の祠宇(しう)を置く。この池水も田地へそそく」とある。周辺の雑木林は下草の刈り払いが行われ管理が行き届いており国分寺崖線の雑木林景観が良く保存されている。国分寺から小金井・三鷹・調布・狛江を経て世田谷の等々力渓谷に至る標高差約15mほどの崖線で「ハケ」と呼ばれている。東京を代表する湧泉の価値を文化財として評価された最初の自然地理的名勝である。(東京都教育委員会)
池の脇清らに湧き出る冬の水
冬旅の心休まる湧水群
冬旅に平安時代の伝説池
伝説の「真姿の池」や冬の旅
真姿の池の林はもみじ
真姿の池の林は冬紅葉 
真姿の池の林は冬黄葉
真姿の池の欅の冬黄葉
※欅の冬黄葉・・・ケヤキ(欅)の木は、秋に美しく色鮮やかに紅葉します。「けや」は古語で「美しい」という意味です。「けやけしの木」が訛り「ケヤキの木」と呼ばれるようになりました。
 ご存知のように、紅葉は「もみじ」は赤色、「イチョウ」は黄色に色づきます。
 しかし、ケヤキは個体によって紅葉の色が「赤」「橙」「黄」と3種類存在し、ケヤキの並木通りでは、すべて同じ木であるのに木によって色が異なるという現象が起きます。(Woodyニュースより転載)
見上げれば椋木少し冬黄葉
㊟椋木・・・ムクノキ(椋木、椋の木、樸樹、 Aphananthe aspera)はアサ科ムクノキ属の落葉高木。東アジアに分布する。単にムク(椋)、またはエノキに似るためムクエノキ(椋榎)とも言う。
 成長が比較的早く、大木になるため、日本では国や地方自治体の天然記念物に指定されている巨木がある。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
見上げれば池辺の椋木冬黄葉
下見れば我が足元に冬の草
真姿の池の竹垣に石蕗の花
真姿の池辺に明るき石蕗の花 
冬の旅池なかに祠あり
冬の旅池の中島に弁財天
冬日和鳥居バックに写真撮る
冬服の妻と池背に写真撮る
冬の晴祠バックに「はいパチリ」
冬の旅二人で潜る朱の鳥居

蕪(令和3年2月27~28日掲載分)


◎ 蕪(令和三年二月二十七~二十八日掲載分)
● 令和三年二月二十七日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その五十一 石蕗咲く
《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴の湧水沿いの道二人して 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。冬景色を愛でながら妻とゆっくり歩を進める。冬の陽射しも暖かい。贅沢な時間である。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十五)
冬の旅お鷹の道ゆき湧水へ
おたかの道湧水園へ冬の日に
㊟おたかの道湧水園・・・現国分寺の東側の敷地一帯が史跡に追加指定され、市立歴史公園として整備されました。そのうち、お鷹の道の北側が「おたかの道湧水園」という有料公園施設です(平成21年10月18日オープン)。
 園内北側は国分寺崖線にかかり、崖線一帯には湧水源など良好で豊かな自然環境が残されています。また、園内には市内でも貴重な歴史的建造物である市重要有形文化財の長屋門(江戸時代後期)と倉(明治時代)が残されています。所在地 国分寺市西元町1-13-10 (国分寺市役所HPより転載)
冬の旅妻連れ次の湧水へ
冬の旅湧水群へ向かい行く
国分寺崖泉を行く冬の旅
㊟国分寺崖泉・・・国分寺崖線は通称“ハケ”と呼ばれています。この崖線は古多摩川の浸食によって出来た崖の連なりで、国分寺市の西町五丁目あたりから目立ち始め、世田谷区あたりまで続いています。国分寺市にいちばんはっきりあらわれているので「国分寺崖線」と呼ばれていました。(リバーサイドウォークサイトより転載)
(注)国分寺崖線の上から、武蔵国分寺や武蔵国分尼寺が見下ろせる。
冬の旅崖泉の「はけ」下りゆく
※崖泉の「はけ」・・・国分寺崖線と湧水
 地形図を見て分かる通り、多摩川が削りだした河岸段丘である国分寺崖線が、非常に顕著な形でお鷹の道の背後に立ち上がっている。高低差はほぼ15メートル。
 この崖は大田区田園調布の先まで続いている。崖線に湧水は付き物。崖下から絶えることの無い清水が湧き出している。(武蔵野と水辺サイトより転載)
◎「国分寺崖泉について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十五)》
冬旅に妻連れ下るハケの道
冬の旅湧水沿いの道歩く
冬晴の湧水沿いの道二人して 
ふたりして石蕗咲くお鷹の道を行く
冬の旅清流沿いを歩きゆく

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● 令和三年二月二十八日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その五十二 蕪
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先で買う人参は袋入り 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道を歩いてゆく先で「ほんだ自然農園」さんの野菜の直売所を見つけた。早速立ち寄り、袋入りの人参などを買い込んだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十六)
冬の旅新鮮野菜の幟見え
冬の旅路傍に野菜の直売所
冬の旅行く水路沿いに「やさいや」が
冬旅に新鮮野菜の直売所
「ほんだ自然農園」に寄る冬の旅
お鷹の道行けば白菜店頭に 
白菜が「やさいや」さんの店頭に
束の葱「やさいや」さんの店頭に
「やさいや」に束の人参売られをり
店頭の「やさいや」の蕪(かぶら)大きくて
店頭の蕪の色は白と紅
冬旅に新鮮野菜買う求む
旅先で買う人参は袋入り

木の葉(令和3年2月25~26日掲載分)


◎ 木の葉(令和三年二月二十五~二十六日掲載分)
● 令和三年二月二十五日 木曜日 冬の晴
○ 十一月日々折々 その四十九
《今回の自選代表句と自句自解》

お鷹場の名残の道や冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。武蔵国分寺資料館の見学を終えて、再びお鷹の道を歩いた。このお鷹の道は、江戸時代に、尾張徳川家のお鷹場(鷹を使って狩りをする場所)に指定されていた事から名付けられた。その名残りの道である。今の時季は紅や黄色の冬のもみじに彩られている。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十三)
冬の旅資料館後に次の地へ
冬旅にお鷹の道を歩き行く
お鷹場の名残の道や冬の旅
お鷹場の名残の道や冬もみじ 
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の『「続・冬(新年)の写真」の「国分寺散策」(十一月中旬)』に『初冬の「お鷹の道」(東京都国分寺市西元町)』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
江戸の世の名残の道や冬もみじ
水路沿いの遊歩道ゆく冬の旅
お鷹の道遊歩道行く冬の旅
お鷹の道遊歩道行く冬の晴
冬日和行くお鷹の道遊歩道
冬の晴囀り耳に歩き行く
冬日和囀り耳に道歩く

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● 令和三年二月二十六日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その五十一 木の葉
《今回の自選代表句と自句自解》

小流れは木の葉集めて流れゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)は、東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている。この時季は、枯れた木の葉や落葉が浮かびながら流されてゆく。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十五)
小流れの水路の脇に散り黄葉
小流れの水路の脇に石蕗の花
水路脇日を浴び明るき石蕗の花
遊歩道脇に明るき石蕗の花
お鷹の道脇に明るき石蕗の花
冬うららせせらぎ耳に歩き行く
小流れに船の如き散り紅葉
小流れに船の如き散り黄葉
小流れに枯葉は船の如くして
小流れに落葉は船の如くして
小流れは木の葉集めて流れゆく

冬日和(令和3年2月23~24日掲載分)


◎ 冬日和(令和三年二月二十三~二十四日掲載分)
● 令和三年二月二十三日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その四十七 枯薄
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬旅に七重塔の模型観る 
冬うらら往時の栄華に思い馳せ 

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道に隣接する施設「武蔵国分寺資料館」に寄り、史跡武蔵国分寺跡の出土品などの展示を鑑賞した。その中には、国分寺の復元模型もあった。奈良時代当時のイメージが湧く。往時の栄華に思いを馳せた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十一)
冬の旅史跡の駅に立ち寄って
冬の旅「おたカフェ」に寄り券購入
冬の旅歩いて近くの資料館
旅先の資料館脇に冬紅葉
旅先の資料館傍に枯薄
冬旅に立ち寄り見学資料館
冬の旅資料館に入り鑑賞す
※資料館・・・ここでは、武蔵国分寺資料館のこと。
冬旅に国分寺跡資料館
㊟国分寺跡資料館・・・ここでは、武蔵国分寺跡資料館のこと。
 「見る」・「学ぶ」・「訪ねる」をコンセプトにした資料館です。おもに史跡武蔵国分寺跡の出土品を展示して、これまでの発掘調査の成果や、市内の文化財、史跡武蔵国分寺跡の整備事業などを紹介しています。(国分寺境内)(国分寺市役所HPより転載)お鷹の道に隣接する施設。出土品などが展示されているほか、長屋門の内部を見学できる。
(注1)国分寺跡資料館前の庭に、1/10スケールの七重塔の復元模型がある。
(注2)お鷹の道沿いにあり、武蔵国分寺跡資料館や長屋門、七重塔模型などが敷地内にある有料の歴史公園です。園内にある湧水源保全地区は立ち入ることはできませんが、湧水源観察ポイントからは流れ出る湧水や周辺の豊かな緑の原風景をみることができます。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
◎「国分寺跡資料館について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十三)》
冬旅に七重塔の模型観る 
冬うらら往時の栄華に思い馳せ 
冬旅に頂くカタログ・パンフレット

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● 令和三年二月二十四日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その四十八 冬日和
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅歴史ロマンにどっぷりと  

 十一月中旬の国分寺の旅。お鷹の道に隣接する施設「武蔵国分寺資料館」に寄り、史跡武蔵国分寺跡の出土品などの展示を鑑賞した。その中には、国分寺の復元模型もあった。奈良時代当時のイメージが湧く。往時の栄華に思いを馳せた。
 僧寺の全容が明らかになり、歴史のロマンを感じる。当時いかに仏教の興隆に力を入れていたかが理解できた。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十二)
冬旅に妻連れ展示室巡り
国分寺のジオラマ鑑賞冬旅に
冬旅に国分寺模型鑑賞す
冬灯下国分寺模型鑑賞す
冬旅に復元模型鑑賞す
冬の旅僧寺に全容明らかに
冬日和僧寺に全容明らかに
冬の晴僧寺に全容つまびらか
冬旅に観音菩薩像鑑賞
※観音菩薩像・・・「銅像観世音菩薩像」は、小品であるが白鳳期後期に制作されたものと言われ、関東では最も古い白鳳期の仏像だと言われている。
冬の旅像の近くにブラタモリ
※ブラタモリ・・・NHKでオンエアされた「ブラタモリ国分寺~遺跡編」で、このあたりが紹介された。
㊟ブラタモリ・・・『ブラタモリ』(英称:BURATAMORI、通称:ブラタモ)は、NHK総合テレビで2008年から断続的に放送されている日本の紀行・教養バラエティ番組。司会を務めるタモリの冠番組でもある。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「ブラタモリについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十四)》
冬の旅展示に石斧・土器・硯(すずり)
冬の旅出土の瓦展示され
※瓦展示・・・男瓦(おがわら)・女瓦(めがわら)・鐙瓦(あぶみがわら)・宇瓦(のきがわら)など
冬の展瓦に郡と人の名が
冬の旅展示に板碑・農耕具
冬の旅展示に古代のレンガ「磚(せん)」
国分寺見どころ多き冬の旅
いくつもの歴史重なる冬の旅
冬の旅歴史ロマンにどっぷりと 
冬麗歴史の浪漫楽しめり

日向ぼこ(令和3年2月21~22日掲載分)


◎ 日向ぼこ(令和三年二月二十一~二十二日掲載分)
● 令和三年二月二十一日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その四十五 障子
《今回の自選代表句と自句自解》

障子戸の廊下側より日射し入る 

 十一月中旬の国分寺の旅。次に向かう場所は、旧本多家住宅長屋門。受付済ませて建物内に入る。一階には二つの六畳間。廊下側の六畳間は床の間付きだ。廊下側から冬の日が射し込んでいる。廊下側の白障子が明るい。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十九)
冬の旧本多家住宅長屋門
長屋門脇の立木は冬黄葉
冬旅に妻と長屋門見学す
冬旅に暫し見学長屋門
冬旅に江戸時代末の長屋門
冬の晴庭掃く音する長屋門
冬日和竹垣向こうに六畳間
床のある六畳部屋に障子あり
床の間の六畳部屋に白障子
障子戸の廊下側より日射し入る 

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● 令和三年二月二十二日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その四十六 日向ぼこ
《今回の自選代表句と自句自解》

住宅の廊下に座して日向ぼこ 

 十一月中旬の国分寺の旅。次に向かう場所は、旧本多家住宅長屋門。受付済ませて建物内に入る。一階には二つの六畳間。廊下側の六畳間は床の間付きだ。廊下側から冬の日が射し込んでいる。廊下側の白障子が明るい。子供の頃を思い出し、ほんの少し廊下に座して日向ぼっこ。実に懐かしい思いがする。

(十一月中旬 国分寺散策 その四十)
六畳間日射しに明るき白障子
六畳間障子の日射しに暖かみ
住宅の廊下に座して日向ぼこ 
旅先でほんの束の間の日向ぼこ
冬旅に養蚕資料の展示見る
冬の展蚕の発生順序模型
冬灯下蚕の発生順序模型
冬の旅見学終えて「おたカフェ」へ
※「おたカフェ」・・・史跡の駅「おたカフェ」のこと。
 お鷹の道の癒・交流・展示空間。弁当・食事・トイレ休憩など誰でも自由に入れます。水湧く場所に"WATER CAFE"
お鷹の道にある森の中のお休みどころです。国分寺の野菜や果物を使ったメニューをお愉しみ頂けます。また、国分寺の名産品も展示販売しています。目の前には、おたかの道湧水園と武蔵国分寺資料館があり、そちらのチケットも販売しています。(史跡の駅「おたカフェ」HPより転載)全国に約1,700ヵ所ある「まちの駅」の1つ。
◎『「おたカフェ」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十二)》
冬の旅史跡の駅の「おたカフェ」に
「おたカフェ」の店頭三和土(たたき)に散り黄葉
「まちの駅」に妻と立ち寄る冬の旅

石蕗の花(令和3年2月19~20日掲載分)


◎ 石蕗の花(令和三年二月十九~二十日掲載分)
● 令和三年二月十九日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その四十三 冬日和
《今回の自選代表句と自句自解》

冬日和児童公園に親子連れ 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の薬師堂から国分寺公園(児童公園)へ移動した。公園では親子連れが遊んでいた。男の子は元気に動き回っていた。冬日和の午後の公園の情景は、「平和」そのものであった。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十七)
冬の旅妻と国分寺公園へ
冬晴の児童公園に親子連れ
冬日和児童公園に親子連れ 
冬の旅公園内に住居跡
冬旅に観る土師竪穴住居跡
㊟土師竪穴住居跡(はじたてあなじゅうきょあと)・・・土師竪穴住居跡(国分寺市)
【名称】土師竪穴住居跡(市指定史跡)
【所在地】東京都国分寺市西元町1-13 国分寺公園内
【概要】
 昭和31年、日本考古学協会仏教遺跡調査特別委員会によって、はじめて武蔵国分寺跡の本格的な発掘調査が行われました。この時、僧寺の金堂・講堂跡とともに薬師堂の西側でも調査が行われ、僧寺の寺域を境する北辺・西遍の両溝跡と寺域の内外より発見された二号竪穴住居跡を史跡指定にしました。
 この住居跡は、規模が4.0m×4.2mのほぼ方形をしており、煮炊きを行った竈が北壁に二ヶ所東壁に一ヵ所設けられていました。住居内部からは完成の土器八点、完成の「セン」一点など多数の遺物が出土しています。
 名称の「土師」は、当時一般的に使用されていた土器の一種類である土師器を指しており、「土師器を使用していた時代の」という意味です。(好奇心いっぱい心旅より転載)
◎「土師竪穴住居跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十九)》
冬の旅園の東屋で小休止
冬の旅公園奥の神社へと
冬の旅八幡神社境内に
※八幡神社・・・武蔵国分寺に隣接してある本村八幡神社。この社のすぐ裏側に小さな児童公園があり、公園の片隅には竪穴住居跡が残されている。
冬の晴鳥鳴く声する八幡社
冬日和鳥の鳴く声よく響く

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● 令和三年二月二十日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その四十四 石蕗の花
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅せせらぎ耳に歩きをゆく 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺から程近いお鷹の道を歩く。せせらぎの音が清らかな音を響かせる。実にいい雰囲気だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十八)
幾種もの鳥鳴く声聞く冬の旅
冬の旅参道の左右に石灯篭
参道の枯葉踏み行く老夫婦
冬の旅鳥居を潜り道路へと
冬の旅階段下り道路へと
冬の旅本多家の墓道脇に
本多家の墓の路傍の枯葉踏み
冬日浴び楼門脇の道進む
冬の旅妻とお鷹の道に入る
㊟お鷹の道・・・お鷹の道・真姿の池湧水群(おたかのみち・ますがたのいけゆうすいぐん)とは東京都国分寺市西元町の武蔵野台地国分寺崖線によって形成されるママがハケに沿って用水となっている、武蔵野台地の代表的な景観の場所であり1985年(昭和60年)名水百選に選定された[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
お鷹の道・真姿の池湧水群について
 お鷹の道・真姿の池湧水群は、環境省選定の名水百選の一つです。国分寺市内には潤沢な湧水地帯が形成されており、特に真姿の池近くの湧水は水量豊か。湧水の一部は池に流れ込み、残りは水路を100mほど流れ、野川の支流の小さな清流に注ぐ。清流沿いの約400mの小径がお鷹の道。江戸時代に、周辺が尾張徳川家の鷹場であったことから名づけられました。
 真姿の池の由来は、嘉祥元年(848年)、絶世の美女といわれた玉造小町が病気に苦しみ、病の平癒を願い全国行脚をした際に、武蔵国分寺で願をかけたところ、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒したとの言い伝えによります。現在は池の中央に弁財天が祀られています。都指定名勝、都名湧水57選。(じゃらんネットより転載)
(追記)
 江戸時代にこの辺りは尾張徳川家のお鷹場(鷹を使って狩りをする場所)に指定されていた事から名付けられた。(趣意は案内板より)
※お鷹場・・・江戸城を中心に五里(20km) 以内のエリアは幕府の「御拳場」(おこぶしば=鷹場)、寛永10年(1633年)にその外側を尾張藩・紀州藩・水戸藩の徳川御三家などの鷹場としています。 
 御三家筆頭の尾張藩は武蔵野に広大な鷹場を有し(境界を示す83本の石杭を建立)、東は朝霞市、西東京市(保谷に5本の境界を示す石杭が現存)、練馬区大泉、南は三鷹市、小平市、立川市、国分寺市、西は青梅市、埼玉県入間市、狭山市、坂戸市、北は志木市、富士見市までに及んでします。(「東京とりっぷ」より転載)
◎「お鷹の道・真姿の池湧水群ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十)》
冬の旅せせらぎ耳に歩きゆく 
お鷹の道用水脇に石蕗の花
行く道は紅や黄色の冬のモミジ
お鷹の道路傍の生垣冬紅葉
冬のお鷹の道行き長屋門
冬の旅目に旧本多家長屋門
㊟旧本多家長屋門・・・お鷹の道の西端には、武蔵国分寺の本堂などがありますが、この手前には「旧本多家長屋門」があります。ここは、「お鷹の道湧水園」となっていて、園内には武蔵国分寺資料館があり、歴史的な出土品などを見ることができます。園内の入り口にとなっているこの「旧本多家長屋門」は、修復作業が終わりさらに風格を増しました。
 真姿の池湧水群の一つがこの園内から流れ出ていて、湧水園の西門近くから水路となってお鷹の道沿いに流れます。(地元の地形と歴史と知るサイトより転載)
(追記)
 おたかの道湧水園・武蔵国分寺跡資料館の入口は長屋門(国登録有形文化財)になっている。旧本多家(国分寺村の名主)住宅長屋門。弘化5(1848)年建築。桁行15m、梁間4.5mの木造2階建、東西棟の寄棟造鉄板葺。中央を門口とし、東側に座敷、西側に物置を配する。(関東で奈良を感じるツアーサイトより転載)
◎「旧本多家長屋門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十一)》
冬の旅ここは名主の長屋門

冬日影(令和3年2月17~18日掲載分)


◎ 冬日影(令和三年二月十七~十八日掲載分)
● 令和三年二月十七日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その四十一 冬日影
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅各植物に万葉歌 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂の前に着いた。周りには、たくさんの万葉植物(約百六十種類)が所狭しと並べられていた。一つ一つの万葉植物には、植物名と万葉歌が記されていた。先代の思いのこもった万葉植物園がそこにあった。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十五)
冬旅に種類豊富な植物園
冬の旅各植物に札付いて
冬の旅各植物に植物名
冬の旅各植物に万葉歌 
冬の晴植物丹精込められて
冬の旅感銘受けし植物園
冬日浴ぶ本堂右手に寺務所あり
冬の晴本堂右手に寺務所見え
冬の寺流水の音と鳥の声
冬の旅本堂前より堂宇へと
枯葉踏み急な階段登りゆく
冬の旅階段登り薬師堂
薬師堂堂宇の周り冬木立
冬日影木立周辺ひんやりと
境内の気温の下がる冬日影

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● 令和三年二月十八日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その四十二 冬の雲
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅前に歴史ある薬師堂 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂から急な石段を登って薬師堂へ移動した。この堂宇の中に国の重要文化財である薬師如来坐像がある。堂の前にて合掌する。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十六)
冬の旅堂の隣に鐘楼が
冬の旅静かに佇む薬師堂
㊟薬師堂・・・医王山縁起によれば、国分寺境内の薬師堂は、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、武蔵国分寺史跡の金堂跡付近に建立されたと伝えられています。現在の薬師堂は宝暦年間(1751年から1764年)に今の場所に移され、建て替えられたものです。所在地 国分寺市西元町1-13-16(国分寺境内)(国分寺市役所HPより転載)
(注)国の重要文化財である薬師如来坐像(平安時代末頃の作といわれている)は10月10日にご開帳される。また、薬師堂の境内西側に土師竪穴住居跡がある。
◎「薬師堂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十八)》
冬の旅前に歴史ある薬師堂 
冬の旅前に江戸の世の薬師堂
冬の旅堂宇に薬師如来坐像
冬の旅堂宇に木造薬師如来
冬の旅堂宇に重文薬師如来
冬の旅薬師堂にて手を合わす
冬の旅木漏れ日背にして合掌す
冬の日に参拝済ませて公園へ
冬の旅薬師堂より公園へ
木立抜け見上げる空に冬の雲

枯尾花(令和3年2月15~16日掲載分)


◎ 枯尾花(令和三年二月十五~十六日掲載分)
● 令和三年二月十五日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十九 枯尾花
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の園元気にはしゃぐ児らの声 

 十一月中旬の国分寺の旅。武蔵国分僧寺跡地の傍に薬師児童遊園地がある。遊園地から園児らはしゃぐ声が聞こえてくる。園児らの元気な声に老夫婦は、元気をもらう。コロナ渦、ありがたい声だ。

国分寺楼門の背に冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の楼門の前に着いた。冬のもみじを背にして絵になる景色だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十三)
冬の晴遊園地には遊ぶ児ら 
冬の園元気にはしゃぐ児らの声
冬日背に道を北上老夫婦
歩きゆく路傍にポツンと枯尾花
冬日浴び元町通り横断す
楼門へ向かう路傍に山茶花が
冬の旅続いて今の国分寺
冬の旅前に国分寺楼門が
冬の旅風格のある楼門が
㊟楼門・・・国分寺境内にあり、前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです。
 板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとどめた、風格ある建物です。三間一戸の楼門で、2階には十六羅漢像(現在13体)を安置しています。(国分寺市役所HPより転載)楼門の奥には武蔵国分寺の本堂がある。
冬の旅前に医王山国分寺
㊟国分寺・・・医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っています。享保10年(1725)に本堂が再建されたと考えられます。  
 現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。所在地 国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
建武2(1335) 年 に義貞の寄進で薬師堂が再建されたことを伝えている。  
 その後も法燈は継承され,江戸時代になると幕府から与えられた寺領によって復興の足掛 かりができ,享保・宝暦年間に至って,仏殿・薬師堂・仁王門等が建立されて寺観が整い, 現在に至っている。(国分寺市・国分寺関連サイトより転載)
(注1)現在の武蔵国分寺本堂の南側には、武蔵国分寺跡が広がる。
◎「医王山最勝院国分寺ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十五)》
(注2)武蔵国分寺のプロフィール
 真言宗豊山派の寺院。山号は医王山。院号は最勝院。本尊は薬師如来。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。(国分寺物語より転載)
(追加) 
 受け継ぐ心継がれる―国分寺遺伝子 
 武蔵国分寺 ご住職 星野亮雅さん の物語り
 頂いた名刺の裏を見てみると、「福祉協議会」の文字。
 私は興味を覚えて、ご住職さんに伺ってみる。
「ここに『福祉協議会』ってありますが、住職という役職を担いながら、務められているんですか?」
「お声がかかり、最初は何も分からず始めたんですよ。ただただ、聖武天皇の教えを継ごうという想いからです」
聖武天皇? そんなにも前の天皇の想いを受け継ぐとは…。
私には、歴史の教科書でしか見たことがない名前。
1200年以上も前の天皇の教えを受け継ごうという想いは、生半可なものではない。
 その聖武天皇の教えとは、一体どういったものなのだろう。
「『広く蒼生のためにあまねく景福を求む』大勢の国民のために、多くの幸せを願うです。聖武天皇の人びとを思うお気持ち、その志を継承する国分寺の住職としては、地域のためになるお仕事へのお誘いを、無碍(むげ)にお断りするわけにはいきませんでした」“
国分寺遺伝子”、素晴らしい。住職さんの強い心意気が伝わってくる。(国分寺物語より転載)
国分寺楼門の背に冬もみじ 
冬の旅すぐ前現国分寺

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● 令和三年二月十六日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その四十 冬の鳥
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅万葉植物数多あり 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂の前に着いた。周りには、たくさんの万葉植物(約百六十種類)が所狭しと並べられていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十四)
冬の旅妻と立ち寄る国分寺
冬旅に遺伝子受け継ぐ国分寺
冬うらら聖武天皇の御威光が
※聖武天皇・・・聖武天皇. しょうむてんのう. 生没年 : 701~756.奈良時代(在位724~749)の第45代天皇。文武天皇を父、藤原不比等の女藤原宮子を母とする。藤原不比等の娘光明子(光明皇后)は皇后にあたる。724年即位し、積極的に唐代の文物制度を採り入れて国政の充実に努めた。また仏教を深く信仰し、国ごとに国分僧尼寺を建立し、自ら書写した経文を納めた。さらに東大寺を建立し、奈良大仏を鋳造して天平文化をつくりだした。
冬うらら聖武天皇の威光あり
冬旅に近世様式多き寺
冬の旅脇より向かう仁王門
冬の旅寺に宝暦の仁王門
㊟仁王門・・・国分寺境内にあり、宝暦年間(1751から1764)に建てられた八脚門です。
使用している木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されています。
 もとは萱葺の屋根でしたが、現在は瓦葺の入母屋造になっています。門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像が安置されています。(国分寺市役所HPより転載)
(注)本堂を後にして、道を回り込むと仁王門に。奥には薬師堂がある。いずれも1700代半ばの建立。本堂とは林で分断されていて、一度境内を出て道をたどって行かねばならない。
◎「仁王門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十六)》
冬の旅門に阿吽の仁王像
冬の旅本堂前に植物園
冬の旅すぐ目の前に植物園
冬旅に立ち寄る万葉植物園
㊟万葉植物園・・・万葉集に詠まれている植物を集め、往時をしのぶよすがにとの意図で国分寺前住職星野亮勝氏により設置された植物園です。市の天然記念物に指定されています。
 故星野亮勝前国分寺住職が、武蔵国分寺跡を訪れる人々が、奈良時代の文化や思想を理解しやすいようにと、国分寺が栄えた時代と同時期に編さんされた「万葉集」に歌われた約160種の植物を例歌とともに展示しています。所在地 東京都国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
(注)国分寺の本堂前は万葉植物園と名付けられ、約160種もの植物が植えられている。武蔵国分寺が建立された頃というのは、万葉集が編まれた時期。そして、万葉集には植物を詠んだ歌も多いことから、往時をしのぶということで、先代ご住職が13年かけて採集したという。
◎「万葉植物園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十七)》
国分寺植物園に射す冬日
国分寺植物園に冬陽射
植物園見上げる空に冬の鳥
冬の旅万葉植物数多あり

冬木立(令和3年2月13~14日掲載分)


◎ 冬木立(令和三年二月十三~十四日掲載分)
● 令和三年二月十三日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その三十七 冬木立
《今回の自選代表句と自句自解》

行く道の路傍の植え込み冬紅葉 

 十一月中旬の旅。僧寺の国分寺中門跡地から次の場所への移動中、路傍の低木の植え込みの植物の葉が紅く色づいていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十一)
冬の旅金堂跡に礎石あり
㊟金堂跡・・・金堂は本尊仏を安置する建物です。桁行き7間(約36メートル)×梁行き4間(約17メートル)の礎石建物として建てられました。現在も多くの礎石が残されています。武蔵国分寺の金堂は、諸国国分寺中最大級の規模となります。所在地 西元町2-1,2(国分寺市役所HPより転載)
(追加資料)
 武蔵国分寺跡は現在の府中街道の東側にあり、寺域の回廊に囲まれた中には南に金堂・北に講堂があり、西には西僧坊、東には東僧坊と時刻を知らせる鐘楼がこの東僧坊の西どなりにありました。(H・I・IROIROSのサイト 国分寺のお話より転載)
◎「金堂跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十四)》
国分寺往時を偲ぶ冬の日に
行く道の路傍の植え込み冬紅葉 
行く道の路傍の植栽冬紅葉
冬の旅鐘楼跡はこの辺り
冬の旅鐘楼跡に礎石あり
冬の旅鐘楼隣に僧坊が
冬の晴金堂裏に通路あり
冬の旅歩く金堂・講堂間
冬晴れの講堂前に幢竿跡
国分寺講堂の奥冬木立

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● 令和三年二月十四日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三十八 冬野
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺跡の背の崖冬もみじ 

 十一月中旬の旅。僧寺の中門跡地から講堂跡に移動した。国分寺の講堂跡の背景となるベルトのような高台の国分寺崖線(ハケ)の森林の紅や黄色の冬もみじが冬晴れの青空に映えて美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十二)
冬日浴ぶ講堂跡の説明板
冬の旅講堂跡に礎石あり
㊟講堂跡・・・講堂は経典の講義などが行われる建物です。桁行き5間(約29メートル)×梁行き4間(約17メートル)の礎石建物として創建され、後に金堂と同規模の桁行き7間(約36メートル)×梁行き4間(約17メートル)に増設して再建されたことが明らかになっています。所在地 西元町2-1,2(国分寺市役所HPより転載)
講堂の跡地の後ろに冬木立
国分寺跡の背の崖冬もみじ 
国分寺跡の背のハケ冬もみじ
国分寺跡の近くに山茶花が
冬旅に見応えのある寺の跡
冬の旅国分寺跡に見どころが
冬の旅見どころ多き寺の跡
冬の旅歴天平の御世に思い馳せ
国分寺跡地の一部まだ冬野
冬の旅右薬師児童遊園地

山茶花(令和3年2月11~12日掲載分)


◎ 山茶花(令和三年二月十一~十二日掲載分)
● 令和三年二月十一日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その三十五 枯草
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅塔心礎大きくて 

 十一月中旬の旅。僧寺の七重塔跡地に着いた。大きな礎石が七つ点在している。中央の心柱の塔心礎の石は特に大きい。九世紀の当時、六十メートルほどの高さのある巨大な七重塔が建っていたという。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十九)
国分寺塔の跡地に冬の蝶
僧寺跡枯草踏んで塔跡へ
塔跡に大き銀杏の冬黄葉
冬晴の塔の跡地に説明板
冬の晴板に七重塔の絵が
冬の旅七重塔跡に礎石
㊟七重塔跡・・・塔跡1は3間四方。武蔵国分寺の七重塔は『続日本後紀』によると835年(承和2年)に落雷によって焼失したとされる。その後、845年(承和12年)に男衾郡の大領であった壬生吉志福正(みぶのきしふくまさ)が私費による再建を申し出て許可されている[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の武蔵国分寺跡の項より転載)
 七重塔跡は、金堂・講堂跡から東方200メ-トルのところに位置します。塔は、「金字金光明最勝王経(きんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)」を安置する国分寺の重要な施設で した。3間(約10メートル)四方の礎石建物で、高さは60メートルほどあったと推定されます。現在、中央にほぞ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石が残っています。
 国史である「続日本後紀」に、承和2年(835年)に七重塔が雷火で焼失し、復旧ができなかったのを、前の男衾郡(おぶすまぐん・現在の埼玉県比企郡付近)の大領(たいりょう・長官)である壬生吉志福正(みぶのきっしふくしょう)が再興を願い出て許されたと記されています。発掘調査では、塔が創建期とその後の2回この位置で建てられたことを確認しています。
 また、平成15年度の地下レーダー探査により、礎石の残る塔跡(塔跡1)の西方約55メートルの地点で、もう一つの塔跡(塔跡2)が発見されました。塔跡2には大規模な地盤固めの跡(版築・はんちく)があるのみで礎石は残っていません。塔跡2と塔跡1の建て替えとの明確な関係は把握できていません。所在地 西元町3-26(国分寺市役所HPより転載)
(注)九世紀の当時、60mほどの高さのある巨大な七重塔が建っていたという。
◎「武蔵国分寺の七重塔跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十三)》
冬の旅広き敷地に礎石あり
冬の旅塔の礎石の大きこと
冬の旅敷地中央に石心礎(しんそ)
冬の旅塔心礎大きくて 
冬の旅数多な礎石並びをり
冬の旅大きな礎石どっかりと
冬うらら往時の姿に思い馳せ
冬麗奈良の御代に思い馳せ

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● 令和三年二月十二日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その三十六 山茶花
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺中門脇に山茶花が 

 十一月中旬の旅。僧寺の七重塔跡跡地から国分寺中門跡に移動した。中門跡地の脇で山茶花が花を咲かせていた。とてもきれいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十)
冬の旅少し歩いて中門に
冬の旅中門跡に礎石あり
冬の晴中門礎石くつきりと
冬日浴び中門跡に我は立ち
冬日背に中門跡に吾立ちぬ
冬の晴中門戸口はこの辺り
冬の旅無き築地塀はあの辺り
国分寺中門脇に山茶花が 
僧寺跡ピンクの山茶花明るくて
僧寺跡ピンクの山茶花明るかり
冬の旅中門・金堂間に遺構
冬の旅寺跡に幢竿(どうかん) 遺構あり

落葉掻く(令和3年2月9~10日分掲載)


◎ 落葉掻く(令和三年二月九~十日分掲載)
● 令和三年二月九日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その三十三 冬椿
《今回の自選代表句と自句自解》

見渡せば僧寺の跡地に冬椿 

 十一月中旬の旅。僧寺の跡地に到着してさらに周囲を見渡すと紅い椿の花が咲いていた。僧寺の跡地は、そこだけ華やいで見えた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十七)
見渡せば僧寺の跡地に冬椿 
見上げれば跡地の上空よく晴れて
見上げれば跡地の上空青あおと
見上げれば跡地の上空まぶしくて
国分寺址の石碑に冬陽射
冬紅葉背にして寺址の石碑建ち
冬紅葉背にして寺址の石碑立つ
冬の旅僧寺紹介南より
冬晴の僧寺南門(なんもん)跡に立つ
冬の旅目の前に広き僧寺跡

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● 令和三年二月十日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その三十四 落葉掻く
《今回の自選代表句と自句自解》

跡地にてシルバー人材落葉掻く 

 十一月中旬の旅。僧寺の跡地に到着し、七重塔跡地へ向かう。途中でシルバー人材の方々が、跡地で落葉掻き作業をしていた。この時季ならではの情景である。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十八)
冬の旅東の塔跡地へと
跡地にてシルバー人材落葉掻く 
冬の旅シルバー人材より情報
冬の旅情報を得て跡地へと
冬の旅七重塔跡地へと
冬の旅七重塔跡地広々と
国分寺塔の跡地に散り紅葉
はらはらと僧寺跡地に散り紅葉 
国分寺僧寺跡地に散る木の葉
国分寺跡地に冬の日燦燦と

冬帽子(令和3年2月7~8日掲載分)


◎ 冬帽子(令和三年二月七~八日掲載分)
● 令和三年二月七日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三十一 冬帽子
《今回の自選代表句と自句自解》

寺跡へ向かう路傍に山茶花が 

 十一月中旬の旅。文化財資料展示室で見学した後、次の目的地である国分僧寺跡へ向かった。また途中で山茶花の花を見つけた。また花に癒された。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十五)
冬の旅立ち寄る資料展示室
冬の旅瓦・土器など展示され
冬旅に鉄製品など観て回る
冬の展歴史の重みずっしりと
冬の晴国分寺跡へ歩きゆく
旅先ですり違う人冬帽子
寺跡へ向かう路傍に冬の菊
冬の旅妻と国分僧寺跡へ
寺跡へ向かう路傍に山茶花が 
冬の旅しばらく歩いて寺跡に
冬の旅やがて国分寺跡に着く

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● 令和三年二月八日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十二 冬の草
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬旅に最大級の国分寺 

 十一月中旬の旅。文化財資料展示室見学後、次の目的地である国分僧寺跡に着いた。ここは、日本で最大級の国分寺である。広大な敷地に驚いた。

見渡せば僧寺の跡地散りもみじ 

 今日は冬日和。見渡すと僧寺の跡地には散りもみじが・・・。僧寺の跡地に彩りを添えている。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十六)
冬の旅妻と国分僧寺跡
冬の旅寺の北東地域入る
冬の旅僧寺北東地域入る
※僧寺北東地域・・・僧寺の金堂跡・講堂跡を対象に実施された。
以後,発掘調査は,昭和 33 年の日本考古学協会による僧寺中門跡の調査,昭和 39 年 ~ 44 年の滝口宏らによる僧寺鐘楼・中門・塔,尼寺推定金堂・尼坊,僧寺伽藍地区画溝な 9 どの調査,昭和 48 年の武蔵国分寺跡調査会による僧・尼寺中間地域の調査などと,断続的 に行われてきた。  
 その後,昭和 48 年,市立第4中学校建設問題*を契機に、曲折を経て広域学術調査を実 施する市常設の武蔵国分寺遺跡調査会が組織され、昭和 49 年から昭和 61 年までの12 年間で,僧尼寺の寺域範囲が確認された。(国分寺市・武蔵国分寺遺跡調査会記録より転載)
(注)僧寺の南にある市立第四中学校付近は,当時まだ雑木林や畑だった。
冬日差す広き跡地に説明板
冬の旅ここは武蔵国分寺跡
㊟武蔵国分寺跡(僧寺地区)・・・武蔵国分寺跡(むさしこくぶんじあと)は、東京都国分寺市西元町・東元町にある古代寺院跡。武蔵国分尼寺跡を含んで国の史跡に指定されている。
 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺・国分尼寺の寺院跡にあたる。現寺院については武蔵国分寺を参照。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在 東京都国分寺市西元町1丁目から4丁目付近
(注1)武蔵国分寺は元弘3年(1333)分倍河原の合戦(新田義貞と鎌倉幕府)で焼失し、建武2年(1335)に薬師堂だけ再建されたことが伝えられている。尼寺はこの頃には、廃寺になっていた。
(注2)薬師堂・・・新田義貞公の寄進で建立された薬師堂は老朽化し、約430年後の宝暦年間(1751〜1763)現在の丘陵上に建て替えられ、この薬師如来(国指定・重要文化財) を中心に除々に形態を整えて今日を迎えている。
(追記)
 元弘3年(1333)の分倍河原の戦いで敗れた新田義貞は、その敗走中、国分
寺を焼失させ、建立から600年近く続いた武蔵国分寺は終わる。その後、義貞は後悔の念からか、2年後の建武2年(1335)、薬師堂を寄進する。
※分倍河原の戦い・・・分倍河原は鎌倉時代の古戦場。鎌倉幕府第十四代執権だった北条高時の弟、泰家が指揮する幕府軍と新田義貞率いる倒幕の軍勢が、1333年に壮絶な戦いを交えた場所です。
この戦いで、一時敗走したが援軍を得て盛り返し、大勝した。勢いを増した新田軍は、数日後には鎌倉へとなだれ込み、遂に140年余り続いた鎌倉幕府は滅亡した。
(追加資料 その一)武蔵国分寺・僧寺伽藍  
 僧寺の主要伽藍が考古学的に解明された経緯は,昭和 31・33 年の日本考古学協会仏教遺 跡調査特別委員会 ( 石田茂作委員長 ) による発掘調査で,金堂基壇の規模や講堂西側の継ぎ 足し基壇の存在を明らかにしたのを嚆矢とする。その後,尼寺跡の無許可宅地造成を契機と して,市教育委員会による昭和 39 ~ 44 年までの断続的な調査が行われ,中門・北方建物 の規模や七重塔の再建,伽藍地 ( 寺域 ) 区画施設等が判明し,続いて昭和 49 年以降には寺 域確認調査を柱として市に常駐調査組織 ( 現国分寺市遺跡調査会 ) が設置され,中枢部区画 施設の規模や伽藍地 ( 寺域 ) 区画の変遷等を解明すべく,市内の各所で調査が行われた。こ れらの調査によって,僧寺伽藍地 ( 寺域 ) は幅 2.1 ~ 3.0 m,深さ 0.8 ~ 1.5 mの素掘り溝で 区画され,その規模は北辺 384.1 m,東辺 428.3 m,南辺 356.3 m,西辺 365.4 mを測るこ とが判明した。  
 また,伽藍配置は,南辺の西寄り3分の1等分線を中軸線として,伽藍地区画に設けた南 門,中枢部区画に設けた中門,中枢部区画内南側の金堂,その背後の講堂,中枢部区画外の 北方建物が一直線に並び,金堂・講堂の両側には鐘楼・経蔵 ( 未確認 ) と東西僧坊が配される。 中枢部を区画する施設は掘立柱塀 ( 柱間 2.4 m ) と素掘り溝で構成され,中門より両翼に延 びて北へ折れ,東西僧坊を取り込み,講堂の背後で閉じる。回廊を有さず,僧坊等までを囲 繞する特異な構成をとるのは,後述する尼寺も同様である。
 なお,中枢部区画の規模は東西 約 156 m,南北約 132 mを測る。塔は中枢部区画の外に位置し,金堂の中心より直線距離 で約 220 m離れた伽藍地 ( 寺域 ) 区画の南東隅に存在する。  
 以上の伽藍を構成する主要の建物は,瓦葺き礎石建物で,金堂・講堂・鐘楼と塔は基壇を 有することが判明している。このうち,金堂は間口7間 ( 約 36.1 m ),奥行4間 ( 約 16.6 m ) の東西棟建物で,諸国国分寺中最大級の規模を誇る。(国分寺市・武蔵国分寺遺跡調査会記録より転載)
(注1)武蔵国分寺跡・・・武蔵国分寺跡では僧寺と尼寺が発掘・保存されており、同一地域にこれらの史跡が保存されているのは貴重です。国史跡に指定された武蔵国分寺跡は東山道武蔵路跡と共に「武蔵国分寺跡 附東山道武蔵路跡」という史跡名所に変わり、現在では約155,600m²の広大な史跡として保存され公開されています。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
(注2)武蔵国の国分寺がどうしてここ?
 国分寺の建立地の条件は、中国の神話が用いられました。これは四方の方角を司る、霊獣に関わりがあります。
四神相応の地に合致した「国分寺」の建立の条件として国分寺崖線と武蔵国府、湧水が関わっていました。
 北には丘を控えて“玄武の神(亀)”、東には湧水が出て“青龍の神(龍)”、西には交通の要所の東山道武蔵路が“白虎(虎)”、多摩川の流域で広がった南には“朱雀(鳳凰)”と神が守ってくれているこの土地は、武蔵国の拠点に条件が適(かな)いました。(国分寺のお話サイトより転載)
(追加資料 その二)
 741年、聖武天皇の命により全国に国分寺が建立される際、武蔵国の国府(現在の府中市)の近くに良い土地はないかと選ばれたのが現在の国分寺市です。なぜ選ばれたのか?それは、帰国した遣唐使から伝えられた「四神相応(ししんそうおう)の地」の考えに基づきます。「四神相応」の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)のことを指し、それぞれ特徴のある土地に棲むと言われています。その特徴を説明すると(野川)
東:青龍…豊かな川の流れがある
西:白虎…大きな道があり交通の便がよい
南:朱雀…広大な平野や海があり開けている
北:玄武…山や丘陵がある
 四神相応の地というのは、古代中国に始まった風水における四聖獣(四神)が東西南北の各方向の地形とフィットする地のことです。国分寺は、東に清流があり、西には当時の大動脈といえる東山道武蔵路、南には広大な平野が広がり、北には国分寺崖線がそびえるという理想の地相であったのです。鎌倉時代末期、国分寺は新田義貞によって残念ながら燃やされてしまったと伝えられていますが、礎石の跡などは残っており、周辺には真姿の池やお鷹の道など、東京都とは思えないのどかな風景が残っています。都会と閑静な佇まいの融合。是非一度、国分寺の地にお立ち寄りください。(国分寺市観光協会の関連サイトより転載)
◎「武蔵国分寺跡(僧寺地区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十二)》
冬旅に最大級の国分寺 
冬の旅国分寺跡は国史跡
冬の旅ここは国指定史跡です
冬の旅ここは国指定寺史跡
冬晴の跡地の敷地広々と
国分寺跡地の敷地に冬の草
国分寺跡地の敷地に枯草が
見渡せば跡地の木々は冬もみじ
見渡せば僧寺の跡地散りもみじ

ホットドリンク(令和3年2月5~6日掲載分)


◎ ホットドリンク(令和三年二月五~六日掲載分)
● 令和三年二月五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その二十九 ホットコーヒー 
《今回の自選代表句と自句自解》

ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 

 十一月中旬の旅。今日は早朝に軽い朝食をとったので、かなり早めに昼食をとることにした。
 旧武蔵野国尼寺跡を後にして、次の場所への移動の途中で府中街道沿いにデニーズ西国分寺店を見かけたので妻と入店した。早いランチをとった後、ホットコーヒーを口にした。窓辺の冬紅葉を愛でながら一息ついた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十三)
冬の旅武蔵野線のガード下を
冬の旅高架線下潜り抜け
冬の旅高架を潜り道なりに
冬の旅すぐ目の前に信号機
冬の旅府中街道横断す
冬の旅妻と食事にデニーズヘ
早朝の食事考慮し冬の昼
冬の旅相当早めの昼食に
冬旅に府中街道沿いの店
冬の旅街道脇にデニーズが
※デニーズ・・・デニーズ西国分寺店
冬旅の休息兼ねて昼食に
冬の旅今後に備え昼食に
冬の昼軽音楽を耳にして
二人して食事楽しむ冬旅に
老夫婦昼食楽しむ冬の旅
冬の旅ゆっくり昼食楽しめり
旅先で食後のホットドリンクを
旅先で食後のホットコーヒーを
ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 
冬の旅店の座席でひと休み
冬の旅ころあいを見て店を出る

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● 令和三年二月六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その三十 冬の風
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の薔薇元町通りの傍らに 

 十一月中旬の旅。途中で早めの昼食をとった後、再び次の目的地へ向かった。次は、東京都国分寺市立第四中学校の一部に設置されている文化財資料展示室である。
 妻と元町通りを歩いてゆくと路傍にバラの花が咲いていた。旅人の目を楽しませてくれた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十四)
冬の旅店出て再び歩きゆく
冬の旅再び妻と歩き行く
冬晴の府中街道北進す
冬の旅四中入口より右折
※四中・・・国分寺市立第四中学校のこと。
冬晴の元町通りを道なりに
冬の旅しばし道なりに歩きゆく
冬の薔薇元町通りの傍らに 
冬の旅妻と四中入口に
展示室の幟を揺らす冬の風
冬風に展示室の旗揺れ動く
冬の旅立ち寄る四中展示室
※四中展示室・・・文化財資料展示室
 国分寺市立第四中学校の一部に設置されている。同校内からは鍛冶工房跡が見つかっており、瓦、土師器、須恵器、灰釉陶器等の土器、鉄製品などを展示している。
 住田正一古瓦(各地の国分寺跡出土瓦)コレクションも展示している。入場無料、月曜日休館
冬の旅立ち寄る文化財展示室