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飯島治蝶の俳句ブログ(大人気・上位ランキング中)
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「人と自然 そして 旅と歴史」を主なテーマとした俳句プログです。マイペースで毎日更新して掲載しています。くつろぎながら、ご覧頂ければ幸いです。俳句作家(俳句楽者)飯島治蝶(いいじま じちょう)の俳句ワールドをどうぞご堪能下さい。

※ 私の俳句作品は、俳号を明記して掲載して頂ければ、無料&商用利用可能です。(にほんブログ村 ポエムランキング:outポイント順 5854サイト中 6位 2016年10月6日)

※《マイペースについて》
 月日のたつのが早いことのたとえに「光陰矢の如し」という諺があります。一年(春・夏・秋・冬)は、アッという間に過ぎ去ってしまいます。日々に追われる生活よりも、一度しかない人生を思い出の多いものにしたいという思いで、俳句を楽しませて頂いています。謂わば、生きた証の思い出綴りの俳句ブログという一面があります。人生訓に、「気は長く、心は丸く、腹を立てず、人には寛大に接し、 己を小さく、謙虚にすべし。」 (達磨大師の言葉)や「気は長く、心は丸く、腹立てず、口慎めば、命長かれ」などがあるように、人生賛歌のスローな気の長い俳句ライフをご理解して頂ければ幸いです。

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 ○ 「気」と俳句の会 (「さくらの会」代表)
 《元・現代俳句協会会員》
 《元・花冠(旧水煙)同人》

◆ 飯島治朗(治蝶)電子書籍 ◆
 飯島治朗句集『雲梯』 (花冠発行所)
 花冠合同句集『橘』   (花冠発行所)
※ いずれも書名[ 飯島治朗句集『雲梯』 ]や[ 花冠合同句集『橘』 ]で検索。ダウンロードしてご覧下さい。

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≪備考≫
 このブログは、飯島治蝶の俳句関連ブログの第三章です。 なお、第一章《アドレスhttp://blog.goo.ne.jp/suien01》と第二章《アドレスhttp://blog.goo.ne.jp/suien06》及び第四章《アドレスhttp://blog.livedoor.jp/psn86584/》については、上記のアドレスをクリックすれば御覧頂けます。

(日々の掲載終了のお知らせ) 
 いままで愛読ならびにご支援ありがとうございました。永年、日々の記事の掲載に努力してきましたが、近年のインターネットの精巧かつセキュリティの厳格化により以前より記事の掲載に多大な時間が掛かるようになりました。高齢化していく我が身からは、今後も日々継続して記事を掲載していくのは困難と判断し、勝手ながら今回をもって記事の継続的な掲載は終了とさせていただきます。
 掲載期間約十年間、「にほんブログ村」と「人気ブログランキング」のサイト(俳句)で、常に俳句ランキング5〜7位という上位にいられたのも皆様のお陰です。感謝申し上げます。
 これまでご愛顧いただき誠にありがとうございました。改めて、厚く御礼申し上げます。皆々様の御多幸をお祈りいたします。合掌。  
        平成28年11月6日   飯島 治蝶

《お礼》
 ブログランキングサービスの提供サイトのひとつである旧「ブログセンター」(GMO Media)が、2011年3月末日でサービス終了となり、閲覧が出来なくなりました。いままで、ご愛顧頂き、誠にありがとうございました。私の「治蝶俳句ブログ」はお陰様で、俳句ブログランキング第一位のままで終了することができました。ご愛顧下さいました皆々様に厚くお礼申し上げます。
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冬の庭 (平成30年1月24〜25日)

2018/01/18 02:59

◎ 平成三十年一月二十四〜二十五日 冬の庭

● 平成三十年一月二十四日 水曜日   
○ 十二月日々折々 その十三 冬枯れ

《今回の自選代表句と自句自解》

東御苑歩く道脇の石蕗の花 

 皇居東御苑内を天守台跡から汐見坂方面へ歩を進める。路傍にはこの時季にふさわしい黄色い石蕗の花が群れて咲いていた。枯れ色の多くなった冬景色に石蕗の花が明るい色どりを添えている。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その十二)
東御苑歩く道脇の欅枯れ
東御苑道脇の大樹冬枯れて
宮内庁楽部庁舎に枯芒
東御苑歩く道脇の石蕗の花 
東御苑楽部の脇に冬椿
旅先で冬の花ばな楽しめり
ここ皇居冬の花愛で汐見坂
㊟汐見坂・・・本丸と二の丸をつなぐ坂道です。昔はこの坂から今の新橋から皇居前広場近くまで日比谷入江が入り込み、海が見えたのが名称の由来です。坂を下りると,三代将軍徳川家光の命により小堀遠州が造ったとされる庭園を復元した二の丸庭園があります。坂の上には、汐見坂門が設けられていました。 (皇居参観ガイドより転載)
◎「旧江戸城汐見坂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十七》
冬うらら江戸の時代に思い馳せ
冬うらら日比谷の入江に思い馳せ
冬うらら今は都会のビルの海
冬うらら今は高層ビルの海

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● 平成三十年一月二十五日 木曜日   
○ 十二月日々折々 その十四 冬の庭

《今回の自選代表句と自句自解》

汐見坂眼下に広がる冬紅葉 

 皇居東御苑内の本丸と二の丸をつなぐ汐見坂に着いた。昔はこの汐見坂から今の新橋から皇居前広場近くまで日比谷入江が入り込み、海が見えたという。往時を想像しながら、眼下に広がる冬紅葉を眺め、さらにその奥に広がる高層ビル街を遠望した。まさに、隔世の感を禁じえない。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その十三)
冬晴の急坂右に白鳥濠
汐見坂眼下に広がる冬紅葉 
冬旅に二の丸雑木林の道
冬旅に雑木林の小道ゆく
東御苑落葉踏みしめ小道ゆく
カサコソと落葉踏みしめ小道ゆく
冬紅葉の林に幾種も鳥の声
冬紅葉愛でつつベンチでひと休み
冬紅葉木立の隙間に青空が
雑木林抜けて広がる冬の庭
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枯蓮 (平成30年1月22〜23日)

2018/01/16 03:00

◎ 平成三十年一月二十二〜二十三日 枯蓮

● 平成三十年一月二十二日 月曜日   
○ 十二月日々折々 その十一 枯蓮

《今回の自選代表句と自句自解》

橋の上眺める濠には枯蓮が 

 初冬の皇居乾通り一般公開。蓮池濠と乾濠との間に架かる西桔橋(にしはねばし)から蓮池濠を見ると濠は枯蓮に埋め尽くされていた。濠の冬景色そのものであった。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その十)
下道灌濠の周りに冬紅葉
冬紅葉吹上御所の程近く
冬の旅乾通りを右に折れ
冬の旅乾通りを右折して
冬日差す西桔橋(にしはねばし)を渡りゆく
冬晴の西桔橋を二人して
冬の晴橋の左に乾濠
冬の晴橋の右には蓮池濠
橋の上眺める濠には枯蓮が 
冬旅に石垣沿いの坂登る

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

● 平成三十年一月二十三日 火曜日   
○ 十二月日々折々 その十二 枯芝

《今回の自選代表句と自句自解》

天守台上空明るく冬晴れて 

 江戸城の天守台。天守台傍から見上げると冬晴れの青空が明るく広がっている。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その十一)
登りゆく狐坂脇に冬紅葉
冬の旅東御苑に辿りつく
㊟東御苑・・・皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)は、東京都千代田区の皇居の東側に付属している広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。
 歴史[編集]
 当地はかつての江戸城の本丸・二の丸・三の丸跡に位置し、少し離れた場所の西の丸を含めた、この範囲のことを江戸城といった。
 明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設があった。戦後の1963年に特別史跡に指定され、1968年10月1日から一般に公開されるようになった。
 苑内は緑豊かな雑木林に日本庭園や皇室関連の施設、江戸城の遺構など歴史的な史跡も見ることができ、国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れる。
(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「皇居東御苑について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十四》
冬晴の東御苑の空青し
冬の旅右手に江戸城天守台
冬の旅ここは城の天守閣跡
㊟天守閣跡・・・天守閣跡(てんしゅかくあと)
江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。
 天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
 しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mです。
本丸は二の丸と共に宮殿造営の際に整備され、皇居東御苑として一般に公開されています。 (皇居参観ガイドより転載)
◎「江戸城天守閣跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十五》
天守台上空明るく冬晴れて 
江戸城の本丸の跡は枯芝に
㊟本丸の跡・・・本丸の跡(ほんまるのあと)
本丸地区は、江戸城の中心をなし、周囲に石垣と濠をめぐらした高台で、約13万平方メートル(約4万坪)と最も広い場所です。
 江戸城は、天正18年(1590年)の徳川家康入城以来、秀忠、家光の三代にわたって完成されたのですが、その当時の本丸の建物は表・中奥・大奥からなる壮大豪華な殿舎(面積約一万一千坪)が所せましとたちならんでいました。天守閣のほか、櫓が十棟、多聞十五棟、諸門二十数棟がありました。
 現在は、本丸跡地として、大きな芝生の広場になっています。芝生のず〜っと向こうに見える石垣が天守閣跡になります。 (皇居参観ガイドより転載)
◎「江戸城の本丸の跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十六》
江戸城址本丸の跡に枯芝生
冬ざれや栄枯盛衰昔より
冬紅葉北側に桃華楽堂が
冬の晴書陵部庁舎の背に紅葉
㊟宮内庁書陵部庁舎…40万点に及ぶ皇室の古文書と全国に存在する陵墓の管理を行っている。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の皇居東御苑の項目より転載)
冬紅葉奥には桃華楽堂が
㊟桃華楽堂・・・香淳皇后の還暦を祝い、1966年に建てられた音楽堂。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の皇居東御苑の項目より転載)
山茶花が汐見坂への道脇に
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冬の風 (平成30年1月20〜21日)

2018/01/14 00:21

◎ 平成三十年一月二十〜二十一日 冬の風

● 平成三十年一月二十日 土曜日   
○ 十二月日々折々 その九 冬の風

《今回の自選代表句と自句自解》

冬紅葉富士見櫓を背に写真 

 初冬の皇居乾通り一般公開。皇居での紅葉狩り。有名な富士見櫓を背にして写真を撮った。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その八)
冬紅葉の写真に宮内庁庁舎
㊟宮内庁庁舎・・・宮内庁庁舎(くないちょうちょうしゃ)
昭和10年(1935年)に建築された建物で,庁舎3階は,昭和27年(1952年)に改装され,昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間,仮宮殿として使用されていました。 (宮内庁サイトより転載)
宮内庁は1日午前11時過ぎ、皇居内の宮内庁庁舎3階「特別会議室」で午前9時47分ごろから行われていた、天皇陛下の譲位日決定の前提となる皇室会議が終了したと発表した。
 6月に成立した陛下の譲位を可能とする特例法は、譲位日を決める際、皇室会議からの意見聴取を義務付けている。会議は非公開で行われ、結果の概要は会議に陪席した菅義偉官房長官が記者会見で説明する。(産経ニュースより転載)
◎「宮内庁庁舎について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十二》
冬の旅ニュースで話題の場所に来て
冬の晴写真撮影の人多し
宮内庁庁舎の国旗冬風に
庁舎前国旗を揺らす冬の風
冬紅葉富士見櫓を背に写真 
㊟富士見櫓・・・現在のものは明暦の大火の後(1659年)に再建されたもの。江戸城の天守は、明暦の大火で焼失した後に再建されることがなかったので、それ以後、江戸城のほぼ中央に位置していたこの富士見櫓を天守の代わりにした。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の皇居東御苑の項目より転載)
冬紅葉富士見櫓を背にパチリ
冬紅葉乾通りの道沿いに
冬紅葉左に蓮池参集所
冬紅葉背にして蓮池参集所
冬紅葉愛でつつ歩く皇居内
冬紅葉愛でつつ石垣沿いの道
冬紅葉愛で濠沿いの道歩く

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● 平成三十年一月二十一日 日曜日   
○ 十二月日々折々 その十 冬黄葉

《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴の道沿い深紅のオオモミジ 

 初冬の皇居乾通り一般公開。乾通りの沿道にひと際紅いオオモミジが、目に飛び込んできた。深い紅の紅葉が冬の日を浴びて、実にきれいだ。写真を撮る人も多い。外人観光客も紅葉狩りを楽しんでいる。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その九)
道沿いに黄や紅色の冬もみじ
冬黄葉愛でつつ歩く皇居内
皇居内山下通りに冬紅葉
冬紅葉愛でつつ通りを二人して
冬晴の道沿い深紅のオオモミジ 
冬晴の乾通りに外国人
外人もまじる初冬の紅葉狩
皇居内局門傍に冬桜
皇居内冬桜背に写真撮る
皇居内蓮池濠に枯蓮
枯蓮富士見多聞の櫓背に
㊟富士見多聞・・・富士見多聞(ふじみたもん)
1.富士見多聞の概要
 多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設でした。
 江戸時代の江戸城本丸には,このような多聞が,各所に築かれていましたが,現存するのは,この富士見多聞だけです。
 今は見られませんが,かつては,この富士見多聞から,実際に富士山を望むことができたと考えられます。
2.富士見多聞の場所は,皇居東御苑内にあります。(宮内庁HPより転載)
本丸跡である「東御苑」に残る平屋の櫓(やぐら)。
◎「富士見多聞について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十三》
富士見多聞背にして明るき冬紅葉
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・秋の写真」の〈十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り〉に「富士見多聞と冬紅葉」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
冬の晴ゆるゆる楽しむ紅葉狩
冬紅葉道灌濠の周辺に
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白鳥 (平成30年1月18〜19日)

2018/01/12 00:01

◎ 平成三十年一月十八〜十九日 白鳥

● 平成三十年一月十八日 木曜日   
○ 十二月日々折々 その七 白鳥

《今回の自選代表句と自句自解》

常緑の松冬晴の青に映ゆ 

 皇居外苑の常緑の松に冬晴れの青空がよく映えて見える。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その六)
ここ皇居蛤濠に白鳥が
ここ皇居蛤濠に浮寝鳥 
ここ皇居お濠に群れし冬の鴨
冬晴のお濠の水を潜るバン
冬の晴石垣映す濠の水
冬の晴松影映す濠の水
冬の晴垣上の松に青鷺が
石垣の緑の松に残り鷺 
常緑の松冬晴の青に映ゆ 
ここ皇居濠上空を百合鷗

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● 平成三十年一月十九日 金曜日   
○ 十二月日々折々 その八 冬椿

《今回の自選代表句と自句自解》

坂下門門入り飛び込む冬紅葉 

 初冬の皇居乾通り一般公開。坂下門は十時に開門された。門を潜り抜けると目に紅葉が飛び込んできた。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その七)
冬の朝門に取材のカメラマン
冬の朝十時に開門坂下門
冬紅葉カメラ片手に門に入る
坂下門門入り目に入る冬紅葉
坂下門入りて目に入る冬紅葉
坂下門門入り飛び込む冬紅葉 
坂下門入りて目に入る冬椿
旅先の写真に宮殿・冬紅葉
㊟宮殿・・・宮殿(きゅうでん)
 宮殿は、昭和39年7月に起工、昭和43年10月に完工したもので、新しい技術と材料の中に伝統の美しさを十分に取り入れ、「親愛と平明」を主調として設計されており、その中心をなす正殿(せいでん),豊明殿(ほうめいでん),長和殿(ちょうわでん),連翠(れんすい),千草(ちぐさ)・千鳥(ちどり)の間など7つの棟から構成されています。
 様式は日本宮殿の伝統を重んじ、深い軒の出を持つ勾配屋根をかけた鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階、地下1階、延べ約2.3万平方メートル(7000坪)の建物となっています。また、宮殿は銅瓦葺きの屋根で、京都、奈良などの古い寺が土瓦の急勾配の屋根を持つのに反し、ゆるい勾配のものとして平明な感じを出す一方、屋根の構造を入母屋造りと、一部寄棟造りとしたことで、伝統的な面も併せ表現しています。
 さらに、色彩としても、銅瓦茸き屋板の人工発色の「緑青色」、古い木造の味を持たせた、硫化いぶし仕上げブロンズ板張りの柱・梁の「茶褐色」、それに漆喰壁の感じのアクリル特珠加工のアルミ壁の「白色」、この三色を基本にしています。
 現在の宮殿の場所には、明治宮殿がありましたが、明治、大正、昭和の三代にわたり、数々の国家的行事が行われましたが、第二次大戦で空襲にあい焼失しました。
 現在の宮殿は,天皇皇后両陛下のお住まいになるところではなく,国賓等の接伴や国の公の儀式・行事などに使われています。(皇居参観ガイドより転載)
◎「皇居宮殿について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十一》
宮殿の前庭に紅き冬椿
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冬着 (平成30年1月16〜17日)

2018/01/10 02:01

◎ 平成三十年一月十六〜十七日 冬着

● 平成三十年一月十六日 火曜日   
○ 十二月日々折々 その五 冬着

《今回の自選代表句と自句自解》

外苑に冬着の並ぶ人の列 

 初冬の皇居乾通り一般公開。皇居外苑には、冬着の人達が列を成していた。我々も最後尾に並んだ。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その四)
冬の朝通りを渡り外苑に
皇居前要所要所に警察官
目の前の皇居の空は冬晴て
冬の朝皇居上空青あおと
冬の朝皇居外苑に人の列
外苑に冬着の並ぶ人の列 
冬の晴列にちらほら外国人
冬紅葉皇居外苑に外国人
列の中毛糸帽子の見え隠れ
冬の朝九時より並ぶ紅葉狩

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

● 平成三十年一月十七日 水曜日   
○ 十二月日々折々 その六 冬の朝

《今回の自選代表句と自句自解》

人並ぶ皇居外苑冬晴に 

 初冬の皇居乾通り一般公開。冬着の人達が列を成している皇居外苑は、冬晴れの青空が気持ちが良い程広がっている。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その五)
人並ぶ皇居外苑冬晴に 
冬の朝背中の陽射ポカポカと
ヘリコプター音たて晴れた冬空に
冬の晴上空旋回取材ヘリ
冬紅葉離れて眺む待ち時間
冬の朝皇居外苑に鳥の声
二重橋冬紅葉入れ写真撮る
冬の朝DJポリスの声響く
冬の朝九時半ボディーチェック受く
冬の朝坂下門にて時間待ち
㊟坂下門・・・坂下門(さかしたもん)
西の丸大手門と桔梗門(内桜田門)との間にあり、宮内庁への出入り口となっています。
ここは西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられています。
 公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が、文久2年(1862)水戸浪士を中心とする尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士に坂下門外で襲われた事件があったところで、「坂下門外の変」で知られています。 (皇居参観ガイドより転載)
◎「坂下門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百八十》
冬紅葉坂下門前時間待ち
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着膨れ (平成30年1月14〜15日)

2018/01/08 02:29

◎ 平成三十年一月十四〜十五日 着膨れ

● 平成三十年一月十四日 日曜日   
○ 十二月日々折々 その三 着膨れ

《今回の自選代表句と自句自解》

着膨れの車窓に江戸川見え隠れ 

 初冬の紅葉狩りに皇居へと徒歩と電車で向かう。通勤時間のため千代田線の車内は満員。着膨れの車中はすし詰め状態。そんな電車の車窓から冬晴れの江戸川が見え隠れして見える。ほっとできる冬景色だ。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その二)
着ぶくれの通勤ラッシュ千代田線
着膨れの車窓に江戸川見え隠れ 
江戸川に枯れ色増えゆく初冬かな
冬晴の荒川に浮かぶ浚渫船
冬の朝人込む乗車の千代田線
冬の朝人をはき出す大手町
冬の旅二重橋前 駅で下車
冬の旅地下鉄駅降り地上へと
冬小旅二番出口より地上へと
冬晴に地上の景色明るくて

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      

● 平成三十年一月十五日 月曜日   
○ 十二月日々折々 その四 冬枯

《今回の自選代表句と自句自解》 

冬黄葉日比谷通りの沿道に 

 千代田線の二重橋前駅から日比谷通り付近に出る。日比谷通りの沿道の冬黄葉がビル街に明るく見える。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その三)
冬の旅二重橋前駅より徒歩
冬の旅馬場先濠がすぐ右に
冬の旅左に日比谷濠が見え
冬の朝駅降り皇居外苑へ
冬黄葉日比谷通りの沿道に 
㊟日比谷通り・・・日比谷通り
東京都千代田区大手町から港区芝までの道路の呼び名。沿線に日比谷公園・増上寺・芝公園などがある。(デジタル大辞泉より転載)
通り沿い銀杏並木の冬黄葉
歩きゆく皇居前広場冬日浴び
歩きゆく皇居前広場冬枯て
冬小旅内堀通り渡り越す
冬の朝通りに多き交通量
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息白し (平成30年1月12〜13日)

2018/01/06 01:23

◎ 平成三十年一月十二〜十三日 息白し

● 平成三十年一月十二日 金曜日   
○ 十二月日々折々 その一 息白し

《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の夜スーパームーンに酔いしれて

 平成29年12月4日の夜、今年最大の満月のスーパームーンを観賞した。普段よりも大きく、そして明るい満月に暫し酔いしれた。

冬の晴登校子の影長ながと 

 家の近くの道は、通学路になっている。今朝はよく晴れている。道行く登校児童の影が児童の二倍以上に長く伸びている。改めて冬の到来を実感する。

(十二月上旬 日常生活@)
狭庭の我が家の藤は冬黄葉
冬満月黄味帯び空に煌煌と
冬の夜スーパームーンに酔いしれて 
㊟スーパームーン・・・スーパームーン (Supermoon) とは、満月または新月と、楕円軌道における月の地球へ の最接近が重なることにより、地球から見た月の円盤が最大に見えることである。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
 今年最大の満月
 12月4日の満月は、今年地球に最も近い満月(注1)です。
月は、12月4日に日付が変わったばかりの0時47分に満月となり、その後17時46分に近地点(注2)を通過します。満月のときの地心距離(注3)は約35万8千キロメートル、視直径(注4)は33分22秒角です。なお、翌月の2018年1月2日には、12月4日よりも月がさらに地球に近い距離で満月となります。このときの地心距離は35万7千キロメートル、視直径は33分30秒角です。
 月が地球に近いということは、それだけ大きく見えるということです。(国立天文台NAOJサイトより転載)
◎「今年のスーパームーンについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十七》
冬の晴登校子の影長ながと 
冬の晴登校子らの弾む声
通学路登校子らの息白し
冬の朝通学路ゆく親子連れ
冬の晴「永世七冠」羽生達成
㊟「永世七冠」羽生達成・・・
 鹿児島県指宿市で4日から行われた将棋の第30期竜王戦七番勝負(読売新聞社主催)の第5局は5日午後4時23分、挑戦者の羽生善治棋聖(47)が渡辺明竜王(33)に87手で勝ち、対戦成績を4勝1敗として15期ぶり通算7期目の竜王となり、永世竜王の資格を得た。棋士生活32年で永世称号の制度がある7タイトル戦のすべてで、永世資格を持つ史上初の「永世7冠」を達成した。(毎日新聞より転載)
◎『「永世七冠」羽生達成』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十八》

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● 平成三十年一月十三日 土曜日   
○ 十二月日々折々 その二 冬服

《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴に誘われ皇居へ紅葉狩 

 朝から今日も良く晴れている。天気が良いので、妻とテレビで報道されている皇居乾通り一般公開に参加することにした。初冬の紅葉狩りである。

(十二月上旬 皇居乾通りの紅葉狩り その一)
冬晴に誘われ皇居へ紅葉狩 
冬晴に妻連れ皇居へ紅葉狩
冬の晴皇居一般公開に
冬の朝乾通りの公開に
㊟皇居乾通り一般公開・・・ 平成29年12月2日(土)から12月10日(日)までの9日間,秋季皇居乾通り一般公開を実施します。
 各日,入門時間は午前10時から午後2時30分までとし,皇居坂下門から参入,皇居乾門から退出,又は皇居東御苑の大手門,平川門若しくは北桔橋門から退出となります。
 皇居乾通り一般公開は,平成26年に,天皇陛下の傘寿を記念して,初めて春季と秋季に実施したもので,大変好評であったことにかんがみ,平成27年秋季から,毎年春季の桜の時期と秋季の紅葉の時期に実施しているものです。(宮内庁HPより転載)
◎「皇居乾通り一般公開」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十九》
冬の朝八時に松戸の家を発つ
冬の朝日差しを浴びて向かう駅
会話する老夫婦らの息白し
冬の朝松戸駅にて電車待ち
冬服の人込むホーム松戸駅
冬の朝千代田線乗り二重橋へ
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冬夕焼 (平成30年1月10〜11日)

2018/01/04 00:11

◎ 平成三十年一月十〜十一日 冬夕焼

● 平成三十年一月十日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その五十 冬夕焼

《今回の自選代表句と自句自解》

「みのりの湯」露天の風呂より冬夕焼 

 千葉県柏市にある「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」で冬の一日を過ごす。温泉と食事と大衆演劇観賞などを満喫するため、最後に帰り際の夕方、再び内湯と外湯の湯巡りをした。外湯の露天風呂に入る。夕焼けがきれいだ。上気した裸身にひんやりとした風が気持ちいい。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十五)
冬の夕帰宅の前に内湯へと
冬夕べ名残の内湯にまったりと
冬の夕帰宅の前に天然湯
冬の夕帰宅の前に外風呂へ
「みのりの湯」露天の風呂より冬夕焼 
「みのりの湯」西空染める冬夕焼
外風呂へ入る裸に冬の風
冬夕べ裸体に吹く風ひんやりと
冬の夕とっぷり浸かる天然湯
冬の夕着換えを終えてフロントへ
冬の夕会計済ませて玄関へ
冬の夕退館後にバス乗り場へと

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

● 平成三十年一月十一日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その五十一 冬の暮

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の夜湯疲れをしてぐっすりと 

 千葉県柏市にある「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」で冬の一日を過ごす。午前と夕方二度温泉を楽しんだ。内湯と外湯の湯巡りを二度楽しんだ。湯疲れもあり、翌朝まで十時間以上熟睡した。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十六)
五時発の送迎バス乗り冬の旅
冬の旅バスの客らと会話して
冬の夕バス降り向かう柏駅
冬の宵イルミネーションきらきらと
冬の宵駅に乗降客あまた
冬の宵柏駅より松戸へと
宵闇の松戸の街に冬灯
冬の旅終えて帰宅は午後六時
冬の暮旅終えて妻と無事帰宅
冬の夜湯疲れをしてぐっすりと 
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冬夕べ (平成30年1月8〜9日)

2018/01/02 02:16

◎ 平成三十年一月八〜九日 冬夕べ

● 平成三十年一月八日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その四十八 冬の日

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の午後十三名の舞踏観る

 冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」での大衆演劇「煌座」の千秋楽の第二部は、花の舞踊絵巻。二歳の幼児から七十二歳まで年齢幅のある役者たち十三名が舞台でいろいろな舞踏を披露した。舞踏に魅了された観客からのお捻りも多い。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十三)
冬の会演者の首や腰にレイ
冬の会演者の胸に万札が
冬の会華麗に踊る煌乙友羽(あきおとは)
冬の会「とおる」は粋な踊りして
冬の会煌結羽(あきゆう)可憐な舞踏して
冬の会座長の舞踏にメリハリが
冬灯下座長の着物に京一郎
冬の午後十三名の舞踏観る 
冬の日の午後に楽しむ演芸会
冬の午後妻と楽しむ演芸会
冬の会十余の団員フィナーレに
冬灯舞台に並ぶ十三名

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● 平成三十年一月九日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その四十九 冬夕べ

《今回の自選代表句と自句自解》

冬旅に演芸十分楽しめり 

 冬の小さな柏への温泉旅行。演芸のたっぷり楽しめた。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十四)
冬の会支配人より敢闘賞
冬の会楽日のあいさつする座長
冬の会観客席より湧く拍手
冬の会終演に客大拍手
冬旅に大衆演芸三時間
冬旅に演芸十分楽しめり 
冬の会終えし座長と握手して 
冬灯ビンゴゲームは終演後
冬夕べ帰宅の前にまた風呂へ
冬の旅名残を惜しみまた風呂へ
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十一月 (平成30年1月6〜7日)

2017/12/31 00:22

◎ 平成三十年一月六〜七日 十一月

● 平成三十年一月六日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その四十六 初冬

《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の会時折観客大笑い 

 冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」での大衆演劇「煌座(きらめきざ)」の千秋楽の演目は、「伊太郎旅唄」という股旅物(またたびもの)であった。涙あり、笑いありの出し物の途中、観客席から何度も笑い声が響いた。

冬の会座長見事な立ち回り 

 冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」での大衆演劇「煌座」の千秋楽の演目は、「伊太郎旅唄」という股旅物であった。座長は舞台で見事な立ち回りを見せた。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十一)
冬の会セリフに「一宿一飯」と
㊟一宿一飯(いっしゅく-いっぱん)・・・ちょっとした世話になること。また、ちょっとした恩義でも忘れてはいけないという戒めの語。旅先などで、一晩泊めてもらったり一度食事を恵まれたりする意から。▽「一宿」は旅先などで一晩泊めてもらうこと。「一飯」は一回の食事をごちそうになる意。昔、博徒ばくとの間では、旅の途中で泊めてもらったり食事を振る舞われたりして世話になると、生涯の恩義とする仁義があった。
一宿一飯の句例 ◎一宿一飯にあずかる(goo辞書より転載)
◎「一宿一飯とは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十六》
冬の会芝居のセリフに「中仙道」
冬の会時折客の笑い声
冬の会時折観客大笑い 
冬の会役者のチャンバラ拍手湧く
冬の会座長見事な立ち回り 
冬の会観客随所で大拍手
冬の会第一部の芝居面白し
「煌座」初冬の公演面白し
冬の会口上述べる煌(あき)座長
霜月に公演五十九回目

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● 平成三十年一月七日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その四十七 十一月

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の会第二部舞踏次つぎと 

 冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」での大衆演劇「煌座」の千秋楽の第二部は、花の舞踊絵巻。十余名の劇団員は、次々と艶やかな舞いを披露した。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十二)
霜月の今日が千秋楽と座長
十一月末の本日千秋楽
冬の会座長観客に礼述べて
冬の会午後二時半より第二部に
冬の会舞踊絵巻の第二部に
冬の午後第二部の舞踏開幕す
冬の会二部開幕に拍手湧く
冬の会第二部舞踏次つぎと 
冬の会演者へ観客お捻りを
冬の会演者へお捻り次つぎと
冬の会役者へ観客プレゼント
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冬の昼 (平成30年1月4〜5日)

2017/12/29 01:09

◎ 平成三十年一月四〜五日 冬の昼

● 平成三十年一月四日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その四十四 冬の昼

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の午後大衆演劇観賞に

 冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」で昼食の後、楽しみにしていた「煌座(きらめきざ)」の大衆演劇を観に行った。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その九)
冬の昼焼き鳥片手に二杯目を
冬の昼飲み終え好きな蕎麦啜る
冬の昼飲み終え最後に蕎麦啜る
冬の昼食事を済ませ買い物に
冬の午後大衆演劇観賞に 
㊟大衆演劇・・・気軽に楽しめる、大衆のための演劇
大衆演劇とは、その名の通り、大衆のための演劇です。庶民が楽しめるように比較的小規模の劇場で上演しています。
一般的に劇場での公演は「お芝居」「歌謡・舞踏ショー」などの構成を組合わせています。十人十色な劇団・役者の中から、お気に入りを見つけるのも大衆演劇を楽しむ秘訣です。観劇初心者にも非常に分かりやすい構成になっているので、気軽にお楽しみいただけます。
お芝居劇・舞台ショーの内容について
「芝居」と「舞台ショー」の2部構成が主流公演内容は「芝居」と「舞台ショー」といわれる主な2つの構成で合わせて約2〜3時間程になります。
「芝居」は人情劇や喜劇等をはじめとする股旅物を含む時代劇になります。「舞踊ショー」は個人舞踊や組舞踊等の創作舞踊になります。特に劇場公演では芝居・舞踊共に毎日替えとなっている場合が多い為、昼夜替えで休演日無しの場合は60本近い演目が必要とされる事もあります。(大衆演劇場ガイドサイトより転載)
◎「大衆演劇とは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十四》
冬の日の午後「煌座」の演劇を
※「煌座(きらめきざ)」・・・座長 煌京一郎(あき きょういちろう)
冬の午後一時より妻と観劇を
冬の会花道脇の指定席
冬の午後名札貼られた席に座す
冬の会妻は隣の指定席
冬の会観客席に二百余名

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● 平成三十年一月五日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その四十五 霜月

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の会股旅物に拍手湧く

冬の日の午後、「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」での大衆演劇「煌座(きらめきざ)」の千秋楽の演目は、「伊太郎旅唄」という股旅物(またたびもの)であった。開幕し、大きな拍手が湧いた。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その十)
冬の会大衆演劇二部構成
冬の日の午後一時より開演す
冬に千秋楽お別れ狂言を
霜月に楽日のお別れ狂言を
冬の午後「伊太郎旅唄」開幕す
冬の午後芝居開幕に拍手湧く
冬の会股旅物に拍手湧く 
㊟股旅物(またたびもの)・・・小説・演劇・映画などで、各地を流れ歩く博徒などを主人公にして義理人情の世界を描いたもの。昭和初頭から使われるようになった語。(goo国語辞書より転載)
◎「股旅物とは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十五》
冬の会芝居の役者「親分」と
冬の会BGMに尺八の音
冬に観る股旅物劇面白し
冬の会「伊太郎旅唄」面白し
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牡蠣 (平成30年1月2〜3日)

2017/12/27 00:21

◎ 平成三十年一月二〜三日 牡蠣

● 平成三十年一月二日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その四十二 冬紅葉

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の晴紅葉愛でつつ露天風呂 

 冬晴れのなか、日差しを浴びての天然温泉の露天風呂。それだけでも気持ちが良いのに、冬紅葉まで楽しめた。とても贅沢な気分だ。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その七)
冬の晴露天の天然温泉に
冬の晴紅葉愛でつつ替り風呂
冬の晴紅葉愛でつつ露天風呂 
天然の露天風呂より冬紅葉 
冬の日を浴びる壺湯にゆったりと
「みのりの湯」冬日を浴びて化石風呂
冬の旅寝湯浸かりて見るテレビ
冬の旅頃合いはかり風呂を出る
冬灯リラックスルームにてテレビ
冬の昼休憩室にて時間待ち
冬の昼妻と二階の「かしわ亭」
冬の昼湯上がりセットを注文し

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● 平成三十年一月三日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その四十三 牡蠣

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の昼妻と湯あがりの生ビール 

 冬の旅先の「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」で、内湯と外湯巡りを楽しんだ後、「かしわ亭」で昼食。先ず、湯あがりにジョッキの生ビールで乾杯した。「うまい!」

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その八)
冬の昼先ず生ビールとお摘みを
冬の昼妻とビールで乾杯す
冬の昼妻と乾杯の生ビール
冬の昼妻と湯あがりの生ビール 
冬の昼ジョッキ手にして先ずビール
冬の昼ジョッキ手にして先ず口へ
冬の昼湯あがりに先ず生ビール
冬の昼飲む間に枝豆・餃子食む
昼食に妻は牡蠣フライ定食を
「かしわ亭」妻食む旬の牡蠣フライ
冬の昼相席の人とする歓談
冬の昼相席同士と雑談す
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冬日和 (平成29年12月31日〜平成30年1月1日)

2017/12/25 01:10

◎ 平成二十九年十二月三十一日〜平成三十年一月一日 冬日和

● 平成二十九年十二月三十一日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その四十 冬灯

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅壁に放映ポスターが 

 冬の旅先の「みのりの湯」の館内に、テレビ東京の「そうだ旅に行こう 全国6大ご当地健康ランドSP 」で放映された写真と記事が貼られていた。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その五)
冬の旅受付済ませ温泉へ
「みのりの湯」センター内に冬灯
冬灯館内壁にポスターが
冬灯下壁に「煌座」ポスターが
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・冬の写真」の〈十一月下旬 『天然温泉「みのりの湯」(千葉県柏市)』〉に『「煌座(きらめきざ)」公演 千秋楽』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
冬灯下壁に放映ポスターが
※放映ポスター・・・みのりの湯がテレビで紹介されました。
 テレビ東京 そうだ旅に行こうSP全国6大ご当地健康ランドで紹介
全国各地の健康ランドを巡る旅を取り上げたコーナーで紹介されました。
テレビ東京  そうだ旅に行こう 全国6大ご当地健康ランドSP
 澤部佑とアニマル浜口・浜口初枝夫妻が健康ランド巡りをする。
一行は「みのりの湯 柏健康センター」に来店。癒やしと美容と芝居、一石三鳥を謳い文句に地元の人に愛され続けている健康ランドで露天風呂、岩盤浴、雪風呂を堪能した。(天然温泉みのりの湯 柏健康センターHPより転載)
◎『「みのりの湯」がテレビに』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十三》
冬の旅館に放映ポスターが 
冬の旅壁に放映ポスターが 
冬旅に見るポスターの写真・記事
冬旅に見て納得の記事内容
冬の旅用件済ませ温浴に
冬灯下巡る「みのりの湯」の内湯
「みのりの湯」内湯を巡る冬の午後

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● 平成三十年一月一日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その四十一 冬日和

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅氷口にしサウナ風呂 

 冬の旅先の「天然温泉みのりの湯 柏健康センター」に入館し、温浴を楽しむ。サウナでは、入る前に入口にある氷を口に含んで、サウナ風呂を楽しんだ。初体験だ。ちょっと乙(おつ)な楽しみ方だ。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その六)
冬の旅内湯の天然温泉へ
冬の旅先ずジャグジージットバス
冬の旅続いて入る電気風呂
冬の旅漢方薬湯にまったりと
大風呂の天然温泉浸かる冬
冬の旅氷を口にサウナ風呂
冬の旅氷口にしサウナ風呂 
冬の旅続いて入る塩サウナ
冬の旅内湯の後は外風呂へ
冬晴に巡る「みのりの湯」の外湯
「みのりの湯」外風呂巡る冬日和
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山茶花 (平成29年12月29〜30日)

2017/12/23 00:09

◎ 平成二十九年十二月二十九〜三十日 山茶花

● 平成二十九年十二月二十九日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その三十八 山茶花

《今回の自選代表句と自句自解》

街中に時折見かける冬紅葉 

 冬晴れの朝。柏駅から「みのりの湯」の送迎バスに乗った。車中、見知らぬ常連さんと雑談をした。雑談しながら、町なかでの車窓の冬景色を楽しむ。山茶花や冬紅葉や銀杏の冬黄葉や枯れ木などを時折見かけた。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その三)
冬の旅六号線をバス越えて
㊟六号線・・・国道6号(こくどう6ごう)は、東京都中央区から宮城県仙台市へ至る一般国道である。東京都中央区日本橋から水戸市を経て仙台市に至る路線。仙台市まで福島県中通りを通る国道4号とは異なり、関東平野を縦断し、水戸から太平洋沿いに北進し福島県浜通りを通る。全線(特に千葉県から宮城県にかけての区間)にわたり常磐自動車道及び常磐線と並走する。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
送迎のバスの車窓に冬日差
冬の旅車窓に山茶花流れゆく
冬の朝バスは現在「あけぼの町」
「あけぼの町」上空真青の冬の空
冬の晴民家ベランダに洗濯物 
冬の晴干し物民家のベランダに
冬の旅車窓に紅葉流れゆく
街中に時折見かける冬紅葉 
冬の旅銀杏黄葉を車窓より

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● 平成二十九年十二月三十日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その三十九 枯木

《今回の自選代表句と自句自解》

「みのりの湯」クリスマスツリー館内に

 冬の朝九時半過ぎに柏の「みのりの湯」に到着した。館内に入ると白と青が点灯するキラキラとしたクリスマスツリーが飾られていた。とてもきれいなツリーだ。 

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その四)
ゆくバスの沿道に枯木ちらほらと
送迎バス車窓の景色に冬枯も
冬の旅バス乗り楽しむ冬景色
冬の旅乗車のバスはポカポカに
冬の旅バスの車窓に「みのりの湯」
冬の旅十分程で「みのりの湯」
㊟「みのりの湯」・・・天然温泉みのりの湯 柏健康センター
 ヒーリングリゾートみのりの湯では…
 天然温泉をはじめ、地域最大規模の岩盤浴や日本に数台しかない雪が舞い降りるロマンチックな雪風呂、天然ミネラルをたっぷり含んだ岩塩浴等々贅を尽くしたくつろぎのヒーリングスペースをご用意しました。( 天然温泉みのりの湯 柏健康センターHPより転載)住所 千葉県柏市十余二249
 ユニークなヒーリングゾーンでリフレッシュ
 入浴はもちろんのこと、劇団による公演や歌謡ショーの観覧など、さまざまな楽しみ方ができるエンターテインメント性豊かなスパ。温泉は男女別で、屋内に6種、屋外に5種類ずつある。ジェットバスやひのき風呂などの王道から、化石がモチーフの岩風呂といったユニークなものまで多彩。また、岩盤浴などが楽しめるヒーリングゾーン(利用料:平日900円、土日祝980円)は、専用の浴衣を着用するので男女一緒に入れる。ほてった体を人工雪で少しずつ冷やしていく、日本では珍しいスノースパもある。〈ウォーカープラスサイトより転載〉
◎「天然温泉みのりの湯について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十二》
冬うらら数年振りの「みのりの湯」
冬の朝バス降り「みのりの湯」に入館
冬の旅十時前に入館す
館内にクリスマスツリー飾られて 
「みのりの湯」クリスマスツリー館内に 
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冬の朝 (平成29年12月27〜28日)

2017/12/21 00:54

◎ 平成二十九年十二月二十七〜二十八日 冬の朝

● 平成二十九年十二月二十七日 水曜日    
○ 十一月日々折々 その三十六 聖樹

《今回の自選代表句と自句自解》

冬晴に誘われ天然温泉へ

 今日は朝から冬晴れ。気持ちの良い青空だ。しかも最高気温の予想も二十度程とのこと。妻と千葉県柏市内にある「天然温泉みのりの湯 柏健康センター
」に数年振りに行くことになった。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その一)
よく晴れて青空広がる冬の朝
冬晴に誘われ天然温泉へ 
冬の朝妻連れ天然温泉へ
冬の旅朝八時半に出立す
冬晴に誘われ千葉県柏市へ
冬の晴松戸の地より柏へと
冬の朝乗車し向かう柏駅
冬の朝松戸駅より柏駅
ここ柏デパート前に立つ聖樹
高島屋店頭にクリスマスツリー
店頭にクリスマスツリー飾られて

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● 平成二十九年十二月二十八日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その三十七 冬の朝

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅常連多いバスの中 

 冬晴れの朝。柏駅から「みのりの湯」の送迎バスに乗った。車中は、常連客がほとんどであちらこちらで高齢者同士で会話をしている。我々夫婦も会話に入り、見知らぬ常連さんと雑談をした。「みのりの湯」の楽しみ方をいろいろ教えてもらった。もう既に温泉旅行気分。

(十一月下旬 天然温泉「みのりの湯」その二)
冬の朝駅より送迎バスに乗る
冬の朝企業バス乗り場より乗車
冬の旅バスにあまたな高齢者
冬の朝駅発送迎バス満車
冬の朝駅出る送迎バス満車
冬の朝送迎バスに常連客 
冬の旅常連多いバスの中 
冬の旅見知らぬ人とする歓談
冬の旅温泉情報ゲットして
冬の旅あちらこちらに話し声
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寒波 (平成29年12月25〜26日)

2017/12/19 01:39

◎ 平成二十九年十二月二十五〜二十六日 寒波

● 平成二十九年十二月二十五日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その三十一 寒波

《今回の自選代表句と自句自解》

寒波来て急いで取り出す防寒着

 寒波の襲来。何と一月の気温とか。取り急ぎタンスから防寒具を何種類か取り出した。今年は、急に冷え込んできた感がある。

(十一月下旬 日常生活@)
列島の北より近づく大寒波
大寒波急いで用意防寒着
寒波来て急いで取り出す防寒着
Amazonに電気毛布を発注す
㊟Amazon・・・Amazon.com, Inc.(アマゾン・ドット・コム、NASDAQ: AMZN)は、アメリカ合衆国・ワシントン州シアトルに本拠を構えるECサイト、Webサービス会社である。アレクサ・インターネット、A9.com、Internet Movie Database (IMDb) などを保有している。米国の一部地域においては、ネットスーパー(Amazonフレッシュ)事業も展開している[8]。
 2014年現在、Amazon.comがアメリカ国外でサイトを運営している国は、イギリス[9]、フランス[10]、ドイツ[11]、カナダ[12]、日本[13]、中国[14]、イタリア[15]、スペイン[16]、ブラジル[17]、インド[18]、メキシコ[19]、オーストラリア[20]、オランダ[21]の13国である。
 歴史[編集]
 WWW草創期の1994年7月にジェフ・ベゾスによってCadabra.com(カタブラ)としてワシントン州で法人格を取得し、インターネット書店が開業される。この cadabra はアブラカダブラから採られたものだが、ベンチャー計画を弁護士に電話で話した際 "cadaver(「死体」の意)?" と聞き返されたため、のちに世界で最大規模の流域面積を持つ南アメリカのアマゾン川にちなみAmazon.comと改名された。
 Amazon.comとしてのサービスは1995年7月16日より始まっている。1996年6月にデラウェア州でも法人格を取得している。1997年5月には株式をNASDAQで公開した。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「Amazonについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十一》
寒波来て風呂にまったり浸かる夜
霜月にまたカラオケの定例会
仲間らとおにぎり頬張る冬の昼
冬の午後五人でカラオケ楽しめり
冬の午後歓談しながらカラオケを
冬上がる全国カラオケランキング
冬夕べカラオケ店より家路就く

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● 平成二十九年十二月二十六日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その三十二 冬うらら

《今回の自選代表句と自句自解》

冬うらら園に幼児らのはしゃぐ声 

 散歩道。冬晴れの近くの公園には、二十余名の保育園児たちがはしゃぎ声をあげながら遊び回っていた。微笑ましい光景だ。

(十一月下旬 日常生活A)
冬晴に江戸川散歩楽しめり
冬紅葉前にし聳ゆるスカイツリー
児ら遊ぶ公園の木々冬紅葉
冬の晴幼らの声公園に
冬の晴保育園児の声大き
冬うらら園に幼児らのはしゃぐ声 
冬の晴遥か向こうに筑波山
十一月場所終え引退日馬富士
日馬富士九州場所終え引退す
㊟日馬富士・・・日馬富士 公平(はるまふじ こうへい、1984年4月14日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の元大相撲力士、第70代横綱(2012年11月場所 - 2017年11月場所)。
 本名はダワーニャミーン・ビャンバドルジ[注 1](モンゴル語キリル文字表記:Даваанямын Бямбадорж、ラテン文字転写:Davaanyamyn Byambadorj )、愛称はアマ。2008年11月場所までの四股名は安馬 公平(あま こうへい)。「公平」の名は、自身が「日本の父」と慕う後援会長の小巻公平にちなんだ。
 実際に生まれ育ったところはウランバートル市内であるが、取組前の場内アナウンスでは実父レグジーブーギーン・ダワーニャム(モンゴル語版)の出身地であるゴビ・アルタイ県を自身の出身地としている[注 2]。身長186cm、体重137kg、血液型O型。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、押し出し[1]。インタビューの際の口癖は「お客さんを喜ばせる激しい相撲をとりたい」。好きな言葉は「全身全霊」「なんでやねん」。締め込みの色は、引退時で黒。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
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冬晴 (平成29年12月23〜24日)

2017/12/17 00:04

◎ 平成二十九年十二月二十三〜二十四日 冬晴

● 平成二十九年十二月二十三日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その二十九 冬晴

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の晴上野散策楽しめり 

 冬晴れの東京の上野周辺。湯島天神や不忍池や上野恩賜公園などの散策を楽しんだ。いつ来ても上野は、とても魅力的な街だ。今回は、初冬の景観を楽しんだ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その二十一)
(上野恩賜公園などD)
数奇フェスのブースに明るき冬日差
㊟数奇フェス・・・『TOKYO数寄フェス2017』の開催について
 標記の件について、下記のとおり開催いたしますので、お知らせいたします。
『TOKYO数寄フェス』とは、上野「文化の杜」の活動の一環として、上野「文化の杜」新構想※実行委員会及び(公財)東京都歴史文化財団が、上野恩賜公園を舞台に、アートで日本文化を世界に発信する事業です。
 昨年度、32万人が参加したこの『TOKYO数寄フェス』を、今年度は会期を昨年度の3日間から10日間に拡大し、エリアを上野公園から谷中周辺へ拡張して開催いたします。
 会期中はレクチャー、ワークショップ、コンサート、お茶体験等、上野にまつわる様々なイベントに御参加いただけるとともに、上野の文化施設等が連携し、託児サービス、手話通訳なども実施いたします。
 日本を代表するアーティストによる、都市型野外アートフェスをぜひお楽しみください。
                             記
1 会期
 平成29年11月10日(金曜日)から11月19日(日曜日)まで
2 場所
 上野恩賜公園(不忍池一帯、噴水前広場 ほか)、東京国立博物館、東京都美術館、東京文化会館、谷中地域 ほか(東京都のHPより転載)
◎「数寄フェスとは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百七十》
冬麗ブースで係と雑談す
冬晴の噴水池前に木の門が
冬の池前に木造りの門作品
冬の池前に木造りの「プラネテス」
※「プラネテス」・・・寛永寺の山門を再現した作品名。
木造の門「プラネテス」に冬日差
冬晴の野外にアートフェス作品
冬の晴博物館に行列が
冬日和美術館にも人の列
冬うらら異国の言葉と擦れ違う
冬の晴上野散策楽しめり 
冬の旅上野は日中よく晴れて
冬の午後二時前に帰路に就く
冬晴の上野駅よりスカイツリー
冬の午後上野駅より松戸へと

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● 平成二十九年十二月二十四日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その三十 冬の日

《今回の自選代表二句と自句自解》

冬日浴び江戸川キラキラ煌めけり 

 帰宅途中。電車の車窓から、冬日を浴びる江戸川の景色を楽しむ。太陽号どが低いので午後の日差しが江戸川の川面をキラキラと金色に煌めかせていた。

冬日浴ぶ川面近くに鯉群れて 

 松戸駅(千葉県松戸市)から家に帰る途中、冬日を浴びた坂川には鯉が群れ泳いでいた。どこか長閑な坂川の冬景色である。

(十一月中旬 上野周辺散策 その二十二)
(上野恩賜公園などE)
冬の旅にぎわう駅より松戸へと
冬小旅常磐線乗り松戸へと
冬の午後電車の座席で欠伸して
冬晴のビルの合間にスカイツリー
冬晴のビル街に塔の見え隠れ
冬晴の都会に塔の見え隠れ
冬日背のスカイツリーは黒ぐろと
冬日浴び荒川の芒金色に
河川敷の穂芒冬日に光りをり
冬の日に江戸川の川面キラキラと
冬の日に江戸川の水面煌めけり
冬日浴び江戸川キラキラ煌めけり 
冬の午後松戸駅降り家路就く
坂川に冬の風吹きさざ波が
坂川のさざ波冬日にキラキラと
二十余の鯉群れ泳ぐ冬の川
冬日浴ぶ川面近くに鯉群れて 
冬晴の午後上野より無事帰宅
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冬うらら (平成29年12月21〜22日)

2017/12/15 00:05

◎ 平成二十九年十二月二十一〜二十二日 冬うらら

● 平成二十九年十二月二十一日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その二十七 冬うらら

《今回の自選代表句と自句自解》

冬うららケーナの調べ心地良く 

 冬晴れの東京の上野恩賜公園。気温も上がってきた。冬紅葉の桜の樹の下に、
ヘブンアーティスト公演中の幟が立っていた。民族衣装を身にまとった演奏者
がケーナで有名な「コンドルは飛んでいく」を奏でていた。心地の良い調べだ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十九)
(上野恩賜公園などB)
冬の晴ヘブンアーティスト公演中
㊟ヘブンアーティスト・・・ヘブンアーティストは、東京都が実施している大道芸人公認制度、およびそのライセンス保持者。「TOKYOアートタウン計画」の一環。
 概要[編集]
 2002年に当時の東京都知事石原慎太郎により創設され、東京都生活文化局が実施している。
 審査会(オーディション)で合格した大道芸人に対してライセンスが発行され、指定場所での大道芸を許可される。これは主にフランスの制度にならったもので、質の高い大道芸人を選抜することで、都民に娯楽を提供し、また優れた大道芸人を育成する事を目的とした。審査会は年1回実施し、応募資格は住所、年齢、国籍(外国人は在留資格を有する者)、ジャンルを問わない[1]。
 主な活動場所は、上野恩賜公園、代々木公園、東京国際フォーラム、東京ドーム、井の頭恩賜公園、お台場海浜公園、パルテノン多摩など。また2011年の東日本大震災発生以降、被災地にヘブンアーティストを派遣し公演を行っている[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「ヘブンアーティストとは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十八》
冬うらら公園内に演奏者
冬麗ケーナの調べ園内に
㊟ケーナ・・・ケーナ(quena)は、南米ペルー、ボリビアなどが発祥の縦笛(気鳴管楽器)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬うらら耳に「コンドルは飛んでいく」
㊟「コンドルは飛んでいく」・・・コンドルは飛んでいく(コンドルはとんでいく、El Condor Pasa)とはアンデスのフォルクローレの代表的な楽曲である。1970年にアメリカ合衆国のフォークロックデュオ、サイモン&ガーファンクルによってカバーされ日本やその他の国々に広く知られるようになった。
 概要:起源[編集]
 ケーナ・チャランゴ・ギターで演奏されるこの曲は日本でも多く親しまれている。曲は3部構成となっており1部がヤラビと呼ばれるアンデスの寒く乾いた山を連想させるもの悲しい旋律、2部がフォックス・インカイコまたはパサカージェと呼ばれる行進曲調のリズム、3部がワイノと呼ばれる華やかな舞曲となっている。サイモン&ガーファンクルがカバーしたのは、このうちの第1部の部分だけである。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「コンドルは飛んでいく」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十九》
冬晴の園でケーナの生演奏
冬うらら民族衣装の演奏者
冬うららケーナの調べ心地良く 
冬の旅ケーナの調べ懐かしく
冬晴の丘上に上野大仏が
㊟上野大仏・・・上野大仏(うえのだいぶつ)は、現在の東京都台東区上野恩賜公園内にあった大仏。像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存される。所在地は上野精養軒に隣接の大仏山という丘の上。薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所が併設される。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬晴の上野大仏に参拝者
冬の晴上野大仏に参詣者
大仏山より眺める冬紅葉

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● 平成二十九年十二月二十二日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その二十八 冬紅葉

《今回の自選代表句と自句自解》

冬紅葉背にして芸人ジャグリング 

 冬晴れの東京の上野恩賜公園。気温も上がってきた。上野動物園近くにある小松宮像の付近にもヘブンアーティスト公演中の幟が立っていた。
公園内の紅葉の木々を背にして、懸命にジャグリングの芸を頑張る若きパフォーマー。次々と妙技を披露し、観客から拍手を受けていた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その二十)
(上野恩賜公園などC)
冬紅葉愛でつつ公園歩きゆく
動物園付近の像に冬日差
に明るき冬日差
冬うらら像前にヘブンアーティスト
冬うらら立像前に人だかり
冬うらら像前に若きパフォーマー
冬うらら芸人見事なジャグリング
冬紅葉背にして芸人ジャグリング 
冬うらら手足を使いジャグリング
冬の晴芸に歓声と拍手湧く
冬うらら芸人「歓声大好き」と
大道芸暫し楽しむ冬の午後
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冬鳥 (平成29年12月19〜20日)

2017/12/13 00:06

◎ 平成二十九年十二月十九〜二十日 冬鳥

● 平成二十九年十二月十九日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その二十五 落葉

《今回の自選代表句と自句自解》

冬日差西郷どんの全身に 

 冬晴れの東京の上野恩賜公園。見慣れた西郷隆盛像の全身には冬日差し。犬と共に日光浴をしているようにも見える。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十七)
(上野恩賜公園など@)
動物園通り渡り冬の旅
不忍通りを横切り冬の旅
冬の旅階段上り公園へ
冬の旅階段上り観音堂
目の前に冬日浴ぶ清水観音堂
公園の落葉踏みしめ像前へ
冬晴の空の真下に西郷像
㊟西郷像・・・上野恩賜公園正面入口、石段を上った山王台広場に立つ西郷隆盛像は、1898年(明治31)に建立された。作者は、彫刻家高村光雲[たかむらこううん](詩人・高村光太郎の父)。草履ばき着流しの散歩姿で愛犬とともに立つ姿は、上野のシンボル的存在。(東京の観光公式サイトGO TOKYOより転載)
冬晴の青の真下に西郷像
冬日差西郷どんの全身に 
冬の日を浴びて西郷どん笑顔

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● 平成二十九年十二月二十日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その二十六 冬鳥

《今回の自選代表二句と自句自解》

彰義隊墓の周囲に散紅葉 

 冬晴れの東京の上野恩賜公園。慶応四年の上野戦争で亡くなった彰義隊の墓には、散紅葉が・・・。この地で散った彰義隊の命なっと重なった。合掌。

ここ上野初冬楽しむ紅葉狩 

 初冬の今日、上野周辺を散策しながら紅葉狩りを楽しんだ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十八)
(上野恩賜公園などA)
西郷像脇の公孫樹の冬黄葉
西郷像脇の公孫樹散黄葉
公園に冬鳥の声響きゆく
彰義隊の墓の供花に冬菊が
㊟彰義隊・・・彰義隊の墓(しょうぎたいのはか)(台東区有形文化財) 上野公園一番
 江戸幕府十五代将軍徳川慶喜は大政奉還の後、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ戻った。東征軍(官軍)や公家の間では、徳川家の処分が議論されたが、慶喜の一橋家時代の側近達は慶喜の助命を求め、慶応四年(一八六八)二月に同盟を結成、のちに彰義隊と称し、慶喜の水戸退隠後も徳川家霊廟の警護などを目的として上野山(東叡山寛永寺)にたてこもった。
 慶応四年五月十五日朝、大村益次郎指揮の東征軍は上野を総攻撃、彰義隊は同夕刻敗走した。いわゆる上野戦争である。彰義隊士の遺体は上野山内に放置されたが、三ノ輪円通寺(現、荒川区南千住)の住職仏磨らによって当地で茶毘に付された。
 正面の小墓石は、明治二年(一八六九)寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに付近の地中に埋納したものだが、後に堀り出された。大墓石は、明治十四年(一八八一)十二月に元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立。彰義隊は明治政府にとって賊軍であるため、改府をはばかって彰義隊の文字はないが、旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を大きく刻む。平成二年に台東区有形文化財として区民文化財台帳に登載された。(台東区文化ガイドブック サイトより転載)
◎「彰義隊の墓について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十七》
彰義隊墓の後ろに冬紅葉 
彰義隊墓の周囲に散紅葉 
冬温し墓に供花の白菊が
園内の道沿い桜の冬紅葉
歩きゆく道に桜の散紅葉
ここ上野初冬楽しむ紅葉狩 
冬の日を背に浴びゆるゆる歩きゆく
冬の旅左に五條天神社
冬の昼韻松亭に人の列
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枯るる (平成29年12月17〜18日)

2017/12/11 01:40

◎ 平成二十九年十二月十七〜十八日 枯るる

● 平成二十九年十二月十七日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その二十三 枯るる

《今回の自選代表二句と自句自解》

雀らの止まりし穂芒弓なりに 

 冬晴れの東京上野にある不忍池。池辺の穂芒が揺れ動いた。よく見ると雀らが群れた穂芒に止まっていた。

金髪の手の餌突く冬雀 

 冬晴れの東京上野にある不忍池。池辺で外国の若い金髪の女性二人が、雀に餌をあげていた。人慣れしている雀が手のひらで餌をついばんでいた。なんとも和やかな光景だ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十六)
(不忍池C)
冬日差す中之島には弁天堂
冬日浴ぶ堂の周りにあまたな碑
中之島池辺の棚の藤枯れて
中之島池辺の棚に枯るる藤
中之島池辺に群れしが
中之島茂る穂芒に雀群れ
子雀の止まりし穂芒弓なりに 
冬日浴び鴨・鳩・雀 遊ぶ島
金髪の手の餌突く冬雀 
外国の観光客撮る冬雀
はいパチリ心の和む冬景色

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● 平成二十九年十二月十八日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その二十四 冬風

《今回の自選代表句と自句自解》

渡る天龍橋脇に枯蓮が 

 冬晴れの東京上野にある不忍池。中之島に掛かる天龍橋を歩いて渡る。橋の脇には枯れた蓮が群生していた。冬のオアシスのようだ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十七)
(不忍池D)
暦塚に立つ日時計に冬日差
冬の晴堂の香閣に煙立つ
冬風に線香の煙ふらぎをり
冬風に線香の煙棚引いて
冬旅に弁天堂にて合掌す
㊟弁天堂・・・不忍池(しのばずのいけ)辯天堂(べんてんどう)は、江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536〜1643)によって建立されました。
 天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していきました。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味します。例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついたのですが、これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものです。
 こうして天然の池であった不忍池を琵琶湖に見立て、また元々あった聖天(しょうてん)が祀られた小さな島を竹生島に見立て、さらに水谷伊勢守(みずのやいせのかみ)勝隆(かつたか)公と相談して島を大きく造成することで竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」に見立てたお堂を建立したのです。
  琵琶湖と竹生島に見立てられたお堂であったため、当初はお堂に参詣するにも船を使用していたのですが、参詣者が増えるにともない江戸時代に橋がかけられました。
  昭和20年の空襲で一帯は焼けてしまいましたが、お堂は昭和33(1958)年に復興し、また昭和41(1966)年には芸術院会員であった児玉希望(こだまきぼう)画伯による龍の天井絵が奉納されました。(不忍池辯天堂HPより転載)
◎「不忍池弁天堂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十六》
冬風に揺れるお堂の五色幕
大黒天堂の近くに冬紅葉
冬の晴参道沿いに露店商
渡る天龍橋脇に枯蓮が 
冬旅に橋渡り上野公園へ
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枯蓮 (平成29年12月15〜16日)

2017/12/09 02:01

◎ 平成二十九年十二月十五〜十六日 枯蓮

● 平成二十九年十二月十五日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その二十一 枯蓮

《今回の自選代表句と自句自解》

散紅葉手に取り見惚れる自然色 

 道沿いには桜の散紅葉。あまりにきれいなので紅葉した桜の葉を拾い、手に取って眺めた。美しい自然の色に染まった桜紅葉に暫し見惚れた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十四)
(不忍池A)
小道行く両側桜の冬紅葉
冬日浴び歩いて向かう弁天堂
右側の蓮池全て枯蓮
群れし鳥明るく晴れし冬空に
上空の青き冬空に鳥の群れ
冬の晴池辺のベンチでひと休み
冬日和池辺のベンチで小休止
彩りに思わず拾う散紅葉 
自然色手に取り見惚れる散紅葉 
道脇の落葉を踏めばカサカサと
冬風にさざ波池辺に打ち寄せる

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● 平成二十九年十二月十六日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その二十二 鴨

《今回の自選代表句と自句自解》

晴れ渡る不忍池に鴨群れて 

 冬晴れの東京上野にある不忍池には、数か所鴨が群れているところがあった。特に枯れた蓮池側で多く見掛けた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十五)
(不忍池B)
我が耳に冬風運ぶ鳥の声
冬の晴いつの間にやら鼻歌を
冬の旅いつの間にやら鼻歌を
冬の晴池辺で暫しくつろげり
冬鳥の舞い来る左のボート池
冬日差す不忍池に鳥群れて
晴れ渡る不忍池に鴨群れて 
冬日浴びカップルボート漕ぎ行けり
冬日和カップル池でボート漕ぎ
冬の晴カップルボート漕ぎ行けり
初冬かなボート乗り場に舟あまた
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冬の空  (平成29年12月13〜14日)

2017/12/08 01:43

◎ 平成二十九年十二月十三〜十四日 冬の空

● 平成二十九年十二月十三日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その十九 冬の空

《今回の自選代表句と自句自解》

池之端周辺全て冬紅葉 

 十一月中旬。東京上野にある不忍池の池之端周辺の木々はほとんどすべてが紅葉していた。桜は半分ほど散紅葉であった。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十二)
(湯島天神K)
冬の旅切通坂下り交差点
冬の旅切通坂下り天神下
交差点上空青き冬の空
冬の旅交差点を左折して
冬の旅天神下を左折して
冬旅に都道452号ゆく
※都道452号・・・東京都道452号神田白山線(とうきょうとどう452ごう かんだはくさんせん)は、東京都千代田区と文京区を結ぶ特例都道(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬の旅不忍池へ都道行く
不忍池の畔は冬紅葉
池之端周辺全て冬紅葉 
冬紅葉隣に水上音楽堂

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● 平成二十九年十二月十四日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その二十 冬日

《今回の自選代表句と自句自解》

冬紅葉木の間に紅き弁天堂 

 十一月中旬。東京上野にある不忍池の池中にある道を弁天堂のある中之島へと向かう。道半ばからは、紅葉の桜並木の合間から赤い弁天堂が見えた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十三)
(不忍池@)
冬の旅今池之端西辺り
冬の旅旧岩崎邸程近く
㊟旧岩崎邸(庭園)・・・旧岩崎邸庭園(きゅういわさきていていえん)は、東京都台東区池之端一丁目にある都立庭園である。三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は、国の重要文化財に指定されている。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬日浴び池之端より池なかを
冬晴の池之端よりスカイツリー
冬の晴池之端よりスカイツリー
池之端見渡す四方冬紅葉
冬紅葉木の間に紅き弁天堂 
冬日浴び池なかの小道歩き行く
冬の晴鳩は小道のあちこちに
冬の晴歩く小道に親子連れ
冬日和不忍池に親子連れ
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冬日差 (平成29年12月11〜12日)

2017/12/06 00:39

◎ 平成二十九年十二月十一〜十二日 冬日差

● 平成二十九年十二月十一日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その十七 冬日差

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の晴の日に菊まつり堪能す 

 冬晴れのもと、関東一の菊まつりを堪能した。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」をテーマに三体の菊人形や大作りと呼ばれる千輪咲、大懸崖、盆庭、さらに古典菊の「江戸菊」「巴錦」等の菊花など約2千株が境内に展示されていた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十)
(湯島天神I)
冬日差す本殿後ろに嵯峨菊が
冬日浴ぶ本殿後ろに江戸菊が 
冬日差す本殿後ろに盆養が
北側の笹塚稲荷に冬日差
北側の戸隠神社に冬日差
児童生徒作品の菊に冬日差
保護者らの作品の菊に冬日差
教職員らの作品に冬日差
冬の旅授与所付近に福助が 
冬日差す授与所付近に福助が  
冬日差す授与所付近にこけしあり
冬の晴の日に菊まつり堪能す 

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● 平成二十九年十二月十二日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その十八 初冬

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅夫婦坂にも菊の鉢 

 冬日和。帰り道の夫婦坂の石段にも菊の鉢が並べられていた。名残が尽きない。

(十一月中旬 上野周辺散策 その十一)
(湯島天神J)
冬の旅夫婦坂付近にだるま
妻連れて初冬楽しむ菊まつり
冬旅にゆっくり楽しむ菊作品
冬旅にゆっくり楽しむ菊まつり
冬晴にたっぷり楽しむ菊まつり
冬の旅見終えて下る夫婦坂
※ 夫婦坂(めおとざか)・・・「新坂」ともいうようです。湯島天神から北へ切通坂に下る石段の坂道です。坂の中ほどに登龍門があります。(文京区の坂サイトより転載)
冬の旅下る石段に菊の鉢 
冬の旅夫婦坂にも菊の鉢 
夫婦坂散紅葉踏み下りゆく
冬の旅湯島天神に別れ告げ
冬の旅切通坂下りゆく
㊟切通坂・・・切通坂(きりどおしざか) 【標識の説明】
「御府内備考」には「切通は天神社と根生院との間の坂なり、是後年往来を聞きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便道なり、」とある。湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
 初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
 映画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し”で、坂の名は全国的に知られるようになった。
 また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った道である。
  二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 
    勤めなれかな   石川啄木
道の反対側にあるのが湯島天神です。(文京区の坂サイトより転載)
◎「切通坂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十五》
冬の旅妻と急坂下り行く
冬晴の春日通を下りゆく
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七五三詣 (平成29年12月9〜10日)

2017/12/04 17:56

◎ 平成二十九年十二月九〜十日 七五三詣

● 平成二十九年十二月九日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その十五 散黄葉

《今回の自選代表句と自句自解》

冬日受け猿竹馬に乗り跳べり 

 冬晴れの湯島天神の境内で、猿回しの公演が行われていた。冬の日を浴びながら、猿が竹馬に乗りハードルを跳び越した。観客から拍手が湧いた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その八)
(湯島天神G)
天神社鳥居の銀杏散黄葉
冬の旅参道戻り梅園に
冬の晴梅園前に猿回し
冬日浴び猿は高き竹馬に
冬日受け猿竹馬に乗り跳べり 
冬旅に猿回しの芸楽しめり
冬晴の社の境内に外国人
冬の旅筆塚過ぎて唐門へ
冬日浴び唐門より参集殿へ
冬晴れのまつりに切花・盆栽が

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● 平成二十九年十二月十日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その十六 七五三詣

《今回の自選代表句と自句自解》

冬日和境内人込む菊まつり 

 冬日和。湯島天神の境内は、菊まつりの鑑賞客をはじめ、七五三詣での客や参拝者などが多く来ていた。長閑でめでたい雰囲気だ。自然とこころが和む。

(十一月中旬 上野周辺散策 その九)
(湯島天神H)
冬旅に大河ドラマの菊人形
冬の晴大河ドラマの直虎が
㊟大河ドラマの直虎・・・『おんな城主 直虎』(おんなじょうしゅ なおとら)は、2017年1月8日より放送されているNHK大河ドラマ第56作[1]。
 戦国時代、後に徳川四天王の一人に数えられ彦根藩の藩祖となった井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語である。主演は柴咲コウ。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬旅に菊人形を楽しめり
冬旅に関東一の菊まつり
冬晴に境内人込む菊まつり
冬日和境内人込む菊まつり 
冬の晴参集殿脇千輪咲
冬晴の社務所の傍に大懸崖
冬晴の渡り廊下に中懸崖
冬の晴晴着姿とすれちがう
ここにも七五三詣の親子連れ
冬日差す本殿脇に千輪咲
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千歳飴 (平成29年12月7〜8日)

2017/12/02 00:34

◎ 平成二十九年十二月七〜八日 千歳飴

● 平成二十九年十二月七日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その十三 七五三詣

《今回の自選代表句と自句自解》

散紅葉天神様の石段に 

 冬晴れの日、東京都文京区にある有名な湯島天神に到着した。神社の男坂を登ってゆくと石段に散紅葉が・・・。場所が場所だけに風情がある。

(十一月中旬 上野周辺散策 その六)
(湯島天神E)

冬の旅また「学問のみち」歩く
冬小旅歩く先には男坂
坂脇の幟に七五三詣
境内の幟を揺らす冬の風
冬の旅天神石坂登りゆく
湯島社へ登る石段へ散紅葉
湯島社へ登る石段に散紅葉
境内へ落葉踏みつつ坂上る
湯島社登る石段に散紅葉 
散紅葉天神様の石段に 
冬晴に鳥居を潜り境内へ
冬の晴湯島天神境内に
㊟湯島天神・・・湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。
 概要[編集]
 古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。
 祭神[編集]
天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)
 歴史[編集]
 社伝によれば、雄略天皇2年1月、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建(雄略天皇2年を機械的に西暦に換算した年数)としている。
 徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。
 明治5年近代社格制度においてに郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。
平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「湯島天神について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十二》
冬晴の境内幟に菊まつり
㊟菊まつり・・・第39回 湯島天神菊まつり
 開催期間
平成29年11月1日(水)〜11月23日(祭)拝観無料 AM.6:00〜日没まで(夜間照明はございません) 
 概要
 湯島天神では、今回で第39回を迎えます菊まつりを本年も境内にて開催致します。本年の菊人形はNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」をテーマに三体。
 また、大作りと呼ばれる千輪咲、大懸崖、盆庭、を中心に古典菊の「江戸菊」「巴錦」等の菊花、約2千株を境内に展示し、盛大に行われます。(湯島天神HPより転載)
◎「湯島天神菊まつりについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十三》
「菊まつり」の幟に明るき冬日差

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● 平成二十九年十二月八日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その十四 千歳飴

《今回の自選代表二句と自句自解》

写真撮る幼子の手に千歳飴 

 湯島天神には七五三詣での親子連れが・・・。今、本殿前で記念撮影をしている。幼い男の手には、長い千歳飴の袋が。めでたくまた、微笑ましい光景である。

菊まつり行く参道に散黄葉 

 冬晴れの日、東京都文京区にある有名な湯島天神に到着した。男坂から本殿へ向かう。参拝の後、本殿から歩いて銅鳥居へと向かった。菊まつりが開催されている境内の随所に菊が展示されている。関東一といわれるだけある。三度には散紅葉。参道までも色どられていた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その七)
(湯島天神F)

冬の晴本殿に菊の大懸崖
七五三詣の親子境内に
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・冬の写真」の〈十一月中旬 上野周辺散策〉に「湯島天神にて(菊まつりと七五三)」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
写真撮る幼子の手に千歳飴 
冬の晴本殿前にて参拝す
冬晴の道沿いに牛像が
冬晴の道沿いに撫牛が
冬の晴参道沿いに千輪咲
冬晴の参道沿いに巴錦
冬晴の参道両に大作り
冬の晴鑑賞楽しむ菊花展
㊟菊花展・・・湯島天神菊まつり 菊 花 展 出 品 花
 盆 養(ぼんよう)・・・三本仕立ての大菊=高さは、花頂まで90〜155p位 前二輪・後一輪で高い順に「天・地・人」と呼ぶ。
 だ る ま ・・・三本仕立ての大菊=高さは、花首まで60p以下。《7号鉢使用》
 福 助(ふくすけ) ・・・一本仕立ての大菊=高さは、花首まで40p以下。《5号鉢使用》小さな鉢より大きな花を付けた姿が福助人形に似ています。
 切 花(きりばな)・・・ 大菊一輪を筒にさしてあります。
 大作り(おおづくり)・・・千輪咲き  一株作りで、中心の一輪より一段毎に六輪ずつ殖やして全体で一輪の花のように組み上げた大菊。
 懸崖作り(けんがいづくり)・・・大懸崖・中懸崖  断崖の上より垂れ落ちるようにみせる小菊。蓑亀形や静岡形などがあります。
 菊 人 形・・・ 等身大の人形に菊の衣装が着せてあります。 専門の菊師が一週間以上かけて作成します。開催期間の中程で菊師が花の着せ替えも行います
 盆 庭 ・・・大菊・小菊・嵯峨菊などを巧みに組み合わせて景色や物語を表現した総合庭園。(湯島天神HPより転載)
◎「菊花展出品花について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十四》
菊花展の鑑賞楽しむ冬小旅
冬の菊「どれも立派」と客の声
菊まつり行く参道に散黄葉 
冬晴の参道沿いに盆庭が
冬の旅参道先に銅鳥居
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冬の水 (平成29年12月5〜6日)

2017/11/29 01:02

◎ 平成二十九年十二月五〜六日 冬の水

● 平成二十九年十二月五日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その十一 冬日和

《今回の自選代表句と自句自解》

天神下都道の街路樹冬紅葉  

 東京都内の湯島天神下の交差点付近に着いた。都道452号神田白山線の街路樹は冬紅葉の状態。通り沿いにまだ色どりを添えていた。

(十一月中旬 上野周辺散策 その四)
(湯島天神C)
冬の旅荒川越えて地下世界
冬の旅荒川越えて北千住
冬の旅今地下鉄の湯島駅
冬の旅松戸駅より三十分
冬の旅駅より歩いて天神社
冬日和歩いて湯島天神へ
冬小旅湯島駅降り天神下
天神下都道の街路樹冬紅葉  
※都道452号・・・東京都道452号神田白山線(とうきょうとどう452ごう かんだはくさんせん)は、東京都千代田区と文京区を結ぶ特例都道(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬小旅交差点より都道沿い
冬の旅交差する「学問のみち」へ

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● 平成二十九年十二月六日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その十二 冬の水

《今回の自選代表句と自句自解》

冬空へ水琴窟の水の音  

 久し振りの水琴窟。出会うごとに水音を楽しんだ。今回も水音を楽しませてもらった。よく晴れた青々とした冬空へ水琴窟の水音が吸い込まれて行った。心地の良い響きだ。合掌。

(十一月中旬 上野周辺散策 その五)
(湯島天神D)
冬の旅「学問のみち」より坂へ
冬の旅歩いて奥の男坂へ
冬の旅歩いた先の男坂へ
冬の旅坂の手前に心城院
冬の旅ぶらり立ち寄る心城院
冬旅に湯島聖天心城院
㊟心城院・・・天台宗 柳井堂 心城院
当山は元々、湯島天神の別当寺であった天台宗喜見院の「宝珠弁財天堂」と称されていました。ときに元禄7(1694)年、喜見院第三世・宥海大僧都が、道真公とご縁の深い歓喜天(聖天さま)を弁財天堂に奉安したのが当山の開基で、尊像は比叡山から勧請した慈覚大師円仁作と伝えられております。当時は、現在の湯島天神男坂下が湯島天神の表門にあたり、太田道灌の御殿・皓月亭跡とも伝えられています。享保のころ、寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行されました。江戸では、谷中感応寺(現・天王寺)、目黒瀧泉寺(目黒不動)、喜見院(湯島天神)が「江戸の三富」と言われ、大いに賑わいました。
 当時の喜見院はかなりの境域がありましたが、明治維新の神仏分離令で惜しくも廃寺となりました。当然、弁財天堂もその影響を受けるところでしたが、聖天さまの御加護により湯島天神との本末関係を断つのみで、奇跡的に廃仏の難を逃れました。
単独の寺院として歩み出した当山は、建立当時の因縁により天台宗に属し、寺名を「心城院」と改めました。〈天台宗 柳井堂 心城院(通称・湯島聖天)サイトより転載〉
◎「湯島聖天について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十九》
心城院棚に這う藤冬もみじ
弁財天放生池に冬の鯉
冬旅に江戸名水の柳の井 
㊟江戸名水の柳の井・・・江戸名水「柳の井」
 江戸名水 美髪・厄除け「柳の井」
 当山には、江戸名水「柳の井」があることから、「柳井堂(りゅうせいどう)心城院」と称されています。
江戸時代の文献『江戸砂子』・『御府内備考』・『紫の一本(ひともと)』・『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。
 「柳の井」は古来より水枯れもなく、数滴髪に撫でれば水が垢を落とすが如く、髪も心も清浄になり降りかかる厄難を拂ってくれると伝えられています。この霊水の美髪・厄除けのご利益を求め、日々参拝者が訪れています。
 また、関東大震災の時には、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の生命を守った唯一の水として、当時の東京市長から感謝状を受けました。(指定 文京区防災井戸)〈天台宗 柳井堂 心城院(通称・湯島聖天)サイトより転載〉
◎『江戸名水「柳の井」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十》
冬小旅竹の筒より名水が
「柳の井」立ち寄り柄杓で冬の水
冬旅に柄杓で名水汲みにけり
冬旅に水琴窟へ水流す
㊟水琴窟・・・水琴窟は手水鉢の近くに設けられた地中の空洞の中に手水鉢の排水を落とし、その音が地上に聞こえるように設計される[1]。この時、排水は滴水化して落とす[8]。具体的な過程としては、縦穴を伝って流れ落ちた水が水滴となって空洞の底面に溜まった水に落ち、その際に発せられた音がヘルムホルツ共鳴によって増幅され、縦穴を通して外部に漏れる[1]。
 構造[編集]
 多くの場合、空洞は瓶を逆さにして地中に埋めることによって作りだされる[3]。空洞の形状には吊鐘形(円柱形、上部は半球形)、銅壺形(角柱形、上部は水平もしくは若干反った形)、龕灯形(円柱形、上部はが大きく反った形)がある[1]。東京農業大学教授の平山勝蔵によると、音響面の効果は吊鐘形が最も大きい[1]。より大きな効果を得るための方法としては吊鐘形の空洞を二重に設ける、空洞の側壁の裏側に隙間を造り出すといった方法がある[1]。空洞の幅と深さの関係のバランスによって音の質に違いが生じる[9]。空洞の側面および上部は石・陶器・金属などによって造られ[9]、側面には土留が設置される[1]。底部は丸小石、割石、煉瓦、瓦などによって造られる[9]。滴音の反響を大きくするには底部に水を溜める工夫をする必要がある[9]。空洞の上部には水を落とし、さらに音を空洞の外部に漏らすための縦穴をあける[1]。平山はこの縦穴の寸法について、「内法3cm、深さ3cm」が最適としている[9]。水が空洞の壁を伝って流れ落ちないようにするため、縦穴の下端には水切りを用意する必要がある[9]。縦穴の上部は方形または円形かつすり鉢状に整形される。この部分は流れ落ちる水の量および勢いが必要以上のものとなることを防ぐための堤防の機能をもち、滴音が一定に保たれる[10]。
 伝統的な水琴窟は茶室前の蹲踞(つくばい)に併設されることが多い。空洞の中に溜まる水の量を一定に保つ(溜まり過ぎた水を排出する)ため、底には排水管が設けられる[11]。瓶を使用する場合、その底(空洞の頂上部)には穴が開けられ、地上から水を導くための管が取り付けられる[12]。
◎「水琴窟とは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百六十一》
冬の旅境内響く水の音
冬空へ水琴窟の水の音 
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毛糸 (平成29年12月3〜4日)

2017/11/27 00:05

◎ 平成二十九年十二月三〜四日 毛糸

● 平成二十九年十二月三日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その九 毛糸

《今回の自選代表句と自句自解》

大通り冬服同士すれちがう  

 冬晴れの日。珍しくよく晴れているので、このチャンスに上野周辺の散策を楽しみに出掛けた。自宅から歩いて松戸駅(千葉県)へ向かった。大通りで擦れ違うす人達は、マフラーや毛糸帽や冬コートやジャンパーなどすっかり冬の服装をしていた。初冬とはいえ、少し風も吹いているので、少々寒い。

(十一月中旬 上野周辺散策 その二)
(湯島天神A)
冬うらら駅向かう道鼻歌を
ビル影の道にひんやり冬の風
ビル陰の道にひんやり冬の風
歩道行く首巻の人と擦れ違う
すれちがう女性のマフラー色赤く
すれちがう初老の頭に毛糸帽 
大通り冬服同士すれちがう  
初冬かな酒屋にボジョレーヌーボーと
㊟ボジョレーヌーボー・・・ボージョレーワイン (フランス語: Vignoble du Beaujolais)とは、フランスワインの1つ。ローヌ県北部、ソーヌ=エ=ロワール県の数箇所のコミューンで生産されている。ブルゴーニュワインの1種類とされている。生産地域は、マコンとリヨンの間、ボジョレー地方の山のふもとである。
 毎年11月第3木曜日に解禁される、特産品の新酒をボージョレー・ヌヴォー (仏: Beaujolais nouveau) という。以前はその年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としたもので[要出典]、ワイン業者が主な顧客であったが、その後、解禁日をイベントとして、新酒として大々的に売る販売戦略や販売手法が確立され、現在はフランスでも、日本と同じ目的で一般の消費者向けに売られている(ブルゴーニュ地域圏のマコネー (Maconnais) 地区に隣接する地のワインはブルゴーニュ・ワインに分類される)。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「ボジョレーヌーボーとは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十七》
伊勢丹の通りの街路樹冬紅葉
冬の晴店に不二家のペコちゃんが
㊟不二家のペコちゃん・・・ペコちゃんは、不二家のマスコットキャラクターとして使用されている架空の少女である。当初は1950年に発売された同社の菓子「ミルキー」の商品キャラクターとして誕生し、後に同社全体のマスコットとなった。
 「ミルキー」およびその関連商品で用いられているペコちゃんのデザインは他の不二家製品のものとデザインが異なる。
概要[編集]
不二家の各店舗には「ペコちゃん人形」が置かれるなど、同社を代表するキャラクターとなっている。また商品づくりの精神や企業理念を表した、前文および8章からなる「ペコちゃん憲章」[1](2010年11月現在、不二家公式サイト内には同憲章の記述は見られない)が制定されており、不二家レストランは俗に「ペコちゃん食堂」と呼ばれている。「ペコちゃん人形」は1998年に立体商標第1号として特許庁より認められている[2]。
ペコちゃんのプロフィールは次のようになっている[3]。
出身:地球上のどこかにある夢の国
名前の由来:仔牛を表す東北方言「ベコ」から。舌なめずりをしているところから、「腹ペコ」から由来したという説は誤り。
年齢:永遠の6歳 - 1950年(昭和25年)生まれ。
性別:女の子
身長:100cm
体重:15kg
体形:バスト58cm、ウエスト55cm、ヒップ63cm
好きな遊び:野球、ホッピング
好きな動物:子犬(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「不二家のペコちゃんについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十八》
駅前の不二家のペコちゃんサンタ服
冬の晴駅上空は青あおと

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● 平成二十九年十二月四日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その十 穂芒

《今回の自選代表句と自句自解》

線路沿い車窓の景色に冬紅葉   

 初冬のよく晴れた日。現在、東京都内の街並みの中を電車は走行して行く。街なか線路沿いの公園の木々は冬紅葉。しかも木によっては、上の方は葉が既にないものもある。霜月らしい冬景色だ。

(十一月中旬 上野周辺散策 その三)
(湯島天神B)
冬の旅松戸駅より千代田線
冬の晴江戸川向こうにスカイツリー
冬の晴川の遥かに連山が
冬の旅北に日光連山が
㊟日光連山・・・日光連山(にっこうれんざん)は、主に栃木県日光市に広がる山塊である。男体山、女峰山をはじめ、大真名子山、小真名子山、赤薙山、帝釈山、太郎山、根名草山等の山々から成り、最高地点は関東以北の最高地点でもある奥日光の奥白根である。関東地方北部に堂々とした山容を現す男体山、女峰山、大真名子山、小真名子山などは、特に日光表連山と呼ばれる。(Weblio辞書より転載)
車窓より境内の銀杏冬黄葉
車窓より公園の木々冬紅葉 
線路沿い車窓の景色に冬紅葉 
中川の川辺の穂芒日を浴びて
荒川の河川敷には穂芒が
荒川の川辺の穂芒列なして
車窓より楽しむ川辺の冬景色
乗車中背中の冬日ポカポカと
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散紅葉 (平成29年12月1〜2日)

2017/11/25 02:42

◎ 平成二十九年十二月一〜二日 散紅葉

● 平成二十九年十二月一日 金曜日   
○ 十一月日々折々 その七 千歳飴

《今回の自選代表句と自句自解》

 十一月中旬。ここは、千葉県松戸市の南部市場。市場の一角に、烏賊の天日干しをしていた。よく海辺の街で見かけた光景をここでみられるとは・・・。生活感を感じた。

(十一月中旬 日常生活A)
霜月に服喪のはがき次つぎと
霜月の朝焼けの日に市場まつり
冬晴の朝八時より市場まつり
冬の日に松戸市南部市場まつり
冬の日に開催南部市場まつり
冬の朝市場まつりに人込めり
冬の晴市場に烏賊の天日干し 
冬まつり海産物を買い求む
九州場所開幕初日晴れ空に
テレビ観るニュース画面に千歳飴
七五三テレビ画面の袋長し
七五三テレビ画面に長き飴
七五三テレビ画面の飴長し
千歳飴我が幼少期ふと想起

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● 平成二十九年十二月二日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その八 散紅葉

《今回の自選代表句と自句自解》

 松戸駅向かう歩道に散紅葉 

 十一月中旬、自宅から歩いて松戸駅(千葉県)へ向かった。歩く歩道のあちらこちらに散紅葉が・・・。初冬の光景だ。季節感を感じながら駅へと向かった。

(十一月中旬 上野周辺散策 その一)
(湯島天神@)
冬晴に誘われ上野散策へ
冬晴に上野周辺散策へ
冬の晴午前十時に家を発つ
松戸駅向かう歩道に散紅葉 
松戸駅向かう歩道に冬日射
冬日差す橋を渡りて向かう駅
坂川の川面にゆらゆら散紅葉
坂川に鮮やかな落葉流れゆく
冬の晴坂川向こうにスカイツリー
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落葉掃き (平成29年11月29〜30日)

2017/11/23 02:53

◎ 平成二十九年十一月二十九〜三十日 落葉掃き

● 平成二十九年十一月二十九日 水曜日   
○ 十一月日々折々 その五 落葉掃き

《今回の自選代表二句と自句自解》

深呼吸見上げる冬空青あおと 

 冬晴れの朝、江戸川の散歩を楽しむ。西の空には、青空にくっきりと真白き富士山と東京スカイツリーが見える。素晴らしい冬景色だ。北風に吹かれて、暫し立ち止まって眺めた。

手に箒背に日を浴びて落葉掃き 

 冬晴れの朝。北風が吹いている。風が少々おさまってから、狭庭の落ち葉を掃き集めた。今年もまた、冬がやってきたことを実感した。

(十一月中旬 日常生活@)
狭庭の木々の葉っぱは冬もみじ
北風に庭の木々の葉ハラハラと
北風の吹くなか早朝散歩して
江戸川へ北風吹くなか朝散歩
冬の晴西に富士山スカイツリー
白き富士北風吹きゆく青空に
白き富士北風の吹く青空に
北風の吹く青空に富士白く
北風の吹く青空に白き富士
深呼吸見上げる冬空晴れ晴れと
深呼吸見上げる冬空青あおと 
深呼吸見上げる冬空明るくて
冬の晴川辺のベンチでひと休み
朝散歩終えて我が家の庭を掃く
冬の晴箒手にして葉を集む
箒手に日を背に浴びて落葉掃く
手に箒背に日を浴びて落葉掃き 

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● 平成二十九年十一月三十日 木曜日   
○ 十一月日々折々 その六 忘年会

《今回の自選代表句と自句自解》

冬の宴話の合間に酒・肴 

 冬の宵から夜間にかけて、忘年会を兼ねて宴会を催した。十二月は多忙な現役教師もいるので、去年と同様に十一月の開催となった。参加者の近況を先ず聞いてから、皆の話題は多種多様となった。仕事や年金や老後生活や社会問題や野菜の高騰や趣味など話題には事欠かない。話の合間に酒を飲んだり料理を食べたりした。明日の休日出勤者もいるので、三時間程でお開きとなった。やはり、気心の知れた仲間たちと語り合うのは楽しいものだ。皆と握手して別れた。

(十一月中旬 忘年会)
忘年会現役考慮し早ばやと
冬の宵松戸駅近き居酒屋へ
忘年会現職退職入りまじり
元同僚集いて始める冬の宴 
元同僚八名集い忘年会
忘年会仲間とビールで乾杯す
忘年会焼き鳥・たこ焼き・ピザ注文
忘年会幾種もの品注文す
忘年会話に皆の近況を
忘年会現役教師ら現状を
忘年会話題は仕事や私生活
忘年会話の合間に酒・肴
冬の宴話の合間に酒・肴 
忘年会話題は多種多様
元同僚話題尽きない忘年会
冬の宴三時間程でお開きに
冬の夜また来年と握手して
家路就く夜道に明るき冬灯
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夜長し (平成29年11月27〜28日)

2017/11/21 03:22

◎ 平成二十九年十一月二十七〜二十八日 夜長し

● 平成二十九年十一月二十七日 月曜日   
○ 十一月日々折々 その三 夜長し

《今回の自選代表句と自句自解》

月愛でて楽しむラジオ深夜便

 十一月上旬。ラジオを聞きながら、自室の窓から丸い月を愛でる。今耳にしている「ラジオ深夜便」の放送では、トークと昭和の歌謡曲が聞こえてくる。我が家の静かな深夜のひとコマである。

(十一月上旬 日常生活@)
晩秋に日本シリーズ盛り上がる
晩秋の日本シリーズ接戦に
晩秋の日本シリーズ大接戦
晩秋にソフトバンクが日本一
晩秋にサヨナラゲームで日本一
月愛でて楽しむラジオ深夜便
㊟ラジオ深夜便・・・『ラジオ深夜便』(ラジオしんやびん)は、NHKのラジオ第1放送、FMラジオ放送、ラジオ国際放送で放送されている深夜放送番組。
年末年始を含め、連日放送される完全帯番組であるが、12月31日深夜から1月1日早朝にかけては特例がある。
また、毎月全国各地で開催されるラジオ深夜便リスナー向けのイベントである『ラジオ深夜便の集い』として公開収録を実施している。
番組開始の背景[編集]
かつてのNHKのラジオ放送は災害時やオリンピック中継等を除き、ラジオ第1は午前5時、FMは6時放送開始、双方とも午前0時放送終了(1988年4月以後、FMは放送終了を日付をまたいで午前1時に延長)だった。ところが1988年9月に昭和天皇が重体になって以降、天皇の容態を深夜も含め随時速報した。この際、総合テレビ・ラジオ第1・FMを24時間放送にし、定時放送終了後から翌日の開始時間までフィラーとしてクラシック音楽と関連ニュースを放送した。この「静かな音楽を終夜流す」という放送形態について、昭和天皇崩御の1989年1月7日後も、常時24時間放送出来ないかという投書が数多く寄せられた。
1989年11月の3連休に、「67時間ラジオいきいきラリー」と題した特別放送を実施し、普段メンテナンスに当てる深夜時間帯に音楽や落語等を放送した。中高年層から「大人が聴ける静かな番組」として支持され、「ラジオ深夜便」の誕生に繋がった。深夜便のスタートは、深夜時間帯の地震や津波・突発的なニュースが発生した時に迅速な対応をする目的もある。従来は放送設備の電源投入や宿直・仮眠中の職員の支度等、放送開始までに10 - 15分を要していた。
なお、24時間放送導入前には23時台に1日の実質的な最終番組[1]として、「夢のハーモニー」(1965年4月 - 1984年3月)、「お休みの前に」(1984年4月 - 1992年3月。1990年4月からの最終2年間は深夜便が不定期放送であったため、並列放送)が放送され、この枠でも基本的にディスクジョッキーを務めるアナウンサーがリスナーに語り掛ける雰囲気で話すとともに、クラシックなど比較的静かな音楽を放送していた。
このNHK初となる本格的なオールナイト深夜放送を開始するにあたり、当時の担当ディレクターから番組の題名を社内公募し、その中には「ミッドナイトシャワー」「深夜のがんばるマン」など、100以上の提案があった[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「ラジオ深夜便について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十六》
夜長し耳に昭和の歌謡曲 
夜長し耳に昭和のナツメロが
夜長し耳に昭和の名曲が
夜長し昭和の名曲楽しめり

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● 平成二十九年十一月二十八日 火曜日   
○ 十一月日々折々 その三 冬ぬくし

《今回の自選代表句と自句自解》

暖房中演歌とアニソンカラオケを 

 暦の上で冬に入った。今日は二十度程でちょっと暖かい。天気も良いのでレストランでの昼食と食後のカラオケを孫らと楽しむこととなった。家の近くの和食レストランと馴染みのカラオケ店に行った。昼食後、馴染みのカラオケ店で孫らとカラオケを三時間程楽しんだ。私らは演歌・歌謡曲を歌い、孫はアニメソング・ポップスを中心に歌った。半世紀程の時代の差を感じだ。孫は結構うまい。高音できれいな歌声であった。

(十一月上旬 日常生活A)
立冬やポケットに手を登校子
冬ぬくしお昼に孫らとレストラン
冬ぬくし昼どき和食レストラン
店内の座敷の室内弱暖房
冬ぬくし孫らと歓談昼食時
冬ぬくし孫らと歩いてカラオケ店
冬ぬくし孫らと近くのカラオケ店
店内の暖房入れて歌謡曲
暖房中孫アニソンのカラオケを
※アニソン・・・アニメソングの略。
カラオケを歌う室内暖房中
冬の午後孫らと次つぎカラオケを
暖房中演歌とアニソンカラオケを 
暖房中孫らとカラオケ三時間
冬の午後孫らとカラオケ楽しめり
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文化の日 (平成29年11月25〜26日)

2017/11/20 03:19

◎ 平成二十九年十一月二十五〜二十六日 文化の日

● 平成二十九年十一月二十五日 土曜日   
○ 十一月日々折々 その一 文化の日

《今回の自選代表句と自句自解》

文化の日イベント文化進化中

 晩秋の千葉県松戸市。近年、市内で多種多様なイベントが開催されるようになった。今日、文化の日に、「第20回 秋の江戸川カッパ市」が開催された。毎年のように参加して、買い物や様々なコーナーを楽しんでいる。今回は、猿回しがとても面白かった。猿の芸達者には、感心した。

(十一月上旬 「第20回 秋の江戸川カッパ市」@)
秋晴に開催江戸川カッパ市
※江戸川カッパ市・・・「第20回 秋の江戸川カッパ市」
「第20回 秋の江戸川カッパ市」を開催
手作りアート・クルメコーナー フリーマーケット
★流域フリーマーケット ★Eボート乗船体験 ★ヤッサン一座の紙芝居
★松戸みどりと花の基金(お花のプレセゼント)★戦豆の猿まわし ★ステージハパフォーマンス他
【日時】2017年11月3日(金・祝)
    10:00?15:00(*雨天の場合は中止)
【会場】樋野口水門・川の一里塚(江戸川倶楽部サイトより転載)

第20回 秋の江戸川カッパ市
 江戸川の広〜い河川敷をふんだんに使って出店や、ステージショウ、猿回し、紙芝居、フリーマーケットなどを行っています。
 Eボートの乗船体験は江戸川の広さを感じることができるブース。体験とはいえ自然の偉大さを感じ楽しめます。
 今回は、わんちゃん&こどもの広場が設置!
毎日、土手を散歩コースにしている飼い主さんがここで会話をして交流を深めるのもいいかも!!(松戸のよみうり 椎名webより転載)
文化の日に開催江戸川カッパ市
秋の日の午前十時に江戸川へ
秋の晴江戸川上空青あおと
江戸川の上空一面真青なり
秋の晴堤の彼方にスカイツリー 
秋空に高く聳えるスカイツリー 
秋風に堤の幟揺れ動く
秋風に堤の幟ハタハタと 
秋の晴陽射と風の心地良く
秋晴の河川敷にて「カッパ市」
文化の日イベント文化進化中

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● 平成二十九年十一月二十六日 日曜日   
○ 十一月日々折々 その二 柿

《今回の自選代表句と自句自解》

江戸川のカッパ市にて柿を買う

 「第20回 秋の江戸川カッパ市」のテント露店で秋の味覚の柿を買った。色付きも良く大きい柿だ。帰宅後に、早速食した。種もなくとても甘い柿であった。妻と美味しく頂いた。

(十一月上旬 「第20回 秋の江戸川カッパ市」A)
秋晴に人込む江戸川河川敷
秋野晴テント屋台に人群れて
文化の日テント屋台は多種多様
江戸川のカッパ市にて柿を買う
袋詰めの大き椎茸売店で
文化の日二人の知己と立ち話
文化の日ステージバンドの演奏会
文化の日「パイプライン」の演奏を
㊟「パイプライン(曲)」・・・「パイプライン (Pipeline)」は、1962年に録音された、シャンテイズによるサーフ・ロック(英語版)の楽曲。
 当初は「Liberty's Whip」(「自由の鞭」の意)という題がついていたが、バンドの面々がハワイのバンザイ・パイプラインで撮影されたサーフィンの映画を見た後、曲名が変更された[1]。この曲は、当時人気が高まっていたサーフィン熱に乗って、『ビルボード』誌のポップ・チャート (Billboard Hot 100) を駆け上がって4位に達し、この時代を代表するヒット曲となった。この曲は、アルベルティ・バスのアルペジオを用いている点が特徴となっている。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「パイプライン(曲)」とは』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十五》
秋の晴「パイプライン」は風に乗り
文化の日川辺で楽しむ猿まわし
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・秋の写真」の〈十一月上旬 江戸川カッパ市に「猿まわし(ハードル越え)」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
文化の日猿は見事な技見せて 
文化の日堤に痛車展示され
文化の日しばし楽しむ「カッパ市」
家路就く路傍のすすき風に揺れ
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台風 (平成29年11月23〜24日)

2017/11/18 06:23

◎ 平成二十九年十一月二十三〜二十四日 台風

● 平成二十九年十一月二十三日 木曜日   
○ 十月日々折々 その五 秋雨

《今回の自選代表句と自句自解》

秋雨に霞ヶ浦は霞みをり

 連日の雨。秋の雨がそぼ降るなかを出掛ける。去年も同時期に来た茨城県土浦市内のあるホテルのレストランで昼食をとった。窓側の席から、霞ヶ浦がよく見える。霞ヶ浦が秋雨にうっすら霞んで見える。景色と会話を楽しみながら、一時間半ほどかけてゆっくりと食事した。ちなみに去年見られた筑波山は見えなかった。

(十月中旬 日常生活)
列島は十月中旬長雨に
日本は秋の長雨続く日々
秋雨の降るなか妻と土浦へ
新川の川への桜紅葉して
秋雨に霞ヶ浦は霞みをり
㊟霞ヶ浦・・・霞ヶ浦(かすみがうら)は、茨城県南東部から千葉県北東部に広がる湖。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。「霞ケ浦」(大文字のケ)と表記することもある。西浦・北浦・外浪逆浦(そとなさかうら)・北利根川・鰐川・常陸川の各水域の総体である。河川法ではこの範囲を「常陸利根川」という利根川の支川としている。
地理[編集]
 湖面積220.0km2は日本第2位(日本の湖沼の面積順の一覧参照)[1]、茨城県最大。主な水域別の積は次のとおり。
西浦(172km2)
北浦(36km2)
外浪逆浦(6km2)
常陸利根川(6km2)
 なお、 平野部に位置するため流域面積は2156.7km2と広く、茨城県の面積の約35%を占める。水際線延長は249.5kmで、これは日本最大面積の湖である琵琶湖(235.0km)の水際線延長を超える。平均水深は約4m、最大水深は約7m、年間流下量は約14億m3、貯留量は約8.5億m3。主な流入河川は桜川、恋瀬川、巴川、小野川など。
 太平洋岸気候区にあるため、梅雨期と台風による降水が多く、冬は晴天が多く降水量が少ない。特に周辺では冬に「筑波颪(つくばおろし)」と呼ばれる強い北西の季節風が吹く。流域の年間平均降水量は約1300mmで全国平均(約1780mm)に比べると少なめである。
 北には涸沼があり、南には利根川が流れ、北西には八溝山地の南端にあたる筑波山(標高877m)を擁している。周辺は、台地と低地が入り組んだ場所が多く、筑波山は周辺の最高点であるため潮来市など比較的遠く離れた場所でもよく望むことができる。
 元々は「浦」という名前のように海の入り江に由来し、砂州や河川堆積物によって出口を閉ざされたラグーンである。そのため、時期や場所によって塩分濃度に違いはあるものの、かつての湖水は塩分が混じる汽水であった。特に1950年代から1960年代には、下流の河川改修(浚渫)の影響で海水が遡上し、近年ではもっとも汽水化が進んだ時期だった。当時を知る人々にとって「汽水湖」という印象が強いのはそのためである。
 しかし、1963年に治水と塩害防止を目的にして竣工した常陸川水門(逆水門)を利用することで淡水化が進行した(詳しくは霞ヶ浦の歴史を参照)。そのため、現在は、ほぼ淡水湖とかわらない状況にある[2]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「霞ヶ浦について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十四》

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● 平成二十九年十一月二十四日 金曜日   
○ 十月日々折々 その六 台風

《今回の自選代表句と自句自解》

今年また先ずは近場での紅葉狩り 

 毎年のことだが、今年もまた散歩しながら、先ず近所の紅葉狩り。朝夕の寒暖差が激しくなり、刻々と紅葉も鮮明になってゆく。

(十月下旬 日常生活)
台風や期日の前に投票を
台風や風雨激しき朝六時
台風は日本列島縦断す
関東は台風一過の青空に
ベランダに台風過ぎ去り傘を干す 
台風や山梨への旅来週に
公園に幼ら遊べる秋日和
芸術の秋に仲間らとカラオケ会
今週も週末台風近づいて
台風や山梨の旅キャンセルに
十月の末に木枯一号が
朝散歩川辺の道に虫の声
住む街の公園の木々紅葉して
今年また先ずは近場での紅葉狩り
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秋風 (平成29年11月21〜22日)

2017/11/17 14:08

◎ 平成二十九年十一月二十一〜二十二日 秋風

● 平成二十九年十一月二十一日 火曜日   
○ 十月日々折々 その三 秋風

《今回の自選代表二句と自句自解》

物産展各県の幟秋風に 

 恒例となった秋の松戸まつり。松戸駅西口のデッキ下で開催された全国的な観光物産展には、各都道府県の幟旗が、客を手招きするように風に揺れていた。
ここは、毎年人込みが激しい会場となっている。

(十月上旬 松戸まつりA)
秋の午後二時にパレード開始して
秋まつりサンバのリズムに乗りダンス
秋まつりサンバのダンス激しくて
秋まつり色彩豊かなコスチュウム
秋まつりパレード過ぎて他会場へ
秋まつり屋台あまたな中通り
秋まつり知人の屋台で立ち話
秋まつり人込む本町中通り
秋まつり伊勢丹通りに親子連れ
秋まつり駅デッキ下で物産展
秋まつり各県の幟風に揺れ
物産展各県の幟秋風に 

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● 平成二十九年十一月二十二日 水曜日   
○ 十月日々折々 その四 秋の日

《今回の自選代表二句と自句自解》

秋まつりに松戸応援キャラクター 

 秋開催の恒例の松戸まつり。松戸駅西口のデッキ下で開催された観光物産展の会場にいる松戸応援キャラクターの「松戸さん」は、参加者と記念撮影をしていた。

(十月上旬 松戸まつりB)
秋まつり松戸のゆるキャラ目の前に
秋まつり我が目の前に「松戸さん」
秋まつり物産展に「松戸さん」
秋まつりに松戸応援キャラクター 
秋まつり高砂通りに人あまた
秋の午後松戸まつりを楽しめり
秋の日に松戸の文化楽しめり
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十五夜 (平成29年11月19〜20日)

2017/11/16 05:14

◎ 平成二十九年十一月十九〜二十日 十五夜

● 平成二十九年十一月十九日 日曜日   
○ 十月日々折々 その一 十五夜

《今回の自選代表句と自句自解》

東天の雲間に名月丸まると 

 今日は十五夜。早々と東の雲間から名月が丸々と上り始めた。もうすでに明るい。以後、時折外に出て名月を愛でた。

(十月上旬 日常生活)
関東は晴れて十月に入りにけり
スポーツの秋に快挙の女子ゴルフ
女子オープン秋に畑岡連覇して
※ 畑岡連覇・・・畑岡奈紗が40年ぶり女子オープン連覇!メジャー記録20アンダー
◇国内女子メジャー第3戦◇日本女子オープンゴルフ選手権競技 最終日(1日)◇我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県)◇6706yd(パー72)
 2打リードの単独首位からスタートした畑岡奈紗が8バーディ、1ボギーの「65」とし、2位に8打差をつける通算20アンダーで大会連覇を果たした。昨年の史上初のアマチュア制覇に続き、1976年、77年大会を制した樋口久子以来2人目となる40年ぶりのナショナルオープン連覇の快挙を遂げた。国内女子メジャーの最多アンダーパー記録(14アンダー)を6ストローク塗り替えた。(ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)より転載)
十月の女子オープンでメジャー記録
東天の名月雲間に見え隠れ
東天の雲間に名月丸まると 
幾たびも十五夜雲間に見え隠れ
お団子を食わねど名月楽しめり

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● 平成二十九年十一月二十日 月曜日   
○ 十月日々折々 その二 十月

《今回の自選代表句と自句自解》

秋まつりダンサーらとの写真撮る 

 十月開催の第44回 松戸まつり。サンバダンスに縁者が出演するので、応援に出掛けた。出演前に出番待ちのサンバダンサーらと写真を撮った。みんなのコスチュームが鮮やかだ。皆、いい笑顔だ。

(十月上旬 松戸まつり@)
十月の松戸まつりに妻連れて
㊟松戸まつり・・・第44回 松戸まつり
 各イベント広場を中心にパレード等のストリートイベント、バザール、観光物産展をはじめとした多くのお店が出店される市内でも注目されるお祭りのひとつです。
 松戸駅周辺を中心に、例年「音楽パレード」や、「YOSAKOI松戸」、「全国ふるさと物産展」、「クラシックカーフェスティバル」など盛りだくさんのイベントが行われてまいりました。 甲冑行列、和太鼓演奏、阿波踊りなどの国を代表する歴史を感じる催しと共にサンバやフラダンス、フラメンコといった異国文化の賑わいを感じることができるのも松戸まつりの特徴です。
日時  2017年10月7日(土)・8日(日) 10時〜17時まで (交通規制時間 9時〜17時まで)
場所  JR常磐線・新京成線 松戸駅周辺地域 (松戸市観光協会 公式ホームページより転載)
秋まつりサンババレード応援に
秋の午後妻とイベント広場へと
秋の午後バレード前に会場へ
秋まつり縁者と暫し話して
秋まつりダンサーらとの写真撮る 
秋まつり待つ間に知己と立ち話
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月さやか (平成29年11月17〜18日)

2017/11/15 10:36

◎ 平成二十九年十一月十七〜十八日 月さやか

● 平成二十九年十一月十七日 金曜日   
○ 九月日々折々 その三十四 秋彼岸

《今回の自選代表句と自句自解》

菩提寺の墓の供花に竜胆を 

 秋の彼岸の墓参り。この時季、いつもは墓前に菊の花をお供えすることが多かったが、今年は竜胆の花の入った花束を墓前にお供えした。

(九月下旬 日常生活@)
秋彼岸孫ら共に菩提寺に
菩提寺の墓の供花に竜胆を 
菩提寺で身内と出くわす秋彼岸
帰り際身内と出くわす秋彼岸
秋彼岸墓所にて姉と立ち話
秋彼岸墓所にて暫し立ち話

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● 平成二十九年十一月十八日 土曜日   
○ 九月日々折々 その三十五 月さやか

《今回の自選代表句と自句自解》

虫の音に誘われ開ける夜の窓

 すっかり秋らしくなった。虫の声に誘われ、居間の窓を開けた。虫の音が高く近くに聞こえる。ふと見上げる夜空にはお月さま。いつのまにか過ごし良い季節になった。

(九月下旬 日常生活A)
秋の晴上野パンダ名「シャンシャン(香香)」に
㊟上野パンダ名・・・上野動物園(東京都台東区)のジャイアントパンダの赤ちゃん(雌)について、名前は「シャンシャン(香香)」に決まったことが25日、分かった。東京都の小池百合子知事が同日午後2時から会見を開き、正式に発表する。(産経新聞より転載)
虫の音に誘われ開ける夜の窓 
窓越しに見上げる空の月さやか
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秋景色 (平成29年11月15〜16日)

2017/11/14 03:38

◎ 平成二十九年十一月十五〜十六日 秋景色

● 平成二十九年十一月十五日 水曜日   
○ 九月日々折々 その三十二 秋景色

《今回の自選代表句と自句自解》

送迎のバスの車窓に秋景色 

 最近は空の雲や桜紅葉など、より秋らしい風情を感じられるようになった。東松戸のレストランへ向かう送迎バスから、秋の景色を楽しんだ。

(九月下旬 町内老人会の昼食会A)
秋の会松戸より東松戸へと
仲秋に車窓の景色楽しめり 
送迎のバスの車窓に秋景色 
秋の昼バス降り皆と店内へ
秋の昼バス降り皆と入店す
秋の昼予約した和風レストランに
秋の昼最前列の席に着く
秋の会会長皆に挨拶す 
秋の昼ビールジョッキー手に乾杯

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● 平成二十九年十一月十六日 木曜日   
○ 九月日々折々 その三十三 秋の昼

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の会料理を肴に酒を飲む 

 食欲の秋。町会の老人会仲間と和風レストランで懐石料理を肴に日本酒の「松竹梅」を飲む。食事も酒も旨い。会話も弾む。

(九月下旬 町内老人会の昼食会B)
秋の昼懐石料理に舌鼓
秋の会料理を肴に酒を飲む  
秋の会話で酒席盛り上がる
秋の会好きな日本酒注ぎ注がれ
秋の昼話で宴会盛り上げる
秋の会飲み始めてより二時間半
秋の午後宴会やがてお開きに
秋の午後送迎バス乗り松戸へと
秋の午後地元で皆と別れけり
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秋暑し (平成29年11月13〜14日)

2017/11/12 05:18

◎ 平成二十九年十一月十三〜十四日 秋暑し

● 平成二十九年十一月十三日 月曜日   
○ 九月日々折々 その三十 秋暑し

《今回の自選代表句と自句自解》

台風や夜にざわめく風と雨 

 九月中旬に、関東地方に台風が来襲した。暗い夜に、大風と大雨の音だけが、ざわめいている。停電にならないように祈る。

(九月中旬 日常生活A)
台風の来るなか娘は福岡へ
台風の来るなか娘は学会に
台風や夜にざわめく風と雨 
福岡より台風のなか帰宅の娘(こ)
台風の吹き返しの風未明まで
大風雨去りし関東秋暑し

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● 平成二十九年十一月十四日 火曜日   
○ 九月日々折々 その三十一 仲秋

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の昼町会仲間と食事会 

 食欲の秋。町会の老人会仲間二十五名で店の送迎バスに乗り、懐石料理を食べに出掛けた。

(九月下旬 町内老人会の昼食会@)
仲秋に老人会の昼食会
秋の日に老人会の昼食会
秋の会メンバー次つぎ集い来る
秋の会集合場所に皆集う
老人会メンバー集う秋の会
秋の会集いしメンバー顔馴染み 
秋の昼町会仲間と食事会 
秋の会集いしメンバー二十五名
秋の会集合場所よりバスに乗り
秋の会車中に六十・八十代
秋の会車中に七十・九十代
秋の日に送迎バス乗り会場へ
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梨 (平成29年11月11〜12日)

2017/11/10 02:40

◎ 平成二十九年十一月十一〜十二日 梨

● 平成二十九年十一月十一日 土曜日   
○ 九月日々折々 その二十八 秋夕べ

《今回の自選代表句と自句自解》

食欲の秋に幾種かの魚買う 

 食欲の秋。築地の場外市場の魚屋で幾種かの魚を購入した。とにかく鮮度がいい。

(九月上旬 銀ブラF)
秋の午後場外市場をブラブラと
秋の午後市場通路に人込めり
食欲の秋に幾種かの魚買う 
秋旅にブラブラ歩く市場内
秋小旅頃合いはかり戻る道
秋の午後瀬戸物屋さんにブラリ寄る
秋の旅途中立ち寄る瀬戸物屋
秋旅に寿司の画の湯飲み買い求む
秋の旅東銀座より地下鉄に
秋旅に都営浅草線に乗る
秋小旅東銀座より北千住
秋の旅北千住より千代田線
秋の午後北千住より松戸へと
秋夕べ土産手にして無事帰宅

(九月上旬 日常生活)
スポーツの秋にテレビで観戦す
秋の晴桐生が百を九秒台
※ 桐生が百を九秒台・・・桐生祥秀 日本人初の100メートル9秒台!
陸上の日本学生対校選手権第2日が9日、福井市の福井県営陸上競技場であり、男子100メートル決勝は桐生祥秀(東洋大)が9秒98(追い風1.8メートル)で優勝した。4年生の桐生はこの種目大会3連覇で最後の日本インカレを締めくくった。従来の記録は伊東浩司が1998年に出した10秒00。(スポーツニッポンより転載 )

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● 平成二十九年十一月十二日 日曜日   
○ 九月日々折々 その二十九 梨

《今回の自選代表句と自句自解》

梨の名に季節の時期を覚知して 

 梨は品種により、収穫時期が異なる。初秋に早生種の「幸水(こうすい)」、仲秋に中生種の「豊水(ほうすい)」、そして今また中生種の「あきづき」を味わった。梨も品種改良が進みかなり増えた。梨の味覚の奥深さを覚知する。ここ千葉県は全国一の梨の生産地である。また地元の松戸は、「二十世紀梨」の発祥の地である。

(九月中旬 日常生活@)
秋月の梨食み季節の時期を知り 
秋月の梨食み季節の時期覚知 
梨の名に季節の時期を覚知して 
梨の時季脳裏に地元産の梨
時季来る脳裏に梨の「二十世紀」
㊟「二十世紀」・・・二十世紀(にじっせいき)は青梨系の中生種で、和なし生産の13%を占める生産量第3位の品種である。また、鳥取県産なしの8割を占める。
 青梨系の代表品種で、一般的な唯一の青梨。1888年に千葉県大橋村(現在の松戸市)で、当時13歳の松戸覚之助が、親類宅のゴミ捨て場に生えていたものを発見した。松戸は「新太白」と名付けたが、1898年に渡瀬寅次郎によって、来たる新世紀(20世紀)における代表的品種になるであろうとの観測と願望を込めて新たに命名された[5] [6]。なお、当時日本では西暦の概念さえまだ一般的ではない時代であったため、非常に先進的な命名と言える。[要出典]その後、1904年に鳥取県に導入され、鳥取県の特産品となった。花は鳥取県の県花に指定されている。
 発祥の地は後に「二十世紀が丘梨元町」と名付けられ、覚之助の業績を記念している[5]が、発祥の松戸市を含む関東地方では幸水や豊水が主で、現在殆ど栽培されなくなっている。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の「ナシ」の項目の「品種」より転載)
◎『梨の「二十世紀」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十三》
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秋哀れ (平成29年11月9〜10日)

2017/11/08 02:59

◎ 平成二十九年十一月九〜十日 秋哀れ

● 平成二十九年十一月九日 木曜日   
○ 九月日々折々 その二十六 秋日差

《今回の自選代表句と自句自解》

通り道日差しと秋風心地良く 

 秋晴れの日に、東銀座から晴海通りを築地方面へと歩く。秋の日差しと微風が心地良い。

(九月上旬 銀ブラD)
秋の旅岩手のアンテナショップへと 
秋小旅続いて「銀河プラザ」寄る
※「銀河プラザ」・・・いわて銀河プラザ
銀座にある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」。岩手県の恵まれた自然が 育んだ安全でおいしい食品、職人の技が生み出す工芸品、産地直送直売や観光PR イベントなど「いわてブランド」を一堂に集結した「いわて銀河プラザ」をお楽しみください。住所:東京都中央区銀座5-15-1 南海東京ビル1F(いわて銀河プラザサイトより転載)
秋灯広き店内に品あまた
孫たちと銀ブラ楽しむ秋日和
秋うらら妻と孫らと築地へと
秋の旅万年橋を通りゆく
渡りゆく万年橋に秋日差
渡りゆく万年橋に秋の風
通り道日差しと秋風心地良く 
秋日浴び京橋郵便局前を

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● 平成二十九年十一月十日 金曜日   
○ 九月日々折々 その二十七 秋哀れ

《今回の自選代表句と自句自解》

秋や秋築地は食でおもてなし 

 築地には多くの人が来ている。食欲の秋の時季、食材を求めに来る人も多い。ゲイトの看板の「築地は食でおもてなし」の文字がこの時季、生き生きと見える。

(九月上旬 銀ブラE)
新大橋通りを渡る秋小旅
秋の旅左に築地本願寺
秋の旅右に築地場外市場
㊟築地場外市場・・・
築地市場(つきじいちば、つきじしじょう)は、東京都中央区築地にある公設の卸売市場。東京都内に11か所ある東京都中央卸売市場のひとつだが、その規模は日本・世界最大(広さでは大田市場のほうが広いが、取引金額は大田市場より大きい)であり、代表的な卸売市場である。この項では外郭に存在する築地場外市場商店街(通称:場外、場外市場、築地場外、築地場外市場)についても記述する。なお、ニュース番組等で、しばしば築地市場の場所を指して「つきじしじょう」と呼ぶことがあるが、場所を指す場合は「しじょう」ではなく「いちば」である[要出典]。
 築地場外市場商店街・・・築地市場の周辺にも買出人を相手とする店舗が多数あり、「場外」と呼ばれる商店街を形成している。これに対して築地市場は「場内」と呼ばれる。場外は場内に比べ一般客や観光客が比較的多い。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「築地場外市場について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十二》
秋思かな視野入る火災現場跡
秋思かな市場火災の傷跡が
※市場火災・・・築地市場火災
世界最大の魚市場で観光名所としても有名な東京の築地市場で3日、火事があった。開場80年以上の築地市場は、連日のマグロの競りで知られる。東京の主なすし店の多くが、築地からマグロを買い付けている。(BBCサイト 2017年08月4日より転載 )
秋哀れここ先月の火事現場
秋哀れ火災の傷跡生々し
秋小旅「すしざんまい」の程近く
秋日浴ぶ場外市場の大看板
秋や秋築地は食でおもてなし
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秋の雲  (平成29年11月7〜8日)

2017/11/07 01:49

◎ 平成二十九年十一月七〜八日 秋の雲

● 平成二十九年十一月七日 火曜日   
○ 九月日々折々 その二十四 秋の雲

《今回の自選代表句と自句自解》

食欲の秋に銀座で昼食会

 食欲の秋。でお昼に孫らと銀座食事会。銀ブラの前に、腹ごしらえ。和光や三越のある銀座四丁目に程近い、イタリアンレストランでの昼食会を楽しんだ。

(九月上旬 銀ブラB)
食欲の秋に銀座で昼食会 
食欲の秋にパスタを孫たちと
食欲の秋にパスタ料理食む
食欲の秋に孫らとカルパッチョ
㊟カルパッチョ・・・カルパッチョ(Carpaccio)は、生の牛ヒレ肉の薄切りに、チーズもしくはソースなどの調味料をかけた料理の総称である。
起源[編集]
 イタリアの画家であるヴィットーレ・カルパッチョが薄切りの生牛肉にパルミジャーノ・レッジャーノをかけた料理を好んだことから、彼の名を取ってカルパッチョと呼ばれているという説がある。 また、彼の独特の赤色を基調とした作風が、皿に並べられた薄切りの生牛肉の色彩に類似しているためにその名があるとする説もある。
 第3の説として1963年(1950年の説も[1])、ヴェネツィアでのヴィットーレ・カルパッチョ生誕500年回顧展の期間中に、同地のレストラン「ハリーズ・バー(英語版)」で考案された料理との説も知られている。前の2つの説がヴェネツィアの伝統料理であるとの前提に立っているのに対し、本国イタリアで定着している第3の説は、近年の創作料理であると主張している。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「カルパッチョとは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十一》
秋の日の昼イタリアン料理食む
秋の昼食後のコーヒーゆっくりと
秋の昼食事後銀座をブラブラと
秋の旅「あづま稲荷」にブラリ行く
㊟「あづま稲荷」・・・あづま稲荷神社
 戦後、京都伏見稲荷大社から分霊して祀った神社。毎年2月の最初の午の日には大祭を行い、まちの発展と火防・盗難守護を祈願しています。〈じゃらんネットより転載〉所在地 東京都中央区銀座5-9-19
秋の晴あづま稲荷にて合掌す
ビル街の隙間の空に秋の雲

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● 平成二十九年十一月八日 水曜日   
○ 九月日々折々 その二十五 秋日和

《今回の自選代表句と自句自解》

食欲の秋にアンテナショップへと 

 銀座付近には、地方のアンテナショップが点在している。先ず、群馬県のアンテナショップに入店した。販売ベスト五(売れ筋ベスト五)が、明示されていた。みそパンや神津牧場のソフトクリームなど。女店員が、みそぱんはテレビでも紹介されたと話してくれた。店内には、食欲をそそる商品が多くあった。

(九月上旬 銀ブラC)
秋の午後晴海通りを歩きゆく
㊟晴海通り・・・晴海通り(はるみどおり)は、東京都千代田区の祝田橋交差点から江東区の東雲交差点へ至る道路の通称である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の午後晴海通りを孫たちと
秋の旅三原橋を通り過ぐ
秋小旅昭和通りを横断す
秋日和左に銀座の歌舞伎座が
秋の旅目前に東銀座駅
食欲の 秋にアンテナショップへと 
秋小旅「ぐんまちゃん家」へブラリ寄る
※「ぐんまちゃん家」・・・ぐんまちゃん家 (ぐんま総合情報センター)
銀座のアンテナショップ,東京ぐんまちゃん家。群馬県のイベント情報満載。ぐんまちゃん 家では、群馬県内選りすぐりの名産品を取り揃えて、皆さまのお越しをお待ちしており ます。住所:東京都中央区銀座5丁目13番地19(ぐんまちゃん家サイトより転載)
秋灯店内随所にぐんまちゃん
※「ぐんまちゃん」・・・群馬県の地域キャラクター。人気の群馬県のゆるキャラである。デザインは、漫画家の馬場のぼる。
文化の秋店内数多な品揃え
食欲の秋に店推すみそパンを 
秋旅にテレビ紹介されしパン
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秋の空 (平成29年11月5〜6日)

2017/11/05 00:03


★ お知らせ 「俳句の掲載の変更」について(再掲)

 いつもご愛読頂き、誠にありがとうございます。
 さて、高齢のため、今までのように連続して一定した内容の俳句ブログの掲載は困難になってきました。今後は、可能な限りの句数の掲載となります。ときには、掲載を見送ること(一時的なお休み)があるかも知れません。これらのことを御承知頂ければ幸いです。
 今後とも、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。                     飯島治蝶

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◎ 平成二十九年十一月五〜六日 秋の空

● 平成二十九年十一月五日 日曜日   
○ 九月日々折々 その二十二 秋の晴

《今回の自選代表句と自句自解》

秋晴に誘われ孫らと銀ブラに 

 今日は朝からよく晴れている。秋晴れだ。天気予報でも、一日晴れるとの報道。妻と孫とで、食事を兼ねて、銀ブラをすることとなった。

(九月上旬 銀ブラ@)

ここ松戸今日は朝から秋晴れに
秋晴に誘われ孫らと銀ブラに 
秋の旅十時半過ぎ家を出る
秋の晴松戸駅より大手町
秋の晴千代田線乗り大手町
秋の晴丸ノ内線に乗り換えて
秋の晴地下鉄に乗り銀座へと
秋の旅銀座駅降り四丁目
秋の旅駅降りやがて交差点
ビル街に秋の青空広がれり
秋の晴ビル街上空青あおと 

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● 平成二十九年十一月六日 月曜日   
○ 九月日々折々 その二十三 秋の空

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴青空支える時計塔 

 地下鉄の銀座駅で下車。今、銀座四丁目の交差点脇にある和光ビル近くに来た。交差点を挟んだ地点まで来た。上空に広がる秋晴れの青空が、ビル街に明るい。まるでスカイブルーの天蓋のようだ。その天蓋を支えているのが、銀座和光の時計塔だ。そのような錯覚を覚える秋景色だ。

(九月上旬 銀ブラA)

秋晴に銀座の上空青あおと 
秋小旅向こうに銀座和光ビル
秋晴の青空支える時計塔
秋の晴青空支える時計塔 
㊟時計塔・・・銀座和光の時計塔
 初代時計塔が完成したのは1894(明治27)年。
 和光の前身である服部時計店の創業者・服部金太郎が、銀座4丁目交差点角地の朝野新聞社屋を買い取り、増改築の末に、1895(明治28)年1月、服部時計店はこの新店舗で営業を開始しました。
その後、大正の好況期に入り、建て替えが計画されたものの、 1923(大正12)年の関東大震災により建設を中断。また、営業中の仮店舗も焼失しました。工事が再開されたのは1929(昭和4)年末になってからのことでした。
 二代目時計塔
 現在の時計塔は建築家・渡辺仁氏の設計により、1932(昭和7)年6月に竣工した二代目です。ゆるい弧を描いた優雅な曲面で4丁目の交差点を見下ろすように建つこの建物の様式は、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれ、時計塔の四方にある文字盤はほぼ正確に東西南北を向いています。建物の外装材は、大震災直後ということもあり、火災や地震を考慮してすべて天然石が使われました。また、時計塔の文字盤の下や建物の窓部分には、ブロンズでアラベスク(唐草)の繊細な透かし模様の装飾などがあしらわれ、店内の壁面にはイタリアから輸入された大理石が使われました。
 地上から時計塔まで高さ:39.39m(屋上までの高さ:30.30m、時計塔の高さ:9.09m)
時計塔の避雷針の高さ:8m
時計塔の文字盤の大きさ:直径2.4m
時計塔の時計の針の長さ:長針1.17m、短針0.75m
(和光のサイト 「和光と時計塔の歴史」より転載)
◎「銀座和光の時計塔について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百五十》
ビル街に明るく広がる秋の空
秋の昼銀ブラ前に先ず食事
秋の晴東京銀座へ食事しに
秋の昼どき妻孫と先ず食事
食欲の秋に銀座のレストラン
食欲の秋の昼食イタリアン
食欲の秋に孫らと食事会
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秋の暮 (平成29年11月4日)

2017/11/04 00:01

◎ 平成二十九年十一月四日 秋の暮

● 平成二十九年十一月四日 土曜日   
○ 九月日々折々 その二十一 秋の暮

《今回の自選代表句と自句自解》

芸術の秋に笑って福来る 

 芸術の秋に、大衆芸能を楽しむ。多彩な「爆笑寄席」を妻と楽しんだ。大分笑った。これで、より多くの福がくるかも・・・。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その二十一)
〜 「爆笑寄席」 その五 〜

秋の会出囃子に合わせ落語家が
芸術の秋に落語家座へと
秋の会瀧川鯉昇がトリ務め
㊟ 瀧川鯉昇・・・瀧川 鯉昇(たきがわ りしょう)は、落語の名跡。過去に鯉昇という名跡は、鯉朝や鯉橋同様に数名が名乗っている。2代目柳亭左龍(俗に「樽重」、「江戸名残の怪談師」)、7代目三笑亭可楽(俗に「玉井の可楽」)等が名乗っているが、名跡としての代数は数えられていない。
 当代 瀧川鯉昇(本名:山下 秀雄(やました ひでお)、1953年2月11日 - )は、静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松西高等学校、明治大学農学部卒業。落語芸術協会所属で、同協会監事。出囃子は「鯉」。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
芸術の秋に落語家茶の噺
秋の会笑って健康長寿かな 
芸術の秋に笑って福来る 
秋の会午後四時前に終演す
秋の日に「爆笑寄席」を楽しめり
秋の夕いつのまにやら雨止んで
秋の旅大井町駅で電車乗る
秋の旅大井町より上野駅
秋の旅上野駅より松戸へと
秋の日に散策と寄席楽しめり
二人して無事帰宅する秋の暮

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★ お知らせ

 「俳句の掲載の変更」について

 いつもご愛読頂き、誠にありがとうございます。
 さて、高齢のため明日(平成二十九年十一月五日)以降、今までのように連続して一定した内容の俳句ブログの記事掲載は困難になって参りきました。今後は、可能な限りの句数の掲載となります。ときには、掲載を見送ること(一時的なお休み)があるか知れません。これらのことを御承知頂ければ幸いです。
 今後とも、ご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。  (飯島治蝶)
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秋の夕 (平成29年11月3日)

2017/11/03 01:09

◎ 平成二十九年十一月三日 秋の夕

● 平成二十九年十一月三日 金曜日   
○ 九月日々折々 その二十 秋の夕

《今回の自選代表句と自句自解》

芸術の秋に楽しむ太神楽 

 芸術の秋に、大衆芸能を楽しむ。多彩な「爆笑寄席」で、鏡味仙成によるバランス芸の太神楽を鑑賞した。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その二十)
〜 「爆笑寄席」 その四 〜

秋の会午後二時半より第二部に
芸術の秋に鏡味の太神楽
※ 鏡味・・・鏡味 仙成 (かがみ せんなり)・・・本名:山本航大 ・芸種:太神楽 ・生年月日:平成8年12月11日 ・出身:埼玉県飯能市・他の所属:(一社)落語協会(太神楽曲芸協会サイトより転載)
芸術の秋に鏡味のバランス芸
※ バランス芸・・・傘の上で色んな物を回したり、顎の上に棒を立てて茶碗やら房の付いた棒などを積み上げ ていくバランス芸。
㊟ 太神楽・・・太神楽(だいかぐら)は、古くから神社を祭る式楽、舞楽(ぶがく)より生じ、伊勢、 尾張(熱田)、水戸などが代表的発祥地と伝えられています。
 戦乱が収まり徳川家康が江戸幕府を開府すると、太神楽師達は各大名に付いて地方へ広がり、獅子舞で氏子の家々を御祓(おはらい)する風習が生まれました。
 このように神様への奉納、氏子への祈祷などが主の【神事芸能】の太神楽でしたが、その後寄席の出現などに伴い【舞台芸能】へと変化をしていきます。
獅子舞の余興として演じていた曲芸は、娯楽を提供する【寄席芸能】へと発展して いきました。
 江戸時代に広まったこの太神楽曲芸は、明治・大正・昭和と時代と共に技芸を発展
させて、平成の現在へと受け継がれている伝統芸能です。
 太神楽は『舞』『曲芸』『話芸』『鳴り物』の四つの柱から成り立っています。
【舞】   → 獅子舞・恵比寿大黒舞など
【曲芸】  → 投げ物(撥・鞠・ナイフ・輪など) 立て物(傘・五階茶碗・皿など)
【話芸】  → 掛け合い茶番(源三位頼政・祐兼参詣・五段目・鹿島の舞など)
【鳴り物】 → 下座音楽・祭囃子など
 この様に太神楽は芸能の原点と云うべき要素を揃えており、時代に合わせた演出で観客の皆様に楽しんで頂いております。(太神楽曲芸協会HPより転載)
◎「太神楽とは」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十八》
秋の会鏡味茶碗を積み上げて
秋灯仙成茶碗積み上げて
芸術の秋に楽しむ太神楽 
秋の会観客鏡味へ大拍手
芸術の秋に文治の落語聞く
※ 文治・・・11代目 桂 文治(じゅういちだいめ かつら ぶんじ、本名:岡方 靖治(おかがた やすはる)、1967年8月25日 - )は、日本の落語家。東西に存在する桂派の宗家の名跡「桂文治」の当代。落語芸術協会所属。出囃子は『武蔵名物』(真打の平治時代は『いやとび』二ツ目時代は『どうぞ叶えて』)。前名は2代目桂平治。大分県立四日市高等学校卒業。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
芸術の 秋聞く落語の「親子酒」
㊟ 「親子酒」・・・親子酒(おやこざけ)は、古典落語の演目の一つ。原話は上方の初代露の五郎兵衛が宝永4年(1707年)に出版した笑話本「露休置土産」の一遍である「親子共に大上戸」。
 主な演者として、5代目古今亭志ん生や5代目柳家小さん、8代目三笑亭可楽、10代目金原亭馬生、5代目鈴々舎馬風などがいる。
 あらすじ[編集]
 ある商家に、共に酒好きな大旦那と若旦那の親子がいた。父親である大旦那は、息子の酒癖が非常に悪いことを心配し、「お前だけに酒を止めろとは言わない。共に禁酒をしよう」と話をする。
 息子も承知し、しばらくは何事もなかったが、2週間ほど経つと、他に楽しみのない大旦那は、酒が恋しくて仕方がなくなる。
 息子が出かけていたある晩、女房に頼み込み、遂に酒に手を出してしまう。したたかに酔い、気分も良くなっているところへ、息子が帰ってくる。慌てて場を取り繕い、父親は「酔っている姿など見せない」と、息子を迎えるが、帰ってきた息子も同様にしたたかに酔い上機嫌であった。
 呆れた父親が「なぜ酔っているんだ」と問うと、出入り先の旦那に相手をさせられたと言い、「酒は止められませんね」などと言う。
 父親は怒り、女房に向かって「婆さん、こいつの顔はさっきからいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない」と言った。
 すると息子もこう返す。「俺だって、こんなぐるぐる回る家は要りません」(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「親子酒」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十九》
芸術の秋におしゃべマジックを
芸術の秋マギー司郎マジックを
㊟ マギー司郎・・・マギー司郎(マギーしろう、1946年(昭和21年)3月17日 ? )は、日本の手品師、タレント。日本奇術協会相談役。本名、野澤 司郎(のざわ しろう)。茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。オフィス樹木所属。(中略)
 芸風[編集]
 メガネに口ヒゲ・黄色い燕尾服の風貌で、飄々とした茨城弁による客いじりで煙に巻くスタイル。
 何が起こるかを先に明かすネタばらしから始まる変則派で「縦縞のハンカチを横縞にする」、「麦茶をウーロン茶にする」、「コシヒカリをササニシキに変える」などのインチキ手品を行いつつ、「うちの近所の八百屋のおかみさんに評判なんだけど、」「板橋(鉾田町などの場合も多い)に○○って飲み屋があるの知ってる?そこに週5回通う、常連の○○って人知ってる?その人が大好きなマジック、今からやるから」などのトークで繋ぎ、最後は正統派マジックに戻って高座を締める。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の会マギー司郎はネタばらし
秋の会ハンカチの縞のネタばらし
秋の会観客ネタに大笑い
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秋灯 (平成29年11月1〜2日)

2017/11/01 01:25

◎ 平成二十九年十一月一〜二日 秋灯

● 平成二十九年十一月一日 水曜日   
○ 九月日々折々 その十八 秋

《今回の自選代表句と自句自解》

芸術の秋に「寿限無」の落語聞く 

 芸術の秋に、大衆芸能を楽しむ。「爆笑寄席」で、昔懐かしい「寿限無」の落語を楽しんだ。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十八)
〜 「爆笑寄席」 その二 〜

秋の旅徒歩数分で「きゅりあん」に
※ 「きゅりあん」・・・「きゅりあん」は、一般公募により選ばれた品川区立総合区民会館の愛称。
秋の旅ビル八階の会場へ
爆笑寄席会場内に秋灯
芸術の秋楽しみな爆笑寄席
秋の日の一時半より爆笑寄席
秋の会一時半より第一部
芸術の秋に前座の落語聞く
※ 前座・・・落語家(東京)には、「真打ち」「二ツ目」「前座」「前座見習い」という階級がある。
芸術の秋に鯉佐久の落語聞く
※ 鯉佐久・・・・芸名 瀧川 鯉佐久  ・芸名 ふりがなたきがわ こいさく・芸種 落語 ・階級 前座 ・芸歴瀧川鯉昇に入門(落語芸術協会サイトより転載)
芸術の秋に鯉佐久の「寿限無」聞く
㊟ 「寿限無」・・・「寿限無」(じゅげむ)は、早口言葉あるいは言葉遊びとして知られる古典的な噺であり、落語の前座噺である。上方落語では古くは別題を「長名」という。(中略)
 代表的な例[編集]
 以下はこの噺の主人公である赤ん坊に付けられる「名前」の一例である。日本で最も長い名前、としてしばしば語られる。
「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいのちょうすけ」
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
藪ら柑子の藪柑子
パイポ パイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
(ここでは、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」での紹介例に漢字を当てた。)
なお、落語家によって一部細かい部分での違いが見られる。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「寿限無(じゅげむ)」とは』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十六》
芸術の秋に「寿限無」の落語聞く 
芸術の秋母心の漫才を
㊟ 母心・・・母心(ははごころ)は漫才協会に所属するお笑いコンビである。オフィスまめかな所属。福島県を中心に活動するお笑い集団みちのくボンガーズ(現・ふくしまボンカーズ)の元メンバーである。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
芸術の秋漫才で大笑い

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● 平成二十九年十一月二日 木曜日   
○ 九月日々折々 その十九 秋灯

《今回の自選代表句と自句自解》

芸術の秋観る独楽の綱渡り 

 芸術の秋に、大衆芸能を楽しむ。多彩な「爆笑寄席」で、曲独楽師である三増紋之助による独楽の綱渡りを鑑賞した。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十九)
〜 「爆笑寄席」 その三 〜

芸術の秋に三増江戸曲ごまを
㊟ 三増・・・三増紋之助(みます もんのすけ、1963年1月22日 - )は、栃木県足利市出身の曲独楽師。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
芸術の秋に大小の独楽回し
秋に観る刀の先での独楽回し
芸術の秋観る独楽の綱渡り 
芸術の秋に曲芸楽しめり
芸術の秋ケン正木の奇術観る
※ ケン 正木・・・ケンマサキ Ken Masaki ・会員区分:正会員 ・所属支部:関東 ・居住地(都道府県):東京(日本奇術協会サイトより転載)
プロフィール
 専修大学在学中からステージに立ち、パーティー、イベント、寄席等数々の舞台で活躍中。
 平成7年皇后陛下の還暦のお祝いの会が東宮御所で開かれたとき招かれて出演し、奇術を30分演じた。ステージではスライハンドマジック(テクニカルなマジック)、オリジナルのカラオケマジックなどコミカルなトークマジック、日本古典奇術の和妻(わづま)なども得意とし幅広く支持を得ている。
芸術の秋ケン正木のマジックを
芸術の秋に取り出すハト九羽
芸術の秋に談笑の落語聞く
※ 談笑・・・立川 談笑(たてかわ だんしょう)は江戸・東京の落語の名跡である。当代は6代目と名乗っているが、過去に談笑は4人ほど、談生を入れて6人前後確認されている。(中略)
 6代目立川 談笑(たてかわ だんしょう、1965年9月23日 - )は落語立川流所属の落語家である。東京都江東区出身。本名は小田桐 英裕(おだぎり ひでひろ)。海城高等学校、早稲田大学法学部卒業。出囃子は『野球拳』『佃』。身長182cmと落語家の中では高い方。基本は古典落語だがアレンジ色が強い。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
芸術の秋に落語の「時そば」を
㊟ 「時そば」・・・『時そば』(ときそば)は、古典落語の演目の一つ。『刻そば』とも。
 内容は蕎麦の屋台で起こる滑稽話であり、数多い古典落語の中でも、一般的に広く知られた演目の一つである。「時そば」と書かれることが多いが「時蕎麦」と書かれることもある。
 1726年(享保11年)の笑話本「軽口初笑」の「他人は喰より」が元となっている。これは、主人公が中間であり、そばきりの価格は6文であった。(中略)
 物語[編集]
 ある冬の深夜0時頃、小腹が空いた男Aが通りすがりの屋台の二八そば屋を呼び止める。Aは主人と気さくに「おうッ、何ができる? 花巻にしっぽく? しっぽくひとつこしらいてくんねえ。寒いなァ」とちくわ入りのかけそばを注文する。その後は、看板を褒めたり割られていない箸を見て「割られていると誰が使ったかわからない」と割り箸をほめる。更にそばを食べながら器、汁、麺の細さ、厚く切ったちくわなどを幇間(たいこもち)よろしく、ほめ上げる。
 食べ終わったAは、16文の料金を支払う。ここで、「おい、蕎麦屋さん。生憎と、細けえ銭っきゃ持ってねえんだ。落としちゃいけねえ、手え出してくれ」と言って、主人の掌に一文銭を一枚一枚数えながら、テンポ良く乗せていく。「一(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)、五(いつ)、六(むう)、七(なな)、八(やあ)」と数えたところで、「今何時(なんどき)でい!」と時刻を尋ねる。主人が「へい、九(ここの)つでい」と応えると間髪入れずに「十(とう)、十一、十二、十三、十四、十五、十六、御馳走様」と続けて16文を数え上げ、すぐさま店を去る。つまり、代金の一文をごまかしたのである。
 この一部始終を陰で見ていた男Bは、Aの言動を振り返り、Aが勘定をごまかした事に気付く。その手口にえらく感心し、真似したくなったBは、自分も同じことを翌日に試みる事にする。そばを食べる事が目的ではなく、1文をごまかすためだけにわざわざそばを食べる。
 待ちきれずに早めに繰り出したBは、Aの真似をするがことごとくうまくいかない。箸は誰かが使ったもの、器は欠け、汁は辛過ぎ、そばは伸び切り、ちくわは紛い物の麩。とうとうそばをあきらめ、件の勘定に取り掛かる。「一、二、……八、今何時でい」主人が「へい、四つでい」と答える。「五、六……」。まずいそばを食わされた上に勘定を余計に取られるというオチ。
 当時の時法では深夜の「暁9つ(午前0時頃)」の前が「夜4つ(午後10時頃)」だったことにより、この話が成立している。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「時そば」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十七》
芸術の秋に落語で大笑い
芸術の秋に楽しむ爆笑寄席
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桜紅葉 (平成29年10月30〜31日)

2017/10/30 00:03

◎ 平成二十九年十月三十〜三十一日 桜紅葉

● 平成二十九年十月三十日 月曜日   
○ 九月日々折々 その十六 桜紅葉

《今回の自選代表二句と自句自解》

品川寺参道の桜紅葉して 

 秋の日に旧東海道の南品川宿あたりの散策を楽しむ。品川寺の参道の桜は、うっすらと紅葉していた。

秋思かな脳裏に浮かぶジュネーヴ市 

 秋という季節は、何かと思いめぐらすことが多くなる。今妻とジュネ―ヴ平和通りを歩いている。するとふと、以前テレビに報道されたスイス・ジュネーヴ市と縁のある品川寺の梵鐘のことが脳裏に浮かんできだ。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十六)
〜 品川宿散策 その十六 〜

品川寺参道の桜紅葉して 
㊟ 品川寺・・・品川寺
品川寺(ほんせんじ)は、東京都品川区南品川三丁目にある真言宗醍醐派の寺院である。山号は海照山。本尊は水月観音と聖観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第31番である。
 歴史[編集]
 寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806-810年)に創建されたという。長禄元年(1457年)、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、寺号を大円寺と称した。その後戦乱により荒廃するが、承応元年(1652年)に弘尊上人により再興され、現在の寺号となった。スイス・ジュネーヴ市と深い縁を持つ梵鐘を始め、江戸六地蔵の第一番にあたる地蔵菩薩像や東海七福神の毘沙門天などがある。
 梵鐘[編集]
 明暦3年(1657年)の銘があり、徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされる。鐘身に六観音像を鋳出する。この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えるが、その後所在不明となっていた。大正8年(1919年)、当時の住職であった仲田順海は鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始した。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還された。
 平成3年(1991年)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘が贈られた。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となったが、交流の契機となったのはこの梵鐘である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在地 東京都品川区南品川3-5-17
◎「品川寺の梵鐘とジュネーヴ市」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十四》
品川寺参道の桜薄紅葉
秋の旅山門右に大公孫樹
秋の旅銀杏の樹齢六百年
秋の旅須弥壇前にする合掌
秋の旅寺鐘楼に梵鐘が
秋の旅立入禁止鐘楼に
秋思かな脳裏に浮かぶジュネーヴ市 
秋の旅交差点まで道戻る
秋の旅妻と交差点左折して
秋の旅左折しジュネ―ヴ平和通り
秋の旅青物横丁駅前に
㊟ 青物横丁駅・・・青物横丁駅(あおものよこちょうえき)は、東京都品川区南品川三丁目にある、京浜急行電鉄本線の駅である[1]。駅番号はKK04[1]。
(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
秋の旅「庄や」にて妻と昼食を
秋の昼妻と「庄や」に入店す
秋の旅目に宿場まつりポスターが
秋の昼刺身定食注文す
秋の昼食事後ゆっくり啜るお茶

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● 平成二十九年十月三十一日 火曜日   
○ 九月日々折々 その十七 秋の昼

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の旅仙台坂の街モダン 

 秋の日に旧東海道の散策を楽しむ。少し離れて仙台坂まで歩いてきた。この辺りの街並みはなかなかモダンな建物が多い。

(九月上旬 品川宿散策と その十七)
〜 「爆笑寄席」 その一 〜

秋の昼頃合いを見て店を出る
芸術の秋「爆笑寄席」会場へ
秋の旅品川区にある「きゅりあん」へ
※ 「きゅりあん」・・・「きゅりあん」は、一般公募により選ばれた品川区立総合区民会館の愛称。ラテン語 の「集会所」を意味する「キュリア(curia)」が語源の造語で、『人が集まり、ふれあうように 』との願いを込めてつけられた。
秋の旅第一京浜横断す
秋の旅停留所よりバス乗車
秋の昼停留所よりバスに乗り
秋の旅仙台坂を上るバス
㊟ 仙台坂・・・仙台坂(品川)[編集]
東京都品川区の「旧仙台坂[3]」は、現在「くらやみ坂」と呼ばれており、海晏寺(南品川五丁目)と泊船寺(東大井四丁目)との間にある坂(下は仙台坂トンネル)を指す。その後交通量が増加した事から、現在は池上通りを仙台坂と呼ぶようになった。
 池上通りの青物横丁交差点から仙台坂上交差点までの間を「仙台坂」、東京都道420号鮫洲大山線の南品川三丁目交差点から仙台坂上交差点までの間を「旧仙台坂(くらやみ坂)」と呼ばれている。
 旧仙台坂は国道15号南品川交差点から大井町方面へ登る坂で、坂上で現在の仙台坂(池上通り)に合流している。坂の左右中程から上(東大井四丁目・南品川五丁目)に仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があった。
 現在でも、坂上に「仙台味噌醸造所[4]」が昔ながらに残っており、現在も営業している。坂の中程には屋敷跡の記しとして「タブノキ」も残されており、江戸時代の名残を偲ばせる。坂は町田学園前、池上通りを南に上り、坂上には仙台坂巡査派出所がある[1]。仙台坂の名称は、江戸時代、東大井四丁目・南品川五丁目付近に仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の仙台坂の項目より転載)
◎「仙台坂(品川区)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十五》
秋の旅仙台坂の街モダン 
秋旅に仙台坂の交差点
秋の旅坂上より池上通りへ
秋の旅坂より池上通りへと
秋の旅「きゅりあん」近くでバス降りる
秋の旅大井町駅前で下車
㊟ 大井町駅・・・大井町駅(おおいまちえき)は、東京都品川区大井一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京急行電鉄(東急)・東京臨海高速鉄道(TWR)の駅である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
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菊 (平成29年10月28〜29日)

2017/10/28 02:02

◎ 平成二十九年十月二十八〜二十九日 菊

● 平成二十九年十月二十八日 土曜日   
○ 九月日々折々 その十四 秋

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の旅旧道沿いに街道松 

 秋雨の降る日に傘を差しながら、妻と旧東海道の品川宿の散策を楽しむ。南品川宿の旧東海道沿いの広場には、有賀氏から「品川宿の松」と命名された街道松が植えられていた。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十四)
〜 品川宿散策 その十四 〜

秋の旅旧道路傍に看板が
秋の旅看板に南品川宿
秋の旅旧道沿いに広場見え
秋の旅旧道沿いに街道松 
秋の旅路傍に品川宿の松
㊟ 品川宿の松・・・街道松の広場には「品川宿の松」が植えられている。浜松宿は東海道29番目の宿場で、植えられている松は浜松市の有賀慶吉氏から寄贈された樹齢80年の黒松。有賀氏から「品川宿の松」と命名され、1993年に植樹された。(しながわ観光協会のサイトより転載)所在地:東京都品川区南品川1-8-5
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の「続・秋の写真」の〈九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」〉に「品川宿の松(街道松)」の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
秋の旅宿場通りを二人して
秋の旅宿場通りに和菓子屋が
食欲の秋「閻魔いなり」和菓子屋に
食欲の秋遠州屋に「閻魔いなり」
秋の旅通りを右折し長徳寺
㊟ 長徳寺(ちょうとくじ)・・・長徳寺・閻魔堂
 室町時代中期の寛正4年(1463)の創建と伝えられる。元は現在の品川小学校校庭付近にあったが、、寛永14年(1637)、東海寺の建立にあたってその用地となったため、末寺・常行寺のあった現在地に移った。
○閻魔堂
・本堂左の小ぶりのお堂。
・像高88センチメートルの木造閻魔王坐像が祀られている。
・江戸時代より「南品川のおえんまさま」として信仰を集めた。
・陰暦の正月と7月16日は、地獄の釜のふたが開く日といわれ、
 閻魔王に参詣する人で賑わったという。
○長徳寺のイチョウ
・推定樹齢4〜500年、樹高12メートル、幹の周囲3.8メートル。
○紙本着色六道絵 5面<品川区指定文化財・民俗第27号>
・嘉永2年(1849)に寄進されたもの。
・人は死ぬと六道のいずれかに行くとされるが、
 その六道のそれぞれの世界を描いている。
○長徳寺文書<品川区指定文化財・古文書第2号>
・14代将軍徳川家茂まで、代々の将軍からの朱印状が残されている。
○閻魔いなり
長徳寺参道入り口にある和菓子処遠州屋(資源442)で一味唐辛子を稲荷の味付けに使ったいなり寿司を販売している。(しながわ観光協会のサイトより転載) 住所 品川区南品川2-8-16
◎「長徳寺・閻魔堂について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十三》
秋の旅旧道右折し長徳寺

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● 平成二十九年十月二十九日 日曜日   
○ 九月日々折々 その十五 菊

《今回の自選代表句と自句自解》

地蔵菩薩坐像の供花に菊の花

 秋雨の降る日に傘を差しながら、妻と旧東海道の品川宿の散策を楽しむ。南品川宿の品川寺を訪ねた。祀られている地蔵菩薩坐像の供花には、菊の花が・・・。菊はあきを代表する花だ。秋の旅には、欠かせない花である。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十五)
〜 品川宿散策 その十五 〜

秋の旅長徳寺の字山門に
秋の旅閻魔堂にて参拝す
秋の旅路傍の門に城南小
秋旅に天妙国寺門前を
秋の旅旧東海道南下して
秋の旅南品川交差点に
秋の旅妻と交差点渡りゆく
秋の旅旧道右手に品川寺
秋の旅参道左に地蔵像
秋の旅左に地蔵菩薩坐像
地蔵菩薩坐像の供花に菊の花
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白芙蓉 (平成29年10月26〜27日)

2017/10/26 02:49

◎ 平成二十九年十月二十六〜二十七日 白芙蓉

● 平成二十九年十月二十六日 木曜日   
○ 九月日々折々 その十二 白芙蓉

《今回の自選代表句と自句自解》

神社へと芙蓉愛でつつ川沿いを 

 秋の日に旧東海道の品川宿の散策をする。品川神社を後にして、目黒川沿いの旧品川宿の総鎮守であった荏原神社へと向かった。目黒川沿いに芙蓉の花が咲いていた。どこか魅力的な花だ。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十二)
〜 品川宿散策 その十二 〜

秋の旅第一京浜沿い歩く
車込む国道沿い行く秋の旅
秋の旅品川区保健センターが
秋の旅山手通りを横断す
※ 山手通り(やまてどおり)・・・東京都道317号環状六号線。
秋の旅程なく前に目黒川
㊟ 目黒川・・・目黒川(めぐろがわ)は、東京都世田谷区、目黒区および品川区を流れ東京湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。
 河口付近では古くは「品川」(しながわ)といい、湾岸開発が進む以前は河口付近で流れが湾曲していて流れが緩やかであったため、古くは港として使われ、品の行き交っていた川であった。これが「品川」の起こりとされる。
 なお、江戸時代の絵図などでは、その上流の下目黒付近では「こりとり川」と記され、江戸時代に目黒川と記した絵図はない。「こりとり」は「垢離取り」の意味でこの川で身を清めてから目黒不動尊に詣でたのである[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「目黒川について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十一》
秋の旅東海橋を左折して
秋の旅左折し目黒川沿いを
秋風に吹かれて川沿い歩きゆく
川沿いの歩道の脇に白芙蓉 
二人して芙蓉愛でつつ歩道行く
二人して芙蓉愛でつつ川沿いを 
神社へと芙蓉愛でつつ川沿いを 
秋の旅荏川橋過ぎて神社見え

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● 平成二十九年十月二十七日 金曜日   
○ 九月日々折々 その十三 石榴

《今回の自選代表句と自句自解》

道脇の大樹にたわわな実石榴が 

 秋の日に旧東海道の品川宿の散策をする。品川神社を後にして、目黒川沿いの旧品川宿の総鎮守であった荏原神社へと向かった。川沿いの荏原神社のすぐ傍には、色付いた石榴の実がなっている木があった。ここにも、稔りの秋があった。秋雨に濡れて、より新鮮な感じがした。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十三)
〜 品川宿散策 その十三 〜

秋旅に二人して荏原神社へと
旅先の神社近くの木に柘榴
道脇の大樹にたわわな柘榴の実
道脇の大樹にたわわな実石榴が 
秋の旅荏原神社の神域に
㊟ 荏原神社・・・荏原神社(えばらじんじゃ)は、東京都品川区北品川にある神社である。旧社格は郷社。旧称を南の天王社、貴布彌大明神という。荏原神社は「南の天王」と呼ばれる[1]。また東海七福神の中の1社として恵比須を祀る。
 歴史[編集]
 和銅2年(709年)9月9日、大和国丹生川上神社より高?神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。
 長元2年(1029年)に伊勢神宮より豊受大神・天照大神を勧請。
 宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王を勧請。
 康平5年(1062年)、源頼義・義家は奥州安倍氏征伐に際し当社と大國魂神社に参蘢し、品川の海中で身を浄める(※このことより、現在でも大國魂神社の神職は例祭のくらやみ祭に際し当社に参詣して禊を行う)。
 以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、南品川の鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。
 明治3年に郷社に列した。
 明治8年、品川貴船社の名を改めて、荏原郡の名をつけて「荏原神社」に改称。
 祭事[編集]
 9月に貴布禰祭、6月初旬に天王祭、11月に大酉祭(酉の市)が行われる。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)所在地 東京都品川区北品川二丁目30-28
◎「荏原神社について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十二》
秋の旅鳥居の脇に恵比須様
秋雨の降るなか社殿で拝礼す
※ 社殿・・・弘化元年(一八四四年)の建造物。
秋旅に妻と鎮守橋渡りゆく
秋旅に二人し越える目黒川
秋の旅品川橋より右折して
※ 品川橋・・・北品川宿と南品川宿とに分けていた目黒川に架かる。江戸時代には「境橋」とも呼ばれていた。 今の位置より北側にあったが、1928年に竣工した目黒川の改修工事で河道が変更された。【今】橋の上が庭園風に整備され、目黒川や品川宿の歴史などを記した説明板がある。
秋の日に三度歩く旧東海道
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稲 (平成29年10月24〜25日)

2017/10/24 01:24

◎ 平成二十九年十月二十四〜二十五日 稲

● 平成二十九年十月二十四日 火曜日   
○ 九日々折々 その十 秋の雨

《今回の自選代表句と自句自解》

秋雨に濡れる鳥居を昇り龍 

 秋雨の降る日に傘を差しながら、妻と旧東海道の品川宿の散策を楽しむ。聖蹟公園を後にして第一京浜沿いの由緒ある品川神社を訪問した。国道沿いには、見事な昇り龍を付した鳥居があった。雨に濡れて勢いのある昇り龍に見える。(品川神社については、後述)

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十)
〜 品川宿散策 その十 〜

秋の旅御聖蹟の碑公園に
公園の御聖蹟の碑に秋の雨
秋の旅聖蹟公園後にして
秋の旅右折し参道通りへと
秋の旅北馬場参道通りゆく
秋の旅第一京浜横断す
秋の旅国道沿いに品川社
秋の旅鳥居の脇に大黒天
秋の旅鳥居の脇に由緒書き
秋の旅鳥居をくぐり石段を
秋の旅潜る鳥居に昇り龍 
秋雨に濡れる鳥居を昇り龍 

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● 平成二十九年十月二十五日 水曜日   
○ 九月日々折々 その十一 稲

《今回の自選代表句と自句自解》

境内のミニ神田に稔る稲 

 秋雨のそぼ降る品川神社の境内には、小さな神田があった。神田の稲穂が少し色付いていた。稔の秋だ。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その十一)
〜 品川宿散策 その十一 〜

秋の旅急な石段登りゆく
秋の旅包丁塚が境内に
秋の旅御嶽・浅間社境内に
秋の旅社の境内に宝物殿
境内のミニ神田に稔る稲 
品川社ミニ神田に稔る稲
秋の旅稲荷に数多な赤鳥居
秋旅に品川神社で参拝す
㊟ 品川神社・・・品川神社(しながわじんじゃ)は、東京都品川区北品川三丁目にある神社。元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る。
 歴史[編集]
 文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃当スを勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。
 鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。
 慶長五年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の祭に品川神社を参拝して戦勝祈願し、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納し、天正19年(1591年)には徳川家康から5石の社領の朱印を受け、徳川家の尊崇する特別な神社として社紋も徳川家の家紋の「丸に三つ葉葵」と定め、「御修復所(神社の建物の再建・修復などは全て江戸幕府が賄う)」として徳川家の厚い庇護を受けた。 寛永14年(1637年)に三代将軍徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜わり、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守とした。
 1868年(明治元年)11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。明治5年(1872年)、郷社に列した。また昭和50年(1975年)には、東京十社に列している。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「品川神社について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百四十》
秋の旅家康祈願の社に参拝 
秋の旅社を辞し第一京浜を
秋旅に新馬場駅沿いの道
㊟ 新馬場駅・・・新馬場駅(しんばんばえき)は、東京都品川区北品川二丁目にある京浜急行電鉄本線の駅である[1]。駅番号はKK03[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)旧 北馬場駅
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虫の音 (平成29年10月22〜23日)

2017/10/22 00:00

◎ 平成二十九年十月二十二〜二十三日 虫の音

● 平成二十九年十月二十二日 日曜日   
○ 九月日々折々 その八 初秋

《今回の自選代表句と自句自解》

秋の旅品川宿の字あちこちに 

 秋の日に旧東海道の品川宿の散策を楽しむ。旧道の左右には所構わず品川宿の字が記されている。すっかりモダンな屋並みになってはいるが、時折往時を偲ばせる建造物を見掛ける。道幅はほぼ江戸時代と変わらないという。旧道で浮世絵も時折見掛けることもできた。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その八)
〜 品川宿散策 その八 〜

秋の旅八ツ山通り横断す
秋の旅台場横町二人して
秋の旅旧道へゆるき坂上る
秋の旅横町通り旧道へ
秋の旅角に横町説明板
※ 横町・・・台場横町
1853年(嘉永6)ペリー率いる四隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航した後、 幕府は江戸防備のために、江川太郎左衛門の指揮で、品川沖に品川台場の築造に着手した。 当初計画は十一基であったが、完成したのは五基で、 他に陸続きの御殿山下台場(現在の品川区台場小学校)を完成させた。 この御殿山下台場へ下っていく横町を台場横町と呼んでいる。
秋旅に再び歩く東海道
秋の旅北品川を二人して
秋の旅品川宿の字あちこちに 
※ 品川宿・・・「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。 江戸時代の旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についたことから「東海道の玄関口」として栄え、 宿内の家屋は1600軒、人口7000人規模で賑わっていたという。 今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として現在も活気が息づいている。
秋の旅まつりのポスター尾張屋に
秋の旅「宿場まつり」のポスターが
㊟ 「宿場まつり」・・・
 2017年の「しながわ宿場まつり」は9月23日(土)・24日(日)に開催。
 しながわ宿場まつりは旧東海道品川宿で毎年9月に催されるイベントで、例年5万人前後の人出を記録する。八ッ山口から青物横丁(品川寺)までが会場となる。日曜日の正午から催される江戸風俗行列の衣装は本格的なものである。土曜日の前夜祭には花魁道中が行われる。
 その他、交通安全大パレード、路上パフォーマンス、周辺企業が協賛する大抽選会、模擬店などが催される。(しながわ観光協会のサイトより転載)
品川宿初秋の旧道二人して

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● 平成二十九年十月二十三日 月曜日   
○ 九月日々折々 その九 虫の音

《今回の自選代表句と自句自解》

旅先の本陣跡に虫の声 

 秋の日に旧東海道の品川宿の散策をする。旧東海道沿いには、風情ある丸屋、さらに成田山品川一心寺があった。ほどなく品川宿本陣跡に着いた。本陣跡地を散策する。石碑が多い。虫の声が・・・。江戸時代もこの時季泣いていたであろうと想像しながら、本陣跡の敷地内を巡った。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その九)
〜 品川宿散策 その九 〜

秋の旅風情ある丸屋旧道沿い
秋の旅旧道左に一心寺 
※ 一心寺・・・成田山品川一心寺 江戸三十三観音礼所の三十番礼所で、聖観世音、十一面観世音、西方聖観音が祀られている。 また、東海七福神の寿老人を祀るお寺である。
秋の旅寺の域内手入れされ
秋の旅右に虚空蔵横町が
※ 虚空蔵横町・・・東海道から養願寺へ入る横町のこと。
秋の旅本陣跡の石柱が
※ 品川宿本陣跡・・・品川宿本陣跡(聖蹟公園)
江戸時代の本陣は、宿場で大名や旗本、公家などが休息や宿泊するところで、 品川宿には初め南北品川宿に一軒ずつあたが、江戸中期には北品川宿のみとなった。 大名などが宿泊すると本陣には大名の名を記した関札を立て、紋の入った幕をめぐらした。
 明治維新後、京都から江戸へ向かった明治天皇の宿舎(行在所)にもなったところである。
秋雨の降るなか聖蹟公園に
※ 聖蹟公園(せいせきこうえん)(本陣跡)・・・江戸時代は、大名が宿泊する本陣が置かれた。明治天皇が休憩した行在所としても使われたことから「聖蹟」の名が残る。
秋の旅園内に跡の説明板
旅先の本陣跡に虫の声 
本陣跡虫の音耳に江戸の世を 
虫の音や我江戸の世に思い馳せ
秋の旅園に石碑の案内板
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朝顔 (平成29年10月20〜21日)

2017/10/20 00:50

◎ 平成二十九年十月二十〜二十一日 朝顔

● 平成二十九年十月二十日 金曜日   
○ 九月日々折々 その六 朝顔

《今回の自選代表句と自句自解》

あかく咲く白粉花は雨に濡れ 

 秋の日に品川宿散策を楽しむ。赤い白粉花が秋雨に濡れていた。可憐な感じがいい。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その六)
〜 品川宿散策 その六 〜

秋の旅旧目黒川沿い道を
秋の旅ここにも釣船屋形船
秋の旅名残の水路に釣船が
秋の旅妻と八ツ山通りゆく
秋の旅表示に海抜二メートル
旅先の路傍の花壇に朝顔が 
あかく咲く白粉花は雨に濡れ 
秋の旅道すれちがう雨カップ
秋の旅小さな公園道沿いに
秋の旅妻と品川浦公園

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● 平成二十九年十月二十一日 土曜日   
○ 九月日々折々 その七 秋の雨

《今回の自選代表句と自句自解》

鯨塚の由来の石碑に秋の雨 

 秋の日に品川宿散策を楽しむ。品川浦公園には、鯨のオブジェがあり、隣の敷地には、鯨塚の由来の石碑があった。今、雨の降るなか、碑文に目を通している。

(九月上旬 品川宿散策と「爆笑寄席」 その七)
〜 品川宿散策 その七 〜

秋の旅鯨のオブジェ公園に
秋の旅鯨の遊具公園に
秋の旅園の看板に鯨塚
秋の旅前に三角の鯨塚
※ 鯨塚・・・三角形の石碑は「鯨碑」だが、鯨塚として呼ばれている。この鯨碑(鯨塚)は、寛政10年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕えられた鯨の供養碑である。
㊟ 鯨碑(鯨塚)・・・鯨碑
所在 東品川一丁目七番十七号 利田神社
指定 平成十八年十一月二八日(歴史資料第四号)
 この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(一七九八)五月一日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを品川浦の漁師達によって捕らえられた鯨の供養碑である。鯨の体長は九間一尺(約十六・五メートル)高さ六尺八寸(約二メートル)の大鯨で、江戸中の評判となった。ついには十一代将軍家斉(いえなり)が浜御殿(現、浜離宮恩賜庭園)で上覧するという騒ぎになった。
 全国に多くの鯨の墓(塚・塔・碑など)が散在するが、東京に現存する唯一の鯨碑(鯨塚)である。また、本碑にかかわる調査から品川浦のように捕鯨を行っていない地域での鯨捕獲の法を定めていることや、鯨見物に対する江戸庶民の喧騒ぶりを窺い知ることができる貴重な歴史資料である。(品川区教育委員会の説明板より転載)
秋の旅目にする「鯨塚乃由来」
鯨塚の由来の石碑に秋の雨 
秋の旅石碑の前の池に鯉
秋の旅鳥居をくぐり利田社へ
㊟ 利田社・・・利田神社
 御由緒:1636(寛永3)年9月6日、東海寺(現・北品川3-11-9)の沢庵禅師によって創建され、洲崎弁財天と称されていたと伝えられる。
 当地付近は1774(安永3)年から1834(天保5)年にかけて埋め立てが行われ、開墾を主導した南品川宿の名主・利田吉左衛門の姓から「利田新地(かがたしんち)」と呼ばれた。
 鎮座地は旧目黒川の河口に形成された砂嘴の突端部で、歌川広重作の名所江戸百景・第83景「品川すさき」にその風景が描かれている。
 明治に入り、神仏分離令により祭神を市杆島姫命に改め、社号も土地の呼称から「利田神社」に改称した。(中略)
 境内には鯨塚が安置されている。
 1798(寛政10)年5月1日、品川沖に暴風雨の影響で一頭の大鯨が迷い込んだ。漁師達はこれを岸に追い込み捕らえたところ、多くの見物人が集まったという。
 この騒動は江戸市中に伝わり、かわら版が出されるなど大きな話題となった。浜御殿(現・浜離宮恩賜庭園)まで移送され、11代将軍・徳川家斉が上覧したのちに鯨は解体され、残った骨が境内に埋められた。
 その後、鯨の供養を目的にこの塚が建立され、東京都内に現存する唯一の鯨碑として、品川区の指定有形文化財となっている。(「神社と御朱印」サイトより転載)  所在地:東京都品川区東品川1-7-17
◎「利田神社と鯨塚」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その二百三十九》
秋の旅鳥居の傍に御神木
秋雨に濡れし参道の石畳
参道の石の畳に秋の雨
秋の旅鈴を鳴らして拝礼す
秋の旅利田神社にて拝礼す
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