早苗田 (令和2年7月24~25日掲載分)


◎ 早苗田 (令和二年七月二十四~二十五日掲載分)
● 令和二年七月二十四日 金曜日 早苗田
○ 五月日々折々 その二十九
《今回の自選代表句と自句自解》

目の前の早苗田映す雲の白 

 五月晴れの江戸川松戸フラワーラインのポピーの花畑の花鑑賞の後、近くの早苗田まで足を延ばした。目の前の早苗田の水面に空や雲が映り込んでいる。田圃の夏景色だ。

(五月中旬 江戸川松戸フラワーラインのポピーの花畑⑩)
初夏の朝橋下潜り帰路に就く
ポピー愛で大満足して帰路に就く
帰路に就くひなげしの花鑑賞後
ポピー愛で我足軽く家路就く
初夏の朝遠回りして帰路に就く
早苗田に立ち寄りをして帰路に就く
道脇の田圃の早苗風に揺れ
目の前の田圃の早苗風に揺れ
道脇の早苗田映す空の青
目の前の早苗田映す空の青 
目の前の早苗田映す雲の白 
目の前に街の田圃の夏景色

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● 令和二年七月二十五日 土曜日 
○ 五月日々折々 その三十 若葉時
《今回の自選代表二句と自句自解》

若葉時老人往時の社歴知る 
若葉時往時の河川の歴史知る 

 五月晴れの江戸川松戸フラワーラインのポピーの花畑近くの早苗田まで足を延ばし、さらに近くの鵜森稲荷神社へ向かった。若葉時、前期高齢者の私は、鵜森稲荷神社で境内の石碑に刻まれた由来書きを読んで、この神社と江戸川の歴史を知ることとなる。歴史は面白い。温故知新。

(五月中旬 江戸川松戸フラワーラインのポピーの花畑⑪)
初夏の朝稲荷神社が行く道に
初夏の朝鵜森稲荷稲が行く道に
※鵜森稲荷神社・・・此の神社の歴史は古く元禄16年(西暦1703年)の庚申塚の記録の碑がある。以後明治末期までは現在の江戸川のほぼ中央にあって森に囲まれ、そこに数千羽の鵜が住みついていた事から鵜森稲荷神社と名付けられた。当時下谷耕地の水田は無肥料で米作が出来たといわれている。江戸川の川幅は狭く水量が多く急流で野田方面から東京への重要な河川として通運丸の運行など賑やかであった。明治41年(西暦1908年)11月に江戸川改修工事が始まり、県道の買収等により申塚へ移転したが度重なる河川並びに県道の改修に関わり昭和55年(西暦1980年)3月に三郷有料橋の建設に伴い神社の一角が買収に関わり境内での移動等によって一部土地を提供石井和雄議員の努力によって集会場の設置と三郷有料橋下を神社の駐車場として使用することができた。現在神社は地元66軒の氏子によって維持守護されている。(境内石碑より転載)所在 千葉県松戸市古ケ崎190 江戸川堤防沿いの道路と松戸三郷有料道路の交差点近くにある。すぐ近くに圓勝寺(えんしょうじ)がある。
初夏の旅境内石碑に由来書き
初夏の旅拝殿横に庚申塔
若葉時老人往時の社歴知る 
若葉時往時の河川の歴史知る 
初夏の旅新興住宅地に古刹 
初夏の旅神社の傍に圓勝寺
初夏の旅今古ケ崎にある寺に
※古ケ崎・・・古ヶ崎(こがさき) 
江戸川沿いの自然堤防微高地が古くからあったことによるという。あるいは、江戸川の流れは以前は蛇行していて、鵜森稲荷神社や圓勝寺のあった地域は、江戸川へ突き出た岬のようであったことから、岬(御崎=みさき)のような地形から生まれた名前とも考えられている。(松戸よみうり 松戸の地名由来より転載)
寺の鬼門(北東)に鵜森稲荷神社がある。
初夏の旅寺の鬼門に稲荷社が
初夏の旅寺の鬼門に鵜森神社

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