銀杏枯る(令和3年3月5~6日掲載分)


◎ 銀杏枯る(令和三年三月五~六日掲載分)
● 令和三年三月五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その五十七 銀杏枯る
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の広場の井戸に射す冬日 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立国分寺公園の西元地区の南エリアに入る。野鳥の森を抜けて、「こもれびの広場」へ。広場には、災害用井戸があった。丁度井戸に冬の日が差し込んでいた。開けた場所にあり明るい雰囲気の井戸である。ここは、きっと良い避難場所になることであろう。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十一)
冬の旅広場に木々があちこちに
公園の広場の井戸に冬陽射
公園の広場の井戸に射す冬日 
災害用井戸冬日浴び
園内に立つイチョウの樹冬黄葉
旅先の園内に立つ銀杏枯る
冬の旅「こもれびの広場」より
冬の旅北西口より通りへと
冬の旅南側より北側へ
冬の旅妻と多喜窪通り行く
冬の旅「ふれあい橋」の下潜る
冬の旅北側エリアの入口へ

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● 令和三年三月六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その五十八 冬の色
《今回の自選代表句と自句自解》

歩き行く藤の回廊冬黄葉 

 十一月中旬の国分寺の旅。都立国分寺公園の西元地区の南エリアから、「ふれあい橋」を渡り、泉地区の北側エリアに入った。「武蔵の池」傍の「藤の回廊」の藤の葉は黄色に色付いていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その五十二)
公園の入口付近冬もみじ
冬の旅北側エリア入口に
冬の旅北側エリアに入園す
※北側エリア・・・大きな池がある北側のエリアに来た。敷地108,000平方メートル余りのこの公園は、元は旧国鉄の中央鉄道学園の跡地を利用したもの。
冬の旅妻と入園泉地区
国分寺公園入口冬もみじ
※ ブログ「治蝶の俳句関連写真集」の『「続・冬(新年)の写真」の「国分寺散策」(十一月中旬)』に『東京都立武蔵国分寺公園の冬もみじ(東京都国分寺市西元町)』の写真を掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。
公園のイチョウ見事な冬黄葉
園内に見事な銀杏の冬黄葉 
冬の旅学園跡地の記念碑が
※学園跡地の記念碑
 武蔵の池の東側にある鉄道学園跡地を示す記念碑
 車輪模った中央鉄道学園記念碑
 国分寺中央鉄道学園:  明治42年(1909)、鉄道院初代総裁の後藤新平によって各鉄道管理局 (東部・中部・西部・九州・北海道) ごとに鉄道院職員地方教習所が、東京には鉄道院職員中央教習所が設置されたのが始まり。
 東海道新幹線の開業した昭和39年(1964)以降から赤字が続き、 昭和62年(1987)に国鉄が分割民営化される際に、国鉄の債務額の37兆円を返済する目的で敷地は売却され閉鎖された。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「国分寺中央鉄道学園跡地について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百九十八)》
冬の旅池の東に記念碑が
武蔵路の歴史を訪ねる冬の旅
歩き行く「藤の回廊」冬黄葉 
行く道の右も左も冬の色
冬の旅妻と「武蔵の池」に着く