枯尾花(令和3年2月15~16日掲載分)


◎ 枯尾花(令和三年二月十五~十六日掲載分)
● 令和三年二月十五日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その三十九 枯尾花
《今回の自選代表二句と自句自解》

冬の園元気にはしゃぐ児らの声 

 十一月中旬の国分寺の旅。武蔵国分僧寺跡地の傍に薬師児童遊園地がある。遊園地から園児らはしゃぐ声が聞こえてくる。園児らの元気な声に老夫婦は、元気をもらう。コロナ渦、ありがたい声だ。

国分寺楼門の背に冬もみじ 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の楼門の前に着いた。冬のもみじを背にして絵になる景色だ。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十三)
冬の晴遊園地には遊ぶ児ら 
冬の園元気にはしゃぐ児らの声
冬日背に道を北上老夫婦
歩きゆく路傍にポツンと枯尾花
冬日浴び元町通り横断す
楼門へ向かう路傍に山茶花が
冬の旅続いて今の国分寺
冬の旅前に国分寺楼門が
冬の旅風格のある楼門が
㊟楼門・・・国分寺境内にあり、前沢村(現東久留米市内)の米津寺(米津出羽守田盛によって菩提寺として創建された寺)の楼門を明治28年に移築したものです。
 板金葺の屋根で、江戸時代の建築様式をよくとどめた、風格ある建物です。三間一戸の楼門で、2階には十六羅漢像(現在13体)を安置しています。(国分寺市役所HPより転載)楼門の奥には武蔵国分寺の本堂がある。
冬の旅前に医王山国分寺
㊟国分寺・・・医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っています。享保10年(1725)に本堂が再建されたと考えられます。  
 現在の本堂は昭和60年に改築されたものです。所在地 国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
建武2(1335) 年 に義貞の寄進で薬師堂が再建されたことを伝えている。  
 その後も法燈は継承され,江戸時代になると幕府から与えられた寺領によって復興の足掛 かりができ,享保・宝暦年間に至って,仏殿・薬師堂・仁王門等が建立されて寺観が整い, 現在に至っている。(国分寺市・国分寺関連サイトより転載)
(注1)現在の武蔵国分寺本堂の南側には、武蔵国分寺跡が広がる。
◎「医王山最勝院国分寺ついて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十五)》
(注2)武蔵国分寺のプロフィール
 真言宗豊山派の寺院。山号は医王山。院号は最勝院。本尊は薬師如来。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。(国分寺物語より転載)
(追加) 
 受け継ぐ心継がれる―国分寺遺伝子 
 武蔵国分寺 ご住職 星野亮雅さん の物語り
 頂いた名刺の裏を見てみると、「福祉協議会」の文字。
 私は興味を覚えて、ご住職さんに伺ってみる。
「ここに『福祉協議会』ってありますが、住職という役職を担いながら、務められているんですか?」
「お声がかかり、最初は何も分からず始めたんですよ。ただただ、聖武天皇の教えを継ごうという想いからです」
聖武天皇? そんなにも前の天皇の想いを受け継ぐとは…。
私には、歴史の教科書でしか見たことがない名前。
1200年以上も前の天皇の教えを受け継ごうという想いは、生半可なものではない。
 その聖武天皇の教えとは、一体どういったものなのだろう。
「『広く蒼生のためにあまねく景福を求む』大勢の国民のために、多くの幸せを願うです。聖武天皇の人びとを思うお気持ち、その志を継承する国分寺の住職としては、地域のためになるお仕事へのお誘いを、無碍(むげ)にお断りするわけにはいきませんでした」“
国分寺遺伝子”、素晴らしい。住職さんの強い心意気が伝わってくる。(国分寺物語より転載)
国分寺楼門の背に冬もみじ 
冬の旅すぐ前現国分寺

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● 令和三年二月十六日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その四十 冬の鳥
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅万葉植物数多あり 

 十一月中旬の国分寺の旅。現・医王山国分寺の本堂の前に着いた。周りには、たくさんの万葉植物(約百六十種類)が所狭しと並べられていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その三十四)
冬の旅妻と立ち寄る国分寺
冬旅に遺伝子受け継ぐ国分寺
冬うらら聖武天皇の御威光が
※聖武天皇・・・聖武天皇. しょうむてんのう. 生没年 : 701~756.奈良時代(在位724~749)の第45代天皇。文武天皇を父、藤原不比等の女藤原宮子を母とする。藤原不比等の娘光明子(光明皇后)は皇后にあたる。724年即位し、積極的に唐代の文物制度を採り入れて国政の充実に努めた。また仏教を深く信仰し、国ごとに国分僧尼寺を建立し、自ら書写した経文を納めた。さらに東大寺を建立し、奈良大仏を鋳造して天平文化をつくりだした。
冬うらら聖武天皇の威光あり
冬旅に近世様式多き寺
冬の旅脇より向かう仁王門
冬の旅寺に宝暦の仁王門
㊟仁王門・・・国分寺境内にあり、宝暦年間(1751から1764)に建てられた八脚門です。
使用している木材の一部は建武2年(1335)に新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられ、「新編武蔵風土記稿」にもその説が紹介されています。
 もとは萱葺の屋根でしたが、現在は瓦葺の入母屋造になっています。門の左右には、作者不明で享保3年(1718年)に作られた阿(向かって右・口を開けている)吽(向かって左・口を閉じている)の仁王像が安置されています。(国分寺市役所HPより転載)
(注)本堂を後にして、道を回り込むと仁王門に。奥には薬師堂がある。いずれも1700代半ばの建立。本堂とは林で分断されていて、一度境内を出て道をたどって行かねばならない。
◎「仁王門について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十六)》
冬の旅門に阿吽の仁王像
冬の旅本堂前に植物園
冬の旅すぐ目の前に植物園
冬旅に立ち寄る万葉植物園
㊟万葉植物園・・・万葉集に詠まれている植物を集め、往時をしのぶよすがにとの意図で国分寺前住職星野亮勝氏により設置された植物園です。市の天然記念物に指定されています。
 故星野亮勝前国分寺住職が、武蔵国分寺跡を訪れる人々が、奈良時代の文化や思想を理解しやすいようにと、国分寺が栄えた時代と同時期に編さんされた「万葉集」に歌われた約160種の植物を例歌とともに展示しています。所在地 東京都国分寺市西元町1-13-16(国分寺市役所HPより転載)
(注)国分寺の本堂前は万葉植物園と名付けられ、約160種もの植物が植えられている。武蔵国分寺が建立された頃というのは、万葉集が編まれた時期。そして、万葉集には植物を詠んだ歌も多いことから、往時をしのぶということで、先代ご住職が13年かけて採集したという。
◎「万葉植物園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十七)》
国分寺植物園に射す冬日
国分寺植物園に冬陽射
植物園見上げる空に冬の鳥
冬の旅万葉植物数多あり

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