ホットドリンク(令和3年2月5~6日掲載分)


◎ ホットドリンク(令和三年二月五~六日掲載分)
● 令和三年二月五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その二十九 ホットコーヒー 
《今回の自選代表句と自句自解》

ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 

 十一月中旬の旅。今日は早朝に軽い朝食をとったので、かなり早めに昼食をとることにした。
 旧武蔵野国尼寺跡を後にして、次の場所への移動の途中で府中街道沿いにデニーズ西国分寺店を見かけたので妻と入店した。早いランチをとった後、ホットコーヒーを口にした。窓辺の冬紅葉を愛でながら一息ついた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十三)
冬の旅武蔵野線のガード下を
冬の旅高架線下潜り抜け
冬の旅高架を潜り道なりに
冬の旅すぐ目の前に信号機
冬の旅府中街道横断す
冬の旅妻と食事にデニーズヘ
早朝の食事考慮し冬の昼
冬の旅相当早めの昼食に
冬旅に府中街道沿いの店
冬の旅街道脇にデニーズが
※デニーズ・・・デニーズ西国分寺店
冬旅の休息兼ねて昼食に
冬の旅今後に備え昼食に
冬の昼軽音楽を耳にして
二人して食事楽しむ冬旅に
老夫婦昼食楽しむ冬の旅
冬の旅ゆっくり昼食楽しめり
旅先で食後のホットドリンクを
旅先で食後のホットコーヒーを
ドリンク手に楽しむ窓辺の冬紅葉 
冬の旅店の座席でひと休み
冬の旅ころあいを見て店を出る

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● 令和三年二月六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その三十 冬の風
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の薔薇元町通りの傍らに 

 十一月中旬の旅。途中で早めの昼食をとった後、再び次の目的地へ向かった。次は、東京都国分寺市立第四中学校の一部に設置されている文化財資料展示室である。
 妻と元町通りを歩いてゆくと路傍にバラの花が咲いていた。旅人の目を楽しませてくれた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十四)
冬の旅店出て再び歩きゆく
冬の旅再び妻と歩き行く
冬晴の府中街道北進す
冬の旅四中入口より右折
※四中・・・国分寺市立第四中学校のこと。
冬晴の元町通りを道なりに
冬の旅しばし道なりに歩きゆく
冬の薔薇元町通りの傍らに 
冬の旅妻と四中入口に
展示室の幟を揺らす冬の風
冬風に展示室の旗揺れ動く
冬の旅立ち寄る四中展示室
※四中展示室・・・文化財資料展示室
 国分寺市立第四中学校の一部に設置されている。同校内からは鍛冶工房跡が見つかっており、瓦、土師器、須恵器、灰釉陶器等の土器、鉄製品などを展示している。
 住田正一古瓦(各地の国分寺跡出土瓦)コレクションも展示している。入場無料、月曜日休館
冬の旅立ち寄る文化財展示室

枯芝(令和3年2月3~4日掲載分)


◎ 枯芝(令和三年二月三~四日掲載分)
● 令和三年二月三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その二十七 冬ぬくし
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅基壇標本生々と 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。特に金堂跡地には、地下構造の基壇の土層断面標本を観察する施設(「金堂基壇版築観察施設」)があり、すぐ近くで基壇の土層を観察できた。往時の土木技術の高さを知ることができた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十一)
冬の旅南側より尼寺紹介
尼寺の中門礎石に冬陽射
尼寺の中門礎石に射す冬日
万歩計歩き増すほど冬ぬくし
冬日射す尼寺の敷地に幢竿跡
尼寺の幢竿跡に冬陽射
※幢竿(どうかん)跡・・・金堂前面に復元された4本の柱ー、これらは、儀式などの際に周囲を荘厳するための旗などを掲げるための柱です。その名は、幢竿。ここでは、その幢竿の跡と考えられる堀立柱式の柱穴が発見されました。柱の高さは、金堂の軒先の高さを超えていたと考えられています。金堂前面が重要な儀式の場となり、様々な法会が開かれていたことが実際の遺構から確認された例は全国的に珍しいのです。(国分寺物語より転載)
◎「幢竿(どうかん)跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十一)》
冬の旅尼寺に土盛りの金堂跡
冬旅に金堂基壇に上りけり
※金堂跡・・・金堂は、本尊を祀っていた御堂です。尼寺伽藍の中心にある最も大きな瓦葺建物でありました。これはその仏殿の跡です。東西26.7m、南北18.5m、高さ1mほどであり、その大きさに圧倒されます。跡の上に登ると、推定される建物規模が土質舗装範囲で表示されています。また、この跡に組み込まれた施設にて、基壇の土層断面標本を観察することができます。刻まれた歴史から、遠い昔の武蔵国分尼寺に思いを馳せます。(国分寺物語より転載)
冬旅に基壇版築(きだんばんちく)施設観る
冬旅に金堂基壇断面を
冬の旅金堂跡に標本が
冬の旅基壇断面生々し
冬の晴基壇標本生々と 
金堂跡基壇標本観る冬日

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● 令和三年二月四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その二十八 枯芝
《今回の自選代表句と自句自解》

冬うらら往時の尼寺に思い馳せ 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。幢竿(どうかん)遺構も鑑賞でき、奈良時代にタイムスリップ。さらに思いを深めた。あちこちにある説明板も大いに参考になった。合掌。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十二)
冬うらら往時の尼寺に思い馳せ 
冬の晴金堂奥に講堂跡
尼寺の講堂礎石に冬陽射
冬の旅尼坊前にも幢竿跡
尼坊跡建物礎石に冬陽射
※尼坊跡・・・本瓦葺、切妻造の東西棟石建物であった尼僧の住まいの跡です。正規の尼僧の他に、修行中の尼僧や召使などが従事して、共同生活を行なっていました。柱位置は明らかになっており、往時と同じ多摩川産の石が礎石として配置されています。房内は扉、壁などで仕切られて複数の窓があり、昼間の居住、勉学の間や寝室などの場であったそうです。(国分寺物語より転載)
冬日浴ぶ尼寺跡脇に旧街道
※旧街道・・・ここでは、伝鎌倉街道のこと。
(追記)伝鎌倉街道
 国分寺市のほぼ中央を南北に貫く府中街道は、旧官道である東山道武蔵路の経路を概ね継承しており、市域南部で武蔵国分寺跡と国分尼寺跡の中間を通過している。
 府中市分倍河原の陣街道(旧鎌倉街道上道)も、現在では甲州街道を越えたあたりで古い道筋は消えてしまっているようだが、昔はそのまま東芝府中の敷地のほぼ中央を真っ直ぐに北上し、国分尼寺の跡地から「伝鎌倉街道」とされる切通しに続いていたようである。(滋味コフンより転載)
復元の鎌倉街道冬日浴び
公園の枯芝踏んで観る遺跡
冬旅に妻と上代の遺跡観る
冬の旅ここまで武蔵野線沿いを
冬の旅ここまで府中街道沿い
冬の旅道を左折し東へと
冬の旅尼寺跡後にしデニーズへ
冬の旅早めに向かう食事場所
冬うらら食事処へ早々と

冬の蝶(令和3年2月1~2日掲載分)


◎ 冬の蝶(令和三年二月一~二日掲載分)
● 令和三年二月一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その二十五 散紅葉
《今回の自選代表句と自句自解》

旅先の歴史公園冬紅葉 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。ここでも、旧武蔵野国尼寺跡地内の幾本かの立木(主に桜)の冬の紅葉を楽しんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十九)
冬景色楽しむ我に鳥の声
冬の朝武蔵野線の電車音
冬の旅続いて隣の公園へ
冬の旅また別の市立公園に
冬の旅国分寺市立公園に
冬の旅続いて歴史公園に
㊟歴史公園・・・ここでは、国分寺市立歴史公園のこと。
 国分寺市立歴史公園の施設紹介
 旧武蔵野国尼寺跡が史跡公園として整備されています。
 武蔵野国分寺は、奈良時代に聖武天皇により日本各地に建立された国分寺の1つで僧寺・尼寺を含む広大な寺域は全国でも最大規模であったといわれています。
 かつては東山道武蔵路を挟む形で、東側に武蔵国分寺が、西側には武蔵国尼寺がありました。「国分寺市立歴史公園」は、その旧武蔵野国尼寺跡を史跡公園として整備したもので東山道は広大な歩道にして保存されています。「日本の歴史公園100選」の1つに数えられているこの公園で、歴史の面影を感じながら散策してみては?(「いこーよ」サイトより転載)
◎「国分寺市立歴史公園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十九)》
旅先の歴史公園冬紅葉 
旅先の歴史公園散紅葉
奈良時代の遺跡鑑賞冬旅に
冬の旅すぐ前に歴史公園が
冬の旅尼寺跡歴史公園に

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● 令和三年二月二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その二十六 冬の蝶
《今回の自選代表句と自句自解》

尼寺跡の数多な礎石に射す冬日 

 十一月中旬の旅。旧武蔵野国尼寺跡は、国分寺市立歴史公園として整備されている。尼寺跡には、復元された中門・金堂・尼坊の礎石がそれぞれ一定の間隔をとって累々と設置されていた。そこに、スポットライトのような冬日が差し込んでいた。暫し奈良時代の尼寺に思いを馳せた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二十)
旅先の公園内に散り紅葉
尼寺跡の公園内に散り紅葉
冬の旅道なり進み尼寺跡に
尼寺跡へ歩き行く道に冬の蝶
冬の旅武蔵国分尼寺跡が
※尼寺・・・尼寺(あまでら、にじ)は、比丘尼(尼)が住持である寺院。女寺(おんなでら)とも呼ばれる。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)黒鐘公園に隣接する史跡。
(注)国分尼寺跡・・・天平13年(741年)。国内では政治的混乱や飢饉、大地震による災害、疫病の流行により人々は苦しんでいました。仏教に帰依した聖武天皇は仏教の力で国を安定させて人々を苦しみから解く事を願い、全国に国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建てるよう「国分寺建立の詔」を出します。
 現在の埼玉県、東京都、そして神奈川県の一部を含む大国だった武蔵国は、その国府(現在の東京都府中市)から北へ約2km離れ、都へと通じる東山道武蔵路沿いに広がる平野と豊かな湧水群がある国分寺崖線の麓一帯に、国分寺を建立しました。(古代の東京にタイムスリップ!サイトより転載)
㊟武蔵国分尼寺跡・・・西元町四丁目のJR武蔵野線西側に武蔵国分尼寺跡が広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。  
 確認調査の成果に基づき、尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示しています。尼坊は柱位置が判明しましたので、新たに石を配置してあります。
 このほか、中門と金堂の間で発見された幢竿遺構(儀式などの際、周囲を荘厳するための旗などを掲げる柱跡)を表示しています。
 また、金堂では、版築という大陸伝来の工法で、周囲より一段と高く築かれた基壇の土層断面標本を観察できる施設があります。
 尼坊の北側一帯の平坦部には、尼寺関連の遺構群が埋没していると考えられますが、保存したまま、広場としてご利用いただいています。
 さらに北側の崖線には、伝鎌倉街道の切通しが残り、その西側に中世の伝祥応寺跡、東側に塚跡があります。(国分寺市HPより転載)所在 東京都国分寺市西元町4丁目
(注)東山道武蔵路は、武蔵国分寺と武蔵国分尼寺の間を貫いていた。
◎「武蔵国分尼寺跡について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百八十)》
冬の旅この尼寺跡は国史跡
※国史跡・・・平成十九年「日本の歴史公園一〇〇選」に選定された。
冬の旅あちらこちらに表示板
冬の旅園のあちこちに案内板
冬の旅敷地に伽藍配置図が
冬の旅復元礎石累々と
冬の旅敷地に礎石累々と
尼寺(にじ)跡の数多な礎石に射す冬日 

木の葉散る(令和3年1月30~31日掲載分)


◎ 木の葉散る(令和三年一月三十~三十一日掲載分)
● 令和三年一月三十日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その二十三 冬景色
《今回の自選代表句と自句自解》

塚の上対面の崖冬もみじ 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。切り通しの途中、西側の中世の寺院跡の伝祥応寺跡のある高台に登った後、東側の高さ三メートルの塚を登った。伝祥応寺との関係を有する「修法壇跡」であるとされている。こちらはとても見晴らしがよく府中街道を越して遥か向こうの崖線(ハケ)に広がるの紅や黄色の冬もみじの景色が望めた。しばし、遠景の冬もみじ狩を楽しむ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十七)
冬の旅こんもりとした塚跡が
冬の旅急坂登り塚跡へ
冬の旅階段登り塚の上
冬旅に見晴らしの良き塚の上
塚の上対面の崖冬もみじ 
塚の上対する崖線冬もみじ 
塚の上対面のハケ冬もみじ
目の前に朝日に明るき冬もみじ
盛土遺構塚の上より冬景色
冬の旅塚を後にし坂下る
冬の旅妻と崖線の坂下る
冬の旅妻とハケの坂下る
冬の旅再び歩く切り通し
冬の旅武蔵野線沿い歩き行く

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● 令和三年一月三十一日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その二十四 木の葉散る
《今回の自選代表句と自句自解》

公園の周り見事な冬紅葉 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の切り通しをさらに南下して、国分寺市立黒鐘公園に入った。国分寺崖線の南に位置するこの公園では、近景の冬もみじを楽しめた。

(十一月中旬 国分寺散策 その十八)
冬の旅切り通し抜け公園に
冬の旅市立黒鐘公園に
冬の旅右に黒鐘公園が
㊟黒鐘公園(くろがねこうえん)・・・国分尼寺跡と伝鎌倉街道に隣接している公園です。桜の季節には花見の名所として知られ、多くの方が訪れます。園内には、地形を利用した遊具が豊富に設置されており、子ども連れに人気のスポットです。(国分寺市役所HPより転載)
冬の旅市立黒鐘公園に
旅先の市立公園冬もみじ
冬の旅数多な遊具公園に
木々多き黒鐘公園冬もみじ
木々多き黒鐘公園冬黄葉
木々多き黒鐘公園冬紅葉
旅先の公園内に散り紅葉
公園の見回す傍から木の葉散る
崖線に帯なす紅黄の冬もみじ
公園の周り見事な冬紅葉

枯葉(令和3年1月28~29日掲載分)


◎ 枯葉(令和三年一月二十八~二十九日掲載分)
● 令和三年一月二十八日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その二十一 落葉
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅木漏れ日の道二人して  

 妻と十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。差し込む太陽の木漏れ日が何とも言えない美しさ。鎌倉時代の通行人や旅人も同じような思いをしたのかもしれない。感慨深いものがある。

(十一月中旬 国分寺散策 その十五)
街道の切り通しの道散り黄葉
冬旅に樹のトンネルの如き道
切り通し道の両端にある落葉
落葉踏み妻連れ歩く切り通し 
冬の旅木漏れ日の道二人して 
冬の旅切り通し道別世界
冬旅に鎌倉時代の街道を
冬旅に妻と中世の道歩く
冬の旅歴史ある道南下中
冬の旅ここから歴史公園内

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● 令和三年一月二十九日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その二十二 枯葉
《今回の自選代表句と自句自解》

辿り着く広き高台に散りもみじ 

 妻と十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。切り通しの途中、中世の寺院跡の伝祥応寺跡のある高台に登った。割と広くて平らな高台の上部には散りもみじや枯葉が・・・。季節を感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その十六)
冬の旅右に伝祥応寺跡
冬の旅西に中世の寺院跡
冬の旅西に伝祥応寺跡
※伝祥応寺跡・・・この街道跡の切り通しの東西には古い遺跡が残っています。左の写真(略)は切り通しの西側にある伝祥応寺跡と伝えられるところです。(武蔵国分寺と東山道武蔵路サイトより転載)街道に沿って、一段高いところに「伝祥応寺跡」と呼ばれる13世紀末から15世紀末にかけての寺院跡がある。
二人して落葉の階段登りゆく
辿り着く高台に枯葉散らかって 
辿り着く広き高台に散りもみじ 
冬陽射す高台に寺跡表示板
冬の旅佇む二人に鳥の声
冬の旅続いて東の高台へ
冬の旅左の東に塚跡が
冬の旅東側にも塚跡が
㊟塚・・・切通しの東側の丘に、古くは「土塔」と呼ばれた、中世の仏教関連遺跡が残されている。一見すると自然地形のようだが、一辺22m、高さ3mの方錐形をしており、頂部は7m四方の平坦面となっていたそうだ。国分寺や国分尼寺と関連を有するものと考えられてきたが、昭和44年と平成11年の調査の結果、切通し西側にあった寺院跡との関連を有する「修法壇跡」であるとされている。(滋味コフンより転載)
 この塚(盛土遺構)は底面約22m高さ約3mで、1辺約7mの平坦な頂部を有する方錐体と復元され周囲の地山層(黒褐色土)を削った土で築かれている。旧来「土塔」といわれ、国分寺に関係を有するものとされてきたが、2度に及ぶ発掘調査の結果、中世(14~15世紀頃)において種々の祈願の成就を得るために作法に則り本尊に対し祈祷するために築かれた修法壇跡、伝祥応寺との関係を有するものと推考される。鉄道拡張工事に伴う第1次調査(1969)では下層より平安時代の竪穴住居跡2軒、盛土内より明銭(洪武通宝・1368初鋳)1枚、頂部に主体部と思われる粘土敷き硬化面、その付近より梅瓶(めいびん)型瀬戸灰釉瓶子(かいうへいし)や素焼きの土師質土器細片数点などが出土している。(国分寺市教育委員会)

冬空(令和3年1月26~27日掲載分)


◎ 冬空(令和三年一月二十六~二十七日掲載分)
● 令和三年一月二十六日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その十九 冬薔薇
《今回の自選代表句と自句自解》

冬旅に旧石器時代からの遺跡 

 十一月中旬。西国分寺駅南口から南下して、武蔵台遺跡公園に着いた。この辺りは、旧石器時代からの遺物が出土している。悠久の歴史ロマンを感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その十三)
冬の旅武蔵台遺跡公園へ
㊟武蔵台遺跡公園・・・武蔵台遺跡公園(むさしだいいせきこうえん)
 公園内には、武蔵台東遺跡で発見された「縄文時代の敷石住居跡」が発掘時の状態で復元展示されています。これは、今から約4000年前の縄文時代中期後半に使われた住居で、大きさは約5メートルあります。居住部分中央に炉が設けられ、炉を囲むように平たい面を表にした川原石が敷かれています。(ぶらり国・府サイトより転載)所在 東京都府中市武蔵台2-29
(追加資料) [武蔵国分寺跡関連遺跡・武蔵台遺跡 要約]
 全5分冊。発掘調査は、多摩総合医療センター(仮称)等建設工事に伴う埋蔵
 文化財発掘調査である。武蔵野台地の国分寺崖線を挟んで武蔵野面と立川面に位置しているが、遺構の大部分は武蔵野面の国分寺崖線もしくは黒鐘谷に沿って分布する。
 旧石器時代では、6万点を超える遺物が出土した。その規模は都内最大級である。内容は、後期旧石器時代初頭期の石斧を伴う石器群、ナイフ形石器文化期のナイフ形石器、角錐状尖頭器を伴う石器群、尖頭器文化期の槍先形尖頭器、ナイフ形石器を伴う尖頭器である。また、150基近い数量の礫群が検出された。 
 縄文時代としては、4棟の住居跡が発見された。このうち1棟は早期前半で、今までの調査でも同時期の住居跡が検出され、集落が形成されていたことがわかった。3棟は中期後半で、うち2棟は柄鏡形敷石住居跡であった。他に集石35基が検出されたが、中期前半に属するものが主体である。
 古代以降としては、奈良時代(8世紀)の竪穴建物跡1棟、平安時代(9世紀)の竪穴建物跡9棟、道跡が検出された。今までの調査で集落が展開していることがわかっており、本遺跡の東側に位置する武蔵国分寺との関係が考えられる。(全国遺跡報告総覧・奈良文化財研究所編より転載)
◎「武蔵台遺跡公園について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十七)》
住宅街抜け行く路傍に冬薔薇
冬の旅武蔵台遺跡公園に
冬の旅野外遺構が展示され
冬旅に旧石器時代からの遺跡 
旅先の公園の背に冬もみじ
冬の旅園に縄文住居跡
旧石器時代の遺跡に冬陽射
冬旅に縄文時代の遺跡観る
冬旅に敷石住宅跡鑑賞
旅先の縄文遺跡に冬陽射
旅先の縄文遺跡に冬日射す
四千年前の遺跡へ冬陽射
冬の旅縄文時代のムラの絵が

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● 令和三年一月二十七日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その二十 冬空
《今回の自選代表句と自句自解》

街道の切り通しの森冬もみじ 

 十一月中旬の旅。伝鎌倉街道の割と鬱蒼といた森に入った。森の中の切り通しの街道。紅や黄色の木々のもみじが美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その十四)
冬日浴ぶ住居中央に炉の跡が
冬旅に原始・古代の遺跡観る
鑑賞後見上げる冬空あおあおと
冬の旅遺跡観終えてその先へ
冬の旅やがて小道は森の中へ
冬の旅朝伝鎌倉街道に
㊟伝鎌倉街道・・・伝鎌倉街道【市重要史跡】
 鎌倉時代の幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路の1つで、周辺諸国の武士団や物資を運ぶ重要幹線道路でした。
 現在の「鎌倉街道」の名は、近世になって使用されたもので、鎌倉当時は武蔵国内を通過する主要道路は上の道、中の道、下の道と呼称されていました。鎌倉以前の幹線道路である東山道武蔵路と道筋の重なる「上の道」が、現在の鎌倉街道にあたります。
 鎌倉から町田・府中を経て、国分寺市内の武蔵国分尼寺跡西側-泉町交差点付近-小平を通り、上野(群馬県)、信濃(長野県)方面にのびています。市立歴史公園(武蔵国分尼寺跡)の北側にある国分寺崖線を切り通した約120メートルの道が「鎌倉上道」の名残といわれて保存されています。所在地 国分寺市西元町4丁目(武蔵国分尼寺跡北)(国分寺市役所HPより転載)
 武蔵国分寺と東山道武蔵路
 奈良・平安時代の武蔵国の中心で、国府・国分寺が置かれていた現在の府中市、国分寺市域では、開発工事に先だって数多くの発掘調査が行われています。昭和50年代以降、約12m幅で並走する複数の遺構がほぼ一直線上に並んで点々と検出される状況が明らかになり、国分寺市内ではこれらの遺構を「SF1道路跡」と名付けて調査を行ってきました。
 この後、全国的に古代の道路遺構に対する関心が高まる中で、これらの遺構の延長線上にあたる各地で構造が類似する遺構や硬化面の発見が相次ぎ、府中・国分寺市を南北に縦貫する道路遺跡が北関東と武蔵国府をつなぐ「東山道武蔵路」であるという見解が定着していきました。また、国分寺市では昭和50~60年代に実施した武蔵国分僧尼跡の範囲確認調査によって、東山道武蔵路を挟んで東側に僧寺、西側に尼寺を配する伽藍域を形成していたことや、東山道武蔵路が僧寺寺院を囲む区画で西辺としての機能を兼ねていることが明らかになりました。
 市内で東山道武蔵路は、北側から東戸倉1丁目、東恋ヶ窪6・4・3丁目、西恋ヶ窪1丁目、泉町1丁目、西元町2・3丁目を通り、その延長は約3kmに及ぶことが想定されます。平成26年3月現在、約60ヶ所の発掘調査地点から道路の痕跡が発見されています。(泉町説明板より転載)
(注)南下すると、国分尼寺の近くに旧鎌倉街道の姿を目にすることができる場所がある。そこは、江戸名所図会恋ヶ窪の南・JR中央線の南・国分尼寺の北側で黒鐘谷公園があるところである。
◎「伝鎌倉街道について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十八)》
歴史ある鎌倉街道行く冬日
冬の旅切り通しの道歩きゆく
街道の切り通しの木々冬もみじ 
街道の切り通しの森冬もみじ

冬黄葉(令和3年1月24~25日掲載分)


◎ 冬黄葉(令和三年一月二十四~二十五日掲載分)
● 令和三年一月二十四日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その十七 冬黄葉
《今回の自選代表句と自句自解》

駅前の欅の並木冬黄葉 

 十一月中旬の朝。西国分寺駅前の欅並木の前に来た。黄葉がきれいだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十一)
冬の旅西国分寺駅に着く
冬の旅自由通路より南口
冬の朝駅ビル前より歩き行く
冬の駅前に京王バス停車
冬の旅右の建物「いずみホール」
※「いずみホール」・・・国分寺市立いずみホールのこと。
冬の旅南口より史跡へと
冬の旅駅より史跡通り行く
※史跡通り・・・西国分寺から南方向に延びる通りです。
 道の途中に設置されている説明板には下のように書かれています。
 天平十三年(西暦741年)に市名の起源でもある武藏国分寺が建立されました
が、元弘三年(西暦1333年)に新田義貞と北条泰家との戦いのため武藏国分寺
は、惜しくも焼失してしまいました。
 現在、武藏国分寺の跡地は国の史跡に指定され史跡公園として整備されつつあ
ります。
 昭和48年4月に西国分寺駅が開設されてから、この道路を地元の皆さんが史
跡公園に通ずる道路であることから「史跡通り」と呼ぶようになりました。(グ
ルコミより転載)
◎「史跡通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十五)》
駅前の欅の並木冬黄葉 
冬の旅駅降り妻と南下して
冬晴の史跡通りを二人して
冬の旅武蔵野線に沿い歩く
冬の旅通りの路傍に説明板
冬の朝史跡通りの案内を

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● 令和三年一月二十五日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その十八 冬の日
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅観光標識あちこちに 

 十一月中旬の朝。西国分寺駅の南口の史跡通りを歩く。観光用にもなる標識がところどころに設置されている。観光客にとっては有難いことだ。ほとんど迷うことがない。

(十一月中旬 国分寺散策 その十二)
二人して冬の日浴びて歩き行く
冬の旅道路標識あちこちに
冬の旅観光標識あちこちに 
冬の旅しばらく妻と歩きゆく
冬の旅行く道沿いに住宅街

冬の旅行く武蔵野線近き道
冬の旅多喜窪通りを通り越す
㊟多喜窪通り(たきくぼどおり)・・・多喜窪通りは、府中市武蔵台の国分寺街道の南町二丁目交差点から国分寺市南町の新府中街道との交差点に至る延長2kmの2車線の東西方向の都道です。 殿ヶ谷戸庭園や国分寺駅南口の前を通って、武蔵国分寺公園の中を抜け多摩総合医療センター付近に至ります。(道路WEBより転載)
(注)都道145号線(多喜窪通り)
 東京都道145号立川国分寺線(とうきょうとどう145ごう たちかわこくぶんじせん)は、東京都立川市と国分寺市を結ぶ一般都道である。
 概要【編集】
 ●通称 多喜窪通り(東2丁目交差点から国分寺駅南口付近)(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「多喜窪通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十六)》
冬の旅南下し遺跡公園へ
冬の旅途中に史跡のモニュメント
冬の日の旅は歴史ある国分寺

散り紅葉 (令和3年1月22~23日掲載分)


◎ 散り紅葉 (令和三年一月二十二~二十三日掲載分)
● 令和三年一月二十二日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その十五 散り紅葉
《今回の自選代表二句と自句自解》

妻連れて歩く木道に散り紅葉 

 冬もみじを背にした「姿見の池」。池の木道には散り紅葉が点々と。そこを妻と共に歩を進めた。

冬の朝心の和む鳥の声 

 十一月中旬の朝。木々の多い姿見の池緑地では、幾種もの鳥の囀りが聞こえてくる。こころが和む。

(十一月中旬 国分寺散策 その九)
冬の旅欄干のある木道を
妻連れて歩く木道に散り紅葉 
冬の朝犬連れの人と擦れ違う
冬の朝散歩する人犬連れて
冬の犬洋服を着て朝散歩
池なかを鴨群れ泳ぐ冬の朝
冬の池にふっくらとした鴨の群れ
冬の朝鴨の鳴く声耳にして
冬の朝「姿見の池」に鯉群れて
冬の池にふっくらとした鯉の群れ
広々と底まで見える冬の池
折々に鳥鳴く声する冬の池
冬の朝耳に幾種もの鳥の声
冬の朝心の和む鳥の声 

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● 令和三年一月二十三日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その十六 冬麗
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅「武蔵野夫人」ふと脳裏に 

 十一月中旬の朝。木々の多い姿見の池緑地では、幾種もの鳥の囀りが聞こえてくる。こころが和む。そういえば、ここは文学の舞台で登場する場所だ。脳裏に大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』が思い浮かんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その十)
冬麗「姿見の池」穏やかに
冬麗昔と変わらぬ恋心
冬にふと恋と武蔵野結び付き
冬にふと武蔵野舞台の文学が
冬にふと武蔵野舞台の作品が
冬の旅「武蔵野夫人」ふと脳裏に 
㊟「武蔵野夫人」(大岡昇平著)・・・『武蔵野夫人』(むさしのふじん)は、大岡昇平の恋愛小説。1950年発表。戦後を代表するベストセラーとなった。題名どおり東京西部の武蔵野が舞台である。新潮文庫で重版している。ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』を手本として試みられたロマネスク小説で、没落していく中産階級の姿を描いている[1]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎『「武蔵野夫人」について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十四)》
冬の旅恋と文学巡りして
冬旅に恋と文学巡りして
冬の旅池辺のベンチでひと休み
冬の旅来た道戻り駅前へ

冬の水(令和3年1月20~21日掲載分)


◎ 冬の水(令和三年一月二十~二十一日掲載分)
● 令和三年一月二十日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その十三 冬の菊
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅小道の角に地蔵尊 

 十一月中旬の朝。武蔵野線の西国分駅で電車を降りた。駅から名所の「姿見の池」へと向かう。歩いていると路傍の角にポツンとお地蔵様が立っていた。どこか里山の雰囲気を感じる。

(十一月中旬 国分寺散策 その七)
冬の旅駅より府中街道に
㊟府中街道・・・府中街道(ふちゅうかいどう)は、JR・川崎駅付近と西武・所沢駅付近を結ぶ道路の通称。
 元々は江戸時代に整備された街道であるため基本的に片側1車線の狭い道路であり、部分的に片側2車線に拡幅された区間がある。多摩南北道路が整備中で、多摩南北道路2号線(府中清瀬線)及び3号線(新府中街道)が府中街道のバイパスとして機能する。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
◎「府中街道について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十二)》
冬の旅信号機ある道横断
冬の旅府中街道横断す
冬の朝街道横切りまっすぐに
住宅地抜け行く路傍に冬の菊
冬の旅道なりに妻と歩きゆく
冬の旅路傍の右に小祠あり
冬の旅紅い鳥居と祠あり
冬の旅小祠の先を右折して
冬の旅小道の角に地蔵尊 
冬の旅道を右折し小道ゆく

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● 令和三年一月二十一日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その十四 冬の水
《今回の自選代表句と自句自解》

冬の旅里山の池の雰囲気が 

 十一月中旬の朝。武蔵野線の西国分駅で電車を降りた。駅から名所の「姿見の池」へと向かう。歩いていると路傍の角にポツンとお地蔵様が立っていた。どこか里山の雰囲気を感じる。しばらくして、姿見の池緑地内に入った。湧き水の水量の多い用水路沿いを下ってゆくと、目的地の林を背にした「姿見の池」が目の前に見えた。冬の紅葉も美しい。

(十一月中旬 国分寺散策 その八)
冬の朝雀鳴く声耳にして
冬の旅小道を下り緑地へと
冬の旅姿見の池緑地へと
㊟姿見の池緑地・・・ここでは、国分寺姿見の池緑地保全地域のこと。
 国分寺姿見の池緑地保全地域は、JR西国分寺駅から徒歩6分、国分寺市のほぼ中央部に位置する地域です。JR中央線に隣接し、周辺には住宅地が広がりながらも、コナラ・クヌギ林やヒノキ・スギ林、畑、果樹園など、様々な自然地が残されています。また、姿見の池の周辺では、水辺環境に生息する動植物もみられます。(東京都環境局HPの里山へGO!より転載)
冬の旅姿見の池へ二人して
㊟姿見の池(すがたみのいけ)【都名湧水】・・・鎌倉時代、遊女達が朝な夕なに自らの姿を映して見ていたという伝承に彩られた池です。
 姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。
 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪(こいがくぼ)の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。
 恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って 身を投げた池といわれています。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)など文学作品にもよく登場する名所です。
 平成5年に東京都の「国分寺姿見の池緑地保全地域」に指定され,平成11年度に湿地,用水路,水辺林等を含めた池周辺地域として整備し、かつての武蔵野の里山風景を見ることができる,市外からも多くの方が訪れる観光拠点となっています。所在地 国分寺市西恋ヶ窪1-8-7(国分寺市役所HPより転載)
 姿見の池とその伝祥
 姿見の池はかつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み清水を湛えていました。その名の由来は鎌倉時代恋ヶ窪が鎌倉街道の宿場町であった頃、遊女たちが朝な夕なに自らの姿を映して見たという言伝えによります。
 また、この池は「一葉松(ひとはのまつ)」の伝承の中にも登場します。源平争乱の頃、遊女の夙妻太夫(あさづまたゆう)と坂東武者で名将といわれて畠山重忠(はたけやまのしげただ)とが恋に落ちました。ところが太夫に熱をあげるもう一人の男がいてその男は重忠が平家との西国の戦で討死したと嘘をつきあきらめさせようとしましたが、深く悲しんだ太夫は姿見の池に身を投げてしまったと言い伝えられています。
更に歴史は下って江戸時代に描かれた「江戸名所図会」にこの辺りのものが描かれています。
 この様な伝承に彩られた姿見の池は昭和40年代に埋め立てられましたが、平成10年度環境庁及び東京都の井戸・湧水復活再生事業費補助を受け、昔の姿をイメージして整備しました。また他に湿地・用水路・水辺林等周辺の東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」と一体となるよう整備し、かつての武蔵野の里山自然を回復し保全してゆくものです。(説明板より転載)
◎『「恋ヶ窪」の地名と姿見の池について』《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十三)》
冬の旅妻と用水路沿いの道
冬の水音たてて流れる用水路
冬の旅しばらく歩き池に出る
冬の旅雑木林が池の背に
池の背の雑木林は冬紅葉
冬の朝雑木林に鳥の声
冬の旅里山の池の雰囲気が

初冬(令和3年1月18~19日掲載分)


◎ 初冬(令和三年一月十八~十九日掲載分)
● 令和三年一月十八日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その十一 初冬
《今回の自選代表句と自句自解》

車窓より妻と楽しむ冬景色 

 十一月中旬の早朝。新松戸駅から武蔵野線に乗り換えた。散見される林や森のもみじが赤や黄色に染まりとてもきれい。車窓から冬の景色を妻と楽しんだ。

(十一月中旬 国分寺散策 その五)
旅の朝車窓流れる冬紅葉
車窓より妻と楽しむ冬紅葉
旅の朝車窓流れる冬黄葉
車窓より妻と楽しむ冬黄葉
眺め入る初冬のもみじ色濃くて
暖房の座席の隣に実習生
暖房の電車で会話実習生
冬うらら実習生を激励し
冬の旅朝日に光る送電線
穭田(ひつぢだ)を明るく照らす冬朝日
㊟穭田(ひつぢだ)・・・穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲である。いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。(Wikipediaより転載)
車窓より妻と楽しむ冬景色 

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● 令和三年一月十九日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その十二 着ぶくれ
《今回の自選代表句と自句自解》

武蔵野線車窓に流れる枯芒 

 十一月中旬の早朝。新松戸駅から武蔵野線に乗り換えた。散見される林や森のもみじが赤や黄色に染まりとてもきれい。見ていると枯れた芒も見られた。

(十一月中旬 国分寺散策 その六)
冬の朝次第に客込む七時台
武蔵野線乗り込む乗客皆マスク
朝時分着ぶくれラッシュの電車内
冬の旅朝日車窓に差し込んで
武蔵野線車窓に流れる枯芒 
冬の朝西国分寺駅で下車
㊟西国分寺駅・・・西国分寺駅(にしこくぶんじえき)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号は中央線がJC 17、武蔵野線がJM 33。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬の旅下車後に向かう恋ヶ窪
冬の旅駅降り歩いて緑地へと
冬の旅駅降り緑地の池向かう
冬の旅北口より出て街道へ

冬の朝(令和3年1月16~17日掲載分)


◎ 冬の朝(令和三年一月十六~十七日掲載分)
● 令和三年一月十六日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その九 マフラー
《今回の自選代表句と自句自解》

国分寺方面へ冬の紅葉狩 

 天気予報では晴れるということで十一月中旬の今日、東京の国分寺市内の市立国分寺公園辺都立国分寺公園や殿ヶ谷戸庭園などへ紅葉狩りに出掛けることにした。

(十一月中旬 国分寺散策 その三)
冬紅葉観に妻連れて東京へ
文学と歴史の散歩する冬日
冬の旅妻と国分寺探訪に
冬の旅文学と歴史探訪に
冬もみじ観るため出掛ける国分寺
ふたりして時季を見図り冬の旅
老夫婦時季を見図り冬の旅
国分寺方面へ冬の紅葉狩 
冬晴の駅ホームにて電車待つ
早朝の電車待つ人皆マスク
電車待つマフラー姿の客もいて

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● 令和三年一月十七日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その十 冬の朝
《今回の自選代表句と自句自解》

冬早朝輝くばかりの朝焼けに 

 十一月中旬の早朝。乗り換えの武蔵野線新松戸駅のホームで電車を待っていると、丁度東の空に太陽が昇り始め、茜色の空の中で眩い光を放っていた。目には神々しいほどの眩しさだ。思わず手をかざした。

(十一月中旬 国分寺散策 その四)
初冬の朝松戸駅より新松戸
冬の朝国分寺へと電車乗り
冬の朝常磐線乗り都内へと
㊟常磐線・・・常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
冬の旅座席はソーシャルディスタンス
冬の朝武蔵野線に乗り換えて
㊟武蔵野線・・・武蔵野線(むさしのせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
初冬に新松戸より西国分寺
冬の朝新松戸より西国分寺
冬の旅空あかあかと朝焼けて 
冬早朝輝くばかりの朝焼けに 
冬早朝空神々しき朝焼けに 
冬の朝武蔵野線乗り妻と行く
旅の朝車窓流れる冬もみじ

ジャンパー(令和3年1月14~15日掲載分)


◎ ジャンパー(令和三年一月十四~十五日掲載分)
● 令和三年一月十四日 木曜日 
○ 十一月日々折々 その七 ジャンパー
《今回の自選代表句と自句自解》

早朝にジャンパー姿で家を出る 

 十一月中旬の早朝。大分朝晩は冷え込む。東京の国分寺を散策するため、ジャンパーを着て出掛けた。

(十一月中旬 国分寺散策 その一)
午前五時空に輝く冬の星
午前五時空に瞬く冬の星
旅の前早めに朝食摂る冬日
妻連れて早朝出掛ける冬の旅
十一月早朝六時に家を出る
早朝にジャンパー姿で家を出る 
早朝に手袋はめて家を出る
冬早朝リュック背にして出立す
十一月早朝六時に出立す
初冬の候朝焼けの空に月白く
初冬の候朝焼けの空に月白し
冬早朝家より向かう松戸駅

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● 令和三年一月十五日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その八 冬紅葉
《今回の自選代表句と自句自解》

駅近き並木の街路樹冬紅葉

 十一月中旬。松戸駅近くの並木道の街路樹が紅く葉を染めていた。

(十一月中旬 国分寺散策 その二)
冬早朝うっすら明るき通り行く
冬早朝ひんやりとした通りゆく
冬早朝街灯点る街なかを
冬早朝スカイツリーの灯点る空
駅通り並木の街路樹冬紅葉
駅近き並木の街路樹冬紅葉
妻連れて初冬の旅は国分寺 
十一月妻と国分寺散策へ
十一月妻と国分寺散策に
㊟国分寺(市)・・・国分寺市のあゆみ
 奈良時代の天平13年(741年)、現在の府中市にあった国府から、北方約2.5キロメートル、武蔵野台地を背にした平原部(現在の西元町)に東西約0.9キロメートル、南北約0.6キロメートルにわたって国分寺の建立が開始されました。完成した武蔵国分寺は、諸国の国分寺の中でも広大な敷地を有し、僧寺金堂は最大級の規模を誇りました。
 多摩地方は、国府設置、国分寺建立によって武蔵国の政治・文教の中心として 、経済・交通・文化・産業等あらゆる面で発達し、画期的な繁栄時代を迎えることになりました。また鎌倉時代には鎌倉街道も設けられ、恋ヶ窪地域は宿場町として栄えたと伝えられています。
 しかし、偉容を誇った武蔵国分寺も元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉に攻め上る途中に起きた戦いに巻き込まれ焼失し 、それとともに国分寺・恋ヶ窪地域はしだいに農村集落へ変わっていきました。
 江戸時代の享保年間(1716年から1735年) 、それまで原野であった武蔵野に、新田開発が行われました。内藤新田、野中新田など新田名が付く 字名の地域は、すべてこの時代に開発されたものです。
 明治維新により、慶応4年(1868年)国分寺村 、恋ヶ窪村、内藤新田、戸倉新田、本多新田の5村は品川県に、榎戸新田、野中新田六左衛門組、平兵衛新田、中藤新田、上谷保新田の5村は韮山県に属しました。
明治22年(1889年)、市制・町村制施行で10村 が合併し国分寺村が誕生しました。また、甲武鉄道(現在の中央線)が同年に新宿・立川間が開通し、国分寺駅が現在地に開設されると本町・本多地域はしだいに開発されていきました。
 明治26年(1893年)、国分寺村は 、東京府に編入され、翌27年、国分寺・東村山間に川越鉄道(現在の西武国分寺線)が開通し、さらに府中へ馬車便が通うようになりました。こうした交通機関の発達や関東大震災後には東京市民の郊外への進出などにより、人口も次第に増えていきました。
 昭和になると周辺地域に工場や研究所などが進出し、それらへの通勤者の住宅が増えました。
 昭和15年(1940年)、町制が施行され国分寺町となり 、昭和18年(1943年)、東京府は東京都に改称しました。戦後は、海外からの引揚者などで人口が急増し、昭和39年(1964年)市制施行によって国分寺市となり 、現在に至っています。(国分寺市役所HPより転載)
(注)国分寺地名の由来
天平13年(741年)に全国に蔓延した天然痘と飢饉から仏のカにすがって鎮め、国を護り民を救うために、 聖武天皇の命により建立された国分僧寺と国分尼寺(武蔵国分寺)がこの地にあったことに由来する。(歴史の浪漫街道より転載)
◎「国分寺(市)について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その七百七十一)》

冬隣(令和3年1月12~13日掲載分)


◎ 冬隣(令和三年一月十二~十三日掲載分)
● 令和三年一月十二日 火曜日 
○ 十一月日々折々 その五 冬隣
《今回の自選代表句と自句自解》

紅葉の候に楽しむ朝散歩

 最近、朝晩冷え込んできた。紅葉もあちらこちらで見かけられるようになるとともに色の濃さも増してきた。散歩もより楽しさを増した。

(十一月上旬 日常生活③)
紅葉の候に楽しむ朝散歩
晩秋に今日も楽しむ朝散歩
富士眺む我が身近くを蜻蛉飛ぶ
富士眺む我が身近くに赤とんぼ
冷え込んで秋の色増す雑木林
晩秋に次第に色増す雑木林
ここ松戸冷え込み冬隣

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● 令和三年一月十三日 水曜日 
○ 十一月日々折々 その六 霜月
《今回の自選代表句と自句自解》

長月に勝利宣言バイデンが 

 十一月三日に実施されたアメリカ大統領選挙。日本でもその経過が連日報道された。そして、八日、バイデン氏が当選確実となり勝利宣言した。

(十一月上旬 日常生活④)
霜月にアメリカ大統領選挙
霜月に連日報道選挙戦 
十一月バイデン候補当確に
※バイデン氏当確・・・
 AP通信は日本時間の8日午前1時半ごろ、激戦州、東部ペンシルベニア州でバイデン氏が勝利したと報じました。これでバイデン氏の獲得選挙人は過半数の270人を超え、歴史的な大接戦の末、次期大統領への当選を確実にしたと伝えています。(米メディア)
霜月に首相祝意をバイデンに
※菅首相、バイデン氏に祝意=米大統領選
 菅義偉首相は8日、自身のツイッターで、米大統領選で当選を確実にした民主党のバイデン前副大統領に祝意を示した。(11月8日(日)7時27分 時事通信より転載)
霜月に勝利宣言バイデンが 
※勝利宣言・・・バイデン前副大統領が勝利宣言「分断ではなく結束を」
 アメリカ大統領選挙で当選確実と伝えられた民主党のバイデン前副大統領は演説して勝利を宣言し、「分断ではなく結束を目指す大統領になる」と述べて国民の融和を訴えました。しかし、トランプ大統領は選挙で不正が行われたとして、法廷闘争を続ける姿勢を示していて、今後の対応や支持者の動向が焦点になっています。(2020年11月8日17時30分 NHK NEWS WEBより転載)
霜月に坂本二千本安打
※坂本二千本安打・・・【巨人】坂本勇人、通算2000安打達成…球団生え抜き初の東京D、歴代2位の若さで到達 右打者では最年少
巨人の坂本勇人内野手(31)が、プロ野球53人目となる通算2000安打を達成した。(スポーツ報知より転載)

鱗雲(令和3年1月10~11日掲載分)


◎ 鱗雲(令和三年一月十~十一日掲載分)
● 令和三年一月十日 日曜日 
○ 十一月日々折々 その三 鱗雲 
《今回の自選代表句と自句自解》

早朝の茜の空に鱗雲 

 早朝の東天を見ると茜色に染まっている。そこにゆっくりと鰯雲が流れてゆく。美しい光景に暫し見惚れる。微妙に変化してゆく鰯雲の色がなんとも幻想的で見ていて飽きない。茜色にも明暗があるのだ。

(十一月上旬 晩秋のとある一日①)
早朝の茜の空に鱗雲 
早朝の空に茜の鱗雲 
ゆるゆると流れる茜の鱗雲 
早朝に流れる茜の鱗雲 
秋晴の江戸川堤を朝散歩
秋の晴空にくっきりスカイツリー
秋晴の空にくっきり富士の白
秋の晴空にくつきり富士の白

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● 令和三年一月十一日 月曜日 
○ 十一月日々折々 その四 晩秋
《今回の自選代表句と自句自解》

秋の晴今日を糧にしまた明日へ 

 朝は秋晴れになり、真っ青な空になった。予報でも一日晴れの予報だった。平穏無事な一日に感謝するとともに、明日への糧としたい。

(十一月上旬 晩秋のとある一日②)
秋の晴足早に駅へ勤め人
秋の晴いそいそ向かう登校子
晩秋や木枯らし1号東京に
※都に木枯らし1号・・・東京で木枯らし1号 3年ぶりの発表
 東京は今日4日(水)未明から北西の風が強まり、3時18分に最大風速8.2m/sを観測。気象庁は東京地方に木枯らし1号が吹いたと発表しました。 昨年、一昨年は木枯らし1号の発表がありませんでしたので、3年ぶりとなります。(11/4(水) 9:43配信 ウエザーニュースより転載)
秋の晴日中住む街穏やかに
秋の午後我が家の前を児らの声
秋夕べ我が家の前に子らの声
秋の午後数多な下校子家路就く
秋の暮帰宅チャイムは四時半に
晩秋に見上げる西空夕焼けて
晩秋の今日平穏な一日に 
晩秋の今日に感謝し合掌す
観るテレビ夜長の晩にプロ野球
夜長かな熱めの風呂にまったりと
夜長し風呂にどっぷりまったりと
秋の晴今日を糧にしまた明日へ

紅葉狩(令和3年1月8~9日掲載分)


◎ 紅葉狩(令和三年一月八~九日掲載分)
● 令和三年一月八日 金曜日 
○ 十一月日々折々 その一 十一月
《今回の自選代表句と自句自解》

十一月駅伝三位に明大が 

 今日は十一月一日日曜日。全日本大学駅伝の開催日だ。母校の明治大学のランナーをテレビ観戦しながら応援する。結果、三位に入った。よく頑張った。大拍手。

(十一月上旬 日常生活①) 
十一月駅伝をテレビ中継中
十一月テレビに明大ランナーが
十一月明大大学駅伝に
※大学駅伝・・・駒大6年ぶり13度目の全日本大学駅伝V! 
全日本大学駅伝は1日、愛知・名古屋市熱田神宮―三重県伊勢市伊勢神宮の8区間106・8キロのコースで行われ、駒大が5時間11分8秒で6年ぶり13度目の優勝を果たした。トップと23秒差で東海大が2位。3位で明大が続いた。
 今季はコロナ禍により出雲全日本大学選抜駅伝が中止。今大会が東京箱根間往復大学駅伝と合わせた「大学三大駅伝」の初戦となった。(スポニチより転載)
十一月テレビで母校の応援を
十一月三位に母校の明大が
十一月駅伝三位に明大が 
十一月井上尚弥世界戦
十一月井上十五連勝す
※井上十五連勝・・・井上尚弥、ラスベガスで衝撃のカウンターKO 世界戦15連勝!具志堅超えの日本新
ボクシングの聖地ラスベガスで“世界のモンスター”が鮮烈KOデビューだ。WBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥(27)=大橋=が、WBA2位、IBF4位の挑戦者ジェーソン・モロニー(29)=オーストラリア=に7回KO勝ちした。WBAは4度目、IBFは2度目の防衛に成功し、具志堅用高を抜き、日本人世界戦連勝記録を「15」に更新。試合後には、これも日本人初となる世界主要4団体王座同時制覇の夢を語った。戦績は井上が20戦全勝(17KO)、モロニーが21勝(18KO)2敗(11/2(月) 6:00配信 スポーツ報知より転載)
(追記)
日本人初の快挙 井上尚弥が世界最強ランキング1位に選出
WBAスーパー・IBF世界バンタム級王者井上尚弥(27=大橋)がイギリスメディアの世界最強ランキングパウンド・フォー・パウンド(PFP)で1位に選出され、日本人初の快挙を成し遂げた。
レジェンドと肩を並べた
パウンド・フォー・パウンド(PFP)とは、ボクシングの全階級の中で最も強い選手をランキング形式で表したものだ。
様々なメディアが独自に選定し、最も権威があるリング誌のランキングでも井上は2位に選出されている。
イギリスメディアのPFPとなるが、日本人ボクサーとしては異例の抜擢だろう。
過去には、元WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のモハメド・アリ(アメリカ)や、元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者マイク・タイソン(アメリカ)、WBA世界ウェルター級スーパー王者のマニー・パッキャオ(フィリピン)などが、トップに君臨している。
歴代のレジェンドと肩を並べる存在になった井上。(11/6(金) 7:00 Yahoo! Japanニュースより転載)
十一月井上記録更新す
霜月に連勝記録更新す
十一月井上世界最強に

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● 令和三年一月九日 土曜日 
○ 十一月日々折々 その二 紅葉狩
《今回の自選代表句と自句自解》

十一月コロナ禍のなかの催し物 

 今年は年の初めからコロナの影響で、ほとんど会合らしい会合がなかった。久し振りに。町の老人会会長から、今月開催の催し物のお誘いがあった。後日、「松戸市はつらつクラブ連合会の集い」(松戸市民会館)に妻と参加した。

(十一月上旬 日常生活②) 
報道に地方各地の紅葉狩
十一月催し物の連絡が 
文化の日催し物の連絡が
十一月老人会の催し物
十一月コロナ禍のなかの催し物

赤まんま(令和3年1月6~7日掲載分)


◎ 赤まんま(令和三年一月六~七日掲載分)
● 令和三年一月六日 水曜日 
○ 十月日々折々 その三十六 赤まんま
《今回の自選代表句と自句自解》

児ら遊ぶ公園の隅に赤まんま 

 朝から秋晴れ。散歩に駅前公園まで出かけた。児童が遊んでいる公園の隅に赤まんま(赤飯)の花が咲いていた。幼い頃、姉たちと庭でままごと(飯事)遊びしたことを想起した。

(十月下旬 日常生活③)
秋の晴散歩に駅前公園へ
行く道の路傍に赤い萩の花
秋の晴鳩の舞い来る公園に
秋の晴青を背にして鳩の舞う
秋の晴青を背に舞う鳩の群れ 
秋の晴二十人余り公園に
秋晴の公園に老いと親子連れ
秋の園ボール遊びをする親子
秋の晴老人ベンチで日向ぼこ
秋の晴我に近づく鳩一羽
秋の園思い思いに過ごす人
秋の園老若男女くつろいで
秋の園思い思いにくつろいで
公園の隅に犬蓼すぐそれと
㊟犬蓼(いぬたで)・・・イヌタデ(犬蓼、学名: Persicaria longiseta)は、タデ科イヌタデ属の一年草。道端に普通に見られる雑草である。
和名はヤナギタデに対し、葉に辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられた[2]。赤い小さな花や果実を赤飯に見立て、別名アカノマンマともよばれる[3]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
児ら遊ぶ公園の隅に赤まんま 

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● 令和三年一月七日 木曜日 
○ 十月日々折々 その三十七 十月
《今回の自選代表句と自句自解》

十月に巨人二連覇達成す

 令和二年十月三十日夜、巨人が二年連続でセ・リーグ制覇を果たした。おめでとう!

(十月下旬 日常生活④) 
十月の下旬に巨人優勝す
十月に巨人セ・リーグ優勝を
十月に巨人二連覇達成す
※巨人二連覇・・・【巨人】リーグ2連覇 2年連続47度目…延長で引き分け、阪神も引き分け 少人数で胴上げ 原監督が宙に舞った
◆JERAセ・リーグ 巨人3―3ヤクルト=延長10回規定により引き分け=(30日・東京ドーム)  巨人が2年連続47度目(1リーグ時代の9度含む)のリーグ優勝を決めた。30日の試合で阪神が引き分け、巨人も引き分けたためセ・リーグ制覇となった。(スポーツ報知より転載)
コロナ禍や今年のハロウィンフェス中止
※今年のハロウィンフェス中止・・・毎年10月末に開催されいている松戸駅西口デッキのハロウィンフェスティバルが中止に【2020】
毎年10月末に開催されいている松戸駅西口デッキのハロウィンフェスティバルですが、松戸駅西口デッキに例年通りハロウィンの横断幕が掲げられていたので、もしかしたら開催されるのか?と思いましたが、やはり今年は中止となったようです。(松戸つうしんサイトより転載)