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zoom RSS 春逡巡 (平成29年4月5〜6日)

<<   作成日時 : 2017/04/05 02:16   >>

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◎ 平成二十九年四月五〜六日 春逡巡

● 平成二十九年四月五日 水曜日
○ 二月日々折々 その三 春逡巡

《今回の自選代表二句と自句自解》

春の朝北斎通りを二人して 

 晴れた春の朝、去年出来たばかりの「すみだ北斎美術館」へ行くために、妻と二人で葛飾北斎の生誕地付近の北斎通りを二三年振りに歩いた。なお、北斎通りと「すみだ北斎美術館」については、後述。

春風に揺れる館旗にロゴマーク 

 晴れた春の朝、去年出来たばかりの「すみだ北斎美術館」に着くと、三旗の掲揚ポールに「すみだ北斎美術館」の館旗が、春風に揺れていた。ロゴマークのである雷のみのすっきりとしたデザインの旗だ。

(二月中旬 第50回「NHK福祉大相撲」など その二)
春に行く「すみだ北斎美術館」
春小旅目に江戸東京博物館
春小旅右手に大きな博物館
春小旅行く博物館沿いの道
春小旅目に入る徳川家康像
春の朝北斎通りを歩きゆく
㊟北斎通り・・・北斎通り
場所・・・北斎通りは、西は江戸東京博物館前の清澄通りから横十間川までまっすぐに伸びる道路です。ちょうど京葉道路と蔵前橋通りの中間に位置します。
由来・・・名前の由来
 北斎通りは、以前「南割下水通り」*と呼ばれていました。その名の由来は江戸時代、通りの中央に掘割が設けられていたことからと言われています。
 さて、この江戸本所割下水にあたる場所で、日本を代表する画家・葛飾北斎が生まれています。このことにちなんで、今の「北斎通り」の名があるのです。
 北斎の他にもこの亀沢の地に縁の深い人物として、柳亭種彦、河竹黙阿弥、三遊亭円朝なども知られています。
 北割下水は現在の春日通り(亀沢・北斎ネットより転載)
◎「北斎通りについて」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その百八十六)》
春の朝北斎通りを二人して 
春小旅信号渡り真っ直ぐに
春小旅十分程で公園に
春小旅数年前とは様変わり
春小旅この地はリニューアルされて
春小旅数年前とは大違い
春逡巡以前の様子と大違い 
春小旅前の公園真新し
春小旅前に緑町公園が
㊟緑町公園・・・
緑町公園については、すみだ北斎美術館の建設に伴い公園そのものがなくなったり、その機能を大きく変更したりといった予定はありません。しかし、公園が美術館の玄関としての顔を持ち合わせるようになることから、現状の機能を維持することを基本に、外周部の舗装等の補修を中心とした整備を行うこととしています。
 緑町公園は、子どもからお年寄りまで幅広く多くの区民の皆様にご利用いただいている公園です。今後も、すみだ北斎美術館も含め、地域の皆様にとってより魅力ある公園となるよう努めてまいります。(墨田区HPより転載) 
㊟緑町公園付近・・・
緑(みどり)は、東京都墨田区の町名。
 歴史[編集]
 居住地としての始まりは、江戸時代の明暦年間にさかのぼる。明暦の大火により本所一帯の開拓整地が行われた。その後、元禄元年(1689年)に「緑町」という町名が付けられた。当時は、緑町一丁目から五丁目まであり、道路が碁盤目上に走り、町屋や武家屋敷が整備された。
 明治時代に入ると、現在の北斎通りにあたる南割下水までが緑町として扱われることとなった。その名残として、北斎通りの亀沢二丁目付近にある公園には「緑町公園」の名称が使用されている。なお、この緑町公園は、総武線の高架線を挟んで南北に分かれている。昭和に入り今度は南割下水から国鉄総武線のガード部分について亀沢に分割され、代わりに三ツ目通り以東を編入し、この時点でほぼ現在の形が整った。なお、このときに緑町はほぼ現在の形に町名変更が行われた。第二次世界大戦中の東京大空襲時には火災によりほぼ町内すべてを焼失しており、鉄筋コンクリート構造の東京市緑国民学校など一部の建物が残るのみであった。戦後は、緑町から町名を「緑」に変更したが、町域等の変更はなかった。緑町内は町工場が多く見られ、工業を中心として発展していたが、近年の規制なども相まって、町工場の閉鎖が多くなり、人口が減少傾向にあった。しかし、これら町工場の撤退に併せて、マンション建設等が進められ、人口も少しずつ回復を見せるようになった。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』の緑(墨田区)の項目より転載)緑町公園(津軽家上屋敷跡) [住所] 東京都墨田区亀沢2丁目7 付近
春小旅妻と緑町公園に
緑町公園に着く春の朝
春小旅公園内に案内板
春日浴ぶ板に北斎誕生地
春日浴ぶ南割下水案内板
春日浴ぶ板に江川の屋敷跡
※江川の屋敷跡・・・江川太郎左衛門屋敷跡(前)のこと。
春小旅公園傍に美術館
春旅に「すみだ北斎美術館」
㊟「すみだ北斎美術館」・・・すみだ北斎美術館(すみだ ほくさい びじゅつかん、英語表記:The Sumida Hokusai Museum)は、日本の東京都墨田区亀沢にある公立美術館。2016年(平成28年)11月22日に開館した[1]。江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎が本所界隈(現在の墨田区の一角)で生涯を送ったことや、彼が本所割下水で生まれたとされることから当時の「南割下水」に相当する現在の「北斎通り」の線上にある亀沢もゆかりの地に含まれることから、当地に設けられた、葛飾北斎を単独テーマとした世界初の常設美術館である。(中略)
 展示作品[編集]
・ ピーター・モース・コレクション (The Peter Morse Collection)[8] - 1993年に急逝したモースのコレクションが遺族により寄付されたコレクション[9]。 富嶽三十六景のうち神奈川沖浪裏、甲州石班澤、山下白雨、武州玉川など 新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図、東海道名所一覧など
・ 楢崎宗重コレクション[10] - 美術史家楢崎宗重が墨田区に寄付したコレクション[11]。(フリー百科事典『ウィキペディア:Wikipedia』より転載)
建設地の緑町公園付近は、江戸時代に弘前藩津軽家の上屋敷があり[4]、美術館建設にあたり埋蔵文化財調査のための発掘が行われた。 所在地 東京都墨田区亀沢二丁目七番 
春日浴ぶすみだ北斎美術館
㊟北斎・・・葛飾北斎のプロフィール
 日本を代表する浮世絵師の葛飾北斎は、1760年(宝暦10)9月23日に、本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれました。 画号(画人が本名以外に付ける別名)を30と言われるほど変え、90歳の生涯のうちに1つの場所に住居を構えるのではなく、墨田区内、台東区内周辺などを転々と引っ越しを繰り返し、その数は93回と言われています。
 1849年(嘉永2)4月18日に浅草聖天町遍照院境内(現在の台東区浅草)の仮宅で、娘や門人(弟子)、友人達に看取られながら息を引き取りました。
 北斎は、死の直前に大きく息をして「あと10年の寿命があれば」と言い、しばらくして「5年の寿命が保てれば本当の絵師になれるのに」との言葉を残して亡くなったと伝えられています。
 当時としては、大変に長生きをした人で、90年の生涯をひたすら絵を描くことに費やしました。
 北斎の代表作である錦絵「富嶽三十六景」全46枚(72歳頃に描く)や、絵手本『伝神開手 北斎漫画』十五編(55歳〜60歳頃に描く)など多くの作品は、遠く海を越えて、19世紀ヨーロッパの印象派画家ゴッホ(1853-90)、セザンヌ(1839-1906)、ゴーガン(1848-1903)などにも大きな影響を与えたことでも知られています。
 また、1999年米国の『ライフ』と言う雑誌による「この1000年間で最も重要な業績を残した世界の人物 100人」のアンケートで、日本人では唯一1人、86位にランクインされています。
 墨田で生まれ、20歳で浮世絵師として出発し、没するまでの70年間にわたって築きあげた北斎の芸術世界は、浮世絵と言うジャンルを超えて、今も世界の人々の注目を集めています。(亀沢・北斎ネットより転載)
◎「葛飾北斎について」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その百八十五)》
春日浴ぶ美術館傍に掲揚塔 
掲揚塔三種の旗は春風に
春日和美術館の旗風に揺れ
春風に揺れる館旗にロゴマーク 
春風に揺れる館旗に雷画
春小旅目に新しき美術館
春小旅目にモダンな美術館
春小旅妻と入館十時前に 
春の朝妻と入館十時前に
春灯下入場券に「赤富士」画
春灯下券に北斎の雷画
春灯下手にする券にロゴマーク
春灯下入場券にロゴデザイン
春灯下エレベーターにて階上へ
春灯下エレベーター乗り階上へ
春日和窓の向こうにスカイツリー
春日和窓に大きなスカイツリー
春日和青背に高きスカイツリー
春灯展示見る前にビデオ見る

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

● 平成二十九年四月六日 木曜日
○ 二月日々折々 その四 春灯

《今回の自選代表二句と自句自解》

感謝してモースの冥福祈る春 

 ある春の日に、去年出来たばかりの「すみだ北斎美術館」の企画展であるピーター・モース氏のコレクションをビデオ鑑賞した後に鑑賞した。葛飾北斎の研究者であり、世界有数の北斎作品コレクターでもあったピーター・モース氏の収集してきた作品だけに見応えがあった。コレクションの経緯を十七分のビデオを見て理解していたので、亡きピーター・モース氏の御尽力に日本人として感謝した上で、モース氏の御冥福を祈念した。合掌。

春旅に見応えのある北斎画 

 ある春の日に、両国界隈を少し散策した後、「すみだ北斎美術館」でピーター・モース氏のコレクションと楢ア宗重氏のコレクションという二人のコレクターが生涯をかけて集めた珠玉の名品を前後期合わせて約130点の企画展と、更に常設展の両方を鑑賞した。実に見応えのある北斎の美術作品展であった。

(二月中旬 第50回「NHK福祉大相撲」など その三)
春灯下ピーター・モースのビデオ見る
感謝してモースの冥福祈る春  
春に観るモースのコレクション・ビデオ
春小旅先ず見る館の企画展
㊟企画展・・・開催中の企画展 開館記念展U
「すみだ北斎美術館を支えるコレクター−ピーター・モースと楢ア宗重 二大コレクション−」
2017年2月4日(土) 〜 2017年4月2日(日)
コレクターが生涯をかけた珠玉の名品、大公開!
 美術館の活動の、最も根幹となるのは収蔵作品です。すみだ北斎美術館の収蔵作品には、墨田区が独自に収集してきた作品の他に、かつて個人のコレクターが収集してきた作品群が二つあります。
 一つは北斎の研究者であり、世界有数の北斎作品コレクターでもあったピーター・モース氏のコレクション。もう一つは、浮世絵版画を大きな視野でとらえ、貴重な資料を収集し研究してきた浮世絵研究の第一人者である楢ア宗重氏のコレクションです。
 本展覧会では、二人のコレクターが生涯をかけて集めた珠玉の名品を前後期合わせて約130点、大公開します。
(中略)
展示構成
1章 ピーター・モースコレクション
北斎の研究者であり北斎作品の収集家でもあったピーター・モース氏のコレクションを展示します。
また、モース氏の生涯、研究業績、北斎に言及した言葉なども紹介し、北斎作品とモース氏の関わりを多様な観点から紹介します。
研究者の眼で収集された質の高い北斎作品の数々をお楽しみください。
≪主な展示作品≫
・前期:「冨嶽三十六景 甲州石班沢」、「牡丹に胡蝶」、『さむたらかすみ』など
・後期:「冨嶽三十六景 武州玉川」、「寺島法泉寺詣」、『初若菜』など
2章 楢ア宗重コレクション
美術史家であり、北斎研究の分野でも活躍した楢ア宗重氏のコレクションを展示します。
楢アコレクションは、版画を含めた日本美術作品などのコレクションで、美術史研究のために貴重な作品が数多く含まれています。
また、楢ア氏の生涯、研究業績、楢ア氏による作品の解説なども紹介しながら、楢アコレクションの魅力的な作品を紹介します。
≪主な展示作品≫
@ 北斎と門人の作品
葛飾北斎『東遊』(前後期)、蹄斎北馬「夕立図」(前期)、高井鴻山「妖怪図」(後期)、魚屋北溪『得吉方廼瀧(ときわのたき)』(前期)など
A 楢アコレクションの名品
高橋由一「三宅康直像」(前後期)、川上冬崖「佐久間象山蟄居図」(前期)、長澤蘆雪「洋風母子犬図」(前期)、椿椿山「水野忠啓像」(後期)など
(「すみだ北斎美術館」HPより転載)
春に観る先ずピーター・モース・コレクション
㊟ピーター・モース・コレクション・・・ピーター・モース氏とコレクション
 ピーター・モース氏(1935-1993)は、北斎の研究者であり、作品の収集家でもありました。
大森貝塚を発見したエドワード・モースの血縁(弟の曾孫)にあたり、北斎の「諸国瀧廻り」に関する論文を執筆、「百人一首乳母が絵説き」シリーズに関する単著を刊行し、また、北斎のカタログレゾネ(全作品目録)を作成しようとしました。
 モース氏のコレクションは、欧米における北斎の個人収集としては最高・最大の内容といわれており、研究者の眼で収集された希少価値の高い作品が多く含まれていることが特徴です。北斎の主な落款(春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、卍)の作品がすべて含まれ、北斎の画歴の全体像を見渡すこともできます。
 平成5(1993)年のモース氏の急逝後、そのコレクションの散逸を惜しまれた御遺族が、すみだ北斎美術館の計画に理解を示されたことから、墨田区が総数600点に近い北斎作品や研究資料などを一括取得しました。(「すみだ北斎美術館」HPより転載)またピーター・モースは、大森貝塚を発見したエドワード・S・モースの子孫にもあたる。
◎「ピーター・モース氏とコレクション」《治蝶の俳句の散歩道(ちょっといい話 その百八十七)》
春灯下「冨嶽三十六景」画
春に観る「冨嶽三十六景」画
春灯「牡丹に胡蝶」目の前に
春旅に見応えのある北斎画 
北斎と門人の画を春鑑賞
春鑑賞次は楢アコレクション 
春の日に鑑賞楢アコレクション 
春灯下「佐久間象山蟄居図」が
春小旅我が家と縁ある象山図
春旅に鑑賞二大コレクション
春小旅次見る常設展示品
㊟常設展示・・・常設展示室のごあんない
 常設展示室は7つのエリアで構成されています。北斎とゆかりの地「すみだ」とのつながり「1.すみだと北斎」から始まり、主な画号により6つに分けたエリア(「2.習作の時代」?「7.肉筆画の時代」)は、各期の代表作(実物大高精細レプリカ)とエピソードを交えて、北斎の生涯を辿ることができます。白黒写真を基に推定復元した、『須佐之男命厄神退治之図すさのおのみことやくじんたいじのず』、『北斎漫画』などの絵手本をタッチパネルモニタで紹介する『北斎絵手本大図鑑』、高精細画面モニタでの錦絵鑑賞、錦絵の制作工程を映像も交えて紹介するコーナーなども見どころです。北斎アトリエの再現模型もあり、楽しみながら北斎についての理解を深めることができます。(「すみだ北斎美術館」HPより転載)
春灯前に北斎の「赤富士」が
㊟「赤富士」・・・冨嶽三十六景 凱風快晴
作品解説
大判錦絵 天保2年(1831)頃
一説に、河口湖かわぐちこ近辺から望んだ富士を描いたものとされています。夏から秋にかけての早朝に、富士山が朝日を浴びて山肌を赤く染めることがあり、その現象を捉えたものと考えられています。夜が明けきってしまうまでの僅わずかな時間の経過を画面上に表現しており、山頂はまだ薄暗がりで、中腹は赤みを増しながら、穏やかな風の中で少しずつ夜が明けていく様子を描き出しています。冨嶽三十六景シリーズの代表的な3図のうちの1つであり、通称「赤富士」の名で知られる著名な作品です。(「すみだ北斎美術館」HPより転載)
春灯 前に北斎の 錦絵が
春の灯に 「山下白雨」の 北斎画
㊟「山下白雨」の北斎画・・・冨嶽三十六景 山下白雨(さんかはくう).
作品解説
大判錦絵 天保2年(1831)頃
下界は黒雲がたちこめ雷鳴とどろき、上空は青空に雲が浮かんでいます。富士山を中心に、2つの対照的な天候を描くことで、富士山の大きさ、高さを表現しています。「神奈川沖浪裏 かながわおきなみうら」「凱風快晴 がいふうかいせい」とともに、冨嶽三十六景シリーズを代表する図柄として知られていますが、具体的な名所や風俗を描くより、富士山そのものをどのようにとらえるかに力が注がれているように感じられます。なお、本図の雷の部分は、美術館のロゴのデザインの元にもなっています。(「すみだ北斎美術館」HPより転載)
春灯下「凱風快晴」目の前に
春灯下手にする券にロゴデザイン
春灯下手の入場券に雷画
旅先で北斎生涯知る春に
旅先での生涯知る春に
北斎の生き様を知る春小旅
北斎の再現アトリエ春灯
春灯下再現アトリエ生々し
春灯部屋は散らかし放題に


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